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心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

書との関わり方 

2008-07-14 | 書の話
                   書の会~左手で墨を楽しむ会の方々の作品



昨日は、桃さんの展覧会でご紹介頂いた、石田象童さんの個展 会場へ足を運んだ。
会場の半分は、石田さんのどれも魅力的な墨とアクリル絵の具を使った抽象作品、
半分は書の会の方々の作品が展示されていた。

最終日だったので、石田さんと(たぶん)奥様もいらして、しばしお話を伺い。
お二人とも終始穏やかな笑顔で、ひとつひとつにアドバイスを下さり。

書の会とは、以前もご紹介したけど、石田さんが10年前から続けていらっしゃる
脳梗塞などでからだの右半分やことばが不自由になられた方々のリハビリとして、
左手を使って墨を楽しむ会。 月一度の教室では、毎回作品に仕上げていくそう。

石田さんのいろんなアイデアでもって、小さな衝立や簡単な本になったもの、
パネルに張り込んだものなど、あれこれ楽しめる。

病に倒れ、思うように動かないからだで、また新たに左手を使った訓練をする、
そのからだと心の戦いは、御本人も御家族も想像を絶するものなのだと思う。。。

それでも、じっくりゆっくり確かめながら文字を書く。
初めは線すら引けなかったのに、文字が書けたときの喜びは
生きる力、そして次なるリハビリにつながっていくという。

書にはそんな力もあったんだ・・・。

書を楽しむ方法は、人それぞれ。
書との関わり方もそれぞれにあっていいんだ・・って思えた。

芸術家にも書家にも到底なれない私にとって書とは・・・・?
答えはいつか・・気がついたらそこにあるといいな。

帰りの電車で、これまたびっくり! 同じ書の仲間の旧姓Mさんに久々にばったり!
最近何かに呼び寄せられてる・・・


ところで。
7/8の私のブログからイメージを膨らませて、同じ名前のこちらはローマ字のSAORIさんが、
『なすのりょこう』という絵本を書いて下さいました。
かわいい絵と和むことばの世界 わたぐも館・館長日誌 は←こちらからどうぞ
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愛媛の伝説の書家 三輪田米山

2008-06-19 | 書の話
         
      

先日 ちょこっとご案内した 三輪田米山 。
実は全然知らない書家でした。

でも思いがけず、その人柄も書も生き方もなかなかよかったです 
で、慌ててテレビの画面をデジカメでパシャ 
なので、画面がびよよよよ~んって感じですが、お許し下さいまし。

この「洗心」。

「洗」の大胆で勢いのある伸びやかな、さんずいが気持ちがいい。
さんずいのハネでゆったりと息を吸いながら腕、からだも浮いて、
それ受けてずしんと沈む「先」の重厚な一角目。

さんずいに対して「先」は小さめにすることで、右下の空間が空き
白の世界を外へと導く。そしてさんずいと「先」の空間を空けることで
よりさんずいの懐を深くし、おおらかな表情にしてくれる。

「心」の一角目は縦に下に、食い込むような力図よい線。
「洗」のさんずいの一角目の斜めに入る線と対応して、全体を引き締めている。
そして「心」の点二つは、大きな鳥が宙を舞うような優雅さと包容力がある。
「洗」の右下の空間と「心」の上の余白が美しいなぁ 

眺めていると、豊かな気持ちになってくる。いいなぁ。いいなぁ。。

三輪田米山は、愛媛の偉人として紹介される書家であり神官。
幟や石碑のための揮毫をはじめ、頼まれればどこへでも出向き、
紙がなくなるまで書き続けたらしい。

元々はきちんとした書を書く人だったが、人を感動させる書とは・・と
悩んだ末、酒をあびるほど飲み、その酩酊の中で、腰を支えられながらも
型破りで自由な造形と、気宇壮大な空間を特徴とする作品をたくさん残している。

番組終了後、Kさんからメールを頂いた。
「上手く書こうとする心を酒で消そうとした~?まず上手く書きたいと
誰でも思うし上手く書けるようになるために習う。これが普通ですものね~。
考えさせられました」

上手くにも下手にも、自分の心が求めるものを探して、見つかるといいなぁ。
あ・・もちろん基本を学んだ上で・・・で、ですね 



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今日の日曜美術館

2008-06-15 | 書の話
                      NHK 日曜美術館HPより



今日のNHK日曜美術館で、愛媛の伝説の書家、三輪田米山が紹介されます。
朝は9:00~ 同日夜8:00~再放送。

ゲストは絵手紙作家の小池邦夫さん。
お時間ありましたら

三輪田米山

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瞬間の潔さ

2008-06-10 | 書の話
                       「いろはにほへと」 (半紙)




書の魅力のひとつは、戻れないところ、消せないところ。
たぶん生け花もそう・・一度枝を折ったらもう元には戻せない。

たとえば半紙に、点ひとつ書いただけで、あっ失敗・・ってこともある。
でもだからって、丸めて捨てないようにする・・なるべく。

半紙の中で、最初の一画から二画目、その次の文字にどう活かしていくか、
どう響かせていくか、それが大事、それが楽しい。

人生は、消しゴムで消すことはできないわけで。
言ってしまったことばは消せないわけで。

でも消せないことを恐れるのではなく、
言ってしまったことばを後悔して落ち込むこともなく。

きっと大事なのは、その次のこと。

貴乃花が横綱の頃、土がついた日のインタビューで、マイクを向ける報道陣に
ひとこと・・「終わったことより次のことです」
格好よかったなぁ 

最初に引いた線から、ドラマは始まっている。

引き返すと線は鈍る。
迷うと空間は濁る。

その「瞬間の潔さ」が、書の魅力。
人生は、なかなかそうは生きられないけどね。。 


コメント (10)
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文字の視線

2008-06-09 | 書の話
                          (半切)
  


論語の「仰之彌高 鑽之彌堅」 
之を仰げば弥(いよいよ)高く、之を鑽(き)れば弥(いよいよ)堅し。

孔子の弟子、顔淵(がんえん)が、孔子の人格の高さ、堅さを賞嘆して述べたことば。

高いものは見上げれば見上げるほど高く、堅いものは 鑽(きり)をもみ込むほどに
堅く感じられる~つまり、孔子の高大さはとても極めがたいという意味。

う~ん。。 
論語は意味を理解するのも難しく、志が高くて親しみやすいものではないけど。。
ということで、堅い真面目な書風は避けて、ちょっと肩の力を抜いた感じで書いてみた。

わたしはどうもまっすぐ正面を向いたお行儀のいい字が書けない・・
でも結構バランスは保っているように思うんだけど。。(・・って自画自賛

文字には「顔」の向き、視線があって、右を向いている字、上を向いている字・・・
それらを感じて、次の字に向かうという瞬発力が「バランス」になっていくわけで。

たとえば、今日の書。

仰のつくりの下の空間が空いたので、之の重心を左に持っていって中心を保ち、
之と彌の弓へんが左に引っ張っているので、高の口の部分を右よりにし、
それでもまだ弓へんの最後のハネが左に引っ張ってるので、
鑽のつくりを下げることで、右へ引っ張る力を与えて
之と彌は上と同じにならないようにして、最後の堅は安定するようにして・・っと。

それぞれにあっちゃこっちゃ向いてるけど、中心は背筋が通ってるでしょ
・・ってまた自画自賛して今日は終わり~

自画自賛はよいことです 
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「あ」に込められた思い

2008-05-24 | 書の話
                     「あ」 五種  (半紙)

    


いつだったか、母の書の師でもあられた(故)清田岱石先生が、
ある書展で「あ」の字の連作を出品されていた。
確か3×6尺の横に「あ」の文字ばかりたくさん。

それぞれに表情が違い、また全体としての響き合いもあって、
いつかこんなのが書けたらなぁって思っていた。

清田先生は30代から小学校の校長先生をされていた方で、
私の師とも深い関わりのあるお方。

小柄で、いつもベレー帽をかぶられ、私などにも子供に接するときのように、
いつもにこやかな笑顔で話しかけて下さる、穏やかでやさしいお人柄だった。

書を始めた頃、消しゴムや木に文字や絵を彫って遊んでいた私は、
相変わらずの世間知らずもあって、清田先生の似顔絵を消しゴムで彫り、
拙い手紙も添えてお贈りしたことがある。

今思えばお恥ずかしい限りだけど、先生はその印を
「とても気に入りました。」とお手紙を下さった。
封書の御自分のお名前の横には、似顔絵の印が押してあって。

その後お目にかかった折には、いつものやさしい笑顔で、
「今度は住所印を彫ってくれませんか?」

私はなんだかうれしくなって、消しゴムはんこ作りが益々楽しくなり、
全部で200個位あったかな。。

そんなわけで、今も「あ」という文字を見ると、清田先生を思い出します。

教育者であられた先生は、子供たち一人一人をちゃんと見ていらっしゃったように
たった「あ」という文字も一つ一つ、愛情を込めて書かれていらしたんだろうなぁと
随分あとになってから思いました。

私はせめて、先生の「あ」に込められた思いを忘れないように、
いつか私なりの「あ」の作品を書けたらなぁと思います。
コメント (2)
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井上有一と寺山修司

2008-05-17 | 書の話
                       「楽道忘貧」  (半紙)




自分の好きな道を楽しんでいると、貧しいとか苦しいとかは忘れてしまう の意。
(迫力出るように、画像も大きめにしてみました~  )

楽道の反対、道楽は本業以外のことに熱中して楽しむこと(大辞林より)とあるから
だいたい同じ意味なのかな。
(でも道楽っていうより、楽道って言った方が、かっこいい気がする )
ちなみに父の道楽の雅号は「楽道」 


この「貧」と言う字で思い出すのは、なんと言っても井上有一。

     
↑‘91年「大きな井上有一展」図録より         ↑ウナックサロンHP より



学校の先生をしながら、書に没頭、その激しい生き方はあの 糸井重里氏 も魅了し
80年代「貧」の作品は、西武百貨店の広告にも使われていた。

貧しくて何が悪い!
そもそも貧しいって何だ!
堂々と生きてやる!

そんな気迫に満ちた作品は、彼の圧倒的な存在感そのもの。

以前にもご紹介しましたが、再び。
5/30まで六本木のウナックサロンでやってます。 
特別企画 井上有一 『有一 放哉を書く』


「忘」の字から、この激しさとは対照的な寺山修司のことばを、ふと思い出す。


  私には忘れてしまったものが一杯ある。
  だが私はそれらを「捨ててきた」のでは決してない。
  忘れることもまた、愛することだという気がするのである。


さて、どちらの世界が、今の心に響きますか  ?

今日は母と、モディリアーニ展 → 井上有一展に行って来ま~す 
コメント (9)
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虹を見たような

2008-05-12 | 書の話
                    甲骨文 「虹」  (はがき)                    
 

先週の書道教室では、ちょっと鳥肌もので感動したことがあって 
当たり前と言えば当たり前のことなのだけど。。

普段は常にザワザワにぎやかで、男性陣は眉間に皺状態だった。
でも先週、ふと見回すと全員が真面目に筆を持って勉強していて、
思わず鳥肌が立って「ステキ  !」と拍手してしまった。
(今までどんなだったんでしょうね~  )

正直言って、長年ムズムズする思いを持ちながらも、なかなか言えなかった母と私。
気が弱い?ってこともあるけど、敢えて言いたくなかったっていうのもあるかな。

だって「学ぶ」は与えられるものじゃないからね・・ 
何でも自分から学びたい、知りたいって感じないと楽しくないし、感激もないもの。

よく私の師がおっしゃっておられた。
「不感症じゃいけない。自分の体で感じなきゃ、いくらこちらが言ってもだめだ」

ほんとにうれしかったですよ~ きれいな虹を見たような気がしました。
教室のあと、母と泣きました  (嘘ですけど  )
でもこれを機に、それぞれにまた新たな気持ちで書と向き合えたら嬉しいです。

というわけで 
いくつか↓別枠で書展のご案内をしますので、お時間がありましたら
お出かけ下さいませ。


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学ぶは永遠不滅なり

2008-05-08 | 書の話
                         「魚」 三種



たとえば魚という字。
何種類の魚が書けるかって考えてみる 

たとえば半紙に書くとして。

1匹か2匹か、はたまた群生か 
川魚か海の魚か。
どこの川のどの辺に棲んでいるのか。
どこの海のどのあたりを泳いでいるのか 

気持ちよく泳いでいるのかとか、敵に追われているところなのか・・とか。
恋をしているときだったり、子育て中だったり。。。


  ← なんか情けない感じ?の魚


魚という字を書こうとすると、あれこれ空想が止まらなくなる 

どんな魚が生まれるのか。
感じるままに形にしていって、そこで出会った魚と仲良くなりたいなぁ。

でも、まずは書かなきゃ出会えない。
気に入らなかったらまた書けばいい。
書いて書いて書きまくる。
すると、思いも寄らぬ魚と出会えることもある 

大事なのは、どれだけ長く楽しめるか、深く関われるか・・かな。

魚って一字でそんなわけだから、古典の臨書の勉強を考えたら
まったく・・「学ぶ」は永遠不滅なり~。

あ~こうしちゃいられない 

人の出会いや関わりも、永遠不滅・・どこか似ている気がします。 


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捨てるは始まりなり~

2008-05-07 | 書の話
                   木簡臨書 「平陵敬事」 (半紙)



このGWは、いかがお過ごしでしたか~ 
私は近所に出かけたり人が来たりしたけれど、ほとんど大掃除に励んだ。

そりゃもう、ほんと 
どんどん増える本の山や、紙やら、がらくたに辟易していて、
何をするにもやる気減退していたので、思い切って新しい収納(本棚)も買って、
思いっきり模様替え遂行! 久々の肉体労働  にバテぎみ。。
ついでに、早くも衣替えも完遂。

が、しかし。 つくづく物が多し。。 捨てねば・・捨てねば。
今日のゴミの日には、大袋5個分さようなら 
かなり頑張ったけれど、それでもまだ整理は6合目。

ああ。。勉強しなきゃ。勉強したい。。
言い訳作らずに、「学ぶ」を楽しみたいものでございます。。
部屋がすっきりしたら(あ。これも言い訳だけど)始めるのだ~。

今日のは、↓これが原本。右側の上から四文字。

  ← 二玄社の中国法書選 より 


最初に右のを書いて、なんだかもっさりしているなぁって思ったので、
ちょっと軽めに遊んでみたら、「平」って文字が笑っているように見えてきた。

「事」と言う字、左のはなんだかちょっと変だ 
遊びすぎはいかんいかん。。

不思議なもので、勉強机の上がすっきりしたら、
時間がたんとあるように思えてきた。

やっぱり余分なものに囲まれていると、大事なことが見えてこないってことかな 


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