地元で、母と書道教室をしています。
これは教室で、夏の書として書いた参考作品。
母はいわゆる伝統的な王義之、皇甫誕などの行書、楷書、仮名を、
私は古い時代の甲骨、木簡、隷書、造像を中心に創作を担当、
普段はそれぞれの希望にそった古典の臨書学習を、一人一人添削を
しながら行っています。
年に一度、広い会場を借りて展覧会も開催。
ちょっと自慢は、書の展覧会というと、その会の先生の色一色で、
似たような作品が並んでいることが多いのですが、私たちの会は十人十色、
色々な書体、表現方法で、観にいらして下さった方々が、「とにかく観ていて
楽しい。来てよかった」と言って下さることです。
母と私、違う好み、個性があり、生徒さん達とも、名前がなくてもこれは
あの方の作品ね!とわかるようなその人らしい表現を一緒に探しています。
同じ古典を臨書しても、人によって個性が見えておもしろいです。
本当は臨書は、誰の何を臨書したのかわからなくちゃ意味がないんですけど、
どうしてこれがこうなるの?という臨書をされる方もいて、指導力のなさに
ため息をつくこともありますが、どことなく書いた人の人柄が滲み出ていたり
すると、ま、いっか・・と苦笑い。
繊細な人は線がシャープだったり、おおざっぱな人は文字が紙からはみ出たり、
お手本で渡した半紙に、たまたま墨がたれて点のようになった線も、
文字を考えたらそこに点なんてないのに、同じように点をつけてきたり、
その個性が、私はいとおしいです。
大人でもましてや子供の間では、そこに優劣など決めがたく、
その人本来の姿を自由に純粋に褒め称えることで、自分に大きな自信を持つのです。
自分に自信が生まれると、他人のことも褒められる、思いやれる、許せるように
なるんじゃないかと思います。
書を学ぶことは、自分を知ること、自分を褒めることとなり、その喜びと
自信が回りの人への思いやりや優しさに繋がればなあと、思います。
だから、ぼけ茄子なんて言わないでね。