「モゾモゾ」「フワフワ」「じんわり」etc。
日本語は世界の言葉の中で「感覚」を表現する言葉が多いと想います。
それ程感覚が発達してたのでしょう。
しかし、最近は「KY」というような「鈍感」を意味する言葉が生まれる程、感覚が鈍くなる環境が増えてしまったのでしょう。
私がいつも言う「便利」「快適」「飽食」「娯楽」が身近に有り過ぎというのが原因なのでしょうが、それらが有り過ぎる為に「身体の中に意識が向かない」ために、自分との感覚、他人との感覚が鈍くなるのでしょう。
あっち痛いこっち痛いという人が激増しているのも、「自分に意識を向けてよ」と、身体が訴えているのでしょうね。
小田原城址の猿さんは、コミュニケーションばっちりでしたよ❗。