Good FrIend!

気軽に集まれるみんなのブログサイト。

皆さま良いお年を!

2013年12月28日 08時57分37秒 | Weblog
99年から続けている個人ブログですが、

気がつけば自分の趣味の車やバイクの話しばかりの内容になってしまい

正直、自分でもよく分からない状況になってしまってますが、

わざわざ見に来て頂いてる方々、今年も1年ありがとうございました。

ボクは自営業をしておりますが、今日で一応仕事納めです。

来年は6日より仕事開始となりますが、それまでブログもお休みです。

なんせ仕事場を離れるとパソコンとは無縁の生活をしているボクなんで

自然とそうなります。(笑)

それではまた来年もよろしくお願いいたします。




ブラフ・シューペリア。(番外編vol.425)

2013年12月27日 09時59分46秒 | Weblog
かつてイギリスにあったオートバイメーカー「ブラフ・シューペリア」ですよ。

創業は1919年からでジョージ・ブラフさんが父親の会社から独立して

作られた会社とされています。

他社と違い基本、販売はオーダーメイドで製造されていました。

なものだから、かなり高価なオートバイということもあり、

当時は「オートバイのロールスロイス」とも言われヨーロッパを中心に、

お金持ちに買われていたようですよね。

また、スピード記録も持っており、

1924年にサイドカーで世界速度記録(118.93マイル/99.8マイル)を樹立。

さらに1937年には自身の記録を破る(169.8マイル/137マイル)を樹立しています。

性能も高く高品質なものであったようですね。

しかし、1940年には経営不振から倒産。

その後はかつての自社バイクをカスタムして販売したり、

航空機エンジンのパーツ生産を行ったりしてましたが、

戦後イギリスの経済復興が遅れた事もあって、50年代半ばに会社は閉鎖。

完全に消失してしまいます。

現在はコレクターを中心に貴重なバイクとして扱われ、

少量のものが存在してる状態です。

元々、生産台数も少ないので手にいれるのは相当困難のようです。

日本でも人気が高く、一部のマニアに受け入れられているようです。

ビンテージ中のビンテージって感じですね!




AJS。(番外編vol.424)

2013年12月26日 09時54分18秒 | Weblog
イギリスのオートバイメーカーだった「AJS」ですよ。

早くからエンジン製造を始めた会社で他社にも供給をしていたようです。

創業は1897年からで1900年には自社製エンジンを開発し、

1903年からフレームを含めた自社製オートバイの製造に乗り出します。

1914年までには世界初の4速変速機を装備したチェーン駆動を開発し、

マン島TTで多くの優勝を飾っています。

第一次世界大戦が勃発するとロシアから軍用バイクの生産を依頼され、

これに着手します。

戦後は小排気量から大排気量まで様様なタイプを製造しますが、

開発コストに対して売れ行きがあまり良くなく、

オートバイだけの製造では会社がやっていけなくなったことから、

自動車やバスの分野に乗り出します。

しかし、これも上手くいかず1931年に事実上の倒産に追い込まれてしまいます。

オーナーであったスティーブンス兄弟は「AJS」をマチレス社へ売却、

自身は再建を図り、小さなオートバイ店「スティーブンス・モーターサイクル」を開業します。

商業用バイクの生産に乗り出しますが、

これまた上手くいかず、1938年にはオートバイ生産から完全撤退し、

ネジを作る会社になります。

しかし、最終的には92年にこのネジ会社も倒産しており、

その姿を完全に消失しているのが現状のようです。

産業革命と共に生まれた「AJS」ですが、オートバイブームが訪れる前に

無くなってしまった残念なメーカーなんですよね。


エクセルシオール。(番外編vol.423)

2013年12月25日 08時58分30秒 | Weblog
かつてイギリスのオートバイメーカーだった「エクセルシオール」ですよ。

その歴史は古く1874年に自転車製造として設立し、

20世紀に入った頃からエンジン付き自転車を精力的に生産します。

まだ、他社が手作りで少量しか作ることが出来なかったこの時代で

始めて大量生産というカタチをとった会社とも言われています。

特にロシア帝国政府には多くを輸出していたのですが、

ロシア革命が勃発しロシア帝国が消滅すると、

大量に在庫を抱えてしまうというアクシデントも起こしています。

第一次世界大戦後からはレース活動を開始し、

1933年には世界に先駆けて水冷式4ストエンジンを開発し、

このマシンでマン島TTに出場、多くの勝利を飾っています。

第二次世界大戦が始まるとイギリス空軍に折りたたみ式の小型バイクを供給し、

落下傘部隊に活用されたとなっています。

戦後になると急激にオートバイ需要が下がり、

大型バイクを生産していた「エクセルシオール」は痛手を負ってしまいます。

他社からの小型エンジン供給を経て製造を継続しますが、

50年代に入ると他国のオートバイ競争に勝てなくなり、

最終的には廃業に追い込まれてしまいます。

いち早くオートバイ産業に着手した会社の1つですが、

どうもイギリスの場合、長期開発に難があるようで、

日本やイタリアなどの高性能なバイクに開発が追いつかなくなる傾向にありますね。

伝統を重んじるかゆえに起こる現象のようです。


ウィルキンソン・ソード。(番外篇vol.422)

2013年12月24日 09時07分19秒 | Weblog
イギリスのオートバイメーカーだった「ウィルキンソン・ソード」ですよ。

元々は剣やハサミの製造会社として1772年に創業しています。

1903年にオートバイの事業部を設立しますが、

初期のモデルはフランス製のエンジンを搭載したもので

商業的には上手くいきませんでした。

その後、豪華装備のウィルキンソンTMCを発表し、

これが販売に成功をもたらしてくれます。

第一次世界大戦まで販売され、戦争が始まると引き続き軍用サイドカーも生産します。

しかし、戦争終結と共にオートバイ生産を中止してしまいます。

本業の剣の製造にあわせてタイプライターの生産に乗り出したからです。

ただ、並列4気筒エンジンを開発していたので、

エンジン生産を続け自動車メーカーに共有をしていました。

オートバイメーカーとしては非常に短い期間しか生産していませんが、

現在はウィルキンソンTMCを始めマニアやコレクターに支持されています。

自転車を改造したレベルですが、

イギリス製らしい品格のある名品だったりします。

現在「ウィルキンソン・ソード」はアメリカのプロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)に

買収され安全カミソリや農機具や園芸などの道具を生産しています。




アリエル。(番外篇vol.421)

2013年12月21日 13時09分39秒 | Weblog
かつてイギリスにあったオートバイメーカー「アリエル」ですよ。

創業は1870年からと古く、自転車製造の会社として開始されます。

木製タイヤから今のゴムタイヤを履かせた最初のメーカーでもあり、

スポーク・リムを開発したのもこの「アリエル」です。

本格的にオートバイ製造に乗り出したのが1885年からで、

自転車の後輪に動力として搭載したモデルが主流とされていました。

1902年にコンポーネンツ社によって買収されてからは

本格的なフレームを搭載した、いわゆるオートバイ製造に乗り出し、

ヨーロッパ全域で販売されていきます。

しかし、第一次世界大戦が勃発すると工場は一端閉鎖されてしまいます。

1918年に終戦を迎えると製造を再開。

このタイミングで代替わりし、息子のジャック・サングスターさんによって会社経営されます。

オートバイ以外でも3輪や4輪にも手を伸ばし開発、製造を行いますが、

先行投資が生産率に追いつかず序々に衰退してしまいます。

1930年代に入ると経営状況はかなり悪化してしまい、1932年に倒産。

しかし、雇われ社長であったジャック・サングスターさんが、

親会社であるコンポーネンツ社から「アリエル」の支配権を格安で買い取り再建を試みます。

一時はトライアンフ社を買収し調子を上げていきますが、

51年にこのトライアンフ社をBSAに売却。

その後もオートバイ販売の不振が続き「アリエル」は67年に正式に倒産してしまいます。

イギリス産業革命と共に発展したオートバイメーカーとして、

母国では有名ですが、日本での認知は低いです。

近代化か進む中で、さらに向上していく技術力に追いつくことが出来なくなり、

消滅した悲しいメーカーだったりするんですよね。



マチレス。(番外篇vol.420)

2013年12月20日 08時51分36秒 | Weblog
イギリスのオートバイメーカー「マチレス」ですよ。

1899年にヘンリー・ハーバート・コリアーさんと2人の息子である

チャーリーさんとハリーさんによって創業され、

自転車にエンジンを取り付けたタイプの第1号車が1901年に発表、

オートバイメーカーとしてスタートします。

1907年に行われたマン島TTでは息子のチャーリーさんが参戦。

見事に優勝し、企業としても急成長していきます。

自転車のフロントにサスペンションを搭載した始めての会社でもあります。

エンジンは2サイクルから単気筒、2気筒などバリエーションを持っており、

排気量も様々なタイプがあったようです。

第一次世界大戦中は軍用オートバイの契約が取れなかったためにほとんど生産を行わず、

戦後の1919年から生産を再開します。

1931年にはAJS社を買収し1933年からモーガン社に3ホイーラー用Vツインエンジンの供給。

1938年には「マチレス」とAJSを統括する親会社として「AMC」を設立し、

大企業へと発展していきます。

第二次世界大戦中は、軍用バイクを供給し、戦後は数々のタイプを生産していきます。

しかし、60年代に入った頃になると急激に経営が悪化し始め、

66年に事実上の倒産に追い込まれます。

結局、マンガン・ブロンズ・ホールディングス社に買収され、

ノートンブランドの1つになってしまいます。

さらに69年以降は完全にノートンに吸収されるカタチでブランド自体が消滅し、

その姿を消すことになるんですよね。

また、トライアンフ社から一時的にG80という「マチレス」製としてのバイクを90年まで

生産していました。

とにかくイギリスの老舗メーカーで特にノートンの祖先にもあたるメーカーだったんですよね。



FBモンディアル。(番外篇vol.419)

2013年12月19日 09時15分21秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「FBモンディアル」ですよ。

戦後まもなくの1948年にボゼッリ兄弟によって設立され、

50年代に入るとWGPに参戦し解散までに6度のタイトルを獲得します。

50年代後半、ホンダが国際レースに参戦するため「FBモンディアル」のレースマシンを買取り、

研究したことは有名な話しで、

それだけ当時の「FBモンディアル」バイクは高性能だったようです。

市販車に関しては小型排気量を中心に少量ながら生産しており、

60年代までは販売もそこそこ順調だったようですが、

ヨーロッパでのオートバイ人気に陰りを見せ始めたあたりから、

他社同様、経営不振に陥り79年に解散してしまいます。

しかし99年にロベルト・ジレッティさんというバイクマニアの企業家が、

ボゼッリ兄弟の親族から「FBモンディアル」の権利を買い取り、

ホンダVTR1000のエンジンを搭載した新型モデルのピエガを発表します。

また、この時はホンダもかなり開発に関して協力的だったと言われています。

しかしロベルト・ジレッティさん自身、本業の会社経営に忙しかったことや、

「FBモンディアル」に多額な資金を投入したことで、

イタリアの破産裁判所に「FBモンディアル」は差し押さえられてしまいます。

結局05年にある投資家が買収したカタチで現在に至っているようですが、

バイクメーカーとしての機能は果たしておらず、

今後、どうなっていくのか予測不能の状況にあるようですね。


モルビデリ。(番外篇vol.418)

2013年12月18日 09時01分40秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「モルビデリ」ですよ。

元々は家具屋として創業していたのですが、

オーナーのジャンカルロ・モルビデリさんのオートバイレースに対する情熱で、

オートバイ生産に乗り出します。

逆に言えばレースチームを結成したいがために家具屋を開業したとも言われています。

WGPへの参戦は69年からで最初は500ccクラスにエントリーします。

で、このタイミングで受注ながら市販車の生産販売も開始し、

完全なバイクメーカーになっていきます。

75年には125ccクラスで初のチャンピオンに輝き、

77年には125cc、250cc共に総合タイトルを獲得します。

また、この頃になると市販用レースマシンも販売するようになり、

販売的にもレース的にもかなりの成功を収めることになるんですよね。

最終的には82年シーズンまでチーム活動を行っていますが、

強力な日本製のマシンに勝てないことが分かり撤退してしまいます。

市販車に関してはその後も継続して生産されていますが、

94年に発表した液冷32バルブ・847cc90°V8エンジン、

シャフトドライブでマニュアル5速の革新的なスポーツツアラーバイクを最後に

製造を中止してしまいます。

現在は工場を博物館に改造しかつてのマジンを展示しているようです。

どちらかと言うと市販車販売のメーカーというより、

レースマシンを作りレースをしてた会社というイメージです。

イタリアならではですね。


モト・モリーニ。(番外篇vol.417)

2013年12月17日 08時49分41秒 | Weblog
1937年にイタリアでアルフォンソ・モリーニさんの手により設立した「モト・モリーニ」ですよ。

元々はマリオ・マゼッティさんと共同で「MM」というブランドでオートバイ製造を開始します。

実はそこに至るまでの経緯があって、1914年、アルフォンソ・モリーニさんが16歳の時、

バイク修理のお店を開始し、第一次世界大戦の時、オートバイ部隊の仕事を請け負っていて、

その腕を見込んだマリオ・マゼッティさんがエンジン設計やレーサーとして、

アルフォンソ・モリーニさんを受け入れたのが切っ掛けとなっています。

また1933年には最高速記録(162km)を樹立しており、

その記録は20年間破られなかったという偉業も達成しています。

そんなことがあったのちの1937年に「モト・モリーニ」は設立します。

しかし創業間もなく第二次世界大戦が勃発し、

オートバイ生産から国の命令を受けて航空機のコンポーネント製造を任されます。

戦後は全ての工場が崩壊していたため、

別の場所に会社を移転してロードバイクの製造を開始。

レースにも参戦し、業績を上げていきます。

69年にアルフォンソ・モリーニさんが他界すると娘のガブリエラ・モリーニさんが、

後を継ぎ「モト・モリーニ」のトレードマークにもなる72度Vツインエンジンを開発します。

しかし80年代に入ると業績が悪化。

87年にはカジバの傘下に入り小排気量V型エンジンに着手します。

99年には創立者のアルフォンソ・モリーニさんの甥に当たるフランコ・モリーニが、

「モト・モリーニ」を買取り、自社のモリーニ・フランコ・モトーリ社の傘下に戻します。

これによりモリーニ一家の物となり、

現在はその再建に奮闘中といった感じになっています。