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ノーベル化学賞、日本人に

2019年10月09日 | eつれづれ

特徴
1.高電圧が得られる
2.マンガン乾電池の約10倍と電力容量が大きい
(未使用期間を含めた)長寿命
3.軽い
4.放電末期まで電圧降下が少ない
5.低温でも使用可能
6.小型のものは大電流放電に向かない
リチウムは金属で最大のイオン化傾向を持つため、これを負極として用いると正極との電位差が得られて高い出力電圧となる。
また、リチウムは最も軽い金属であるため、重量当りの電力容量も大きくなる。
自己放電が少なく寿命が長い。
10年経過しても90%の容量を維持する。
有機溶媒に水よりも融点の低い溶媒を選んで用いるため、-40℃から85℃までの低温/高温環境でも使用可能である。
有機溶媒の採用によってイオンの移動度が低下し大電流の放電には向かないが、粘性が高いために液漏れは起こしにくい。
このような特性から近年は非常用や軍用の電源に使用されている。

△画像はシーケンサのプログラムデータバックアップ用のリチウム電池。
我々のイメージは価格は高いが寿命が長い程度...。

ノーベル化学賞に旭化成名誉フェロー・吉野彰氏 京大工学部出身
旭化成名誉フェロー・吉野彰氏
スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年ノーベル化学賞を京都大工学部出身で旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3人に贈る、と発表した。
授賞理由は「リチウムイオン電池の開発」。
吉野氏はコバルト酸リチウムを使い、高性能のリチウムイオン電池を開発した。
携帯電話やノートパソコンのバッテリーなどIT社会に不可欠な電源となるとともに自動車や住宅にも利用が広がり、エネルギーの効率利用による環境負荷の低減が期待されている。
日本のノーベル賞受賞は27人目。
化学賞は2010年の鈴木章氏らに次いで8人目。
出身や大学の在籍など京都にゆかりのある受賞者は15人になった。
授賞式は12月10日にスウェーデン・ストックホルムで開かれ、3人に計賞金900万クローナ(約1億円)が贈られる。
充電して再利用できる2次電池に反応性が高い金属リチウムを電極に用いようと多くの研究者が挑戦した。
しかし充放電を繰り返すと性能が低下し熱暴走という安全性の課題もあり実用化は難しかった。
吉野氏はノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏が発見した導電性高分子のポリアセチレンに着目、2次電池に用いる研究を1981年から始めた。
コバルト酸リチウムを正極とする2次電池を83年に試作し負極を炭素材料に切り替え、現在使われているリチウムイオン電池の基本形を85年に完成させた。
リチウムイオン電池の登場によって、これまで1・5ボルトが限界だった起電力を4ボルト以上まで上げることができ小型軽量化も実現。
91年には量産化され95年の「ウィンドウズ95」の登場とともに情報通信機器の電源として一気に普及した。電解質にポリマーを用いるリチウムイオンポリマー電池など改良が進み、電気自動車や住宅用蓄電池システムへの利用も進んでいる。

ウィンドウズ95時代~なのか、何れにしてもノーベル化学賞はめでたい受賞だ。
基礎研究が無ければ応用も出来ないが、この時期になるとお隣は何時も憂鬱になる...これで判っただろうノーベル賞など100年も早いことが。
まだ日本製品買わないバカな運動を懲りずにヤッテいるのか...日本など、ほぼ忘れていたがラグビー連覇、このノーベル賞で更に勝手にヤッテててとなった。
今回で僻み、ゆすり、タカリ国家も流石にシュンとなった...過去ばかり見ている結果が今に至る様だ。


考えてみるとあらゆる分野で世界中を席巻した電池の改革の様だ。

手当たり次第反日という愚民化政策=韓国
映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の熱風の中で、2016年作『闘う建築家 安藤忠雄』が静かに公開された。
高卒のボクシング選手出身で、すでに1995年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した安藤忠雄氏(77)のドキュメンタリーだ。
直島の地中美術館、済州(チェジュ)維民(ユミン)美術館などに行ってみて安藤忠雄氏について結構知ったつもりでいたが、先週末に映画を見て少なくない衝撃を受けた。
漠然と考えていた以上にその地位がはるかに偉大だったからだ。
日本では言うまでもなく、鼻っ柱の強い欧州でも彼の存在は際立っている。
1677年に建てられた由緒正しいヴェネツィアのプンタ・デッラ・ドガーナ美術館の改築を欧州の建築家ではなく安藤忠雄氏に一任するほどだからだ。
安藤忠雄が非常に卓越した人物だからでもあるが、ここには日本に対する欧州人の深い畏敬の念も根底に流れている。
安藤忠雄という名前に日本というブランドが結合して魅力が最大化したということだ。
実際、西欧の日本愛は昨日今日のことではない。
ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)は青春の必読書であり今は防弾少年団(BTS)にインスピレーションを与えた本として有名な『デミアン』(1919年作)に「背が低いおしゃれな人、日本人」をデミアンの同行者として登場させて日本に対する愛情を誇示する。
ヘッセのように日本に魅了された近代欧州知識人や芸術家は数えきれないほど多い。
ゴッホをはじめ19世紀の欧州画家が日本の伝統木版画である浮世絵から多大な影響を受けていることは広く知られた事実だ。
そしてこのような西洋の日本愛は過去形ではなく現在進行形だ。
文化から産業に、また欧州から米国に、むしろその領域を拡張している。
先週末ソウル聖水洞(ソンスドン)に長い列を作った「コーヒー業界のアップル」というブルーボトルとそのアップルの2社とも、米国人創業者が日本に魅了されて製品の中に日本の魂を溶かし込んだといっても過言ではない。
一行で要約するなら、韓国人がよく言うように日本が単にお金で世界の人の歓心を買ってきたのではなく、文化的な深さと驚異的な匠の精神で世界の人を魅了してきたということだ。ところが韓国というプリズムを通すだけで日本は全く違う国になる。
いくら忘れることが難しい旧怨があるといっても、どうしても日本を韓国の高い文化的水準の足元にも置けないくらいの野蛮の国にしてしまう。
目だけしっかり閉じているならよいが、日本をけなすためならわい曲もはばからない。
このような感じだ。
ヘッセが『デミアン』におしゃれな人・日本人を登場させたまさにその年の1919年にあった三・一運動100周年を控え、有名な韓国史講師であるソル・ミンソク氏はあるテレビバラエティ番組に出演して日帝の石窟庵(ソックラム)き損を非難した。
「石窟庵は数学・幾何学・科学の完ぺきな結晶体で、1000年以上にわたって完ぺきに保存されてきたが、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた」という。
記録は全く違うことを語っている。
1912年に大規模補修工事に入った当時、石窟庵は天井が崩れて土に埋もれた状態だった。
日本としては文化遺産を生かそうとして、当時としては最新の技術であるセメントを使って最善を尽くしただけだ。
それでも放送以降、日本は嫉妬で盲目になり石窟庵を傷つけた野蛮国家として韓国大衆の袋叩きにされた。
資料を一度ひもとけば露見する明白な歴史わい曲だが、ソル氏や放送局が謝罪どころか訂正したという話はついぞ聞かなかった。
実は、特に驚くようなことではない。
韓国で「手当たり次第反日」はいつもこのように免罪符を受けてきた。
ただし、ソル氏の石窟庵発言をただバラエティで片付けることができないのは、文在寅(ムン・ジェイン)政府になって反日扇動が度を越していて、放送がその先鋒的な役割を果たしているからだ。
今年の三一節100周年記念演説で、文大統領は「パルゲンイ(=赤い奴、共産主義者)という言葉とセッカル(=色)論は我々が一日も早く清算しなければならない代表的な親日残滓」とし、反日という官製民族主義〔チェ・ジャンジブ高麗(コリョ)大学名誉教授〕の旗を遠慮なく振り、与党である共に民主党はある在野史学者の「土着倭寇」発言を「正しい」と思って反日商売に使っているから、放送がこのような振る舞いをするのだ。
事実を冷遇した私たちだけのこのような「精神勝利」が、朝鮮建国以来、最悪の戦争につながった朝鮮通信使の誤った判断と何が違うだろうか。
1592年、黄允吉(ファン・ユンギル)正使は「外敵の侵犯に備えなければならない」と進言したが、全く同じものを見てきた金成一(キム・ソンイル)副使は「豊臣秀吉の目はネズミと同じで怖いものはない」として宣祖(ソンジョ)の判断を曇らせた。
そして後は私たち皆が知っているとおり、民が過酷な対価を支払わなければならなかった。
「手当たり次第反日」は国内政治に利用しやすいのかもしれないが、国民を阿呆にして国を危機に陥れる。
壬辰倭乱、そして1997年外国為替危機の時にあれほど辛い思いをしたのに、私たちは事実を事実通り見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった。
日本が失敗すれば嘲笑い、成功すれば難癖をつける。
そして時には嫉妬する。
それが韓国メディアの報道姿勢だ。
在韓ジャーナリスト・藤原修平氏が韓国紙の社説やコラム記事から、その傾向を分析した。
日本への“嫉妬”が如実に表れるのは、「ノーベル賞」関連の報道だ。