木簡の書(居延木簡)
1901年、中国西域でイギリス国籍のハンガリー人オーレル・スタインが簡牘を、
その後スウェーデン人のスウェン・ヘディンが楼蘭で多数の残紙を、そして中国と
スウェーデン合同調査隊の一員だったフォルケ・ベリーマンは、漢代の居延県で
一万数千の木簡を掘り出した。これらは、居延漢牘、居延木簡とよばれた。
~居延木簡選より~
中国の木簡は紀元前432年頃のもので、紙がない時代、荷札や軍事上の指令書、
支給品の台帳、書籍、日常の記録、習字用、葬儀用、医療の記録や健康体操の
解説書のようなものもあったそう。
また竹牘(ちくとく)と呼ばれる、竹を輪切りにして五面を面取りしたものに
亡くなった人が冥土へ行った時、冥土の門番に身分を証明するために書かれた
パスポートのようなものもあったとのこと。
なんだか、映画の霊験導師居士を思い出しちゃう。(古すぎ?)
・・と、歴史の話はとりあえずここまでにして。
私は書の古典の中で、この木簡が一番好き。
いわゆる名筆と呼ばれるものと違って、木簡はどれを取ってもどこの誰が
書いたのかもわからず、まさにその時その瞬間に生きた人間の生き様が、
喜び、悲しみ、怒りといった感情もそのまま表現されている。
ゆえに、それぞれが生き生きとしていて、自由奔放、スケールが大きく、
力強く、のびやかで単純、屈託がなく、飾り気もなく解放感に溢れている。
木簡のような人になりたい。
何度も臨書を重ねながら、太古の昔に生き生きと生きていた人達を想い、
語り合い、形や型にとらわれない瞬発の芸術を、探し当てたい。
芸術とは、特別な才能を持った人が特別なことをするのではなく、
日常の中にたくさんころがっているんだと思う。
人にできないことをやってみせるのが芸術ではなくて、
誰もが持っているのに気づかずにいる能力、感性を覚醒させる衝撃波を
送ることが、芸術だと思う。