ボクがバイクで峠を攻め始めた1984年、既にWGPで活躍してた「片山敬済」選手は、
ボクにとって憧れのライダーの1人でした。
日本人で始めて世界チャンピオンに輝いた人でもあり、
当時は確実に「日本人で一番速いライダー」だったです。
「片山敬済」選手のWGP参戦は1974年からで、1977年に350ccクラスで
チャンピオンに輝いています。
この時代はテレビで放映されていなかったので、
実際にその活躍を見ることはなく、リアルタイムでは知らなかったのですが、
1982年、1983年のGP500ccクラスでの活躍は、当時ビデオで見ました。
南海部品でこの手の記録ビデオがたくさん売られていたんですよね。
70年代後半から登場したキングのケニーロバーツ選手や、
当時、新人だった天才フレディスペンサー選手と同等に走る姿は見ててシビレました。(笑)
「片山敬済」選手を含め3人が表彰台に上ってる姿はなんとも言えませんでしたね。
たらればになりますが、1979年、ヤマハからホンダワークスに移り、
4サイクルのGP500マシン「NR500」の開発&WGPライダーをした3年間は、
マシンポテンシャルに悩まされ「片山敬済」選手にとって厳しい時代だったのですが、
もし、この頃から2ストのワークスマシンに乗ってれば、
もっと活躍出来たのではないかと思っちゃうんですよね。
1985年はプライベートチームからの参戦となり、
ケガもありこの年をもって引退してしまうのですが、
「片山敬済」選手レベルの日本人ライダーの出現は90年代に入るまで現れませんでした。
引退後の「片山敬済」選手は色々と問題を起こし、
なんとなくバイク界から姿を消してしまうのですが、
当時、10代だったボクにとっての憧れの選手はやっぱ「片山敬済」選手でしたね!(笑)
ボクにとって憧れのライダーの1人でした。
日本人で始めて世界チャンピオンに輝いた人でもあり、
当時は確実に「日本人で一番速いライダー」だったです。
「片山敬済」選手のWGP参戦は1974年からで、1977年に350ccクラスで
チャンピオンに輝いています。
この時代はテレビで放映されていなかったので、
実際にその活躍を見ることはなく、リアルタイムでは知らなかったのですが、
1982年、1983年のGP500ccクラスでの活躍は、当時ビデオで見ました。
南海部品でこの手の記録ビデオがたくさん売られていたんですよね。
70年代後半から登場したキングのケニーロバーツ選手や、
当時、新人だった天才フレディスペンサー選手と同等に走る姿は見ててシビレました。(笑)
「片山敬済」選手を含め3人が表彰台に上ってる姿はなんとも言えませんでしたね。
たらればになりますが、1979年、ヤマハからホンダワークスに移り、
4サイクルのGP500マシン「NR500」の開発&WGPライダーをした3年間は、
マシンポテンシャルに悩まされ「片山敬済」選手にとって厳しい時代だったのですが、
もし、この頃から2ストのワークスマシンに乗ってれば、
もっと活躍出来たのではないかと思っちゃうんですよね。
1985年はプライベートチームからの参戦となり、
ケガもありこの年をもって引退してしまうのですが、
「片山敬済」選手レベルの日本人ライダーの出現は90年代に入るまで現れませんでした。
引退後の「片山敬済」選手は色々と問題を起こし、
なんとなくバイク界から姿を消してしまうのですが、
当時、10代だったボクにとっての憧れの選手はやっぱ「片山敬済」選手でしたね!(笑)