粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朝日新聞記者の採用条件

2014-02-04 12:40:35 | 反原発反日メディア

6階から一目散に非常階段を下りて、あっという間に外にでて視界から消える。これは別に怪盗ルパンの物語ではない。朝日新聞函館支局植村隆記者(55歳)が週刊誌の取材に見せた態度である。長い階段そして留めてあったタクシーで函館の街へ逃げていく、そのフットワークには賞賛に値する?

植村記者といえば、韓国人慰安婦問題を意図的に煽った人物として知られている。1991年8月に朝日新聞で問題の記事を掲載している。記事の冒頭「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」と紹介していた。

しかし、実際は女子挺身隊と慰安婦を混同しており、戦場に連行というのも誤りであった。証言を得た元慰安婦は当初「親に数十円で妓生に売られた」と語っていたのだ。従軍慰安婦という言葉も当時存在しない。記事が書かれた時期、記者は韓国人女性と結婚しており、姑が韓国慰安婦たちによる日本への賠償請求を求める運動の原告団長だった。植村記者はこの義母を支援する意図でこんな捏造記事を書いたのではないかとされている。

しかし、「女子挺身隊の名で戦場に連行」という言葉が一人歩きして、韓国国内で強い反響を引き起こしそれが今日の慰安婦問題の一つの大きな根源になってしまった。河野談話もその流れで生まれたものでその根は深い。さらには、左翼弁護士らのロビー活動を通して国連人権委員会やアメリカ議会にも波及し、いつのも間にか慰安婦に代わって「性奴隷」という呼称が世界中に流布するまでに悪化していった。

今でこそ、韓国が国を挙げて慰安婦問題を日本攻撃の戦略的武器としているが、元はといえばこうした朝日新聞や左翼弁護士の捏造・曲解に起因しているのでその罪は大きいといえる。ところが、朝日新聞はこの植村記者の「誤報」を今もって謝罪、訂正してはいない。

ミスター慰安婦捏造ともいえるこの記者ももちろん、この問題に沈黙を守っている。ついには中途退社でこの春神戸のお嬢様女子大学に教授として就任することになっているようだ。「円満退社」を看過すまいと、ジャーナリスト大高美貴氏と週刊誌が当時の真相を問いただそうとして、臨んだ取材の結果が冒頭の反応だった。ともかく逃げる、逃げる、その逃げ足の速いこと。

まさか、朝日新聞の記者採用条件の一つが「俊足」ではないかと疑ってしまう。朝日新聞記者は先日NHK会長に例の慰安婦発言を執拗に追求していた。人の発言の揚げ足取りには巧みだが、本人への取材には逃げを決め込む。女子大では何を講義するのだろうか。「マスメディアの実像と虚像」あるいは「世論誘導論」なんてね。