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レーサーレプリカ→スーパースポーツ。(番外編vol.303)

2013年07月31日 09時08分57秒 | Weblog
80年代から始まったレーサーバイクの市販車を指しています。

当初は「レーサーレプリカ」というくくりで言われていましたが、

いつの間にかこの手のジャンルは「スーパースポーツ」と言われるようになっています。

ボク的にはいつの間にかです!!(笑)

基本的には同じ系統のバイクを指していますが、

ボクがあえて違いを言うなら「レーサーレプリカ」は中型排気量で2スト含む、

「スーパースポーツ」は大型排気量で4ストのみ…。

多分、この見方もある意味正解であるかもしれませんが、さらに

あえて分けて考えるとするなら「レーサーレプリカ」はレースで使用されるバイクをお手本に、

それに限りなく近いバイクを後から送り出してるものを示しており、

「スーパースポーツ」はそのバイク自体がレース用として使われる

という分け方、違いがあるのかもしれません。

もし、これが正解だとしたら意図的にそうなった訳ではなく、

時代の流れと大きく関係している気がします。

現状、自然配慮により2ストバイクはほぼ存在しなくなったことや、

市販車を改良したカテゴリーのレースが以前に比べ増えたこと。

いわゆる「モトGP」マシンのようにメーカーがそのレースのためだけに開発したバイクは、

現状、世界全体を見てもこの「モトGP」レースのみとなっており、

他のレースはほとんどが市販車をベースに開催されていますからね。

さらに言えばバイクの開発もある程度マックスまで来ており、

レーサーバイクと市販車バイクの差がなくなってしまったことも理由なのかもしれません。

現在の「スーパースポーツ」と言われるバイクは給排気とタイヤさえ替えれば、

すぐレースが出来ます。

しかし!!!

実はこれ、90年代初頭から既に言われていました。

だとすると90年代初頭のバイクは既に「レーサーレプリカ」ではなく、

「スーパースポーツ」と言っていいことになりますよね。

おやおや、なんか、ややこしいことになってきましたよ。(笑)

この「レーサーレプリカ」→「スーパースポーツ」…。

改名する必要があったのでしょうか??

さて一体どこまでが「レーサーレプリカ」でどこからが「スーパースポーツ」なんでしょう。

もしただの言葉遊びだとしたら、逆に今のバイクを「レーサーレプリカ」と言っても、

違うと指摘されることはないですよね!(笑)

…実はボク、

このことは世間で「スーパースポーツ」と言われるようになった頃からず~っと思ってました。

この感じ…、語る違和感「スーパースポーツ」???。

多分ボクと同じ思いの人、たくさんいるんじゃないかなぁ。







国産アメリカン。(番外編vol.302)

2013年07月30日 09時00分47秒 | Weblog
アメリカン・スタイルのバイクは名前の通り、

アメリカで生産されてるバイクのフォルムのことです。

このフォルムは大陸という環境から自然に生まれたもので、

長距離を快適に走れることを年頭に造られているのですが、

ヨーロッパで生まれたヨーロピアン・スタイルとは大きく異なり、

異質なもので、性能より風格ばかりが先行するものだったりします。

バイク開発初期の日本はどちからと言えば、そういったイメージもあってか、

ヨーロッパのバイクを模倣していたのですが、

70年代あたりからアメリカン・スタイルのバイクにも目を向け始めます。

しかし当初のものはヨーロピアンバイクをちょこっとフレーム加工しただけの、

なんとなくアメリカンでした。

ホンダ「GL」やカワサキ「LTD」、ヤマハ「Mスペシャル」などかそうです。

当時の目線で見てても見本となるハーレーと比べ、明らかに××でしたからね。(笑)

これを飛躍的に向上させたモデルが88年に登場したホンダ「スティード」です。

「スティード」はロング&ローというアメリカン独特のスタイルをかなり忠実に再現してて、

90年代に始まるアメリカンカスタムの主流となっていきます。

これに習ってヤマハからは「ドラッグスター」、カワサキからは「バルカン」が登場。

国産メーカー各社がアメリカンの開発に力を入れ始め、

「スティード」の一人勝ち状態を切り崩していくんですよね。

この頃の国産アメリカンは既に本家を上回るレベルになっていて、

性能では、はるかに上を行くモノでした。

90年代後半には一大ムービメントを築いた流行も落ち着き始め、

国産車は単気筒やスーパースポーツ、ビッグスクターなどに矛先が向くようになっていきます。

現在では返り咲き中年ライダーのハーレーブームがあるため、

国産アメリカンは一部のマニアにのみ受け入れられている状態で、

どこかハーレーの模倣バイク、ハーレーの偽モノという、

あまり良くない印象的が付いてしまってる感じです。

唯一、ヤマハ「ドラッグスター」に関しては独自のバリューがあって、

その偏見も少ないようですが、

これは国産アメリカンがあまりにハーレーに似すぎたために起こった現象と

ボクはとらえています。

逆にボクは高性能で壊れない国産アメリカンはハーレーと比較せず、

独特のステータスがあってもおかしくないと思っています。



暴走族・旧車會。(番外編vol.301)

2013年07月29日 08時48分22秒 | Weblog
70年代から80年代にかけて大流行した「暴走族」集団。

古くは昭和の30年代から始まった「カミナリ族」から派生した現象です。

最盛期は巨大化し集団行為で各地域に大型のグループが存在していました。

彼らの乗るバイクは主に中型系でカワサキ「FX400」やスズキ「GS400E」、

ホンダ「CB400F」や「CBX400」など。

先輩から受け継いだバイクを後輩達が乗るといった具合で、

いつの間にか暴走車両は古いバイクとなっていきます。

そこからの新たなムーブメントとして登場したのが「旧車會」。

この集団に関して言えば、全盛期時代の世代人や、

新たな若い世代の中でバイクチーム?という名目で存在してるようです。

彼らはいわゆる夜を徘徊する暴走集団とは多少ことなり、

ある程度のルールを守りながら日中やサーキットなどで爆音走行を楽しむ、

やや理解に苦しむ集団です。(笑)

現在の暴走族市場は一部地域を除き、集団ではなくなり、

単独、あるいは少数による行為にとどまり、

一時期のような社会問題にもなった時代とは異なります。

また「旧車會」は見た目「暴走族」としか思えない感じですが、

中には家族連れだったり、一応のルールも守って行動してることもあり、

特に一般人に対しての凶暴性はありません。

かつての栄光を懐かしんでいるのか?大人としての暴走行為を楽しんでいるのか?

真意は謎ですが近年その盛り上がりは拡大してる状態です。

ちなみに彼らの旧車バイクは価値の高い車種が多く、

暴走カスタムも随分手を入れてるものが多いことを考えると、

方向性こそ違えどバイク好きであることは大変分かりますね!



バイクビルダー・マットホッチ。(番外編vol.300)

2013年07月27日 10時27分16秒 | Weblog
アメリカ・カルフォルニア州で「ホットマッチカスタムサイクル」を運営する

「マットホッチ」さんですよ。

よく分かりませんが見た目、アジア系、またはインディアン系のようなルックスで、

純粋な白人ではないようです。

親の影響で子どもの頃からバイクに勤しみ、10代からカスタムバイクに携わる、

本格的なバイクビルダーさんですよ。

20歳で独立しカスタムショップを立ち上げてるので年齢的にもまだ若いです。

彼の作るカスタムバイクはアメリカ人好みの派手なものが多いのですが、

アイディアもふんだん盛り込まれており、

車高調整(エアサス)が出来るものや極限まで細部にこだわり、

ホース類は全て隠しシンプルなシルエットを押し出したあたりが特長です。

スタイルとしては、いわゆるニュースタイルチョッパーで、

流れるようなラインや巨大なリアタイヤなど、

最新のものを取り入れてる傾向にありますね。

本人は物静かな性格で、よくあるパフォーマンスで前に出るタイプではないのですが、

彼の作るカスタムバイクは同業のビルダーからも一目置かれてて結構な有名人さんです。

ショップ自体もこじんまりしたもので、いわゆるガレージレベルなのですが、

多分、「マットホッチ」さんはカスタムが本当に好きで、

利益追究より、自分のやりたいことをやる考えの人なのかもしれないです。


バイクビルダー・ロンフィンチ。(番外編vol.299)

2013年07月26日 09時10分49秒 | Weblog
ミシガン州で「FINCH'S CUSTOM CYCLES STYLED」を運営する「ロンフィンチ」さんです。

「ロンフィンチ」さんは造形アーティストで、

その延長戦にカスタムバイクを手がけてるという、結構な変人さんです。(笑)

彼の場合は見た目ですぐその独創的な発想でバイクをカスタムしてることが分かります。

オートバイとしての美しさやカッコ良さに造形的なアートが感じられるんですよね。

本人はご年配のおじいさんで、顔つきは見るからに怪しそうです。

ガレージレベルのカスタムショップを運営していますが、

アメリカのバイクイルダーの中ではかなり有名人のようですね。

またカスタムの特長としてはボバーに属するものが多いのですが、

そのほとんどがアルミ棒や真鍮といったものでデコレーションされています。

彼のガレージには多くの造形アートがあり、

中でも巨大なバイクアートはワラかしてくれます。(笑)

仕上がりを見ればよく分かると思うのですが、

「ロンフィンチ」さんの溶接技術や塗装技術はかなり優れたものがあって、

同じことをしようとしても無理な気がします。

特に塗装に関してはほとんどのビルダーは専門屋に発注するのですが、

彼の場合は自分でしてるようです。

ピンストライプなどのアートもかなりの腕前のようですしね。

とにかく面白そうな人です。(笑)


バイクビルダー・デトロイト·ブラザーズ。(番外編vol.298)

2013年07月25日 09時12分54秒 | Weblog
「デイビッド」と「ジェームズケイ」の兄弟2人が経営する「デトロイト·ブラザーズ」です。

名前の通りミシガン州デトロイトでハーレーのカスタム制作や、

パーツ、アクセサリーなどを販売しています。

「デイビッド」と「ジェームズケイ」はお互い気が強く、

ケンカや破壊を繰り返しながら生活してるワイルドな変人兄弟です。(笑)

ただし、「デトロイト·ブラザーズ」として確立したスタイルを持っており、

カスタムバイクにもその傾向が伺えます。

基本、オールトスクール系のチョッパーやボバーを制作していますが、

自社で販売してるタンクやフレームを使用してるため、

仕上がりの雰囲気は類似してる印象を受けます。

それがボクの個人的な感じではカッコ良いと思ってるんですよねぇ。

その雰囲気はパンクロック、ハードロックをバイクに注入いたイメージです。

ガチガチの見た目勝負的ショーカーとは違う実用性も感じるところがまた良いですね。

どう言った経緯でこの世界に入ったのか?

その理由は分かりませんが彼らから「ワイルド=ハーレー」という分かりやすいイメージを

分かりやすくボクに伝えてくれてる気がします。(笑)




バイクビルダー・コー​​リーネス。(番外編vol.297)

2013年07月24日 09時02分46秒 | Weblog
父親の「アーレン・ネス」さんもバイクビルダーでその息子が「コー​​リー・ネス」さんです。

カルフォルニア州アラモで「ビクトリー・モーターサイクルス」を運営しています。

彼の作るカスタムハーレーはただ見た目が凄いってのだけでなく、

実用性の高い市販車に近い作り込まれたものが多いですね。

ちゃんとバックミラーやウインカー、肉厚なシートなど安全や耐久性を考慮した、

ある程度メンテナンスフリーで乗れるものだったりします。

もちろんショー用に斬新なデザインカスタムも出がけていますが、

父親の会社と協力しあって、純粋なカスタムショップというより、

カスタムパーツを生産してるパーツメーカー的な要素も持ち合わせていますね。

「コー​​リー・ネス」さん自身も小さなガレージビルダーというより、

会社のオーナーであり企業家という感じです。

彼の作るカスタムの特長はパーツの一つ一つが完成されてるもので、

まるでハーレー社が特別仕様として作ったような、あまり手作り感のない、

V-RODに似たようなものが多い気がします。

またカスタムの方向性としては「ニュースタイル・チョッパー」で、

タンクからリアフェンダーまで流れるようなラインを意識してる感じです。

「コー​​リー・ネス」さんのカスタムバイクは開発にかなりの投資をして作られた、

いわゆる完成度の高いバイクというあたりが魅力なのかもしれないですね!



バイクビルダー・エディートロッタ。(番外編vol.296)

2013年07月23日 08時59分21秒 | Weblog
アメリカのフロリダ州で「Thunder Cycle Design」というカスタムショップを経営する、

バイクビルダーの「エディートロッタ」さんですよ。

パワーボートを所有してて、いくつかのボートカップで優勝している経緯を持っています。

それと並行してバイクカスタムを手がけると言った感じですが、

その洗礼されたデザインが好評でショップはかなりの大型店となっています。

また愛車はフェラーリと巨万の富を得てもなおカスタムに関しては手をゆるめず、

注文に対して生産が追いつかない状態のようですね。

彼自身はオーナーの顔も持っててちょっとした実業家でもあります。

TVショーにも出演しててアピールが上手いようです。

で、「エディートロッタ」さんの作るハーレーカスタムですが、

そのほとんど典型的な派手系のチョッパーで、

金型を作り同一のカスタムバイクを多く生産する方式もとっています。

もちろん1台すべてハンドメイドではあるのですが、

ショップには同じスタイルのカスタムバイクが陳列されてて、

出来上がってるバイクを直接購入も出来ます。

派手なカラーにファイヤーパターン、クロームメッキにピンストライプなど、

アメリカ人が好む全ての要素が盛り込まれたバイクは日本人から見ると、

実用性のないショーカーのようですが、やはりたまらない魅力を放っていますね。

実際購入するとなるといくらするのか検討も付きませんが、

これだけのカスタムカーに乗れれば目立つこと間違いなし!

ザ・アメリカ!ですね。(笑)


バイクビルダー・ジェシージェームス。(番外編vol.295)

2013年07月22日 09時24分36秒 | Weblog
カルフォルニア州ロングビーチで「ウエストコーストチョッパー」という

カスタムショップを経営するバイクビルダー「ジェシージェームス」さんですよ。

ハーレーのカスタムショップとしては大成功してる人で、

連日お店には多くのファンが訪れてくる人気ぶりです。

最近ではナスカーなどのレーシングマシンにも関わるようになってて、

バイクとクルマのビッグビズネスを展開しているようです。

彼のカスタムはアメリカ人特有のもので、

派手でフロントフォークの長い典型的な「チョッパー」ですね。

また、多くの従業員を抱えてるため、

カスタムショップとしては珍しいタイムカードで管理さてる、

サラリーマンスタイルを取っているようです。

アメリカのTVショーにも多く出演してるし、雑誌などでも多く取り上げられてるので、

知る人ぞ知るというより、結構な有名人だったりするようですね。

自身のショップやインターネットでもオリジナルパーツの購入が可能です。

ビルダーでもありビジネスマンでもある「ジェシージェームス」さんですが、

西海岸ではトップクラスのバイクビルダーとして活躍してる人なんですよね!


1985年のボクバイク事情。(番外編vol.294)

2013年07月20日 10時19分48秒 | Weblog
ボクがバイクの免許(中型)を取得したのは18歳の時。

地元を離れ京都の専門学生になったばかりの頃です。

当時は1985年。


地元では既に10代での中型バイクの免許は取ることが出来なくなってて、

まずは小型を取得後、半年~1年後に中型というシステムに変わっていました。

しかし京都ではまだ一気に中型が取得出来る状態だったため、

「欲しい」というより「とりあえず今のうちにとっとこ」ってノリで取得しました。

しかし人間不思議なもので免許を取得すると、

そうでもなかったモノが欲しくてたまらなくなったりするんですよねぇ。(笑)

しかも時代は「バイク峠族」の全盛期。

雑誌などで知識を得るうちにどんどん乗りたいバイクが浮上します。


で、最初に思ったのがヤマハ「RZ250」。

当時一番人気でしたし、パーツも豊富な上、安くなってたのでコレかなって…。

しかし、このバイクは専門学校の友達が既に乗ってたので、悩んで却下。

その後に浮上したのがホンダ「NS250R」または「NS250F」。

しかしこれも中古屋に行って見ると新車並みの価格。

まだ中古でも新しく高かったんですよね。

貧乏学生だったボクにはとても手の届かないものでした。

他にもスズキ「RG250ガンマ」や、400ccクラスでホンダ「CBR400F」「NS400R」、

スズキ「GSX400R」、カワサキ「GPZ400Rニンジャ」などが浮上しますが、

全て予算オーバー。


逆に安いところでは、一世代前のカワサキ「FX400」やヤマハ「XJ400」などがありましたが、

峠を走ることを意識すると、とても考えられなかった為、却下。

こうなると、もう全滅状態。(笑)

でもあきらめず、なんやかんやバイク屋巡りをしてたら、

あるバイクショップで店員さんが「自分の乗ってるバイクを譲るよ」って言ってくれて、

それがヤマハ「RZ250R」初期モデルだったんですよねぇ。

2年落ちの中古だったのですが諸経費込みで18万円!

当時では激安でした。

こいつがあったとばかり速攻くいつきご購入!!(とは言え2年ローン)(笑)

でも、ついにバイクをゲット!嬉しかったです。


ただちに不慣れな運転で京都で有名な高尾山の峠へGO!

着いて早々、とてつもない衝撃を受けました。

なんせ峠はバイクのエギゾースト音でこだまし、まるでサーキット状態。

多くのライダーが我先にと言わんばかりに走りまくっていました。

ボクはすぐに「これだ!」って思い、それからというもの学校が終わったら毎日峠へ。


購入時ノーマルだったバイクも短期間でいつしかカスタム化されていきます。

ノーマルが18インチホイールだったので、

その旋回性の悪さを解消するため、当時の市販レーサーマシン「TZ250」の

16インチホイールを移植したり、ハンドルをセパハンにしチャンバーも社外品に交換。

ステップやミラー、カウルも総替えし、完全な峠仕様にしていました!

まぁ常連のバイクショップや解体屋にとにかく通ってましたね。

普通に街を走ってても白バイに止められ整備不良でキップをいただく状態でした。(笑)


へたくそだったので何度か転倒もしましたが、あきらめずに走っていました。

長々となりましたが、まぁ1985年はボクにとってそうゆう年でしたね。(笑)