中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
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Vol. 379 郷土の偉人・その(8)

2013年07月15日 11時18分02秒 | 郷土の偉人
   
   台湾に造られた烏山頭水庫 うさんとう・・・と読むのでしょうか。水庫はダムのことかと。

   ダムの設計・監督を勤めたのは日本人技師の「八田與一・はったよいち」さん。

     
   写真は八田與一さん。かれを記念する公園には、銅像が建てられていて、
   亡くなった5月8日には慰霊祭が執り行われ、それは亡くなって70年を経る今も続けられているそうです。
   

   彼は日本でより、寧ろ「台湾」の方でが有名なのかも知れません。
   台湾の教科書で学ばれているそうです。東北大震災の折り多くの義援金が集まったのも
   彼の功績に寄与することが「大」であったと思われます・・・これは個人の感想です。

   八田與一さん。
   石川県河北郡花園村・・・現・金沢市今町出身。
   1886年2月21日~1942年5月8日

   石川県出身の八田與一技師は、明治43年に台湾総督府に着任。
   台湾各地の水利事業に携わった後。ダムの建設に・・・

   烏山頭ダムは、1920年(大正9年)9月の着工から10年の歳月をかけ
   完成されたそうで、水資源に恵まれず、農作物が実らなかった嘉南平野
   の広大な土地が、大穀倉地帯と生まれ変わったとのこと。

   工事に従事される方々とその家族、あわせて二千名近くが暮らせる
   宿舎を完成させ、日本人と台湾人を区別することなく公平な立場で
   工事を指揮監督し、この大工事を完成させたとのこと。

   最初の放水が末端まで到達するのに2日もかかったとも・・・如何に広大な土地が潤ったか・・・
   そしてこのダムは、現在も営々と稼働中の灌漑ダムであるという。
   戦前に作られたダムが、今も稼働していることに彼の偉業を感じませんか!

   実は、今年9月にfb友の原新治郎さんのご紹介で「日台絵画交流展」に出展させて頂くことになりました。。
   今回の訪台は叶いませんが、来年は是非訪台し「八田與一記念館」を訪れたく思っています。

   そんな訳で、故郷の友人「とっちゃん」からお聴きした話しを思い出しまとめてみました。

   偉大な日本人に乾杯です・・・人は一代名は末代!
   
   ↑「記念館」です!

   15歳年下の妻「外代樹・とよき」さんは、帰国命令の出た終戦の年
   水路に身を投げて自らの命を絶ったと言うことです・・・
   彼のいない日本に返る気持ちにはなれなかったのでしょう。

   長くなりました・・・皆様ご訪問ありがとうございました・・・・・・
   
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2 コメント

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Unknown (のんちゃん)
2013-07-15 21:41:25
まだまだ知らない 世界で活躍した日本人
ありがとうございます
こういうお話は
もっと知るべきですよね
こういうお話し! (のんちゃんへ)
2013-07-16 12:18:52
そうよね・・・・もっと知って欲しいお話しよね!

日本でも教科書に取り上げて欲しいわ!

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