[追記]
書き切った後、校正せずに今読み直したら、肝心なところが抜けていることに気づきました。
題名と中身の繋がりがイマイチ不明という・・面倒だから後で書こうと思っていたらそのまま忘れてしまっていました。
が、もう気力がないので、このまま抜けたままです(笑)
要約すると、リーダーをはじめとした組織が集団浅慮に陥っていることが、荒唐無稽なストーリーを立てるようなことに繋がるのであるからして、現実を否認するのではなく、対峙することが大切だということです。
その時、率直に真実を語る姿勢を持つことが重要だということですな。
あれ、三行でまとまっちゃいますね・・
----------------
現実否認と夢 そして愛
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/20573f10f72f22c159495a6aee7bffdd
の続き
----------------
1985年4月。
冷静時代には「資本主義の象徴」とまで呼ばれた世界で最もブランド力が高いと言われる企業「コカ・コーラ・カンパニー」は、1986年の創立100周年を前にして「カンザス計画」と呼ばれる計画を実行した。
コカ・コーラの味を根本的に変えて、「ニュー・コーク」を発売したのだ。
作家トーマス・オリバーがコカ・コーラ社の広報マンに「オールド・コーク」が復活する可能性について尋ねたところ、「未来永劫あり得ない」と回答された。
ところが、その未来永劫はわずか79日で終わった。
「ニュー・コーク」は消費者の不評を買い、コカ・コーラ社には抗議の手紙や電話が殺到する事態になったのだ。
1985年7月11日、コカ・コーラ社は味を元に戻し、少しだけ名前を変えて再投入するはめになった。
「コカ・コーラ・クラシック」だ。
(2009年1月30日、「コカ・コーラ・クラシック」の「クラシック」の文字を取った。)
「ニュー・コーク」は名前を「コークⅡ」に変えて再投入されたが、2002年に廃止されるまで不人気なままだった。
(正確にいうと、主戦場であるアメリカ・カナダでは人気がなかったが、第3国ではそれなりに人気が出たようだ。)
いまコカ・コーラ社に「ニュー・コーク」が復活する可能性を聞いたなら、こう答えるだろう。
----------------
当時「カンザス計画」を推進したのは、コカ・コーラ社のCEOであったロベルト・C・ゴイズエタと、ドナルド・R・キーオだった。
ロベルト・ゴイズエタは20世紀のアメリカ産業界を代表するCEOの1人である。
ゴイズエタは、コカ・コーラ社の社長となった1980年から1997年に本人の死去により経営者の座を降りまでの間に、時価総額を45億ドルから1800億ドルに押し上げた。
炭酸飲料というローテクの極みのような分野での業績にゆえに、その偉大さは一層輝いている。
その20世紀のアメリカを代表する偉大な経営者が、何故このような大失敗をしてしまったのか、興味深い問題だ。
----------------
コカ・コーラ社の看板商品は、当然「コカ・コーラ」である。
その「コカ・コーラ」の味を変更して、「ニュー・コーク」を発売することになった背景を簡単に説明する。
当時、「コカ・コーラ」は1970年代半ばから「ペプシコーラ」にシェアを奪われ続けていた。
若者を中心に、「コカ・コーラ」よりも甘いペプシを好む消費者は増えていたのだ。
1975年には全世界の売上高は過去最高を記録していたが、国内売上高は前年を下回っていた。
さらに問題だったのは、「ペプシコーラ」のアメリカ国内市場でのシェアが伸びていたことだった。
挑戦者たるペプシコーラはありとあらゆることを積極的に試みた。
そして、事業のあらゆる面に遊び心があった。
たとえばペプシコーラのダイエット版は、「ダイエット・ペプシ」と名付けられた。
一方、その2年後に発売されたコカ・コーラ社のダイエット版コーラの名前は「タブ」である。
コカ・コーラ者では、コカ・コーラの全てが神聖化されており、神聖なる商品名を、他の商品に流用するなど許されなかったのだ。
----------------
ペプシの勢いを決定づけたのが「ペプシチャレンジ」だ。
「コカ・コーラ」と「ペプシコーラ」でブラインドテスト(目隠しテスト)を実施しようというのだ。
当時ペプシ社内にはこんなジョークがあった。
ペプシ側には、消費者が「コカ・コーラ」をブランド名で選んでいる確信があった。
ペプシは何度かブラインドテストを実施したが、勝ったのはペプシだった。
というキャンペーンを張った。
コカ・コーラ社の上層部は大層驚いたそうだ。
コカ・コーラ社では、主力製品の味をライバル製品と比較したことが一度もなかったという。
さらに追い打ちをかけたのは、コカ・コーラ社内部で実施されたブラインドテストでも、ペプシが勝ったことだった。
「ペプシチャレンジ」は、スーパーマーケットで買い物をする普通の消費者のロイヤルティを揺るがすだけではなく、マクドナルドのような大口契約を危険にさらすという意味でも、脅威であった。
この状況に危機感を抱き、コカ・コーラ社で、ペプシをライバルとして認め社内的議論をする許可を与えたのが、ゴイズエタだった。
1981年、ゴイズエタは幹部を集めて行われた会議にて「聖域のない改革」を訴えた。
その結果、「チェリー・コーク」という大ヒット、「ダイエット・コーク」、さらにこの間コロンビア・ピクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント)の買収といった成果が生まれた。
そして1985年、問題の「ニュー・コーク事件」は起きる。
----------------
1985年4月23日、ニューヨークのリンカーン・センターで「ニュー・コーク」の発売イベントが派手に開かれた。
先述したように、コカ・コーラ社が「ニュー・コーク」を発売することになった理由は「ペプシ」の躍進なのは、誰の目にも明らかだった。
だが、ゴイズエタは、このシンプルな真実だけは口にできないと思い込んでいた。
実は、ゴイズエタとキーオは、イベントのリハーサル時に、自分たちが語ろうとしているストーリーがあまりに信憑性に欠けると気づいていたが、そのまま押し切ろうという判断をした。
仰々しく「これぞアメリカ!」という演出がなされたイベント会場でゴイズエタは説明をした。
最高の製品が、さらに美味しくなりました。
消費財の世界で、史上最も大胆な試みとお考えになる方もいらっしゃるでしょう。
私どもとしては、単に絶対確実な試みと申し上げておきましょう。
なぜなら、このコーラの新たな味わいは、消費者の皆様の嗜好に基づいて作られたのですから。
それからゴイズエタは、新たなコカ・コーラの製法がどのように生まれたかを語った。
1982年に発売され大ヒットとなった「ダイエット・コーラ」の開発過程で、社内のフレーバー調合担当者が「ニュー・コーク」の新製法を偶然発見したというのだ。
調査の結果、消費者が新製法の味を従来の「コカ・コーラ」よりも好むことが分かったため、何のためらいもなく製法変更に踏み切ったという、いかにも荒唐無稽な話だった。
実際、このストーリーには真実の欠片もなかった。
しかし、ゴイズエタの抱えていた問題の核心はそのことではない。
ゴイズエタとキーオの2人が報道陣に信じ込ませようとしていたストーリーが、偽りだっただけではなく、どうにも信じがたいものであったのだ。
この荒唐無稽な作り話には面白いところが一つもなく、報道陣が乗ってくる要素も一切なかった。
世界で最も価値のあるブランドを保有する企業が、偶然今より優れた製法を発見し、変更を決断したって?
そんな馬鹿なことが有り得るのか・・。
企業がこのような極めて重要な局面に差し掛かると、メディア(受け手)は味方に付くか、敵に回るかをすばやく決める。
この後に行われた質疑応答からは、メディアがどちらに決めたかは明らかだった。
報道陣:
これが大失敗に終わらないと、100%確信があるのですか?
ゴイズエタ:
さきほども申し上げました通り、これは消費者が決めたことですから。
絶対確実な選択です。
キーオ:
大ヒット間違いなしですよ。
報道陣:
「ニュー・コーク」と「オールド・コーク」の違いは何ですか?
ゴイズエタ:
味を説明するなら、詩人かコピーライターか、報道陣の皆さんにお任せした方がいいでしょうね。
飲んでみて、ご自身で判断してもらえませんか。
報道陣:
ご自分の言葉で説明してください。
ゴイズエタ:
そうですね、より滑らかで、えーと、まろやかで、えーとそれでいて、そう、骨太でもいいましょうか。
これまでより調和のとれた味ですよ。
報道陣:
(失笑)
キーオ:
飲む人を包み込むような味だと、私は思いますよ。
報道陣:
この製品は「ペプシ・チャレンジ」への対抗策なのでしょうか?
ゴイズエタ:
おやおや、何を言っているんですか。
えーと、ペプシチャレンジですか?
そんなことがいつあったんです?
報道陣:
要するに、この新製品にとって「ペプシコーラ」の存在は、ハインツの煮豆缶やハーシーズのキスチョコと同じくらい無関係だとおっしゃるのですね?
ゴイズエタ:
さぁ、どうでしょうなぁ。
あなたの方が間違いなく私より英語がお得意のようだから、あなたと言い争う気はありませんよ。
私が言いたいのは、新製品が念頭においているのは、消費者だけだということです。
会見は大失敗に終わった。
そして、ゴイズエタの言葉は許されざる嘘の典型だった。
誰にでもわかる現実を否認したのだ。
----------------
ペプシコーラのCEOロジャー・エンリコは「ニュー・コーク」の情報を掴むと、歓喜してこう言った。
あいつら、本当にやりやがるんだ!
新製品を出すんじゃなくて、「コカ・コーラ」を市場から引っ込めるのか!!
エンリコはすぐ全従業員に向けてこう文章を打った。
ペプシコーラのボトラーと社員の皆さんへ
皆さんに心からお祝いを申し上げます。
87年間もじっと睨み合ってきた相手が、ついにマバタキをしました。
コカコーラは製品を市場から引き揚げ、コーラを「ペプシに似た味」に変えようとしています。
リプリーが世を去ったのが非常に残念です。
きっと大喜びしたでしょうから。
市場におけるペプシの長年の成功が、今回の動きの原因となったのは間違いありません。
正しいものを変える必要がないことは、誰でも分かります。
彼らもようやく、我々にはずっと前から分かっていたことに気づいたのかもしれません。
ペプシの方がコカコーラよりも美味しいと。
トラブルに陥った人間というのは、とんでもないことをしでかすものですから、彼らから目を離してはいけません。
しかし、今だけは、勝利とは甘美なものであり、我々にはそれを祝う資格があると申し上げましょう。
金曜日は祝日とします。
どうぞ楽しんでください!
では!
ペプシコーラUSA 社長兼CEO ロジャー・エンリコ
エンリコはこの好機を逃さなかった。
アメリカ中の新聞の広告枠を押さえたのだ。
それだけではない。
リンカーン・センターの目と鼻の先にあるコロンバス・サークルでパーティを開こうと提案した。
コカ・コーラ陣営とやりあった報道陣たちに「本当の本物の味」であるペプシを飲ませようというのだ。
1985年4月はペプシにとって大勝利の日となり、コカ・コーラにとっては惨敗となった。
この時、瞬間的にペプシのシェアがコカ・コーラを上回った。
先にも後にも、この時だけだ。
----------------
『コカ・コーラ帝国の興亡』の著者、マーク・ベンダグラストは「ニュー・コーク」の失敗を以下のようにまとめている。
ニュー・コークの大失敗の結果、元のコークは400万ドル以上にも相当する宣伝効果に浴し、その効果と比べればコカ・コーラ社の下手な広告は役立たずも同然だった。
今や由緒あるコーラは復活し、再びアメリカ一の清涼飲料の地位を取り戻した。
ゴイズエタとキーオは図らずも、このマーケティングの失敗を見事なビジネス上の手柄に変えたのだった。
なんとまぁ、幾重にも皮肉な話である。
書き切った後、校正せずに今読み直したら、肝心なところが抜けていることに気づきました。
題名と中身の繋がりがイマイチ不明という・・面倒だから後で書こうと思っていたらそのまま忘れてしまっていました。
が、もう気力がないので、このまま抜けたままです(笑)
要約すると、リーダーをはじめとした組織が集団浅慮に陥っていることが、荒唐無稽なストーリーを立てるようなことに繋がるのであるからして、現実を否認するのではなく、対峙することが大切だということです。
その時、率直に真実を語る姿勢を持つことが重要だということですな。
あれ、三行でまとまっちゃいますね・・
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現実否認と夢 そして愛
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/20573f10f72f22c159495a6aee7bffdd
の続き
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1985年4月。
冷静時代には「資本主義の象徴」とまで呼ばれた世界で最もブランド力が高いと言われる企業「コカ・コーラ・カンパニー」は、1986年の創立100周年を前にして「カンザス計画」と呼ばれる計画を実行した。
コカ・コーラの味を根本的に変えて、「ニュー・コーク」を発売したのだ。
作家トーマス・オリバーがコカ・コーラ社の広報マンに「オールド・コーク」が復活する可能性について尋ねたところ、「未来永劫あり得ない」と回答された。
ところが、その未来永劫はわずか79日で終わった。
「ニュー・コーク」は消費者の不評を買い、コカ・コーラ社には抗議の手紙や電話が殺到する事態になったのだ。
1985年7月11日、コカ・コーラ社は味を元に戻し、少しだけ名前を変えて再投入するはめになった。
「コカ・コーラ・クラシック」だ。
(2009年1月30日、「コカ・コーラ・クラシック」の「クラシック」の文字を取った。)
「ニュー・コーク」は名前を「コークⅡ」に変えて再投入されたが、2002年に廃止されるまで不人気なままだった。
(正確にいうと、主戦場であるアメリカ・カナダでは人気がなかったが、第3国ではそれなりに人気が出たようだ。)
いまコカ・コーラ社に「ニュー・コーク」が復活する可能性を聞いたなら、こう答えるだろう。
「未来永劫あり得ない」
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当時「カンザス計画」を推進したのは、コカ・コーラ社のCEOであったロベルト・C・ゴイズエタと、ドナルド・R・キーオだった。
ロベルト・ゴイズエタは20世紀のアメリカ産業界を代表するCEOの1人である。
ゴイズエタは、コカ・コーラ社の社長となった1980年から1997年に本人の死去により経営者の座を降りまでの間に、時価総額を45億ドルから1800億ドルに押し上げた。
炭酸飲料というローテクの極みのような分野での業績にゆえに、その偉大さは一層輝いている。
その20世紀のアメリカを代表する偉大な経営者が、何故このような大失敗をしてしまったのか、興味深い問題だ。
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コカ・コーラ社の看板商品は、当然「コカ・コーラ」である。
その「コカ・コーラ」の味を変更して、「ニュー・コーク」を発売することになった背景を簡単に説明する。
当時、「コカ・コーラ」は1970年代半ばから「ペプシコーラ」にシェアを奪われ続けていた。
若者を中心に、「コカ・コーラ」よりも甘いペプシを好む消費者は増えていたのだ。
1975年には全世界の売上高は過去最高を記録していたが、国内売上高は前年を下回っていた。
さらに問題だったのは、「ペプシコーラ」のアメリカ国内市場でのシェアが伸びていたことだった。
挑戦者たるペプシコーラはありとあらゆることを積極的に試みた。
そして、事業のあらゆる面に遊び心があった。
たとえばペプシコーラのダイエット版は、「ダイエット・ペプシ」と名付けられた。
一方、その2年後に発売されたコカ・コーラ社のダイエット版コーラの名前は「タブ」である。
コカ・コーラ者では、コカ・コーラの全てが神聖化されており、神聖なる商品名を、他の商品に流用するなど許されなかったのだ。
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ペプシの勢いを決定づけたのが「ペプシチャレンジ」だ。
「コカ・コーラ」と「ペプシコーラ」でブラインドテスト(目隠しテスト)を実施しようというのだ。
当時ペプシ社内にはこんなジョークがあった。
「コカ・コーラ」を「ペプシ」のボトルに入れたら全く売れないだろうが、「ペプシ」を「コカ・コーラ」のボトルに入れたら大儲けできるだろう。
ペプシ側には、消費者が「コカ・コーラ」をブランド名で選んでいる確信があった。
ペプシは何度かブラインドテストを実施したが、勝ったのはペプシだった。
「あなた自身の味覚で決めてください。」
というキャンペーンを張った。
コカ・コーラ社の上層部は大層驚いたそうだ。
コカ・コーラ社では、主力製品の味をライバル製品と比較したことが一度もなかったという。
さらに追い打ちをかけたのは、コカ・コーラ社内部で実施されたブラインドテストでも、ペプシが勝ったことだった。
「ペプシチャレンジ」は、スーパーマーケットで買い物をする普通の消費者のロイヤルティを揺るがすだけではなく、マクドナルドのような大口契約を危険にさらすという意味でも、脅威であった。
この状況に危機感を抱き、コカ・コーラ社で、ペプシをライバルとして認め社内的議論をする許可を与えたのが、ゴイズエタだった。
1981年、ゴイズエタは幹部を集めて行われた会議にて「聖域のない改革」を訴えた。
その結果、「チェリー・コーク」という大ヒット、「ダイエット・コーク」、さらにこの間コロンビア・ピクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント)の買収といった成果が生まれた。
そして1985年、問題の「ニュー・コーク事件」は起きる。
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1985年4月23日、ニューヨークのリンカーン・センターで「ニュー・コーク」の発売イベントが派手に開かれた。
先述したように、コカ・コーラ社が「ニュー・コーク」を発売することになった理由は「ペプシ」の躍進なのは、誰の目にも明らかだった。
だが、ゴイズエタは、このシンプルな真実だけは口にできないと思い込んでいた。
実は、ゴイズエタとキーオは、イベントのリハーサル時に、自分たちが語ろうとしているストーリーがあまりに信憑性に欠けると気づいていたが、そのまま押し切ろうという判断をした。
仰々しく「これぞアメリカ!」という演出がなされたイベント会場でゴイズエタは説明をした。
最高の製品が、さらに美味しくなりました。
消費財の世界で、史上最も大胆な試みとお考えになる方もいらっしゃるでしょう。
私どもとしては、単に絶対確実な試みと申し上げておきましょう。
なぜなら、このコーラの新たな味わいは、消費者の皆様の嗜好に基づいて作られたのですから。
それからゴイズエタは、新たなコカ・コーラの製法がどのように生まれたかを語った。
1982年に発売され大ヒットとなった「ダイエット・コーラ」の開発過程で、社内のフレーバー調合担当者が「ニュー・コーク」の新製法を偶然発見したというのだ。
調査の結果、消費者が新製法の味を従来の「コカ・コーラ」よりも好むことが分かったため、何のためらいもなく製法変更に踏み切ったという、いかにも荒唐無稽な話だった。
実際、このストーリーには真実の欠片もなかった。
しかし、ゴイズエタの抱えていた問題の核心はそのことではない。
ゴイズエタとキーオの2人が報道陣に信じ込ませようとしていたストーリーが、偽りだっただけではなく、どうにも信じがたいものであったのだ。
この荒唐無稽な作り話には面白いところが一つもなく、報道陣が乗ってくる要素も一切なかった。
世界で最も価値のあるブランドを保有する企業が、偶然今より優れた製法を発見し、変更を決断したって?
そんな馬鹿なことが有り得るのか・・。
企業がこのような極めて重要な局面に差し掛かると、メディア(受け手)は味方に付くか、敵に回るかをすばやく決める。
この後に行われた質疑応答からは、メディアがどちらに決めたかは明らかだった。
報道陣:
これが大失敗に終わらないと、100%確信があるのですか?
ゴイズエタ:
さきほども申し上げました通り、これは消費者が決めたことですから。
絶対確実な選択です。
キーオ:
大ヒット間違いなしですよ。
報道陣:
「ニュー・コーク」と「オールド・コーク」の違いは何ですか?
ゴイズエタ:
味を説明するなら、詩人かコピーライターか、報道陣の皆さんにお任せした方がいいでしょうね。
飲んでみて、ご自身で判断してもらえませんか。
報道陣:
ご自分の言葉で説明してください。
ゴイズエタ:
そうですね、より滑らかで、えーと、まろやかで、えーとそれでいて、そう、骨太でもいいましょうか。
これまでより調和のとれた味ですよ。
報道陣:
(失笑)
キーオ:
飲む人を包み込むような味だと、私は思いますよ。
報道陣:
この製品は「ペプシ・チャレンジ」への対抗策なのでしょうか?
ゴイズエタ:
おやおや、何を言っているんですか。
えーと、ペプシチャレンジですか?
そんなことがいつあったんです?
報道陣:
要するに、この新製品にとって「ペプシコーラ」の存在は、ハインツの煮豆缶やハーシーズのキスチョコと同じくらい無関係だとおっしゃるのですね?
ゴイズエタ:
さぁ、どうでしょうなぁ。
あなたの方が間違いなく私より英語がお得意のようだから、あなたと言い争う気はありませんよ。
私が言いたいのは、新製品が念頭においているのは、消費者だけだということです。
会見は大失敗に終わった。
そして、ゴイズエタの言葉は許されざる嘘の典型だった。
誰にでもわかる現実を否認したのだ。
----------------
ペプシコーラのCEOロジャー・エンリコは「ニュー・コーク」の情報を掴むと、歓喜してこう言った。
あいつら、本当にやりやがるんだ!
新製品を出すんじゃなくて、「コカ・コーラ」を市場から引っ込めるのか!!
エンリコはすぐ全従業員に向けてこう文章を打った。
ペプシコーラのボトラーと社員の皆さんへ
皆さんに心からお祝いを申し上げます。
87年間もじっと睨み合ってきた相手が、ついにマバタキをしました。
コカコーラは製品を市場から引き揚げ、コーラを「ペプシに似た味」に変えようとしています。
リプリーが世を去ったのが非常に残念です。
きっと大喜びしたでしょうから。
市場におけるペプシの長年の成功が、今回の動きの原因となったのは間違いありません。
正しいものを変える必要がないことは、誰でも分かります。
彼らもようやく、我々にはずっと前から分かっていたことに気づいたのかもしれません。
ペプシの方がコカコーラよりも美味しいと。
トラブルに陥った人間というのは、とんでもないことをしでかすものですから、彼らから目を離してはいけません。
しかし、今だけは、勝利とは甘美なものであり、我々にはそれを祝う資格があると申し上げましょう。
金曜日は祝日とします。
どうぞ楽しんでください!
では!
ペプシコーラUSA 社長兼CEO ロジャー・エンリコ
エンリコはこの好機を逃さなかった。
アメリカ中の新聞の広告枠を押さえたのだ。
それだけではない。
リンカーン・センターの目と鼻の先にあるコロンバス・サークルでパーティを開こうと提案した。
コカ・コーラ陣営とやりあった報道陣たちに「本当の本物の味」であるペプシを飲ませようというのだ。
1985年4月はペプシにとって大勝利の日となり、コカ・コーラにとっては惨敗となった。
この時、瞬間的にペプシのシェアがコカ・コーラを上回った。
先にも後にも、この時だけだ。
----------------
『コカ・コーラ帝国の興亡』の著者、マーク・ベンダグラストは「ニュー・コーク」の失敗を以下のようにまとめている。
ニュー・コークの大失敗の結果、元のコークは400万ドル以上にも相当する宣伝効果に浴し、その効果と比べればコカ・コーラ社の下手な広告は役立たずも同然だった。
今や由緒あるコーラは復活し、再びアメリカ一の清涼飲料の地位を取り戻した。
ゴイズエタとキーオは図らずも、このマーケティングの失敗を見事なビジネス上の手柄に変えたのだった。
なんとまぁ、幾重にも皮肉な話である。
アイドルのトラブル
大企業の不祥事
毎日のように多発していますよね
熱愛
不倫
人間の性
起きることは避けて通れません
しかし、
事後対応力でそのアイドルの人間性問われます
事務所の絡みなど困難も多いことは予想
それでこそ
支持してやまない熱烈なファンに対しては
しっかり説明責任伴いますよ
シラーっとスルーなんてあり得ません…
大企業のトップだって不祥事に対しては
記者会見開きます…
自分で起こしたトラブル
ファンへの裏切り行為に対しては
自分のアイドル生命かけてでも説明するのが当然でしょう
それを
カエルの面にしょんべんで
「来年頑張る」
はないでしょう
ファンも
世間も
バカにしているように思えてしまいますね…
ファンの一人だっただけにとても
残念な気持ちの尾木ママです