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心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

感受したものを隠さずに

2008-04-23 | 書の話
                  龍門造像記 節臨 (半紙大 和紙)



臨書は古典ありきで、その書き手との「対話」が魅力。
臨書とは、古典や手本を見ながら書くこと。(節臨は一節を臨書したこと)
絵でいうところのデッサンかな・・。

臨書は、逆に一切のことから解放されて、自由に生きられる場所が
そこにあるという、無限の創造の世界が広がっている。

臨書は、技術だけでは表現できないものだと思う。

古典の書の、点画の位置や長さ、角度をいくら研究して同じに書けても
それは、マニュアル通りに注文を繰り返す、どこぞやの店員さんと同じで
感激も体温も感じない。

ソツなく書かれたものには、ふ~んって思うだけで、きっと震えない 

古典と向き合ったとき、どんなものでもいい、心の底からの感動の
リズムを発見できなければ、本物の臨書にはならない。

感受する、そして感じたものを、包み隠さずさらけ出せたとき、
「個性」が見つかるのかもしれないですね。

それはたぶん、書だけに限らず、人との関わりも同じ。

今の若い世代(20代位?)は、争いたくないから、
人と深く関わることを避けるらしいです 

でも人に興味がないから、自分も見つけられないんじゃないかな。。
人は人の中にいて初めて、自分を知るんだと思うから 

臨書をしていて、ふとそんなことを考えた。
かく言う私も、まだまだ、隠しているのかもしれないけれど。。
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人生はやっぱり響き合い

2008-03-27 | 書の話
                 広げるとまたぷくぷくの寸評が始まり・・



11年前に書いた、いろは歌の折帖。
師と仰ぐI先生に「むむっ」って思ってもらいたくて、自分では書体を変えた
つもりで、ちょっと「どう?どう?」って気持ちで持参した。

折帖っていうのは、折りたたみ式、ジャバラになったノートみたいなもの。
これに直接書いていくから、失敗は許されない。。

   ←表紙はこんな感じ 
   ←隷書っぽく
   ←楷書で強く 
   ←楷書でのほほんと


その日、まとめて5冊位持っていた記憶がある。
今思うと、恐れ多いことだけど、若いって怖くて頼もしい 

すると師は、内心「むむっ」って思った・・・に違いない。
うんきっとそう。

だって、すかさず師が書かれた折帖を、あれこれ書庫から探して来られ、
「どうだ~  どうだ~」攻撃をして下さった。

「これだけの書体、書風の引き出しが、あんたにはないだろう」と、笑顔でもって。 

「はは~参りまし~た  」

そんなやりとりが、楽しくてしかたがなかった。
何よりも、子供の心のまんまの師が、大好きだった。
私なんかを相手に、時にはムキになって真剣に、時には遊び心満載の師を、
今も心から尊敬している 

人生長し。
けれど、人と人として心を通わせて下さる方と出会えたことは、私の貴重な財産。

人生はやっぱり響き合い。
まわりにどんなに刺激的でステキな出会いがあっても、
自分も発信していないと、キャッチしてもらえない。

なんだか忘れていたな・・と、ふと。



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部屋中「一生懸命」

2008-03-14 | 書の話
                    みーにゃ(猫)も一緒に



8/4のブログ にも登場した、香川にある桑島道場の桑島師範から、
今年は創立20周年、その記念に「一生懸命」ということばをテーマに
したいので、書いて欲しいとの依頼を受けた。

熱く力強い師範をイメージして、一生懸命  書いた。
最初は半紙に、でも力強さを表現するには紙が小さく感じてだんだん大きくなり。

中腰で1枚書くと結構息が切れる。(体力なさすぎ・・?)
1枚書くと、ここがだめ。 更に1枚・・あっちがだめ。

そんな中から、何枚か選んで師範に送る。

師範から、送った中の2枚と、その2枚を合体させたものの3枚から選びたいと
連絡があり、悩む 

自分ではこれがいい!と思っていたのが選外だったから。
しかも合体? 呼吸が違うし、タッチも違うのになぁ。。。。

依頼されたものなので、私の作品であると同時に、相手の好みを優先・・と
最初は敢えてコメントはしなかったけれど、思い切って聞いてみた。

「あの・・選外の1枚のご感想は・・・?」

1日経って、メールがきた。

「沙於里さん推薦の作品に決定しました!」
奥様も薦めて下さったとか  ほっとしました~。

更にうれしいおことばを頂きました。
「あなたの作品は、第一印象より時間が経ってからじわじわ来るようです。」

ありがとうございます  !

↓以前、桑島道場の文字も書かせて頂きました。







新橋にある:東京美術倶楽部 で3/22まで「日中書法の伝承展」開催中です。
(10:00~18:00 最終日は15:00まで)

三田線「御成門駅」A4出口より徒歩2分
浅草線・大江戸線「大門駅」A4出口より徒歩5分
JR「新橋駅」烏森口より徒歩10分
銀座線・浅草線「新橋駅」より徒歩10分
JR「浜松町駅」北口より徒歩10分





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感激を封じ込められたら

2008-03-13 | 書の話
                 李白詩 (‘07年 90cm×180cm)
             「對酒不覚瞑 落花盈我衣 酔起歩渓月 鳥還人亦稀」



この詩が好き。
「對酒不覚瞑」 酒に瞑(ひく)るるを覚えず
「落花盈我衣」 落花 我が衣盈(み)つ
「酔起歩渓月」 酔いより起きて 渓月に歩めば
「鳥還人亦稀」 鳥還って 人も亦た稀なり

酒と差向かいでいたら、日の暮れたのに気づかなかった。
散りしきる花びらは、私の衣にいっぱいになった。
酔ったあとの眠りからさめて、谷川の月にそぞろ歩きをすると
鳥たちはねぐらにかえり、人影もまた稀であった。
             (岩波書店 中国詩人選集 李白より)


春の日のほろ酔い気分を、書で表現したかったんだけど・・・。
この詩が書きたい!って感じたときは、たくさんは書かない。
これも、一発勝負だった。

「感激」は長続きしないもので・・
「その瞬間」を、作品に封じ込められたらなぁって思う。

ここんとこ忙し過ぎて、肝心の「感激」がまだやって来ない。。
大丈夫かな。。締切りはとっくに過ぎてるんだけど。。。

実はあとで「渓」の字の三角がひとつ足りないよって、I先生に指摘された
ほんとだ。 
感激のまま一気に書いちゃったから・・なんて言い訳しちゃいけないのだ

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「悲」の文字遊び

2008-03-11 | 書の話
                         (はがき)



たとえば。
「悲」という文字を、丸、三角、線だけで抽象的に表現してみる。

文字の形はあくまでもヒントで、文字を追わず、探さず、頼らず。
文字を意識しつつ、文字から離れる。

こうあらねば、こうあるべきだから・・。
そんな思い込みを、どこまで取りはらえるか
脳をやわらかく、心も自由に。

この作業は、自分探しでもあり、自分革命でもある。

この際「悲」の意味は忘れてもいい。
その意味にこだわると、また別の思い込みに支配されてしまうから。

ただただ、丸と三角、四角、線だけで、
「悲」の文字を変化させていく。

読めるか読めないか、そんなことは問題ではない。。

1枚2枚書いた位では、発見も革命も起こらない。
何枚も何枚も無心に書く書く書く・・

そうすると、微かに、自分の奥底の感覚に触れる瞬間がある。
その瞬間を掴むために、繰り返し繰り返し、書き続ける。

そうしていると
書することも、生きることも
そんな繰り返しなのかもしれないって思えてくる 
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山頭火を書く

2008-03-10 | 書の話


先週の絵手紙教室の課題。
ん? 絵手紙教室なのに、最近はすっかり書道教室になってる。

「やっと咲いて白い花だった」

この句も人それぞれ解釈が違って、なるほどぉ・・とみんなで感心。

 ←皆さんの作品
       

白い花が咲いたのは、たった今なのか、それとも過去なのか、
そしてこの句を書いている時は、目の前の咲いている花を見ながらなのか、
はたまた、咲いた花を思い出しながら書いているのか。。

それによって、作品はどう変わってくるのか。

 


画面下の花瓶はNさん。
やっと咲いて、今はもう花はなく、その白い花を思い出しながらという時点を
想定して描いたそう。
だから花はなく、花瓶だけがそこにあり。

私は、現在進行形かな。
今目の前に白い花があって、やっと咲いたねっていう時点。

でも、皆さんからは「だった」という表現は過去形では?と。
う~ん。改めて、日本語はむずかしい。


その後、「やっと」という表現は、皆さんの意見は「小さく書く」という
イメージだと。 
我慢を重ねて「やっと」というイメージは、それもありかなとは思う。

でも私だったら、その長い長い時間を、大きな「や」という文字で表現するかな。

や~~~~~~~~っと。
だから大きく。
「や」を大きくしたら、どんどんイメージも膨らんだ。









皆さんだったら、どんなイメージで書かれますか?

みんなで熱心に語り合ったあとは、おやつタイム!
この日は、当日の朝焼きたてという、Hさんのゆずカステラと、
先日も登場したEさんの金柑の甘煮、そして美味しいプーアール茶。
(ん?プーアール茶はどなただったのかしらん)



  
                        ↑Hさんに頂いたお手製ゆずジャム


楽しく、充実した時間でした 

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展覧会作品草稿

2008-03-09 | 書の話
                  甲骨文「賞花釣魚」  2×6尺



4月の展覧会の作品に・・とりあえず書いてみる。

新年早々に、巨大作品ばかりの 独立書展 を観た衝撃が強く、
大きな作品を書きたい!と思うも、
最近大きな作品を書いていなかったので、
紙の大きさの感覚がまだ戻らない。

それに、今の私の気持ち的には、大作には感動したけれど、
自分でも本当に書きたいのか・・微妙。

それでも大は小を兼ねる。
まずは書こう。

甲骨が書きたいのか・・・? なぜ?
今、別に甲骨が書きたいわけでもないみたい・・

「賞花釣魚」 
このことばは好きなんだけど。 
花を楽しみ、魚を釣る。
春の、のどかな様子を歌った句 

でも、今やっぱり気になるのは山頭火。
そうだ! 今日は山頭火を書こう。











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夢また夢

2008-03-08 | 書の話
                         (半紙1/2)
 
      
おとといの書道教室は、4月の展覧会の作品提出日。
昨秋から取り組んできた、それぞれの「今」の集大成が揃いました。
あとは表具(お化粧)して、展覧会を待つばかり

皆さん開放感に浸る間もなく、会場1階のロビーに飾る寸松庵(小色紙)の
作品にとりかかる。

今年のお題は「夢」の一字。
どんな「夢」が集まるか、楽しみ!

参考に何枚か書いたので載せてみます。




作品作りのヒントは、
 
①紙面の中の、どこに文字を置くかまず考える
 ~横広がりか縦型か、右よりか左よりにするか
②線の太さは細いか、太いか
③直線か曲線か
④かすれをとるか、滲ませるか
⑤どんな夢を想うか  

などを、まず決めると、イメージが膨らみやすいです。





上左:夢が新芽のように下から芽吹いたイメージで
上中:墨の滲みを出して、ぼんやりとした夢
上右:大空に広がる夢
下左:天まで伸びる夢を掴もうとしているイメージ
下中:コツコツと・・
下右:叶わぬ夢と思いつつ夢見るイメージで


文字を「書く」という固定観念をどっかにうっちゃって
自由に「表現」しようと思って、楽しんでくださいね~

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楽しい感じの「見」より

2008-03-06 | 書の話
                        (はがき)



眠れない夜は、書道辞典をめくる。
知らない漢字の方が全然多い。

書道辞典には、各字の甲骨から楷書、甲骨、隷書、行書、草書などが載っている。
でも意味までは載っていないから、他の辞書で調べなくちゃならない。

今はネットで辞書もあるから、入力すればたいていのことはわかるけど、
やっぱりこの辞書を「めくる」という作業がまた楽しい、というか
何となくかっこいい気がして好き。

昨夜ふと目についた「見」の字。
見慣れた字なのに、なんて楽しい字!って思ったので、
その時の感激を忘れないうちにと、むくっと起きて書いてみた。

簡単な文字の方が、イメージを膨らませやすい。
たとえば、星・月・雨・笑・悲・人・・などなど。

たまには、こんな文字遊びもいかが~。
文字を意識しつつ、文字から離れるのは意外と難しいけれど、
頭をやわらかくして、既成概念から抜け出して、自由な発想で!







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文人の書の魅力

2008-02-29 | 書の話
                     中川一政 「裸の字」より



書家の書に対して、文人の書というものがある。
文人とは、辞書によると、文事に携わる人とある。
そして文人達が趣味として書いた絵は文人画、書いた書が文人の書。

文人の書といえば、僧侶では東大寺管長でいらした清水公照、良寛、仙崖、
画家では富岡鉄斎、中村不折、熊谷守一、棟方志功、中川一政、池大雅、
川合玉堂、文学者では、会津八一、武者小路実篤、河東碧梧桐、
民芸の河井寛次郎、北大路魯山人・・・などなど。。

私が書を始めたきっかけは、前にもご紹介したけど、中川一政氏の書。
上手いとか下手とか、そんなことを感じる前に、生身の人間の存在感と
ゆるぎない個性を感じて、作品を前にして鳥肌が立った。

書を始めてからも、やっぱりいいなぁって思うのは、文人の書が多く。。
会津八一の、なんでもない一筆に憧れ、中村不折の白湯のような、そして
河東碧梧桐の、どこかとぼけた温かみのある書に、何度もため息をつく 


    ← 会津八一 
 「寂如春在花」     「式場益平宛」


写真左の大胆な一筆で描かれた梅の構図、さりげなく添えられた文字は
参りましたっ  って感じ・・。

そしてこの宛名書きの、なんて自由なこと!
それでいて、「益」という字の左払いの最後まで気を抜かぬ緊張感、
繊細で闊達、清健で洒脱な線には唸るばかり。。


   
↑中村不折    ↑河東碧梧桐


結局は、人の心を打つのは、技術の巧拙ではなくて、その人の生き様だったり、
包み隠さずさらけ出した個性なのかもしれないですね 

心を打つ作品というのは、どれだけ自分をさらけ出せたか・・ってことなのかな。


(ところで画像、勝手に載せてこれってNG? すみませ~ん )

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