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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

善意というだけで通ったら命が幾つあっても足りない

2013-06-12 17:43:09 | AKB48_軽ネタ



山本七平『「空気」の研究』より

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 こうなる「空気」とは、一つの宗教的絶対性を持ち、われわれがそれに抵抗できない”何か”だということになる。もちろん宗教的絶対性は、大いに活用もできるし悪用もできる。これを利用して「免罪符」を売りつけて財政破たんを救うこともできる。

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 免罪符の発売は抗議者(プロテスタント)を決起さすから、実質的には、それを行った法皇の権威失墜になり、従って宗教性は消え、「空気」は雲散霧散しやすい。

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 臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入は全ての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言で言えば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。

 聖書学者の塚本虎二先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。氏が若い頃下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を思い出した。それは、若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。これはヒヨコにお湯をのますのと同じ行き方であり、両方とも、全くの善意に基づく親切なのである。

 よく「善意が通らない」「善意が通らない社会は悪い」といった発言が新聞の投書などにあるが、こういう善意が通ったら、それこそ命がいくつあっても足りない。従って、「こんな善意は通らない方がよい」といえば、おそらくその反論は「善意で懐炉を入れても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」ということになるであろう。だが、この場合、善意・悪意は実は関係のないこと、悪意でも同じ関係は成立つのだから。また、ヒヨコをお湯をのませたり、保育器に懐炉を入れたりするのは”科学的啓蒙”が足りないという主張も愚論、問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのかにある。

 というのは、ヒヨコにお湯をのまし、保育器に懐炉を入れるのは完全な感情移入であり、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態だからである。そしてそういう状態になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在感的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。

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AKB48第1章「反運営」 → AKB48第2章「反AKB48」 ?

2013-06-12 07:37:40 | AKB48_軽ネタ
ここ数ヶ月の間にジワジワと感じていることを述べます。

決して対立を煽りたいわけでも、陰謀史観に組したいわけでもないと、はじめに強く言っておきます。

(居酒屋談義だと思ってください。)


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大島優子は、「絶対的センター前田敦子」に対比する形で「反運営の象徴」と呼ばれてきました。

前田敦子と大島優子が表現するものは、AKB48第1章を紡ぐ縦糸と横糸であったと思います。

私は大島優子の人格やパフォーマーとしての素晴らしさを大いに認めておりますが、大島優子がAKB48を代表する圧倒的エース・メンバーになった背景には、AKB48第1章を紡ぐ力が後押ししたとも思います。


なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? ~あつゆう、W松井の奇跡~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/954de4b52b6d9d5530d1b34affcd2328

なぜ運営は島崎遥香を激推しするのか? パート2  ~台風の目になれること~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/92b293d05c66aeb0da4973c2be240e39


しかし、今回の総選挙の結果を見て、とりわけ指原の1位を見て、もうAKB48第1章のフレームワークでは語れなくなってきている部分があるのではないかと感じています。

率直に言うと、私は指原の1位が象徴するのは「反AKB48」だと感じているのです。

指原はほとんどAKB48みたいなものだし、推され中の推されなのに、おかしな意見だと思われる人もいると思いますが、「反運営」から「反AKB48」の潮流が起きていて、AKB48の勢いが落ちる中で総選挙が盛り上がるのも、その背景に反AKB48的な力が働いていないかと思うのです。

SKE48のファンの方々からすると「何を今更」感のある意見だと思う(失礼)のですが、それとはちょっと違うと思っています。

いつになっても始まらないAKB48第2章、旧態依然として変わり映えしないAKB48選抜、ファンとは違うところのパワーバランスで決まる運営方針、「ガチ」や「マジ」といった理念が次々と失われていく喪失感、こういった危機意識の下で「リベラル」と「コンサバ」の一部の層が「反AKB48」で結合する動きが起きて大きな力を持ち始めたのではないかと、政策ではなく政局の話になってしまうのですが思うのです。

上位には大きな変動はなく相変わらず保守的な結果だったのですが、背景に流れる潮流の話です。


ここ最近、日本の近代史のアナロジーでAKB48を捉え直そうという提言をしてきましたが、総選挙の結果を見て、やはり今がAKB48第2章への過渡期であると思わざるを得ませんでした。

時は今、激動の幕末(AKB48第1章の終演直前)、前田敦子卒業という黒船から始まる混乱期の最中ではなかろうかと思います。

そして、私にはAKB48が江戸幕府に重なって見えます。

江戸幕府は、革命を成し遂げた薩長土肥などに比して圧倒的な経済力と軍事力を保持していたが敗北しました。

力があっても、その力を目的に合わせて集中することができなければ、力は発散されて、力で劣る勢力に負けることがあるのです。

目的に向けて各要素に持つ力を総合する「総合力」、それを一般的には「戦略」と呼びますが、江戸幕府もAKB48も戦略的敗北を喫するのではないかということです。

(目的を設定することを「政策」という。)

もちろん、AKB48は得票数でもCD売上げでもグループ内ダントツNo.1の地位は確立していますので、第5回総選挙の結果を「AKB48の敗北」と言うのはバランスを欠く表現かもしれません。

48グループ内で最古参かつ本拠地が日本構内で最も周辺人口の多い東京圏というだけでAKB48がNo.1でなければならない理由はありません。

が、テレビや雑誌などマスメディア露出において圧倒的に優位な環境に立つAKB48と他グループとのパワーバランスが変化してきていることは、真摯に受け止めなければならない事実であるとも考えます。

もともと中央集権体制ではない幕藩体制は、幕府の力が弱まると、急激にその力を失いました。

これまでの総選挙において圧倒的な存在感を示してきたAKB48が、その存在感を薄め始めた時、何かが起きるかもしれません。

※AKB48という言葉を秋葉原を本拠地にするグループ「AKB48」の意味で使ったり、48グループ全体の総称の意で使ったりわかりにくくなっております。


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前に「AKB48第2章」で遊んでるだろと言われたのですが、ポストモダンと同じで遊ぶこと自体が楽しいのですよ。