粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

シャラポワとチェルノブイリ事故

2014-01-04 16:22:46 | 原発事故関連

たまたま正月のテレビを見ていたら、テニスの人気選手マリア・シャラポワを紹介していた。既にその内容はネットにアップされているので再放送のようだ。(この動画が反原発のサイトなのが気になるもののこの際良しとしよう)

シャラポワ自身今日のスポーツセレブとはほど遠い少女時代を送っている。父親は西シベリヤでそしてアメリカ(最初は渡航費用資金の不足から母親を残しての渡米だった)で慣れない仕事(1日3つをこなすこともあった)を夜中まで続けた。帰宅後も眠っているマリアにために明日の食事を用意してまた翌日早朝出かけていった。家賃が払えず何度も退去を言い渡された。しかし、極貧でもめげず献身的な父親の愛情に支えれて本人も人一倍の厳しい練習で今日の栄冠を築いた。

17歳の若さでウインブルドンを初めて制した時の父親との熱い抱擁は感動的であった。「私の人生に選択肢はありませんでした。でも両親が様々なリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです」

彼女を語る上で、切り離せないのは、あの1986年に発生したチェルノブイリ原発事故である。彼女自身は西シベリアの出身で原発からは遠いが、彼女の両親は事故当時ベラルーシのゴメリに住んでいた。ゴメリは原発から130キロの場所にあるが、いわゆるホットスポットで線量が極めて高い地域であった。

両親はそこに事故後4ヶ月住んでいたが、母親が妊娠しているのがわかり、被曝を心配してすぐに西シベリアへ移住した。移住の翌年4月にマリアが生まれた。そういう意味ではシャラポワ自身は事故で直接には被曝していない。妊娠中の母親が被曝したに過ぎないともいえる。

ただ、シャラポワは2011年福島の原発事故後の日本の試合に率先して出場してチャリティには進んで参加した。そして被曝に苦しむ日本人を彼女だからいえるあるメッセージで励ました。「大丈夫!だって私はチェルノブイリの近くに住んでいた両親から生まれたのにこんなに元気よ」

確かに彼女自身は事故による直接の被曝はなかった。しかし、母親の胎内で事故に遭遇している。「私はこんなに元気」というのは、福島での被曝で将来の出産に悩む若い女性への強い励ましといえる。それは被曝者への心ない風評あるいは悪意を垂れ流す人々への強い抗議ともいえる。

それはともかく、シャラポワは原発事故の当事者として直視し、事故に苦しむ人々の立場から日本に世界に発信しているのは素晴らしい。超美人の売れっ子モデルであり今は年収21億円にも上る超セレブである。(あの浅尾美和はどうしてる?)しかし極貧の中でも両親の暖かい家庭で育った彼女のことだ。いつまでもつらい境遇に苦しむ人々への強い思いはは変わらないだろう。



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