ご無沙汰しております。
最近AKB48についてブログを更新していない件について、ここで考えを述べておこうと思います。
(たいした話ではないですが、更新がなくて何事かと思われると困るので。)
私は、「AKB48に語るだけの価値がない」とは考えていません。
そもそも「AKB48に語るだけの価値がある」というのは、「AKB48に価値がある」のではなく、「AKB48を語ることによって生まれる価値がある」という意味の言葉です。
ですので、語ることによって価値を生みだすことができるか否かが、語るだけの価値があるのかの判断基準になるわけですが、しかし、「価値」というのは、不確定性原理のように事前には不確定なものです。
何かを確かめようとするとき、はじめて価値は確定的になります。
ただ、価値判断を伴うモノゴトには何となく「型」というものがあって、モノゴトの中身はよく理解できなくても、その型に照らし合わせて、マクロでの方向性はそれとなくわかるものです。
本質的な問題が何かを見極めようとすることによって、過程はどうあれ行き着く先のイメージは持つことができるということです。
「筋の良し悪し」という言葉はよく使われる表現です。
だから、いつも私は、AKB48を見て、私の頭の中にある型に当てはめ、今後どういう価値が生み出されるのか思索するわけですが、最近はAKB48を見ていてもよくわからないことが増えてきました。
これまでは、何かがある度に、それが意図したか意図せざるかに関わらず、将来的な方向性はそれとなく見えていたつもりですが(それもつもりでしかないが)、最近は私の理解の範疇を超えていることが多くなりました。
「AKB48に語るだけの価値がない」のではなく、私が価値を語ることができなくなってきたということです。
こういう時、往々にしてよく行われるのが、自分が理解できるような形に現実を捻じ曲げるという行為です。
これは必ずしも悪いことではありません。
人間が生きていくために、論理の単純化や矛盾を1つ上の次元で統合するといったことは重要な知恵です。
が、時として経験や知恵は邪魔になるものです。
過去の成功体験が新しい成功の芽を潰すこともあるからです。
よって、「AKB48に語るだけの価値がある」と考える人々によって、今後もAKB48は語られるべきだと思うし、私はダグラス・マッカーサーの有名な言葉「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」に倣って、しばらくの間充電期間をもって、私自身が成長して新たな価値を見出すことが出来るようになったら、また語りたいと思います。
誤解されたくないのは、上記で述べているのは、AKB48に関する話題を扱わないという意味ではなく、これまでのように偉そうに意見するのは当分の間、控えるということです。
(この間、知人の知り合いの若者に「乃木坂46を売るにはどうすればよいか?」という相談をされたりして、こういう話はやはり面白いなぁと感じているので、ライトな会話なら余裕さえあればしていこうかと。)
コメント欄については自由闊達な議論に使って頂ければと思いますが、荒れないようにはしていきますので、よろしくお願いいたします。
---------------------------
【追記】
様々なコメントを頂きながらも、コメント欄を放置して申し訳ないのですが、ここでものすごく簡単ではありますが、考えを述べておきたいと思います。
私は、どのコメントにも一理あると思います。
主張の部分を見れば、論理的な整合性や正当性といったところで調整が必要になる内容も多々あるかもしれませんが、どのコメントにも傾聴に値する理が込められているなと感じています。
主張の本質だけを見ていくと、頂いたコメントの多くには重要な意味が込められていると思います。
何が言いたいかというと、今行われているのは不完全な議論かもしれませんが、その背景にある思想の多様性と強靭さ、これがAKB48世論の強さである、ということです。
正しさが何か?という点についての混乱が憂うべき状態なのでなしに、この多様な立場に基づく思考をAKB48という名の下に統合できずにいる現状こそが憂うべき状態である、ということです。
運営には、是非1つ上のメタ次元でよく考えてもらいたい
ってもう偉そうに発言してるじゃないかって言われそうですね。
まぁ・・AKB48に限った課題ではないのですが。
最近AKB48についてブログを更新していない件について、ここで考えを述べておこうと思います。
(たいした話ではないですが、更新がなくて何事かと思われると困るので。)
私は、「AKB48に語るだけの価値がない」とは考えていません。
そもそも「AKB48に語るだけの価値がある」というのは、「AKB48に価値がある」のではなく、「AKB48を語ることによって生まれる価値がある」という意味の言葉です。
ですので、語ることによって価値を生みだすことができるか否かが、語るだけの価値があるのかの判断基準になるわけですが、しかし、「価値」というのは、不確定性原理のように事前には不確定なものです。
何かを確かめようとするとき、はじめて価値は確定的になります。
ただ、価値判断を伴うモノゴトには何となく「型」というものがあって、モノゴトの中身はよく理解できなくても、その型に照らし合わせて、マクロでの方向性はそれとなくわかるものです。
本質的な問題が何かを見極めようとすることによって、過程はどうあれ行き着く先のイメージは持つことができるということです。
「筋の良し悪し」という言葉はよく使われる表現です。
だから、いつも私は、AKB48を見て、私の頭の中にある型に当てはめ、今後どういう価値が生み出されるのか思索するわけですが、最近はAKB48を見ていてもよくわからないことが増えてきました。
これまでは、何かがある度に、それが意図したか意図せざるかに関わらず、将来的な方向性はそれとなく見えていたつもりですが(それもつもりでしかないが)、最近は私の理解の範疇を超えていることが多くなりました。
「AKB48に語るだけの価値がない」のではなく、私が価値を語ることができなくなってきたということです。
こういう時、往々にしてよく行われるのが、自分が理解できるような形に現実を捻じ曲げるという行為です。
これは必ずしも悪いことではありません。
人間が生きていくために、論理の単純化や矛盾を1つ上の次元で統合するといったことは重要な知恵です。
が、時として経験や知恵は邪魔になるものです。
過去の成功体験が新しい成功の芽を潰すこともあるからです。
よって、「AKB48に語るだけの価値がある」と考える人々によって、今後もAKB48は語られるべきだと思うし、私はダグラス・マッカーサーの有名な言葉「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」に倣って、しばらくの間充電期間をもって、私自身が成長して新たな価値を見出すことが出来るようになったら、また語りたいと思います。
誤解されたくないのは、上記で述べているのは、AKB48に関する話題を扱わないという意味ではなく、これまでのように偉そうに意見するのは当分の間、控えるということです。
(この間、知人の知り合いの若者に「乃木坂46を売るにはどうすればよいか?」という相談をされたりして、こういう話はやはり面白いなぁと感じているので、ライトな会話なら余裕さえあればしていこうかと。)
コメント欄については自由闊達な議論に使って頂ければと思いますが、荒れないようにはしていきますので、よろしくお願いいたします。
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【追記】
様々なコメントを頂きながらも、コメント欄を放置して申し訳ないのですが、ここでものすごく簡単ではありますが、考えを述べておきたいと思います。
私は、どのコメントにも一理あると思います。
主張の部分を見れば、論理的な整合性や正当性といったところで調整が必要になる内容も多々あるかもしれませんが、どのコメントにも傾聴に値する理が込められているなと感じています。
主張の本質だけを見ていくと、頂いたコメントの多くには重要な意味が込められていると思います。
何が言いたいかというと、今行われているのは不完全な議論かもしれませんが、その背景にある思想の多様性と強靭さ、これがAKB48世論の強さである、ということです。
正しさが何か?という点についての混乱が憂うべき状態なのでなしに、この多様な立場に基づく思考をAKB48という名の下に統合できずにいる現状こそが憂うべき状態である、ということです。
運営には、是非1つ上のメタ次元でよく考えてもらいたい
ってもう偉そうに発言してるじゃないかって言われそうですね。
まぁ・・AKB48に限った課題ではないのですが。
老兵はただ立ち去るのみ…残念でなりませんが仕方がありません。
去るものは追わずが礼儀でしょうか。
ただただ残念です。
AKBがどこまで泳ぎ続けられるのか、見ていきましょうね!
頼んでなくても熱く語っちゃう人だから。
すぐ戻ってくるよ。
逆にこんなAKBを熱く語れる人は、AKBへの愛がない証拠。AKBへの愛があるなら、今のAKBは語る気力すら沸くわけがない。
安部首相と秋元康
http://jacklog.doorblog.jp/archives/32884385.html
猪瀬都知事と秋元康
http://tokyo2020.jp/jp/bid-committee/
秋元康はオリンピック招致委員のメンバーなんだよね。
総理大臣や都知事との絡みは、水商売のAKBなんかよりも、世間的な格付けは比較にならないほど権威ある名誉な世界的国家プロジェクトだし、やすすは人生の総決算としてオリンピック絡みの活動に精を出すんじゃないかな。未来の展望もない、理念もないAKBは、適当に茶番にして、半ば放置だと思う。
視野の狭い人同士が議論するより、頭の良い乃木坂の運営を見てた方が答えに近い、
という話なので、乃木坂推しでもないんですよ。
乃木坂の出した恋愛禁止に対する答え。
九割の人に嫌われても一割に好かれれば一位になれるのが総選挙。
一方、乃木坂の公演の投票の仕組みは、自分の推し以外にも投票させるので、箱推しに嫌われたら二幕目には絶対に出れない。
分かりやすく言うと、一人が十六人の選抜を選ぶという事。総得票数は十六倍。まゆゆに入れたい
人も十倍ぐらいになるけど、指原や峯岸に入れたい人はそんなに増えない。峯岸圏外になりますよ。
乃木坂では箱推しに嫌われたら終わるので、疑惑が出たら本人が説明してる。
あとは各メンバーと客の判断。
一応恋愛禁止らしいけど、運営が公表してる訳でもない。
レッスンしたのに公演に出れないのが一番辛いから、抑止力として今の所は有効に働いている。
レッスン自体に不参加ならフロントの星野でも選抜から外すし、全役制覇は八福神にしてる。
こうして書き出すと意外と過酷だ。
この手法が有効なのはAKB運営もわかってるだろうから、どうするのか見物、というのが私の立場です。
個人的な感想。
AKBはスタンドプレーをした者勝ちの仕組みだから、こうなるのは当然で、私は宮脇も松村も好きではないから、私は一貫してるつもりです。宮脇や松村は好きだけど、指原や峯岸は嫌いというややこしい感性の人を納得させる仕組みは難しいと思う。表裏一体だから。
乃木坂は普通の社会と一緒でスタンドプレーをすれば嫌われると思ってる子達だから、自分が目立っただけで、箱推しから嫌われるのではないかという妄想がひどくて、むしろ嫌いになれない。どちらが正しいのかは分かりません。
全役制覇と書いてるからミュージカルぽいやつの投票ですよね?
これって人気一位の白石麻衣ではなくて生田絵梨花が一位じゃなかったですか。
白石の序列一位って一推しが有利な握手人気ベースで、その点では総選挙と似てませんか。
間違ってたらすいません。
どっちにしろアンチの多いメンバーが不利になる選挙制度なら、例えば前田敦子なんか素直に一位に選ばれてたんでしょうかね。
でも、選抜に入れなくなるから恋愛禁止を守るという人はいない。
選抜より公演を干される方が恐怖だろうという話です。結果的に選抜にも握手にも影響するから特に48だと辞めるしかないでしょう。
今やってるのはセンターにふさわしい人に投票するセンター総選挙です。
本当の選抜総選挙で、普通に考えたら、あなたが十六人の選抜を選ぶとしたら前田敦子には入れるでしょ。
入れないのは大島優子を推す人だけではないか。
大島推しは前田より上、みるきー推しはさや姉より上を目指すでしょ。それが嫌な空気を作る。
乃木坂で生駒は白石にセンターを取られたけど、生駒推しが白石を批判すると白石推しが生駒に票を入れなくなるから、二人はセンター経験者同士だよね、というお互いの推しに感情移入させるあたたかい空気を作る方が良いという事になる。
乃木坂はそういう空気です。
よくできた仕組みだと感心する。
48だってメンバー同士は仲が良いのに、自分の事を推すあまりに自分が原因となって他者に負の感情を持つようになる人がたくさん出てしまうのを心苦しいと思うに決まってるでしょ。
でも、現状、それを心苦しいと思わない歪んだ感受性を持った人ばかりが活躍するようになりつつある。当然だよね。
そういう人達だと分かった上で推せば、誰も傷つかなくていいと思うんだけど、そういう普通の意見を言うと私が叩かれるし。
運営の選抜に納得がいかずに柴田に入れた栄箱推しは多いでしょうが、同じ規模で、運営に反対する為に前田を外す投票をすると、二位から十七位が十六倍の票数になり、前田に罪はないのに可哀想な結果になるから、実際はそういう団結は起こらないと思います。
選抜落ちの可能性があると、推してる側も本人も、順位を一つでもあげる為の行動より、選抜から落ちない為の行動を取るようになるから、規律正しくなる。
やはり箱推しは多いから、箱推しが「公」の役割となって変な事にはならないし、「公」に対する「私」を見せるという意味で単推しとは、より親密になる。
48だと仮想敵があって推しが団結するけど、本人にとってそれは敵ではないから、推しと本人の心の一致がなく、微妙にずれてる。選挙の為に推しが必要という面も大きくなる。
乃木坂だと、箱推しと単推しの対比構造にはなるけど、箱推しは敵ではないから、どうする事もできない。
単推しは共に闘うのでも共に頑張るのでもなく、不安がる本人を慰めるしかない。
「何を売るか」は創業期の問題。
軌道に乗り上場し資金調達する発展期は、「何にお金を使うか」の問題に変わる。
それが失敗したら、出資した投資家は経営者に退陣を要求する。
48は支店を作る事にお金を使った。
しかし、いまだに「何を売るか」についてここで議論されてる事からして、それが間違いで、虚業なのに資金調達をしたとみなすのが投資家の視点による結論です。
飲食業が支店を出す時、売れる商品はもう固まってる。
一方、大和運輸の宅急便事業は五年赤字だった。
営業所を作る費用が莫大だったからだが、拠点がたくさんある事が商品だから仕方ない。
48は劇場単体で黒字にならないのに支店を作ったという事は、支店がたくさんある事が魅力となる商品を売るべきで具体的には地域密着、地域対抗にすべきなのに、その事すら分かってない経営者は退陣すべきと一般投資家なら考える。
恋愛禁止を含めた創業期の「何を売るか」という問題に、ここで議論されてしまう事からも分かるように、明確な答えが出てないのに、規模を拡大する事によって資金調達できてしまった為に、本業の赤字に目を瞑り続けるという、典型的な倒産企業の流れになってる。
そういう実体の部分で何も成していない企業なのに、本業に価値があると吹聴し続ける、ここの主のような厄介な人種は株の世界にはたくさん居て、心底腹が立ちますが、悪気がないのが株の世界とは違って何か怖い。
豊田自動織機が自動車事業を始めた時、人を殺す機械という批判も、未来の移動手段だと夢見る人もいたでしょう。しかし、本業の豊田自動織機の技術は素晴らしいという意見では一致していたはずです。本業とはそういう実業であるべきです。
誰もが認めるその企業の持つ価値を今後何に使うかを議論すべきなのに、その価値について全員の意見が一致しない時点で虚業です。
あれこれ自説を展開し、説得しないと理解されない価値を本業とする企業に、一般投資家は投資しません。
上場企業ではなく私企業だからそれでも良いと言えます。
虚業でも文化的価値はあるかもしれなませんが、経営視点で本気で語るのがアホらしいんです。
歌舞伎に伝統以外の価値があるのか、意見は分かれると思いますが、その価値を信じて守ってるのは本人達です。だから指原は自主的に辞めるべきという意見は正しい。
歌舞伎では、実業である興行主の松竹はもちろん、歌舞伎座も上場企業です。
これが答えだと思います。大企業一社の支援と、細かい営利部門の分離。
48のように多数の営利企業の実業を優先させると何の価値も守られないのは当然でしょう。
今後どうすべきか。
本業の立て直しは、本業がうまくいってた企業にしか通用しません。
おそらくDPさんは、本店で本業の価値が固まってから支店を出店すべきだったという考えだと思います。その通りで、本来なら本店の価値を上げる為に資金を投入すべきだったんですよ。東京に一万円取れる劇場を作って、研究生は秋葉でその劇場を目指すとか。
だけど、実際の今の状況と規模だと、本当に価値のある新たな商品や仕組みの創造を目指して軽々しく試す事もできないし、それがうまくいってるのか要素が複雑で判断も難しい。そこで、本店とは別に乃木坂を作ったと考えると、経営手法として理解しやすいのではないでしょうか。
48自体はGENKIさんの考えに近いと思いますが、支店がたくさんあるという事を魅力の中心として、そこに商品価値が見い出せると信じるしかないと思います。能力のある経営者なら、舵を切ってる事を示す為にも、仙台と札幌に次々に支店を出して、新たな価値に賭けます。失敗なら全支店一斉閉鎖で本店だけで今度こそ新たな価値を模索するのが普通の経営の考え方です。
今の運営は日和見的にゆっくり縮小していきたいと思ってるようです。
正直、この規模だと急に破綻する事もあると思いますし、誰も支えない可能性が高いと見ます。
乃木坂に関してはこれからお金を使う時期に入るので、何に使うのか、メンバーを増やす以外の投資に期待してます。
秋葉原にアイドルの劇場は五つになりました。テレ朝も劇場を作ったのでX21はそこかもしれません。乃木坂が劇場を作らなかったのは正解という話ですが、劇場があるから握手券が利益をもたらすぐらいに売れるのではない事はAKBの初期の頃を考えれば分かる事ですし、パフォのレベルは乃木坂やももクロを見れば劇場がなくてもなんとかなると分かります。48の優位性はブームによってテレビに露出しやすいという事以外に何もないのだとすると、KPOPのように売り上げは落ちてなくてもブームは去ったとメディアが判断して露出を減らせば若手から握手券が売れなくなり、主要メンバーが卒業していくと、高コスト体質だから急に破綻する可能性があります。
それを防ぐ為には、コストは下げられない以上、何に価値があるのか、どの価値を守るかを議論するよりも、この先、何にお金を使うか、投資していくのかを議論した方が意味があると思います。
支店を作る事が成功だったならそこから得た資金を何に使うかを考えるべきでしょうが、考えられないのは、経営の基本として、支店を増やして売り上げが横ばいなら費用は増えてるので利益は減ってるからではないですか。
理想の48像の為には何にお金を使うべきだったのか、その投資でどういう収益を得られるのか、経営を語るならそれがないと意味がないと思いますが、いかがですか。
他の業務は本業ではない。
劇場経営の素人だから劇場が赤字なら一日三回公演にしようとする。一方ホール運営もしてる京楽は週三回公演にしようとする。この差です。
タレントのマネジメントも専門の芸能事務所にまかせてうまくいってる。メディア戦略は専門の電通にまかせてうまくいってる。自らの本業を理解している証拠です。理解していないのは、全ての業務を区別なく議論している無知なファンだと思います。
版権管理業としてのビジネスモデルは、サンリオを意識してたと見てます。
子供が日常的に使う物は他社が作った物にキャラクターを供与して使用料をいただく。そのキャラクターのファンになった人はサンリオショップでサンリオ製の商品を買っていただく。
そういう実業が見本だと思います。
サンリオの絶対的な価値はデザイナーにあります。そこを崩さない限り虚業とは言われない。
一方AKBは周辺の実業企業の能力が高いから売れたけど、肝心のAKSにはサンリオでいうデザインにあたる人材育成の能力が足りなかったと言わざるをえない。
当たり前の話ですがキティちゃんは処女ですからね。
つまり、当初予定していたビジネスモデルとしては未完成のまま、膨張してしまって、どうする事もできなくなってると思われます。
当初の予定のままいくのか、新たな実業として成立させるのかが注目です。
まだ創業期と見るのか、バブルがはじける寸前と見るのか、どっちとも取れるという話です。
異空間のキャラクターを企業が外に連れ出す時にお金を取る。
お客様が異空間を訪れる時にお金を取る。
というのが基本で、当初はそこを目指してたはず。
マジやガチは外の世界でも現せる物だろ?
劇場である必要はない。
アイドルである必要もない。
異空間にそぐわないキャラクターを排除する行為や、キャラクターを戦わせる選抜総選挙や、裏側を見せるドキュメンタリーは、外の世界にいるにわかを釣る為の道具に過ぎない。
それらは余ったパンの耳ですよ。
パンの耳に砂糖をまぶして揚げたら売れてしまったのかもしれないけど、あんなのをうまいと言ってる奴らなんかほっといて、俺達はふわふわの部分を食う、
という人はどのくらいいるのでしょうか。
私が外の世界にいるから知らないだけで、結構いるのかもしれません。
だから、この理屈だと指原や峯岸は劇場を干せばいいんですよ。風紀を乱す、問題発言が多い、選挙重視、AKBを踏み台と思ってる、ようなメンバーは劇場から干す。
それが本業で勝負するという事ではないのか。
乃木坂の対応が見もの。