eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
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平成の最後は別れを惜しむ雨降りとなった

2019年04月30日 | eつれづれ

天皇陛下、宮中三殿で最後の報告=平成きょうで幕、夕方退位礼
30日午前10時3分、皇居・賢所
天皇陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で、退位礼正殿の儀の実施を告げる「退位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」などの儀式に臨まれた。
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻ら皇族方のほか、宮内庁や皇宮警察の職員ら約50人が参列した。
天皇、皇后両陛下は午後5時から宮殿「松の間」で、3月12日から行われた計11の退位儀式の締めくくりとなる退位礼正殿の儀に臨む。
30年3カ月余り続いた平成は幕を閉じる。
5月1日午前0時に皇太子さまが即位し、令和の時代が始まる。
「退位礼当日賢所大前の儀」を終えられた天皇陛下=30日午前10時11分、皇居・賢所
天皇陛下は30日午前10時すぎ、天皇専用の装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身に着け、皇祖神とされる天照大神を祭る賢所に姿を見せた。
厳かな表情でゆっくりと回廊を歩き、一礼して賢所の内陣へ入り、この日に退位礼正殿の儀を行うという趣旨の「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。
続いて、歴代天皇や皇族の霊を祭る皇霊殿、国中の神々を祭る神殿でも同様の所作を行った。
皇后さまは持病の「頸椎(けいつい)症性神経根症」のため侍医の判断によりお住まいの御所で静かに待機した。
皇太子妃雅子さまも負担を考慮し欠席した。

昨日の晴天とはうって変わって朝からシトシト雨となったがカイドウも満開となった。

ドウタンつつじの花も最近はあまり咲かない様だ。


今日で平成も終わり、明日から令和へ

2019年04月30日 | eつれづれ

天皇陛下30日に退位 光格天皇以来202年ぶり
◇「平成」30年と3カ月あまりで幕
天皇陛下は30日、退位される。午後5時から皇居・宮殿「松の間」で行われる国事行為「退位礼正殿の儀」に臨み、天皇として最後のおことばを述べる。
象徴のあり方を追求し続けてきた「天皇としての旅」を終え、平成は30年と3カ月あまりで幕を閉じる。
5月1日午前0時、皇太子さまが皇位を継承する。
天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。退位後は上皇となり、上皇后となる皇后さまと共に公務から退く。
陛下は昭和天皇の逝去により1989年1月7日に55歳で即位した。
天皇を象徴と規定した現行憲法下で初めての即位だった。
在位中は被災地見舞いや戦没者慰霊を重ね、全都道府県を2巡。
遠隔地の旅を大切にし、55の島に足を運んだ。
皇后さまと共に積極的に国民の中に入って交流する姿は「平成流」として定着した。
記者会見などでは、戦争を経験した天皇として、平和への強い思いをたびたび語った。
最後の会見となった昨年12月には「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と述べた。
国際親善などの海外訪問は36カ国に上った。
陛下が退位を周囲に初めて相談したのは76歳だった2010年夏だった。
関係者によると、高齢になって身体が衰え、象徴としての活動ができなくなるなら退位すべきだと考えていたという。
16年8月8日にビデオメッセージを公表し、象徴天皇のあるべき姿についての考え方を述べ、活動の縮小や摂政の設置に否定的な見解を示した。
皇室典範には退位を定める項目がなかったため政府は同年9月に有識者会議を設置し、議論を開始。
17年5月に「国民の共感を受けた一代限りの特例」として退位特例法案を国会に提出した。
特例法は翌6月に成立し退位が可能になった。
退位日は同年12月、皇室会議を経て閣議で決まった。

脱サラ、針金電気ヤが開業したのが平成元年4月1日~もう30年は経過した...令和何年まで持つものやらトホホの現実。





駅伝ランナー声援

2019年04月29日 | eつれづれ


3日間に渡る県縦断駅伝の最終日、今は先導車から出ている電波でスマホGPSでランナー位置が判るので便利だ。
信号は青に警察が切替...トップはアッという間に走り去る。
快晴の1日で明日は雨の様だ。


電力管理制御盤が全て完成する

2019年04月27日 | eつれづれ


若干のハード、プログラム手直しを行い全て終了する。
追加したプログラムは日量シフトの午前0時を任意にトグルスイッチでも可能となる様にした。
これで当日タッチパネル欄に電力日量データが入る。
CP1Lシーケンサの出力端子配線が少ないのは殆どタッチパネルとのやりとりだけなのでハード機器が無い。