1985年からヤマハワークスの鈴鹿8時間耐久レースのスポンサーで、
資生堂の男性用化粧品ブランド名で有名だった「TECH21」です。
いやぁ、当時ボク大好きだったんですよね。
あのカラーリングが。(笑)
1985年と1986年の鈴鹿8時間耐久レースはボクも実際見に行きました。
当時学生として京都に住んでいたので距離的に100kmぐらいで行けたんですよね。
あの頃はオートバイ人気が今と違い絶頂期で30万人近く集まってた時代です。
前日から乗り込んで雑魚寝して、当日は脱水症状みたいになり、
暑くて死にそうでしたが、それでも楽しかった。
初めて見た「TECH21」カラーの「FZR750」はとてもカッコ良く見えたものです。
当時、平忠彦選手が大好きだったので、すぐに虜になりました。
また、1985年の鈴鹿8時間耐久レースで残り30分でのリタイアは衝撃的でした。
強さと不運を持ったイメージでしたね。
ボクが好きな「TECH21」のカラーリングは年々変化を遂げていくのですが、
中でも好きなのは1985年から1987年まで使われた青紫のツートンカラー。
1988年からグラデーションに変わってからはイマチイなものになってしまいます。
この時代、FZ400Rなど好きな人は「TECH21」のカラーリングに塗装しなおしてました。
ボクもしたかったのですが、RZ250Rはネイキッドなので、
出来なかったことがとても残念でした。
メーカーからも特別仕様としていろんなバイクに「TECH21」カラーが用意されていましたし、
街でも乗ってる人をよく見かけてましたね。
今見ても魅力的なカラーリングです。
この時代、マルボロやラッキーストライクなどを含め、
とにかくスポンサーカラーが流行ってた時代だったことが、とてもよくうかがえますね!
資生堂の男性用化粧品ブランド名で有名だった「TECH21」です。
いやぁ、当時ボク大好きだったんですよね。
あのカラーリングが。(笑)
1985年と1986年の鈴鹿8時間耐久レースはボクも実際見に行きました。
当時学生として京都に住んでいたので距離的に100kmぐらいで行けたんですよね。
あの頃はオートバイ人気が今と違い絶頂期で30万人近く集まってた時代です。
前日から乗り込んで雑魚寝して、当日は脱水症状みたいになり、
暑くて死にそうでしたが、それでも楽しかった。
初めて見た「TECH21」カラーの「FZR750」はとてもカッコ良く見えたものです。
当時、平忠彦選手が大好きだったので、すぐに虜になりました。
また、1985年の鈴鹿8時間耐久レースで残り30分でのリタイアは衝撃的でした。
強さと不運を持ったイメージでしたね。
ボクが好きな「TECH21」のカラーリングは年々変化を遂げていくのですが、
中でも好きなのは1985年から1987年まで使われた青紫のツートンカラー。
1988年からグラデーションに変わってからはイマチイなものになってしまいます。
この時代、FZ400Rなど好きな人は「TECH21」のカラーリングに塗装しなおしてました。
ボクもしたかったのですが、RZ250Rはネイキッドなので、
出来なかったことがとても残念でした。
メーカーからも特別仕様としていろんなバイクに「TECH21」カラーが用意されていましたし、
街でも乗ってる人をよく見かけてましたね。
今見ても魅力的なカラーリングです。
この時代、マルボロやラッキーストライクなどを含め、
とにかくスポンサーカラーが流行ってた時代だったことが、とてもよくうかがえますね!