eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
質問等はコメント欄にて。

辞退者出て派閥も菅応援となる

2020年08月31日 | eつれづれ

石破茂氏が総裁選立候補へ 「国民に選択肢を示すべき」
自民党の石破茂元幹事長は31日、総裁選に立候補する方針を固めた。
自ら率いる石破派が1日午後に開く会合で意見を聞いたうえで、正式に立候補を表明する。
複数の派閥幹部が明らかにした。
石破氏はこれまでも出馬に向けて調整を進めていたが、安倍晋三首相が任期途中で辞意を表明。
このため、緊急対応を理由に全国の党員・党友投票を省略する「簡易型」の総裁選となる見通しで地方の支持が厚い石破氏には不利として、派閥内では出馬を見送るべきだとの声もあった。
だが報道機関の世論調査では石破氏が優位に立つことや、地方の声を反映する党員投票を含めない党の姿勢に不満も高まっていることから、「国民に選択肢を示すべきだ」と判断した。

河野防衛相、総裁選出馬を見送りへ
河野太郎防衛相は31日、辞任を表明した安倍晋三首相(自民党総裁)の後継を選ぶ総裁選への出馬を見送る意向を固めた。
河野氏はかねてより次期総裁選への出馬を公言してきたが所属する麻生派(志公会、54人)が菅義偉(すが・よしひで)官房長官を支持する方針を固めたことなどから断念した。
党員・党友による投票を省略した両院議員総会で新総裁を選出する見通しになったことも、人気と発信力の高さを生かしたい河野氏にとってマイナス材料だったとみられる。
河野氏は同日、所属する麻生派(志公会、54人)会長の麻生太郎副総理兼財務相らと東京都内で会談した。

自民党の石原伸晃元幹事長が率いる(近未来政治研究会)が、次期総裁選に立候補する意向を固めた菅義偉(すが・よしひで)官房長官を支持する方向で調整に入ったことが31日、分かった。
派閥関係者が明らかにした。石原派は同日、幹部会を開催。
9月1日に開く派閥の全体会合で派としての方針が示される予定だ。
石原派の最高顧問を務める山崎拓元副総裁は、ポスト安倍を目指す石破茂元幹事長支持を鮮明としているが、派閥幹部は「総裁選では山崎氏とは距離をとって調整している」と述べた。

稲田朋美氏、総裁選立候補見送り 推薦人確保めど立たず
自民党の稲田朋美幹事長代行は31日、総裁選への立候補を見送る方針を固めた。
稲田氏はこれまで「女性候補の不在はおかしい」と語り、女性議員を中心に支援を募ったが20人の推薦人を確保するめどが立たなかった。
また、同日に首相官邸で会談した安倍晋三首相からも「焦らずに一歩一歩頑張ればいい」と、不出馬を促されたことも決め手になった。
結局は、判っている負け馬には誰も乗らない事、そんなことしたら仲間から干される運命だが、ハッキリ言える事は女性の敵は女性の見本。

マスゴミは世論調査を盛んに上げているが総裁選には何の参考にもならない。
左の原則でやっても敗北は決定的...そもそも世論調査など野党支持もいるしアンチもいる。先の加藤の乱でネット国民が付いて支持いると大きな勘違いをしてしまった。
温和しくしていれば総理にもなれたが人だったが、その後は完全に干された。
あれだけ文句タラタラ、形勢不利とみてヤーメタは出来ず、また冷や飯となるだろう。
河野、稲田もヤメロと言われてハイ辞退します...次の次もセーフの保身に走るのが永田町の常道。
全国の党員など国民投票じゃ有るまいし正当性云々...選出等、国民トント関係なし...どちらでも良いとの識者もいるくらい。
後は石場が善戦するのか、叩きのめされる位のダメージとなるのか見物だ。
この結果、得票次第では、もう総裁候補の目は無いだろうと多くのネット民からの声が!!。
そもそも何時も背後から鉄砲撃ち、困難なとき自民離党し、舞い戻る...裏切り者のレッテルは何時もついてまわる。
結局、綺麗事のノーガキは語っているが仲間の信望が皆無、仮に総理に成っても誰も協力しない現実がある。
派閥も菅支持...もうリリーフ総理は早々に菅さんに決まった様だと多くのネット民からの声が!!。




またアテもしていないのに余計な発言を

2020年08月29日 | eつれづれ
石垣議員が謝罪「配慮が足りなかった」…安倍首相に「体を壊す癖がある」で批判殺到
立憲民主党の石垣のり子参院議員が28日深夜、ツイッターに新規投稿。
この日、持病の潰瘍性大腸炎を理由に辞任表明した安倍晋三首相に関して「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」などとツイートしたことから批判が殺到したことを受け、一転して「配慮が足りなかったと反省しお詫びします」と謝罪した。
石垣氏は「先ほど福山幹事長より『“大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物”という表現は、不可抗力である疾病に対して使う言葉として不適切である』とご指摘を頂きました。
確かにこの箇所の表現に、疾病やそのリスクを抱え仕事をする人々に対する配慮が足りなかったと反省しお詫びします」とつづった。
さらに、同氏は立憲民主党が「一人ひとりがかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所がある『共に生きる社会』をつくります」との綱領を掲げているとして「私も党の一員として、『身体的特性や疾病で、本人の就労意思が阻害されない、強くたおやかな社会』『全ての差別を克服する社会』を構築するため、今後も引き続き職務に邁進して参ります」と表明。SNSで“議員辞職”を求める声が続く中で“続投”の意思を明言した。
その1時間半前、石垣氏は「複数の報道機関からご取材の依頼を頂戴しております」として、回答の書面を添付して投稿。
「与党自民党および政府は、『持病で職を辞す』という経歴をおもちの安倍晋三氏がその職責を十全に果たせるような措置をとりませんでした」とし、政府側に「ノーマリゼーションへの配慮が欠けている」ことを強調していた。
この時点で反省の弁はなかったが、同党の福山哲郎幹事長が石垣氏に対応を検討するよう指示し、枝野幸男代表は「適切ではないと受け止めた」と記者団に遺憾の意を述べたことなどから、反省の弁に至ったとみられる。

こんなのだから税ドロ野党と言われるのだ...1回生の小娘如きが何様のつもりと多くのネット民からの声が!!。
どこの県選出なのか、何を期待して当選させたものやら...次回は落選だろう。

ネットコメントより。
持病を持つ人が総理をやるのがダメというのは差別以外の何物でもありません。
大事な時に体を壊す癖があるのではなく、ストレスが積もって体が壊れるのです。
そのストレスの一端はまともな対案も出さずに政治を停滞させる野党の権利濫用でしょう。「選任責任」などと言う意味不明な概念を持ち出していますが無能な野党に票を入れるという選任責任はどうなのでしょうか。
返信 278件 38191 2143

GoToトラブル事後還付申請する

2020年08月29日 | eつれづれ




先のGoToキャンペーン利用した旅行だったが、どうも事後還付申請の対象だった。
オンライン申請したが余りにも添付ファイル確認書類が多い。
①支払いがわかる書類。クレジット決済等
②宿泊証明書。ホテル発行のもの
④口座番号を確認する書類。カード、銀行通帳等
⑤住所が確認出来る書類。免許証、マイナンバーカード等
これ、全部をコピーしてスキャンpdfファイルの添付ファイル作成。

単なるネットユーザーは出来ない様な面倒な申請だ。
本人確認、振込口座、本当に宿泊したのか...最低の書類が必要...ショウガナイ。

オンライン申請の受理、自動返信メール。


頭一つ出てない候補ばかり

2020年08月29日 | eつれづれ

自民、後継首相を15日にも選出へ 両院議員総会の方向 石破氏は31日に出馬表明へ
自民党は安倍晋三首相(党総裁)の後継を選ぶ総裁選について、手間のかかる党員・党友らの直接投票は行わず、国会議員らの投票で決める両院議員総会で選ぶ方向だ。
党幹部は、15日の投開票を軸に調整していることを明らかにした。
党内では、首相を一貫して支えてきた菅義偉官房長官の登用を求める声があるほか、知名度の高い石破茂元幹事長は31日に出馬表明する方向だ。
首相が本命視してきた岸田文雄政調会長も出馬準備を進めている。
総裁選の方法は9月1日の総務会で正式決定する見通しだ。
二階俊博幹事長は、今月28日のTBSの番組収録で、「そのときの状況によって緊急の手段を講じていく」と述べ、両院議員総会での選出もあり得るとの見方を示した。
党則では、総裁が任期中に辞任した場合は、両院議員総会での選出が認められ、選挙人は国会議員と都道府県連の代表3人とされている。
任期は前任の期間を引き継ぐ。
今回のケースは来年9月までとなる。
党員投票まで含めた総裁選は、候補者による大規模な全国遊説を行うことが通例で、準備にも一定の時間を要する。
逆に、両院議員総会で選ぶ場合は簡素化が可能で、平成20年の総裁選では、福田康夫首相(当時)の辞任表明から麻生太郎新総裁(同)の選出までを約3週間で済ませた。
ある党幹部は新型コロナウイルス対策も念頭に「党員投票まで含めた総裁選をする余裕はない」と語る。
後任は、新型コロナ対策に継続性を持たせるため「菅氏をワンポイントリリーフとして登板させればいい」(閣僚経験者)との声がある。
岸田氏も前回の30年総裁選で出馬を見送っただけに、今回は不退転の決意で手を挙げる考えだ。
ただ、石破派(水月会)幹部は、石破氏が世論調査で高い支持を得ていることから「党員投票も含めた総裁選を行い、堂々と勝った人が首相をやるしかない」と両院議員総会での選出に異論を唱えた。

自民議員の殆どは石場など自民党が一番苦労した時期に自民を離れた裏切り者扱い、信用に値せずと...多くのネット民からの声が!!。
国内問題は誰がなっても代わり映えしないが外交が問題だ...。


1990年の第39回では鳥取県全県区でトップ当選する。
1990年、衆議院農林水産委員会理事に就任。
1992年、宮澤改造内閣で農林水産政務次官。
1993年の宮沢内閣不信任決議を巡っては、与党の一員でありながら賛成票を投じるが、離党はせず、直後の第40回衆議院議員総選挙では、無所属で出馬し、再びトップ当選する。
しかし細川連立政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し役職停止処分を受けたため自民党を離党。
同じく自民党を離党した西岡武夫らと共に改革の会を結成した。
その後自由改革連合を経て新進党結党に参加。
しかし、1995年に国連中心主義を唱える小沢一郎が新進党党首に選出されると、安全保障政策に失望し、1996年の第41回衆議院議員総選挙を前に単身、新進党を離党。
総選挙では新設された鳥取1区から無所属で出馬し、過半数に達する得票で圧勝した。
以後7度、鳥取1区では対立候補に1度も比例復活を許さず、当選を続ける。
1997年3月、自由民主党に復党。
2000年、第2次森内閣で農林水産政務次官に任命され、2001年の第2次森改造内閣では防衛庁副長官に任命される。