部屋を掃除する。
まずはちらかってる雑誌やらリモコンやら干したままになっている服や下着を片付ける。
次に紙クズやコンビニ弁当のカラ、ペットボトルなどを部屋の片隅にあるゴミ箱に入れる。
最後は掃除機の出番だ。
最新のサイクロン式の掃除機がカーペットの上のホコリや細かいゴミを勢いよく吸い込む。
部屋はキレイになった。
しかし、この部屋のカオスの量は部屋を掃除する前と後で何も変わっていない。
カオスは、本棚やゴミ箱、掃除機の中に場所を移しただけで、量は変化していないのだ。
一般的に、これは熱力学第一法則「エネルギー保存則」と呼ばれる。
クローズドなシステム内ではエネルギーの総量は変化しない。
姿や形を変えるかもしれないが、エネルギー量は不変である。
エネルギーにはプラスとマイナスの側面があるから、エネルギーの総量が大きくなってプラスが増えればその分だけマイナスも増える。
これは人間によって構成されるコミュニティでも基本的には同じだ。
たいてい都合よくコミュニティをオープン・システム化してプラスだけを取り込もうとする(マイナスを他に追いやる)が、その場合エネルギーが発散するのでプラスもマイナスも増えないことの方が多い。
プラス・マイナスに関わらずエネルギーを集めて囲い込む(クローズドにする)ことで莫大な力を自分のモノにする代わりに、莫大なマイナスを引き受けなければならない。
コミュニティ全体一様に満遍なくマイナスをばら撒く器用なことができればよいが、パレートの法則が示すように、自然状態では2割の要素に8割のエネルギーが集中するのが常で、通常はプラスとマイナスともに偏ることになる。
これを人為的に計画的に管理することは歴史上なんども見られたことで、第2次世界大戦中のナチスによるアウシュビッツが有名だろう。
AKB48でいえば「アンチ」というUZAい存在がつきまとうが、これを秋元康や運営、前田や指原、島崎といった主要メンバーが大量に引き受けてきた。
アンチは必要悪ではないが、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーの関係は崩せない。
目的論的に捉えれば、アンチは必要ではないが必然ではある。
また人間の感情における陰と陽の関係も崩せない。
「喜び」があるということは「悲しみ」もあるということだ。
そういう意味で「悲しみのない世界」というのは理想としては理解できるが実現し得ないだろう。
だが、しかし、「悲しみのない世界」は実現し得ないが「みなが喜べる世界」は創造できる。
それは発想を転換すれば可能になる。
喜びや悲しみは分解可能なものではない。
「悲しみを公平に分け合う」というのは政治的には正しいかもしれないが、あまり賢い選択肢とはいえない。
重要なことは、喜びも悲しみも繋がっていることを理解することだ。
相互依存によるWin-Winの関係を構築するとき、我々は悲しんでもいるが喜んでいもいるだろう。
Win-Winというのは「お互いが得をする」という意味ではなく、眼前の問題を1つ上の次元で止揚するという意味である。
プラスとマイナスを別個のモノとして扱う限りにおいて、マイナスの呪縛から逃れることはできないであろう。
まずはちらかってる雑誌やらリモコンやら干したままになっている服や下着を片付ける。
次に紙クズやコンビニ弁当のカラ、ペットボトルなどを部屋の片隅にあるゴミ箱に入れる。
最後は掃除機の出番だ。
最新のサイクロン式の掃除機がカーペットの上のホコリや細かいゴミを勢いよく吸い込む。
部屋はキレイになった。
しかし、この部屋のカオスの量は部屋を掃除する前と後で何も変わっていない。
カオスは、本棚やゴミ箱、掃除機の中に場所を移しただけで、量は変化していないのだ。
一般的に、これは熱力学第一法則「エネルギー保存則」と呼ばれる。
クローズドなシステム内ではエネルギーの総量は変化しない。
姿や形を変えるかもしれないが、エネルギー量は不変である。
エネルギーにはプラスとマイナスの側面があるから、エネルギーの総量が大きくなってプラスが増えればその分だけマイナスも増える。
これは人間によって構成されるコミュニティでも基本的には同じだ。
たいてい都合よくコミュニティをオープン・システム化してプラスだけを取り込もうとする(マイナスを他に追いやる)が、その場合エネルギーが発散するのでプラスもマイナスも増えないことの方が多い。
プラス・マイナスに関わらずエネルギーを集めて囲い込む(クローズドにする)ことで莫大な力を自分のモノにする代わりに、莫大なマイナスを引き受けなければならない。
コミュニティ全体一様に満遍なくマイナスをばら撒く器用なことができればよいが、パレートの法則が示すように、自然状態では2割の要素に8割のエネルギーが集中するのが常で、通常はプラスとマイナスともに偏ることになる。
これを人為的に計画的に管理することは歴史上なんども見られたことで、第2次世界大戦中のナチスによるアウシュビッツが有名だろう。
AKB48でいえば「アンチ」というUZAい存在がつきまとうが、これを秋元康や運営、前田や指原、島崎といった主要メンバーが大量に引き受けてきた。
アンチは必要悪ではないが、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーの関係は崩せない。
目的論的に捉えれば、アンチは必要ではないが必然ではある。
また人間の感情における陰と陽の関係も崩せない。
「喜び」があるということは「悲しみ」もあるということだ。
そういう意味で「悲しみのない世界」というのは理想としては理解できるが実現し得ないだろう。
だが、しかし、「悲しみのない世界」は実現し得ないが「みなが喜べる世界」は創造できる。
それは発想を転換すれば可能になる。
喜びや悲しみは分解可能なものではない。
「悲しみを公平に分け合う」というのは政治的には正しいかもしれないが、あまり賢い選択肢とはいえない。
重要なことは、喜びも悲しみも繋がっていることを理解することだ。
相互依存によるWin-Winの関係を構築するとき、我々は悲しんでもいるが喜んでいもいるだろう。
Win-Winというのは「お互いが得をする」という意味ではなく、眼前の問題を1つ上の次元で止揚するという意味である。
プラスとマイナスを別個のモノとして扱う限りにおいて、マイナスの呪縛から逃れることはできないであろう。