eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

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世界でも3種類の文字を使っているのは日本だけ

2019年10月31日 | eつれづれ

外部接点入力にて漏電ブレーカをトリップするものが入荷したが卸でも20K以上で高い。

漢字でも日本文字と同じのも多く比較して見ると、ぼんやりと判る感じだ。

豆知識✏どうして「ひらがな」と「かたかな」が生まれたの?
私たちは普段、漢字、ひらがな、かたかな、アルファベット、数字などの文字を使って日本語を読み書きしています。
中でも、「ひらがな」と「かたかな」は日本語で使う音を表した「表音文字」で、「表意文字」である漢字から生まれた日本語特有の文字です。
そもそも、同じ音を表す文字がなぜ2種類あるのでしょうか?
ひらがなとかたかなの誕生の秘密を探ってみましょう。
日本語の音を表す漢字「万葉仮名」
漢字は今から2300年ほど前の紀元前3世紀ごろに今の中国から日本列島へ初めて伝えられたと言われています。
日本列島にいた人々は、自分たちの言葉と同じ意味をもつ漢字を当てはめることで、ものごとを書き表せるようになりました。
しかし、もともと中国の言葉を表す漢字だけでは、日本の言葉を十分に書き記すことができませんでした。
そこで、漢字を本来の意味とは切りはなして、その音だけを借りることを考えました。
こうして使われ始めたのが、「万葉仮名」です。
万葉仮名は、漢字を使って日本語の音を表したもので、いわゆる「当て字」です。
万葉仮名がいつ考え出されたかについては、詳しいことはわかっていませんが、7世紀ごろであろうと言われています。
8世紀に成立した『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などでは、万葉仮名が使われています。
ひらがなとかたかなは、この万葉仮名から誕生しました。
△ひらがなの誕生
万葉仮名は、1つの音にいくつもの漢字を当てたため種類が多く、また形が複雑で書くのが難しいものもありました。
そこで生まれたのが、「ひらがな」です。
ひらがなは、万葉仮名をくずして簡単にした文字で、9世紀ごろから使われるようになったと言われています。
当時の貴族社会において、男性が公的な場面で用いるのは漢字であり、ひらがなは主に私的な場面で、あるいは女性によって使われる文字とされました。
ひらがなは主に手紙や和歌、物語、随筆などに用いられ、女流文学が花開く契機となりました。
ひらがなで書かれたこの頃の文学作品には、紀貫之が女性を装ってつづった『土佐日記』(935年ごろ)、清少納言の『枕草子』(1001年ごろ)、紫式部の『源氏物語』(1008年ごろ)などがあります。
△かたかなの誕生
「かたかな」も、ひらがなとほぼ同時期に万葉仮名から生まれました。
ひらがなが万葉仮名をくずしたものであるのに対して、かたかなは万葉仮名の一部分を抜き出したものが起源とされています。
僧侶の間で読まれていた経典は、全て漢文で書かれていたので僧侶たちは行間に読み方などのメモを書き入れていました。
その際、形の複雑な万葉仮名では狭い行間に書き入れるのが難しいため、9世紀ごろから万葉仮名の一部だけが書かれるようになりました。
これが、かたかなの始まりと言われています。

外国人には、とても難しいのは容易にわかる。
これを見てもハングル韓国などとは先人から頭の発想が違い...ノーベル賞など1000年も早いと理解するのでは。


首里城が丸焼けか...

2019年10月31日 | eつれづれ

首里城正殿と北殿が全焼 他建物への延焼続く けが人の情報なし
31日未明、沖縄県那覇市の首里城正殿で火災が発生した。
同午前2時41分、首里城の警備員から那覇市消防に通報があった。
同午前7時現在、鎮火していない。
正殿と北殿がほぼ全焼し、南殿など城内のほかの建物に燃え広がっている。
那覇消防などから消防車両が約40台が出て、消火活動をしている。
これまでのところ、けが人の情報は入っていない。消防が原因を調べている。
那覇市は防災無線や広報車両などを使い、首里城で火災が発生していることや、火の粉が遠くまで飛ぶ恐れがあることから窓を閉めることなど警戒を呼び掛けている。
また、首里城周辺は規制線が張られ交通規制も行われており、県警が周辺一帯の住民に対して避難するよう呼び掛けている。
那覇市は城南小学校と首里公民館、石嶺公民館に避難所を設置。石嶺公民館に3人が避難している。
那覇市は31日午前7時半めどに災害警戒本部の会議を開く。
首里城周辺には午前4時半現在、爆発音のような音が響き、火災元とみられる正殿が激しく燃え、煙が上がっている。
1キロ以上離れた那覇市繁多川にも火の粉が飛んできており、広範囲に影響が広がっている。
首里城近くに住む宮城武雅さん(44)は、サイレンの音と真っ赤に染まった空を見て火災に気付いたという。
宮城さんは「夜は正殿まで簡単に入れないはずだ。
なぜだ。ただただ驚いている」と信じられない様子だった。

かつて大海原に船で乗り出し、アジアをつなぐ交易で栄えた琉球王国。
その宮殿であり、戦火によって焼失していた首里城が1992(平成4)年、那覇市に復元された。
日本の政治体制に組み込まれた近代以降、忘れられていた琉球王国の歴史に再び光が当たることになった。
「よく今まで耐えてくれた。苦労をかけたなあ」
琉球大学名誉教授(琉球史)の高良倉吉さん(71)は、那覇市の丘に建つ朱塗りの守礼門にそう声をかけ、乾杯した夜をよく覚えている。
92年秋、首里城正殿などが3年がかりで復元され、一般公開を目前に控えていた時のことだ。
明治新政府による「琉球処分」まで首里城は450年間にわたり琉球王国の政治と文化の中心だった。
しかし、第2次世界大戦の沖縄戦で焼失。
58年に守礼門は復元されたが、その奥に本来あるはずの城はなく、「日本3大がっかり名所」に数えられたこともあったという。
そんな不名誉な呼び名も、今は昔。
正殿などが復元、整備された首里城公園は、年間200万人以上が訪れる沖縄観光の目玉ともなっている。
歴史考証を担当した高良さんは「明治以来の本土への同化志向もあって、琉球王国の文物は散逸。史跡や風景も、沖縄戦で破壊されてしまっていた」と指摘し、平成の首里城復元は「沖縄の我々にとって、アイデンティティーを取り戻すプロジェクトでもあった」と話す。
高良さんが琉球王国の歴史を探究するようになったきっかけの一つは、沖縄の本土復帰(72年)から数年後のこと。
講師を務めた短大で、学生が「沖縄の歴史はいじめられた話ばかり」と感想を漏らした。「沖縄戦も米軍基地も向き合うべき問題だが、それが沖縄の歴史の全てではない。
戦火からも立ち上がることができた基盤にある歴史を再発見しなければと考えた」
以来、アジアの海を駆け巡る中継貿易で栄えた琉球王国の研究をリードするかたわら、地元経済団体に招かれて講演を重ね、初めて琉球王国を主題にしたNHK大河ドラマ「琉球の風」(93年)の監修も務めるなど「歴史再評価のプロデューサー」として活動してきた。
沖縄県立高校の地理歴史科教諭だった新城俊昭さん(68)は、高良さんら研究者たちが次々と掘り起こす琉球王国の歴史に刺激を受けた一人。
「歴史は、県民の共有財産にしなければ。
そのためには、やはり学校教育が大事だと思った」
そこで94年、最新の研究を取り入れた通史の副読本『琉球・沖縄史』を自費出版。日本史の授業のほか、学習指導要領の改訂で、学校が科目として設定できるようになった郷土史などの授業で使われるようになった。
 沖縄初の芥川賞作家で、『小説 琉球処分』を書いた大城立裕さん(93)は「子どものころは沖縄の歴史など、まったく習わなかった」と、本土への同化政策の色濃い教育を受けたことを振り返る。
一方、現在の沖縄の人びとが「『万国津梁(ばんこくしんりょう)』(万国の架け橋)といった琉球王国の理念を知り、自分たちの歴史を再評価するようになった」と意識の変化を指摘する。
2000年には、九州・沖縄サミットに合わせ、表に守礼門が描かれた2千円札が発行、首脳たちの夕食会が首里城で開催された。
さらに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録。今では首里城をまねた外観の土産物店が繁華街に建つなど、琉球王国のイメージは広く浸透している。

自然災害も怖いが、今度は火災で全焼か...火付けなのか検証を待つ。
トント見られない2千円札にあった図柄だったか。

2000円札の絵柄になっているので、ご存知の方も多い門なのではないでしょうか。
1958年(昭和33年)に復元された門です。
「守礼」とは、礼節を守るという意味であり、門に掲げられている横に長い額である扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。
この意味は、”琉球は礼節を重んずる国である”です。
この「守礼門」は通称名とされ、古くは「首里門」・「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」などと呼ばれていました。
この守礼門は、エレガントで中国の牌楼(やぐらのある門)の流れをくむ装飾建築。
造りは、三間入母屋重層の琉球赤瓦となっており、本瓦葺きです。
中央柱間約3.42m・両脇柱間約2.26m・高さ約7.05m・初層約5.11m。
4本の柱は礎石の上に建っており、脚部を方形にして安山岩の挟石を基礎より建てて組み固めており前後にそれぞれ副柱を建てて安定させています。
首里城跡の中でも、有名な観光スポットとなっています。


プラBOXに部品取付する

2019年10月29日 | eつれづれ

表示灯取付...アクリル銘板無し、テプラでごまかし...ボランティアなので。




外部接点トリップ3P100A漏電ブレーカ以外、部品は納品なったのでプラBOXに取付、マークチューブつくり、ヒマみて配線をする。
こんなものでも絶監装置に入力すれば施設担当者に緊急情報はメールで届く。
便利な世の中だが一応、ウォーターハンマーでの配管破損でのリスク管理は、これで十分...破損した時には水槽上限レベルには何時までも到達せずドンドン揚水続き、結果フロア浸水となる。

配線完了して通電テスト。
コンセントより100/200V単巻きトランスを使用して操作回路200Vを得る。

水位検知センサー(2m長さを購入)をコップの水に入れてオン動作を確認。

水位検知→漏水表示灯と絶監装置入力にオン接点が入る。
同じく井戸ポンプ主漏電ブレーカにオン接点が入り遮断、ポンプ停止となる。
これが安上がり、一番簡単な制御方法の様だ。
後は出入りの工事業者を使い取付、配線をやってもらう。



大雨被害でB3F電気室もウンコ汚水まみれで使い物にナラズ

2019年10月28日 | eつれづれ
普段から大混雑で知られるJR武蔵小杉駅の横須賀線ホームでは、水没した影響で一部の改札が使えなくなり、券売機やエスカレーター、エレベーターなどが故障した。
駅から南へ徒歩8分ほどの場所にあるマンションの住民が話す。
「台風後すぐに停電してしまい、まだ復旧していません。
ウチのマンションの1階にあるコンビニや銀行のATMも電気設備がやられてしまったようで、営業再開の目処は立っていないのです」
中でも特に甚大な被害を受けたのが、冒頭のタワマン、パークシティ武蔵小杉だった。
地下3階にある電気設備が浸水し、完全に故障してしまった。

その結果、停電し、照明、エレベーターも停止。
最上階の47階に住んでいる住民は、悲惨なことに、外出するためには一段一段、階段で上り下りするしかなくなってしまった。
トイレが使用できなくなったのは配電盤が壊れてポンプで水を汲み上げられなくなったからだ。
便意を催すたびに47階から1階まで階段を上り下りする。
そんな地獄を、高級タワマンの住民は味わうことになったのだ。
さらに、マンションの前には汚水を含んだ泥が大量に溜まり、悪臭を放った。
一連の様子はテレビやネットを通じて全国に広まり、高級タワマンのイメージはガタガタに崩れることとなった。
今回の台風19号では各地で堤防の決壊や越水(河川の水が堤防を越えてあふれること)が起きた。
しかし、武蔵小杉駅は、一番近い多摩川の堤防でさえ1㎞弱もの距離がある。
そして、その堤防付近では、決壊も越水も起きていない。
それなのに、なぜか武蔵小杉の中でもタワマンが林立する、駅の南側のエリアに浸水被害が集中した。
どうしてこのような事態になったのか。
発生直後は不明だった多くのことが、2週間が経ち、徐々に明らかになってきた。
水災害に詳しい神戸大学の大石哲教授が解説する。
「川崎市はエリアによって『分流式』と『合流式』という2種類の下水処理方式を採用しています。
分流式は汚水を下水処理場へ、雨水は川や海に直接放流する。
合流式は、汚水と雨水の両方を一緒に下水処理場に送るのですが、雨が大量に降った場合は、ほとんどすべてを河川に放流するのです」
新設される下水管は分流式が主流で、国土交通省も分流式を推奨している。
合流式は主に古い街などに、そのまま残っていることが多い方式だという。
大石氏が続ける。
「実は武蔵小杉は、駅より北側のエリアは分流式、今回被害のあった駅より南側のエリアは合流式と、別の方式を採用しているのです。
南側のエリアでは、汚水と、台風で降った大雨を下水管から多摩川に放流しようとしたわけですが、その多摩川自体の水位が非常に高くなってしまっていた。
それで下水管から河川の水が逆流し、汚水や雨水と一緒になって武蔵小杉の街にあふれたのだと考えられます」
地下の電気設備がやられた
排水管から雨水が逆流し、市街地などに水があふれる現象は「内水氾濫」と呼ばれている。一方、河川の水は「外水」と呼ばれ、これが配水管から逆流して市街地に流れ込む現象を「外水氾濫」と呼ぶ。
今回はこの内水氾濫と外水氾濫が同時に起こった。
「多摩川はいわゆる『天井川』といって、川床の高さのほうが、街の地面よりも高い位置にある河川です。
水位が高くなれば、川につながっている排水管の水門を閉じる必要があった。
川崎市は今回のような規模の台風に慣れていなかったのか、内水氾濫を恐れ、水門を閉じなかったのです。
しかし、今回のように大量の雨が降って河川の水量が多くなると、河川水の逆流によって被害は大きくなります。
水門を閉じなかった選択は、適切だったとはいい難いでしょう」(大石氏)
タワマンが立ち並ぶ駅の南側のエリアには、地形的な弱点もあった。
武蔵小杉の地元不動産会社「ケイアイ」の代表取締役・金子勇氏が語る。
「今回被害のあったタワマンがあるエリアは、かつて工場などが建っていましたが、地元では『昔、あの辺りは沼だった』と言われています。
一帯が周囲より低い土地であることは間違いありません」
こうして、逆流した汚水、大量の雨水がこのタワマン地帯に流れ込んだというわけだ。
そしてこの水がパークシティ武蔵小杉の地下にある電気設備に襲いかかった。
地域防災に詳しい、東北大学災害科学国際研究所の佐藤健教授が語る。
「電気設備や受水槽のような設備は基本的に地下室などに納めてしまうのが一般的です。
限られた空間を有効に使いたいため、地上部分は住戸や商業施設で占められてしまう。
そのような弱点が今回、武蔵小杉のタワーマンションで露呈してしまったのです」
『生きのびるマンション』などの著書がある、ノンフィクション作家の山岡淳一郎氏もこう話す。
「現在の建築基準法の単体規定(建物自体についての規定のこと)では、地震に対しては対策を義務付けていますが、浸水に対しては何か基準があるわけではありません。
そのため、地下の電気設備などには必ずしも浸水対策が施されているわけではないのです。
今回被害に遭った武蔵小杉のタワマンも停電対策として自家発電装置を備えていたようですが、浸水対策は講じられておらず結果的に使えなくなってしまった」
たとえば、建築基準法では高さ60m超の建物を建てる場合、60m以下の建物に比べて、1・25倍の風速に耐えられる構造にすることなどを義務付けている。
しかし、水害対策の基準は存在しない。
そのため、今回のような事態が起きてしまうのである。
被害を受けたパークシティ武蔵小杉の住民たちの口は重い。
このタワマンに出入りする住民に声をかけたが、一様に「話すことはない」といった反応だった。
なぜか? 彼らにとって今回のトラブルは生活難だけにとどまらない、一大事だからだ。
住宅ジャーナリストの榊淳司氏が語る。
「今回被害を受けたタワマンは、不動産業界で言う『事故物件』になってしまったのです。武蔵小杉は近年人気が急上昇したエリアで、『ムサコマダム』という言葉も生まれました。
しかし、徐々に人気に陰りも見えはじめていたのです。
というのも、2年ほど前に、武蔵小杉駅が大変混雑するため、朝の通勤ラッシュ時などは駅の改札を抜けるのに30分以上かかるといった事態が報道されました。
そこからじわじわと敬遠する人が増えていた。
今回の事態は、その傾向にさらに拍車をかけるのではないでしょうか」
今回の一件で全国的に名が知られてしまったパークシティ武蔵小杉も値崩れ必至だ。
人気エリアだから簡単には値崩れしない―そう考え、投資目的も含めて購入した人も多いパークシティ武蔵小杉の住民は、今回の事態の深刻さを誰よりもよくわかっているはずだ。
地価が3割も下落
「仮に台風前に1億円で売っていた部屋が、急に9000万円になるといったことはないでしょう。
しかし、これまで1億円で売りに出したら、2ヵ月で売れていた部屋が、半年~1年かかるという感じになる。
売れにくくなる、貸しにくくなるわけです。そうすると、売り急ぐ人は相場よりも低い価格で売りに出すようになるでしょう。
そうして下落バイアスがかかってくるのです。
東日本大震災の時に、新浦安と海浜幕張の街で液状化現象が起きました。
その直後はマンションなど不動産の価格に影響はありませんでしたが、2~3年かけてズルズルと下がりました。
海浜幕張などは3割以上価格が下落した物件もありました。
同様の事態が武蔵小杉でも起きる可能性はあります」(榊氏)
住宅地に向いているとはいい難い場所を、古い下水システムが残ったまま、「人気の街」というイメージをつけて売りに出す。
そうして今回のような悲劇を生んでしまった。
程度の差こそあれ、同様の事態は他の地域、他のマンションでも十分起こり得る。前出・佐藤氏が語る。
「武蔵小杉で起きた停電、断水はタワマンだけで起きる問題ではありません。
これを教訓として、デベロッパーを始めとして、業界で対策を講じる動きとなるでしょう。
ただ、そこに任せるだけではなく、居住者自身が電気設備や給水設備がどうなっているかなどを事前に把握しておくのも重要だと思います」
武蔵小杉の事例は決して他人事ではない。そう胸に刻みたい。

最悪の事態となった...電気などのエネルギー施設は地下などの設置は危険と誰もが判っているがコスト、フロアの有効活用で上部には設置しないのが大勢。
まず仮設の発電機or高圧設備で復旧をはかる、汚水ヘドロかきあげ作業、清掃もハンパで無い。
ホースを延ばしてポンプで揚水するものやら...何れにしても多額の費用もかかる。

針金電気ヤが管理している総合病院、事業所の電気室もB1Fなので水害リスクは伴う。
外階段通路とかもあるので想定外の大雨時は階段より水が下りフロアに浸水する可能性ある。
この場合、ポンプで下水配管にUPするしか無い。
今まで特に被害は無いが、他県の水害有り様をみるとリスクは常にある。
施設管理の色々、話を聞くと...それは水没、停電なれば完全にタワマン同様OUT状態。
それより常日頃のBF1にある水槽タンクに供給している、井戸配管の亀裂、破損した場合、たちどころに地下フロアが水浸しになってくる話で昼間は勤務でいるが、夜間に発生した場合は水の中は感電危険で、行く事も出来なくなる。
最悪、電気室、ポンプ室も水没してダメとなる話。
自然の降雨はどうにもならないが、塩ビ配管破損のリスクも大きい。
相談を受けて次の漏水検知制御盤をボランティア実費で製作する事にした。
①オムロンの漏水検知とセンサーを使う。
②検知したら井戸ポンプの主ブレーカをトリップさせる。
③検知信号をオムロンM2M絶縁監視装置(SW150LF8)に入力させ施設担当の携帯電話2人に緊急メッセージとして発信させる。もちろん、漏電.停電と同じ当方にも着信。
取りあえず担当は市内、在住でまず警備員に確認電話して、すぐ出動、複数部署上司にも連絡。
④ブレーカが漏水を検知してトリップしているので浸水は回避できたが、これから原因探査復旧対策の工事となる。




この漏水検知センサーを床に貼り付けておけば良い...電極間はAC24Vで感電はしないので安全。
外からの自然災害は地下設備に関して対策無し諦める他は無いが地震は何処にいても関係ない。