今更ながら、アニメ『0048』をまとめて観たのだが、面白かった。
ストーリーそのものはSFだが、作品に込められているアイディアは実際のAKB48を多分に反映(デフォルメ)しているので、解釈しようと噛めば一味も二味も深いものが楽しめる。
さらに、実際には実施されないが「こうだったら面白い」といったアイディアも組み込まれていて、SFならではの良さも出ている。
特に、「襲名」というコンセプトが面白い。
襲名は「名」を継ぐことであるが、歌舞伎や落語、相撲など伝統的な世界で行われている。
名は、単なる名前ではなく、芸風や芸格を表しているので、名に見合うレベルにならないと襲名できない。
強引に襲名したとしても、それを顧客が認めなければ興ざめとなるだけなので、製作者側と顧客側とが協調した認知作業とも言える。
端的に言えば、みんなが同じ方向性を持った価値観の下でひとつのモノを創り上げていく作業である。
そういう意味では、「襲名」というコンセプトは、顧客参加型という観点だけで見れば、AKB48との親和性が高いと思う。
(「襲名」といわずとも、名を継ぐ「名跡」自体はより一般的な概念で、古来から武家や商売でも使われていたし、近代では「苗字」として民衆の間でも使われている。企業の経営陣の交代も襲名と似たようなものだと思う。)
アイドルグループの栄枯盛衰を決める一つの要素に「世代交代」があると思う。
人が変わると名前から認知し直さなければならないが、この認知コストが思っているより高いと思う。
(この手の実験がなされたことがあるのかは知りません)
「ダンバー数」によれば、人間はこれまでの進化過程の中で、150人程度の集団であれば認知可能な能力を身に着けたそうだが、頻繁にメンバーが変わるとなると、この上限を容易に超えていくことになる。
(日常の生活の中で、既に何人かを認知しなければならないから、余裕は150よりずっと少なくなるはずだ。)
それに、これは実感としてみなが感じていることだと思うが、人を知ろうとする行為は大変に労欲を要する。
とにかく人が変わると、名前とともにキャラクターも変わるとなると労力がかかる。
これを乗り越える一つのアイディアとして「襲名」を使うのは面白い。
認知コストを下げる効果があるし、提供するサービスの水準を保証することでもあるからだ。
名を継ぐ者にとっての行動指針にもなる。
ただ、「温故知新」を旨とする伝統芸事には向くだろうけれど、常に新しい価値観(つまり新しい名前)を生み出していこうとするグループには、そのまま適用できないだろうとは思う。
では、他の芸能はどうしているのかというと、演劇では「役」が名前に近い役割を果たしているような気がするし、クラシック音楽では楽曲そのものが名前的なものになっている気はする。(ちょっと強引か・・)
そういう意味では「センター」と、その争奪戦は、「襲名」に近い役割を果たしているような気もする。
AKB48が100年続くグループであるならこの手のことを考える価値はありそうだ。
ストーリーそのものはSFだが、作品に込められているアイディアは実際のAKB48を多分に反映(デフォルメ)しているので、解釈しようと噛めば一味も二味も深いものが楽しめる。
さらに、実際には実施されないが「こうだったら面白い」といったアイディアも組み込まれていて、SFならではの良さも出ている。
特に、「襲名」というコンセプトが面白い。
襲名は「名」を継ぐことであるが、歌舞伎や落語、相撲など伝統的な世界で行われている。
名は、単なる名前ではなく、芸風や芸格を表しているので、名に見合うレベルにならないと襲名できない。
強引に襲名したとしても、それを顧客が認めなければ興ざめとなるだけなので、製作者側と顧客側とが協調した認知作業とも言える。
端的に言えば、みんなが同じ方向性を持った価値観の下でひとつのモノを創り上げていく作業である。
そういう意味では、「襲名」というコンセプトは、顧客参加型という観点だけで見れば、AKB48との親和性が高いと思う。
(「襲名」といわずとも、名を継ぐ「名跡」自体はより一般的な概念で、古来から武家や商売でも使われていたし、近代では「苗字」として民衆の間でも使われている。企業の経営陣の交代も襲名と似たようなものだと思う。)
アイドルグループの栄枯盛衰を決める一つの要素に「世代交代」があると思う。
人が変わると名前から認知し直さなければならないが、この認知コストが思っているより高いと思う。
(この手の実験がなされたことがあるのかは知りません)
「ダンバー数」によれば、人間はこれまでの進化過程の中で、150人程度の集団であれば認知可能な能力を身に着けたそうだが、頻繁にメンバーが変わるとなると、この上限を容易に超えていくことになる。
(日常の生活の中で、既に何人かを認知しなければならないから、余裕は150よりずっと少なくなるはずだ。)
それに、これは実感としてみなが感じていることだと思うが、人を知ろうとする行為は大変に労欲を要する。
とにかく人が変わると、名前とともにキャラクターも変わるとなると労力がかかる。
これを乗り越える一つのアイディアとして「襲名」を使うのは面白い。
認知コストを下げる効果があるし、提供するサービスの水準を保証することでもあるからだ。
名を継ぐ者にとっての行動指針にもなる。
ただ、「温故知新」を旨とする伝統芸事には向くだろうけれど、常に新しい価値観(つまり新しい名前)を生み出していこうとするグループには、そのまま適用できないだろうとは思う。
では、他の芸能はどうしているのかというと、演劇では「役」が名前に近い役割を果たしているような気がするし、クラシック音楽では楽曲そのものが名前的なものになっている気はする。(ちょっと強引か・・)
そういう意味では「センター」と、その争奪戦は、「襲名」に近い役割を果たしているような気もする。
AKB48が100年続くグループであるならこの手のことを考える価値はありそうだ。
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