粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

村上春樹と襟裳岬

2014-02-06 14:41:16 | 事件・事故・時事

北海道は中国で数年前に大ヒットした恋愛ドラマの舞台になった関係で、日本へ訪れる観光客の間では特に人気があるという。ドラマに登場するのは主に道東なのだが、道北のある町が最近の村上春樹氏の短編小説の内容を巡って出版社に質問状提出を検討しているという。

中頓別町、産経の記事によれば「問題としているのは、主人公が中頓別町出身の24歳女性運転手と車中で会話する場面。女性が火の付いたたばこを車の窓から捨てた際、『たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう』との主人公の感想が記されている。」とのことだ。これに対して、町は異議を唱えている。

「中頓別町はかつて林業が盛んで、東海林繁幸町議は「町民の防災意識は高い。『車からのたばこのポイ捨てが普通』というのは事実ではなく、町をばかにしている。そもそも町の実名を出す必要があるのか」と話している。

村上氏の小説を自分自身読んでいないので、女性タクシー運転者が火のついたタバコをポイ捨てするシーンが小説の文脈において必然性があるのかよくわからない。ただ常識的に考えても客を乗せている運転手がする行為としては違和感がある。まして若い女性がそんなことをするほどこの町は「荒れた町」なのかと疑ってしまう。

最近では、テレビドラマで登場人物がタバコポイ捨てをしたりすると視聴者からクレームが殺到するほど喫煙のマナーが騒がれている昨今、たとえ一流作家とはいえと、「町をバカにしている」という中頓別町の言い分も充分理解出来る。あれだけ反日ドラマが横行している中国のドラマでさえ北海道観光に一役買っているのに、日本を代表する作家の描写は大いに疑問符がつく。

ところで、北海道の別の地域のイメージで、以前に森進一が歌って大ヒットしレコード大賞も受賞した「襟裳岬」をつい思い出してしまった。曲がヒットしていた頃、関東のラジオ局が襟裳岬の地元の町役場観光部に電話していた。登場した担当者は曲のお陰で襟裳岬を訪れる観光客が急増していることを喜びながらも、「曲のことでちょっと引っかかることがある」と語っていた。曲の最後にある「襟裳の春は何もない春です」の「何もない」がどうもひっかかるとのことだ。「襟裳は春でも見どころはいっぱいある。」と。

ラジオのパーソナリティーが「都会の様々な煩わしさが何もなく青い空と海、美しい自然があるという意味ではないか」と敢えて曲を弁護していたが、最後まで担当者の気持ちは変わらなかった。事実、地元の住民からも曲制作関係者に相当クレームがあったようだ。

確かにこの曲の解釈は微妙といえるだろう。ただ現地の人々には曲に隠された本当の意味よりも、表記の外面を拘るのは仕方がないだろう。過疎地の町おこしという切実な動機があるからだ。今度の中頓別町も深刻な過疎に苦しんでいる町のようだ。願わくは、村上氏に今度は中頓別を規律を重んじ人に優しい町柄で描いて欲しいと思う。一緒に「何かある」襟裳も加えて。それでノーベル文学賞でも受賞すれば、なんてことを考えてしまう。