先日、史跡巡りの会で「蛇塚古墳」を見てきました。
こんなところに?と思われるような住宅密集地のど真ん中にそれはありました。
配られた案内書から一部を抜粋させていただきます。
今から1500年余り前(6世紀~7世紀)に築造の、秦氏一族の首長
クラスの墓と推測され、古墳の形式は、横穴式石室「前方後円墳」で、
古墳時代後期のものとされている。
嵯峨野・太秦地区には、大小あわせて200基近い墳墓が確認されてい
て、この地域が秦氏一族の一大勢力地であったことを物語っている。
古墳規模は石室に限定すると、奈良県明日香の石舞台古墳の石室にも
匹敵するスケール。全国では、石舞台、三重県高倉山、岡山県こうもり
山についで4番目、京都府内では最大。昭和52年に国の史跡に指定され
た。
古墳の盛り土が全部取り壊されてしまい、後円部の巨石を用いた横穴
式石室だけが表面に露出している。古墳の外形は、現在は住宅が建って
分からなくなっているが、全長75mと推測されている。
「蛇塚」のいわれは、周囲が竹薮だった江戸時代、竹薮と石室をたく
さんの蛇が出入りしていたので、この名がついたと言われている。
東側から見たところ。
金網が張り巡らされていて普通は入れない。
周りの町内会で管理されていて、きれいに整理されている。
大きな石の間から木が生え出ていたが、なんの木かよく見ていなかった。
反対側から見たところ。
斜面は植栽されており、春にはサツキで華やかに彩られるでしょう。
正面の石碑。
巨大な石がで~んと居座って、石室を見守っているみたいです。
この日は特別に開けていただいて中に入ることが出来ました。
わ~、広い!
でも、入るときは背を半分ほどに縮めてヨイショと入ります。
中へ入ってから入り口を見たところです。
あら? 猫ちゃんが岩の上のほうにいますね。
本当に大きな石ばかり。
どうやって積み上げたんだろうと、こういう古墳を見るたびに
昔の人の知恵と体力に驚くばかりです。
こんなところに?と思われるような住宅密集地のど真ん中にそれはありました。
配られた案内書から一部を抜粋させていただきます。
今から1500年余り前(6世紀~7世紀)に築造の、秦氏一族の首長
クラスの墓と推測され、古墳の形式は、横穴式石室「前方後円墳」で、
古墳時代後期のものとされている。
嵯峨野・太秦地区には、大小あわせて200基近い墳墓が確認されてい
て、この地域が秦氏一族の一大勢力地であったことを物語っている。
古墳規模は石室に限定すると、奈良県明日香の石舞台古墳の石室にも
匹敵するスケール。全国では、石舞台、三重県高倉山、岡山県こうもり
山についで4番目、京都府内では最大。昭和52年に国の史跡に指定され
た。
古墳の盛り土が全部取り壊されてしまい、後円部の巨石を用いた横穴
式石室だけが表面に露出している。古墳の外形は、現在は住宅が建って
分からなくなっているが、全長75mと推測されている。
「蛇塚」のいわれは、周囲が竹薮だった江戸時代、竹薮と石室をたく
さんの蛇が出入りしていたので、この名がついたと言われている。
東側から見たところ。
金網が張り巡らされていて普通は入れない。
周りの町内会で管理されていて、きれいに整理されている。
大きな石の間から木が生え出ていたが、なんの木かよく見ていなかった。
反対側から見たところ。
斜面は植栽されており、春にはサツキで華やかに彩られるでしょう。
正面の石碑。
巨大な石がで~んと居座って、石室を見守っているみたいです。
この日は特別に開けていただいて中に入ることが出来ました。
わ~、広い!
でも、入るときは背を半分ほどに縮めてヨイショと入ります。
中へ入ってから入り口を見たところです。
あら? 猫ちゃんが岩の上のほうにいますね。
本当に大きな石ばかり。
どうやって積み上げたんだろうと、こういう古墳を見るたびに
昔の人の知恵と体力に驚くばかりです。