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2015-02-03 07:14:29 | 虐殺されるぞ、日本人

   <通州事件>

  1937年(昭和12年)7月29日。 73年前、北京の西の通州において、数百人の日本人居留民が、『虐殺』されました。 大東亜戦争の一つのきっかけになった、とも言われる、通州事件です。

  通州の日本人居留民は、日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生により、世界の残虐史上、『類例』を見ないほどの、残虐行為を受け、虐殺されました。 

 さらに支那人達は、殺した日本人に対して、一片の同情も、哀れみの心もなく、その屍体までも、いたぶっているのです。

  かけつけた日本軍が、そこで見たものは、言語に絶する『惨状』であったそうです。

 支那人は、南京で、日本軍が、大虐殺を行い、妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、悪逆非道の限りをつくしたと、デッチあげて、日本を非難していますが、通州事件を見ますと、日本軍が行った行為、と言っているのは、つまり、支那人『自身』が行ったことに、他ならないことが、解ります。

  通州事件は、殆どの日本人から、忘れ去られようとしていますが(なぜ、日教組は、教えないのか?)、日本人居留民の無情な殺され方を、そして支那人の持つ残虐性を、私達日本人は、決して、忘れてはいけません。

  東京裁判で、虐殺現場を目撃した、証人の宣誓口供書が、『受理』されており、そこから惨劇の一端を、拾い出してみよう。

  【 当時、天津歩兵隊長で、7月30日午後、通州に急行して、邦人救援に当たった、萱島高証人は、凡(およ)そ、次の如く証言した。

  「旭軒(飲食店)では、40から17~8歳までの女7、8名が、皆強姦され、裸体で、陰部を露出したまま、射殺されており、その中4、5名は、陰部を銃剣で、刺殺されていた。

 商館や役所に残された、日本人男子の死体は、ほとんどすべてが、首に縄をつけて、引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

  まさに、なぶり殺しではないか。

  中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について、通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた、桂鎮雄証人の供述は、次の通り。

  「近水楼入口で、女将らしき人の死体を見た。 足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。

 本人は相当に抵抗したらしく、着物は、寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ、銃剣で突き刺した跡があった、と記憶する。

  陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。

 帳場や配膳室は、足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。 

 女中部屋に、女中らしき日本婦人の、4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。

  折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し、上向きになっていた。 

 帳場配膳室では男1人、女2人が、横倒れ、或(ある)いはうつ伏し、或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣のようだった。

  女2人は、いずれも背部から、銃剣を突き刺されていた。

 階下座敷に、女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に、刺突の跡を見た。

 1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された、素っ裸の死体があった。

  その裏の日本人の家では、親子2人が惨殺されていた。

 子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。

 南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が、路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

  (注)近水楼を襲撃したのは、武装した黒服の学生団と保安隊であった。

 彼らは、女中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して、金品を強奪した後、全員を麻縄で、数珠つなぎにして、銃殺場に引き出し、処刑したのであった。

  その凄惨極まる、処刑場の情況については、当時だれ1人これを、知るものもなかったが、当日近水楼に泊まり合わせた、同盟通信特派員・安藤利男氏が命がけで、銃殺場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を、知ったのであった。

  安藤氏の体験記は「通州の日本人大虐殺」として「文藝春秋」昭和30年8月号に掲載された。

  支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に、救援に赴(おもむ)いた桜井文雄証人によれば、

  「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に、居留民男女の惨殺死体が、横たわっており、一同悲憤の極みに達した。

 「日本人はいないか?」と連呼しながら、各戸毎に調査していくと、『鼻』に牛の如く、『針金』を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された、妊婦等の死体が、そこここの埃箱(ゴミばこ)の中や、壕(ごう)の中から続々出てきた。

  ある飲食店では、一家ことごとく、首と両手を切断され、惨殺されていた。

 婦人という婦人は14、5歳以上は、ことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。

 旭軒では7、8名の女は、全部裸体にされ、強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。

  東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて、それに8番『鉄線』を、「貫き通し。」、一家6人数珠つなぎにして、引き回された形跡、歴然たる死体があった。

 池の水は、血で赤く染まっていたのを、目撃した」

 実に悪鬼も、目をそむける酷(むご)たらしい淫虐(いんぎゃく)の情景が、次々と証言されて行った。

 それは正しく悪獣も及ばぬ、極悪無道の所業であった。

  (注)お決まりの「虐殺方式。」

 上の東京裁判証言に、明らかな如(ごと)く、通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓引き出し、陰部突刺など、支那軍『特有』の猟奇的虐殺が、日本人に対して行われている。 日清戦争以来、「お決まり。」の惨殺パターン、と言ってよい。

  この通州事件の「10年後。」の、1946年2月3日に、中国共産党に占領された、かつての満州国通化省通化市で、中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による、日本人に対する虐殺事件、『通化事件』が、ありました。

  この事件において、日本人約3000人が、虐殺されたといわれています。

 学校でも習っていなかったし、不勉強ながら、つい最近まで、知りませんでした。

  しかし、その犠牲者の数、その残虐性は、上にのべた「通州事件。」より『酷い』、と言われています。

 これ以上は、「気分が、悪くなりました。」ので、詳細は述べません。

  何せ、この事件においては、中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)、そしてソ連軍(ロシア)という日本の近隣諸国の殆どが関わり、虐殺・虐待・強姦から、何でもありなのですから、そのおぞましさは、想像できると思います。

  よく、反日左翼や、似非平和主義者は、「武器を持たなかったら、軍隊がなければ平和だ。 敵が攻めてきたら降伏すればいい、無防備都市宣言をして明け渡したらいい。」などと、とんでもない事を、言いますが…。

  自分達を守る軍隊、治安維持組織を持たない国民、民族、住民が、他国から侵略をうけると、どのようになるのか?、その現実の様を表しています。

  そして、日本の周辺国、中国、韓国、北朝鮮、ロシアといった、特亜関係国とは、どのような『性質』を持った国か、『理解』していないと、この通州事件、通化事件と同様か、更に『酷い』悲劇に見舞われるという事を、認識しないと、いけないのでしょう…。

  オバマ大統領は、このような事態が、尖閣諸島問題も絡めて、中国において、近く、暴動⇒内戦の、大混乱『発生』を予測して、稼働空母の半数(3隻体制)、オスプレイ(米国人1万人の救出)の配備を、急いでいるものと思います。

  飛んで火に入る「中華鍋。」の50万人の日本人が、いるのに、通州事件、通化事件に、眼を背けて(そんな、イヤなことを言うな―平和ボケして)いることは、心配なことでは、あります…。 

  (今回の尖閣・「反日デモ。」をみる限り、今日の中国人は、まさか、「そんな酷いことを、するはずはない。」と考えられましたか? 文化大革命では、2~3000万人が、虐殺された、といいますけれどね…。)

  <添付資料>

  国民が知らない反日の実態 ― 中国の虐殺史3.世界20世紀、虐殺ランキング1位、毛沢東 

   毛沢東は「大躍進政策」、「文化大革命」で 3000万人~8000万の自国民を殺した。

  第2次大戦の犠牲者を、超える可能性もある、世界最悪の虐殺者。 毛沢東による、1万人処刑の「紅軍大粛清」 ....。

                以上

 


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