サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

すごい男の歌

2016年08月19日 21時11分39秒 | 介護日記
私たちは、つどいや施設で見かける認知症の方たちの「すごかった頃」を知らない

つどいなどで見かける姿は、もう車いすを利用されていたり、ときおり機嫌を悪くされて大声を出されたり、ただ、ニコニコと微笑まれていたり。若いころの姿を知らない。必死で働いている姿を知らない。家を一人で守り、子育てを頑張っている姿を知らない。きっとみんな頑張っていたはずだ。輝いていたはずだ

今年になって、もう何人もの方が旅立たれた。

その人たちの輝いていたときの姿を、私は知らない。でも思いは馳せることが出来る。皆さん、一生懸命に生きてこられたんだと思います。

ご冥福を祈ります。

三好鉄生 すごい男の唄

車いすに座り、厳しい視線を投げかけられていた方が、この歌がカラオケで歌われると
「ハ、ドンドン」
と、掛け声をかけられたそうだ。きっと、ご本人も「すごい男」だったんだろう。

Sさん、ご冥福を祈ります。


後悔、仕事を奪ったこと

2016年08月19日 17時43分34秒 | 介護の後悔
認知症になっても、生き生きと今まで通りの生活をされている人は、いっぱいいます。

高齢者の認知症の方も、畑仕事や、裁縫など、長年やってきたものは、結構、体が覚えている。少しくらい間違えても、周りがとやかく言わずに、さらっと流してしまえば、本人にダメージは残りません。

進行が速いと言われる若年の人でも、早くから公表し、周りの適切なサポートを受けている方は、進行が緩やかな気がします。そして何より、その方の「仕事」がきちんとあること、これが大きいと思います。何でもいいんです。これが私の仕事だ、と思えるものがあり、それを続けることが、本人の大きな自信になります。

でも、サキさんの場合は・・・。

家の中でのサキさんの仕事を、私は奪ってしまった、取り上げてしまいました。
台所の仕事、主婦としてのサキさんの職場である台所の仕事。
野菜の皮むき器(ピーラー)を使うたびに指を切っていたサキさん。包丁もだんだん使えなくなってきました。炊飯器の水加減も分からなくなり、研ぐのはサキさん、水の量は私の係になりました。しばらくして、研ぐのも私の仕事のなりました。
洗い物くらいなら出来るよ
サキさんが言ってくれるのですが、断ってしまいました。サキさんが洗うと、どうしても泡のついたまま乾燥機に入れてしまうので・・・。気持ちはわかるのですが、
ありがとうね、でもいいよ、座っとって
私の言い方も、毎日毎日同じ繰り返しの中で、段々ときつい言い方になっていました。
いいから座っといてって、言っとるでしょう、お願いやでじっとしとって
まるで、邪魔者扱いです。サキさんの想いはどうだったでしょう。でも、この時は自分のことで手一杯でした。

洗濯物も、うまいこと干せなくなり、取り込んだ後も、どこに片づけたかわからなくなり、一緒にやるようになり、しばらくして私だけの仕事になりました。

サキさん一人ではできないことが多くなってきました。日々の時間に追われる生活の中では、ゆっくりのんびりやればいいよ、とはならずに、サキさんから仕事を奪う結果になってしまいました。
そのほうが、私一人でやったほうが、早くて楽 だからです。

サキさん一人で出来なくなった時、まだ介護保険は利用していませんでした。この時に、包括さんや、ケアマネさんに相談し、サキさんの仕事へのサポートを頼んでいたら、違った展開になっていたと思います。
買い物のサポート
料理のサポート
洗濯のサポート
そうサポートです。やってもらうのではなく、あくまでもサキさんが行う仕事のサポートです。主体はサキさんです。

でも、今の介護保険制度で出来るのかな。そのころのサキさんは介護認定を受けていたとしたら、おそらく要支援。要介護だとしても、家族のための料理までは認められていない気がします。要介護者本人のための食事提供や、洗濯物の取り込みなどはできても、家族の物はできないはずです。

介護保険がダメなら、それこそお手伝いさん。もしくは若年性認知症の初期の人をサポートして生活を支えるボランティアの皆さん(そんな人いるのかな)に、援助をしてもらえれば、サキさんはまだまだ働けたはずです。自分の仕事だと言えるものを持ち続けられたはずです。

若年性認知症の初期の人の生活を支えるための援助制度。サポート体制。とても重要で大切だと思います

サキさんの仕事を奪ってしまったこと。
サキさんを家の中で、お客さん扱いにしてしまったこと。
サキさんに生きがいを感じさせてあげれなかったこと。

全てを後悔しています