『昭和天皇独白録』のなかで、昭和天皇は、「伊勢神宮は、平和の心を調え和らぐ御神である。
そこへ、戦時中は一所懸命、戦勝のお祈りをした。」と語っていらっしゃいます。 にもかかわらず敗北した。
「おそらく平和の神に戦勝を祈ったことが、間違いだったのかもしれない。」と、チラッと漏らされています。
ここで、言い得て妙だと思ったのは、そのあとで、「非科学的な見方ではあるが。」と付け加えておられることです。
いかにも生物科学の研究者でもいらっしゃった、昭和天皇らしいお言葉です。 そしてここに、明治以来の日本の国家運営に関わる基本コンセプトが、鮮烈に表れていると思います。
祭祀は大切で、皇室の存在の核心である。 だからといって、科学的思考や合理主義という価値が、ないがしろにされるような方向には絶対にならない。
これは、信仰に裏づけられた深い合理主義だと思います。
これこそ日本の皇室がもつ、ものすごく強靭な文明装置なのです。
そして国民の側にも、『五箇条の御誓文』以来、あるいは、『終戦の詔書』にもあったような、「日々世界の進運に、遅れず。」、合理的・開明的な姿勢を一本はっきりもつ、という現実への姿勢があり、一方で祭祀を重視し、この国の根幹をたゆまず保持していく心の姿勢があった。
明治以降、日本の近代化が一定のレベルを超えて進んだときも、歴代天皇ご自身はこの二つをしっかりと保持してこられた。
ところが国民のほうが、それらを、「二つながら、保持する。」という大きな大和心を、どこかの時点で失ってしまった。
おそらくは大正ないし昭和の戦前期であり、それが戦後もずっと続いている。 これは誤った近代主義だと思うのです。
この点で、戦前・戦後を通じこの60、70年、「一つのつながりの時代。」といってもよい。
このことが、今日の混迷を生みだしている一因だと思います…。
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