五木寛之さんの著書「とらわれない」を読むと、その中に「公衆電話という言葉もほとんど死語となったのではないか」と書いてある。
確かに、国民の大多数が携帯電話を持つ時代に、公衆電話は維持費用を考えると必要性を考えさせられる物だが、少数派で持たない人がいるのも事実!。
「2台持ち」なんて言葉もあるくらいだし…。
しかし、私は電話に限らず「公衆」という言葉が死語になるような氣がしてます。
電車やバスの中は「公衆」なんだが、まるで自分の部屋と同じ感覚でいる人の多い事…。
公衆感覚の低下は、モラル(公衆道徳)の低下。
この本の中に、笑顔は簡単に出来る「布施」とあるが、公衆道徳もまた、「布施」ではないだろうか?
やって良い事と悪い事の判断力が低下すると、おかしな事件や事故が増えるのは当然。
もっと「公衆」という言葉を普及させてみてはどうだろうか!?。
確かに、国民の大多数が携帯電話を持つ時代に、公衆電話は維持費用を考えると必要性を考えさせられる物だが、少数派で持たない人がいるのも事実!。
「2台持ち」なんて言葉もあるくらいだし…。
しかし、私は電話に限らず「公衆」という言葉が死語になるような氣がしてます。
電車やバスの中は「公衆」なんだが、まるで自分の部屋と同じ感覚でいる人の多い事…。
公衆感覚の低下は、モラル(公衆道徳)の低下。
この本の中に、笑顔は簡単に出来る「布施」とあるが、公衆道徳もまた、「布施」ではないだろうか?
やって良い事と悪い事の判断力が低下すると、おかしな事件や事故が増えるのは当然。
もっと「公衆」という言葉を普及させてみてはどうだろうか!?。