粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

感動的な百田尚樹発言

2014-02-08 21:24:30 | 反原発反日メディア

作家百田尚樹氏の都知事選での応援演説が波紋を呼んでいる。「あの」田母神俊雄候補の応援ということで例によって一部左翼メデゥアが問題視する。新宿で行われた発言を動画で確認したが、それは前半の歴史認識に関してだった。

第二次大戦中、アメリカ軍は人類史に残る殺戮行為をした。東京大空襲、広島・長崎への原爆投下などだ。アメリカはその行為を相殺するために南京大虐殺という虚構を利用して東京裁判で日本を断罪した。そして日本は悪いことをしたという自虐史観を日本人に植え付けて洗脳させた。

この発言に対して、中国とともに米国国務省も「非常識」という声明を出している。これも日本のメディアが火をつけて外国が反応するというお決まりのパターンだ。ただ米国国務省が非難声明を出したのは特別意味があるように思う。いうなれば、これは米国にとっては「図星」であって本当は触れて欲しくない核心部分だったということではないか。こうした百田氏のような歴史認識はアメリカにとって決して容認出来ないものなのだ。明らかに東京裁判を否定しているからだ。それも米国にとってのタブーに相違ない。

これは一作家の民間人の発言であり、もしこれが政治家や政府要人なら大問題になっていただろう。ただし百田氏の発言の真意は応援演説の後半部分である。それは日本人が本来もっている素晴らしさについてであった。正直いってその内容は感動的であり、これが全くメディアでは無視されているのがとても不公平だと感じる。

戦後の日教組は日本人はどれほど悪い国民であったかを徹底して教育してきた。それを教えられた子どもたちは感想文で、「自分が日本人であることが恥ずかしい、自分のおじいちゃんやおばあちゃんを誇りに思わない、自分が日本人であるということが情けない」という感想が山ほどあったという。百田氏は警告する。こんな教育を許してはいけない。何も知らない子どもたちにはまず日本人が素晴らしい国民であることを教えなければいけない、と。

その日本人の素晴らしさについて、百田氏は日本を襲った二つの大震災でのエピソードを紹介した。

まず東日本大震災でのこと。震災直後、救援物質を満載した米軍機のパイロットは仙台の小学校の校庭に降りる時が恐かったという。過去他国での経験では降りた途端に群衆が殺到して物資の奪い合いが起こる。日本でもそれを心配したが実際は全くなかった。日本人の代表者が一人おどおどとやってきて「救援物質をいただきます」と応えて理路整然として貰って帰っていった。まだ救援物資は残っていたがその代表者は「私たちはこれで十分です。後の残りは次の被災地にもっていってください。」と言ったという。「これが日本人なんです」

さらに阪神大震災でのあるコンビニ店での話。震災後の大火災で一軒のコンビニ店だけが焼け残った。その店は開店以来24時間営業でシャッターを下ろすことはなかった。そして震災当日も敢えて店を開けておく決断をした。ただし、お金もなく苦しんでいる住民のため「食料や品物はお金がいいからもっててください」と在庫を自由に提供した。そして3ヶ月、6ヶ月やっと被災民に余裕ができてコンビニにやってきた。「あの時のおにぎりのお金です」とか「あのミネラルウオーターのお金です」とかいってお金を持ってきた。その金額の合計が当時の代金の何倍もあったという。「これが日本人なんです」

どちらにも百田氏はエピソードの後に「これが日本人なんです」と強調していた。その度に観衆から大きな拍手が沸き上がる。そして「こんな国他にないです」とも。「本当に苦しい時に日本人は助けあう。こういう日本の素晴らしさを教えそして日本人でいられる喜びを伝えたい」

これが「日本人を誇りに思う教育を目指したい」と主張している田母神候補への百田氏の応援演説でありエールの言葉である。それを演説の一部分だけを切り取って百田氏の発言を曲解して問題視する一部メディアの作為にはとても不快に思う。ましてNHKの経営委員としての品性や人格を攻撃するのはその悪意さえ感じてしまう。応援演説の全部を理解していれば全く別の評価になったはずである。