粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

民主党政権の原発事故対策とその後遺症

2015-03-21 15:21:12 | 原発事故関連

ネット討論番組「言論アリーナ」3月11放送の動画を非常に興味深く視聴した。なぜ正確な放射能情報が伝わらないのか」(出席者:石井孝明、池田信夫、高田純)

事故後現地調査し、その後も福島復興に尽力している放射線防護学専門家、高田純札幌医科大学教授の証言を中心に議論が進められている。

高田教授はこの4年福島原発事故の後の政策をどう総括するかという質問に政界のトップだった人物を名指しして厳しく批判している。

一言でまとめれば、「科学に対する非科学」です。放射線防護学という科学から逸脱し、迷信が蔓延して、福島の復興を妨害する政策が行われています。出だしが問題でした。非科学の方向に暴走した中心が事故当時の首相であり、原子力災害対策本部長であった菅直人氏でした。

菅氏は福島第一原発に事故直後に乗り込んで現場を混乱させました。これが象徴的です。その後に彼は福島原発から20キロ圏内を強制疎開させました。そして、そこを立ち入り禁止区域として、科学者が自由に調査できない状況を作り出しました。初動時点で現場を情報のブラックボックスにしてしまいました。後から実情を分析すれば、その必要はなかったのです。

福島で健康被害はありえません。それなのに福島の人々は迷信、風評被害の被害を今も受け続けています。これは政策の失敗によるものです。

政府は避難民が帰宅できる被曝基準を年間20ミリシーベルトとしているが、教授によればそもそも原発20キロ圏内で事故1年後年間20mSVを超える場所はほとんどなかったという。高田教授が事故後原発周辺を2日間回って被曝した線量はわずかに0.1mSVに過ぎなかったという。

避難した20キロ圏内の住民の線量は5mSV程度で全く健康に影響がないレベルだ。また甲状腺線量は浪江町と飯館村の住民の場合、チェルノブイリの1000分の一という低い水準だ。したがって、事故直後の避難は多少仕方がなかったかもしれないが、すぐに住民を帰還すべきだったと教授は主張している。

政府の20km圏内の線量評価は誤りです。私は、現地に2泊3日滞在するなどした個人線量計測ですが、事故対策本部は屋外の空間線量からの推計にすぎません。空間線量からは通常3倍以上の過大評価になります。また放射能が大幅に減衰しているのに、過去のデータで固定化したため、政府の判断ミスにつながっています。

たとえば、教授によれば昨年秋に復旧した国道6号線のうち、原発の脇を通って福島県内を2時間縦断走行した時の被爆線量はわずか0.37μSVだった。2日前に札幌から羽田間を飛行機で移動したときには0.76μSVなのでその半分だったという。

「…放射線の正しい知識を普及させることが必要です。その上で、政治も科学の知見を取り入れて、政策を決めてほしいです。特に今は希望した福島浜通りの住民の方が、故郷に帰れない状況になっています

教授が討論で発言しているように、帰りたくない人が強制はできないが、帰りたいと思っている人はぜひとも行政の支援で実現させてほしい。避難区域の新たな3区分も空間線量測定による過去のデータを元にして固定化することにも大いに問題がある。それとともに除染基準が年間1mSV以下とする暗黙の目標も疑問だ。

討論でも指摘されたことだが、事故直後政府が小中学校の放射能防護基準を年間20mSV以下と検討したことに対して、小佐古東大教授が抗議をしたことが思い出される。「子供たちがかわいそうだ」として1mSV以下を訴えて涙ながらに辞任したことが、その後も政府の政策に影響し国民の意識にもいまだトラウマとして残っている。

小佐古教授はその1mSVの根拠を示さず、涙の意味も明らかにしなかった。以来まるで彼は雲隠れするように公で口を開くこともない。科学者としてその姿勢は、全く無責任という他ない。しかし、この1mSVが一人歩きして亡霊にように世論の空気を覆っている。

民主党政権が終わって2年以上が経っているのに、こんな亡霊にいまだ取り憑かれているのは不可解といってよい。正しい科学の知識に裏付けされた政策が確かな実行力で推進されることを願って止まない。

 

2 コメント

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飛行機搭乗との比較 (K)
2015-03-28 16:54:02
この数値は貴重ですね。私のブログでも使わせてください。

そのときの避難指示は正しくても、戻さなかったのが問題、という高田氏の指摘ですね。
これも関連して「カウントダウン・メルトダウン」の著者が民主党政権だからこそ避難させられたという記載をしているのがあります。また、三春出身の玄葉氏はもっと避難区域を広げようとしていました。後から見れば、それは問題な話ですが、そのときは県民を思えばいたしかたなかったのかとも思います。
でも問題は「一度避難させたら戻すのは至難の業」という点です。

帰還の難しさ (うるしねまき)
2015-03-29 16:15:26
確かに一度大掛かりに避難をすると帰還は難しい。民主党政権を全て責めるわけにはいかないと思います。野田政権が事故収束宣言した11年末が一つの契機だったかもしれません。ただそれまでに政府が啓蒙政策を率先して行い、マスコミが同調していけばの話ですが、これはなかなか厳しかったと思います。

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