サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

人のために動くこと

2022年04月13日 17時36分12秒 | サキさんとの記憶
 いつも自分のことは後回しだった。
 いつも子供達のことを気にかけていた。
 いつも いつだって。

 そんなサキさん。本当に働き者だったサキさん。

「働」って漢字、人が動くからはたらくって言うんだよって習い覚えた記憶がある。でも本当は「(他)人のために動くこと」が働くっていう漢字の意味なんだとサキさんを見ていると強く思います。

 自分のことはさておき、誰かのために必死になって動き回る人が、本当の働き者なんだと思います。

 喘息、アトピーの息子のためにいろいろ駆けずり回ったサキさん。
 少ない収入の中で、いろいろやりくりしてくれたサキさん。家のローンも早期返済出来た。
 お婆さんの施設を探してお姉さんと走り回ったサキさん。
 私の為に毎朝お弁当を作ってくれたサキさん。

 本当にありがとう。

 思春期の娘のために、いろいろアドバイスや相談にのってやりたかっただろうな。

 サキさんと違って、自分のことしか考えない自己中の私は、もう働けないかな。誰かの力になりたい、誰かのためになりたいとは思っても続かない。すぐにめんどくさくなってしまう。新しい環境にもすんなりと馴染む自信がない。あ~~、いかんいかん。どんどん後ろ向きになってしまう。

 
 何か変えようと思って、まずは痩せようと思ってはみたものの、ついつい安売りのチラシを見ると買ってしまう。そんなダメな私です。

 誰かの力になりたいと思えるまで、まだまだこんなダラダラ生活が続くのかな。
 今度の日曜のサキさんの窓越し面会、3ヶ月ぶりの面会、まっすぐにサキさんの目を見られるかな。

約束

2022年02月06日 14時50分52秒 | サキさんとの記憶
 金曜日に届いた「めぞん一刻」全15巻。その日の夕方から読み始め、昨夜、いや正確には今朝3時過ぎに読みきった。雪も降るといっていたので、一歩も外へ出ずに読んでいた。途中、高梨沙羅さんを祈るように応援した以外は、ずっと読み続けた。

 読み終えて、外を確認すると真っ白。深々と降り続く雪、10センチほど積もっていただろうか。カーポートの屋根の雪が気になったが、何も対策はせずそのまま就寝。朝、雪が気になったのか7時過ぎに起床。早く起きても特に何もすることはないのだけど・・・。雪はそこそこ積もっていた。


 朝食後、また「めぞん一刻」を読み返す。


 最後の14・15巻を何度も、何度も。

 その中に、こんなセリフがある。
「お願い・・・1日でいいから、あたしより長生きして・・・」

 サキさんにも同じことを言われた。
 結婚するときにサキさんとした3つの約束のうちの1つだ。

 私は約束を守れているのかな? 確かに私はまだ生きているけど、サキさんの中の私は、まだ生きているんだろうか? サキさんを一人置いてきぼりにして、どこかに逝ってしまったんではないんだろうか。

 もし、サキさんの中の私が消えてしまったとしても、確かめようは無いから、精一杯、自分なりに出来ることをしてあげよう。自由に面会に行けるようになったら、施設の皆さんにうっとうしがられるくらいいっぱい会いに行こう。サキさんに「誰や、このおっさんは」と思われてもいいから、一瞬でもサキさんに思い出してもらえるように、まだ生きてるって思ってもらえるように。

 早くサキさんに会いたい。
 ギュってしたい。
「ひとりじゃないよ」って伝えたい。

奈良の思い出

2021年11月19日 14時29分18秒 | サキさんとの記憶
 16日、17日の2日間、奈良へ行ってきました。2日間とも晴天に恵まれ、しかも2日目には小谷さんとも初めてお会いすることが出来、とても思い出に残る旅になりました。

 奈良と言えば、30数年前サキさんと初めて出掛けたのも奈良でした。ちょうどその頃開催されていた「シルクロード博」の幕が奈良公園のあちらこちらに張られていたのを思い出します。ベンチに2人座って、サキさん手作りのお弁当を食べました。卵焼きがとても美味しかったのを昨日のことのように思い出されます。

 今から15年前には、家族4人揃って出かけました。


 最後の家族旅行になるのかな? 息子17歳(高2)、娘14歳(中2)、多感で微妙な年ごろの2人。それでも和気あいあいとした楽しい旅行でした。

 でもこの時、サキさんに事件が。東大寺の南大門のところでサキさんだけはぐれてしまったのです。息子に聞いても娘に聞いても分かりません。「あれ、今までここにおったのに・・・」

 サキさんが診断される2年前です。今から思うと、これも前兆だったのかも? さっそく、サキさんに電話をしました。
「サキさん、今どこにおるの?」
『知らん、そんなんわからんがね。鹿のおるとこ。』
「うちらは、今、南大門のとこにおるで。待っとるで来てね」
『南大門ってどこ? わからん(怒)』
「仁王さんのおる大きいもんやがね」
『そんなこと言ったって知らんがね。分からんがね。』

 こんなやりとりがありましたが、しばらくして無事サキさんを発見。そのあとみんなでたこ焼きを食べながら談笑したのを思い出します。



 仏像が好きだったサキさん。京都よりもどちらかというと奈良が好きだったサキさん。初めてのお出かけも迷うことなく奈良に決まりました。その後、2010年の平城京遷都1300年の時にも二人で来ることが出来ました。

 サキさんとの楽しい思い出の詰まった奈良。私の大好きな、仏像界のスーパースター阿修羅像も待っている奈良。また絶対に行きます。

 そして、きのうの18日は、サキさんの大好きな息子の誕生日。奈良の旅行から15年だから、もう32歳だ。早いな。息子が幸せになる事がサキさんにとって一番うれしいことのはずだから、早く幸せになって欲しいな。ま、結婚だけが幸せの基準じゃないから、息子が楽しく幸せに暮らしてくれていたら、それでイイのかな。

 みんなが、今日も笑顔と感謝の気持ちで、明るく楽しく生きていけますように。


サキさんとワンピース

2021年09月03日 17時21分30秒 | サキさんとの記憶
 仕事を終えて帰宅する。
「ただいま」
「お帰り」夕食中のサキさんと子供たちが迎えてくれる。

その時テレビでは、初めて見る【アニメ】がやっていた。
「これ、面白いのよ」

今から二十数年前の話だ。ちょうど自宅を新築中で慣れない借家住まいの時のこと。
「この子がね、強くてかわいいの。ゴムゴムの~~」と言っておどけるサキさん。

 これが、私と「ワンピース」との出会い。それからは毎週、放送日には(たしか当初は土曜日の7時から放映していたような)早めに帰宅し、家族そろってみんなでテレビでワンピースを見るのが恒例になっていった。

 とても楽しい、家族団らんの思い出だ。

 でも、途中からサキさんは話の流れについてこれなくなっていた。長年の放映で多くなりすぎた登場人物を把握できなくなってきていた。ナミさんや、ゾロ、サンジ、ウソップ、チョッパーといった初期のメンバーはもちろん最後の方まで理解していたけど・・・。
「出てくる子、多すぎるわ。わから~~ん。」
そう言って、ちょっと怒ってた。

認知症と診断される、少し前の話です。


そして、今日、そのワンピースの単行本の100巻が発売されました。

舞台は、ワノ国、鬼ヶ島。巻の最初の登場人物の紹介ページは4ページ。たくさんの登場人物と、パッパッと変わる場面展開でスピーディーに話が進んでいきます。

きっとサキさん、これ見たらまた怒ると思います。
「誰れ、これ。味方なの?敵なの? も~~わからん」

節分の思い出

2021年02月02日 18時28分17秒 | サキさんとの記憶
今日は節分らしい。でもピンとこない。

我が家の節分は、いつもサキさん中心で廻っていたから。

サキさんと出会うまでの30年間、ほぼ節分とは無縁でした。西尾(愛知県)の実家では節分だからと言って特に何もありませんでした。豆まきも恵方巻も。そもそも恵方巻自体の風習を聞いたことがありませんでした。

それがサキさんと一緒になってから初めて節分に付き合わされました。

まず、イワシ
何で節分にイワシを食べなければいけないのか、いまだによくわかりませんが、そういうものだとサキさんに言われイヤイヤ食べました。ただ小骨がイヤな私の為にサキさんが身をほぐし、骨を取ってくれました。(子供か!)

次に恵方巻。これはいつからだったんだろう。途中から始まったような気がします。(あまりよく覚えていません)サキさん手作りの恵方巻をみんなで同じ方向を向いて無言で一気に食べきります。でも、いつも途中で私が笑ったり何かしゃべってしまうのでサキさんによくしかられました。

続いて豆まき。サキさんが先頭になって豆をまきます。「鬼は外、福は内」そして私が「ごもっとも、ごもっとも」と言って後に続きます。「ごもっとも」なんて初めてだったので、サキさんにしつこく「そんなの聞いたことない」と文句を言うと、「いいの、こっちはそうなの」と、とりつく島を与えてくれません。

最後に歳の数だけ豆を食べました。40歳までは何とか強引に食べましたが、それ以降は少し数をごまかしながらイヤイヤ食べました。

我が家で節分の行事をしなくなって10年近くになります。サキさんが診断されてからも数年はやってたと思いますが介護保険利用の少し前から行わなくなったと思います。

イワシと豆を食べなくて済むのでやれやれですが、サキさんの威勢の良い豆まきの掛け声と笑い声が、今も耳に残っています。

面会禁止になりませんように

2020年11月25日 22時33分25秒 | サキさんとの記憶
会社の同僚のお母さんの施設が、12月から再び「面会禁止」になるそうです。29日に面会の予約はとってあるそうですが、それが、おそらく今年最後になるだろうと言ってみえました。新年になると、今度はインフルエンザ予防のため面会禁止になるだろうとのことです。(実際、今年の1月から3月まで面会禁止だったそうです。その後はコロナで)いったい何時になったら次回の面会が出来るのだろうと不安がってみえました。

サキさんの次回の面会予定日は、12月13日。たった15分だけだけど、唯一のサキさんと同じ空気を吸える時間。なくならないで欲しい。とても大変な状況は理解していますが、唯一の「励み」の時間です。食事介助ももう半年以上していない。早く、早く、元に戻りたい。元通りじゃなくても、サキさんと直接触れ合える瞬間が欲しい。肩、首、足をマッサージしてあげたい。耳元で歌を歌ってあげたい。アイスクリームを口に運んであげたい。顔にパックもしてあげたい。いろんなことをしてあげたい。サキさんの肌に触れたい。


この前、写真を整理していた時に見つけた昔の写真です、

この頃が、一番楽しかったな。

寒くなると思い出す

2020年11月04日 22時00分24秒 | サキさんとの記憶
朝晩、めっきり寒くなってきた。

寒くなり空気が乾きだすと、乾燥肌のサキさんには辛い季節になる。

「あ~~、カイイ。背中掻いて」 
すると私は、サキさんの背中に「アイシテル」と書く。
「何しとんの、はよ、ちゃんと掻いて」とサキさん。ちょっと切れかけてる。
「ちゃんと、アイシテルって書いとるがね」
「も~~、そんなん今はいいの。はよ、ちゃんと掻いて」
仕方なく、サキさんの背中全体を少し爪を立てながら掻いていく。

今から、もう何年前の事になるんだろう。サキさんが介護保険を使う前だと思うから、8年以上前かな。それまで、毎年のように寒くなってくると繰り返される光景だった。

今は、もう「痒い、背中掻いて」って言えないサキさん。意思表示できないサキさん。「痒いところない?」って聞きながら、背中を掻いてあげることも、今は出来ない。触れることも出来ない。

早く、今まで通りの形に戻れないかな。

そしたら、いっぱい背中掻くでね。ついでに「アイシテル」も書くでね

29年前の記憶

2018年11月18日 23時09分35秒 | サキさんとの記憶
今日は、サキさんの大好きな息子の誕生日。

もう29才になる。

29年前の、木枯らし1号の吹いた寒い日だった。

夕方、陣痛の始まったサキさんを車に乗せ、病院に向かった。
病院の前の細い私道(その病院の私道)で、対向車とのすれ違い。ギリギリですれ違うことができず、あせっていたら対向車にクラクションを思いっきり鳴らされ、さらにあせる。車の左側をフェンスにこすりながらなんとかすれ違った。その時、サキさんの陣痛が詰まったのを覚えている。おなかの中の息子もさぞかしびっくりしたんだろうな。

そして、病院へ。しばらく控室で様子をみることになった。途中、腰が痛いと訴えるサキさんの腰やら背中やらをマッサージ、というか撫でるのだけれど、その都度「ギャー。痛い。もっと、優しくやって」と怒鳴られまくる。

そんな時、隣の控室から、サキさんの声よりはるかに大きなうめき声が。思いっきり責められて悲鳴を上げているような声に、一瞬サキさんも私もピタッと動きを止めてしまうほどだった。「隣で何か変なことでもしとるんやろか」と思ってしまうほどの強烈なうめき声・絶叫だった。サキさんの叫びが可愛らしく聞こえるほどだった。

そして、いよいよ分娩室へ。

病院の待合室で、駆けつけてくれたお姉さんと待っていた。
「おぎゃあ、おギャー」
とても、か弱い声だったのを、はっきりと覚えている。

あれから29年。
長いような短いような。

身体の弱かった息子。
いつも点滴をしていたイメージがある。(サキさんにまかせっきりだったので、はっきりとした記憶出ないところが辛い)
アトピー性の皮膚炎もあった。
これは、だんだんひどくなり、小学校の夏休みの登校日に日傘をさして通ったこともある(そうだ)。
さらには、いじめ。ランドセルに石を詰められたこともあった(ようだ)。

そして、アスペルガー症候群。
軽い学習障害なのだろう。
バイバイと手を振る時の息子の手のひらは、息子自身のほうを向いている。(相手の手のひらが見えるので、自分の手のひらも自分に見えるようにしているのだろう)
「行ってきます」「行ってらっしゃい」も、順番で覚えているので、こちらが先に「行ってきます」と、出かける息子に言うと「行ってらっしゃい」と必ず言ってしまう息子でした。(そんな風に遊ぶでいかんのだけれど、ついつい)

そんな息子。まだ独り身です。
優しい子だから、いいお相手が見つかるといいのですが。
私に似て、少し頼りないので、サキさんのようなしっかりした姉さん女房がみつかると心強いのですが。

寝ずに待っててくれたサキさん

2018年09月14日 22時28分36秒 | サキさんとの記憶
仕事が、とても忙しくなってきた。

中々、定時で上がるのが難しい。

最近は、5時、6時で上がる事が多かったので、少し遅くなるだけで、身体がついていかない状態になる。だったら、帰宅後すぐに寝ればいいのに、それも出来ずダラダラと遅くまで起きてしまうから、余計に次の日がしんどくなる。

若いころは、もっと遅くまで仕事の時もあったし、何とか乗り越えて来られたけど、やっぱり年齢的なものもあるんだろうか。

いや、そればかりではないかも。

以前は、どんなに遅くなっても、サキさんが起きて待っていてくれた

「今日は何時に帰れるか分からないから、先に寝とってね。」と電話をしておいても、サキさんは寝ずに待っていてくれた。すぐにご飯も温めてくれた。サキさんは、いつも
お父さんが遅くまで働いとるのに、私だけ寝る訳にはいかんもん」と、いってくれていた。

ありがたかった。

今は、遅く家に帰っても、真っ暗だ。

ご飯の用意も、お風呂も、選択も、全部、自分でしなくてはいけない。

サキさんが、やっていてくれたことを一人で行う。
サキさんは、私が食事を済ませた後の片づけや洗濯まですべてを済ませてから、私よりも遅く寝るのがつねだった。それなのに、朝は私よりはるかに早くに起きて、朝食や子供たちの用意をしていた。

本当に、できた奥さんだった。

本当に、サキさん、ありがとうね。

元気なころに、もっといっぱい感謝の言葉を言わなければいかんかったね。


2018年05月29日 21時29分45秒 | サキさんとの記憶
昨日、5月28日は娘の26回目の誕生日だった。

と言っても、何もするわけでもなく、当人も夜勤明けでくたくたのはずなのに、少し休んだだけで、すぐに遊びに出かけたみたいです。若いからもつんでしょうが・・・。

そんな娘が小さいころ、サキさんがよく言っていました。
「この子が大きくなるまで、一緒にいられるだろうか。ちゃんと大きく育ってくれるだろうか。消えちゃいそうな気がする」
と、娘が小学校の低学年のころまで言っていました。高学年になってから、安心したのかもう言わなくなりましたが・・。

そんな娘も、サキさんの心配を知ってか知らずか、すくすくと成長し、もう26才になりました。


5年前の成人式の時の写真です。
この時から、5年半。さらに大きく(横にも)成長した娘です。

サキさんが心配したような事にはなりませんでしたが、今のサキさんの頭の中には、娘のことは残っているのでしょうか?

娘の記憶は、消えずに残っているのでしょうか。


雪が積もると

2018年01月25日 20時54分50秒 | サキさんとの記憶
目覚ましが鳴る前に、耳元で声が聞こえる。

「お父さん、雪やよ。早く起きてよ、すごい積もっとるよ。はよせんと、遅刻しちゃうよ。」

目覚ましと同等か、それ以上のけたたましさで起こしてくれるサキさん

雪に少しワクワクしながらも、眠くてぐずる私に
「ほれ、はよ起きて」
容赦なく布団をめくられ、半ば強引に私を起こすサキさん。

窓の外には雪が積もっている。

雪の日はノロノロ運転で渋滞するので、いつもより早めに家を出ます。

慌ただしく朝食を済ませ、外に出ると、雪かきは、もう終わっています。

サキさんは、私よりもうんと早く起きて、とっくに家の前をきれいにしてくれていました。

「お父さん、気をつけてね、行ってらっしゃい」


雪が降ると、雪が積もるといつも、そんな光景が繰り返されました。
たったの、6~7年前までは。

たまには、私も一緒に雪かきしてました。(念のため)

三丁目の夕日

2017年11月24日 21時41分15秒 | サキさんとの記憶
今、テレビで映画「三丁目の夕日'64」をやっている。

サキさんと見に行ったな・・・、2回も。
通常版と、3D版と。

サキさんの大好きな「三丁目の夕日」

主題歌もバンプだし。

64の主題歌は「グッド・ラック」

その中に、こんな歌詞がある。

君がいないことを、寂しさから教えてもらった

本当にそうだ。寂しさがサキさんの存在を私に教えてくれている。

映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」見どころ 感動編


まだ、6年もたっていない。
2012年(平成24年)の1月公開。この年の7月、初めて介護認定を受けた。

まだ、まだ、二人で映画館に行けた。
トイレで中座することもなく、最後まで観れた。

たったの6年前のことだ。

高校の3者懇談

2017年10月30日 20時39分49秒 | サキさんとの記憶
先週の土曜日(選挙の前の日)、岐阜市東部包括支援センターさん主催の「認知症サポーターステップアップ研修」で、サキさんの事や、家族の思いについてお話をさせていただきました。

1時間半、ほとんどノンストップで、半分勢いだけで話してしまった感があります。じっくり準備して、サキさんとの日々をもう少しきちんと振り返っておけばよかったな・・という反省の念でいっぱいです。

今一度、その時のレジメを見ながらサキさんとの日々を振り返ってみようと思います。

平成20年12月が、サキさんの初診日(認知症と診断された日)です。
この時、サキさん52才、夫51才、長男19才(大学1年)、長女16才(高校1年)でした。

娘の高校時代の3者面談、進路相談には、すべて私が行きました。サキさんは留守番でした。

今まで、ほとんど考えたこと無かったけど、この時、サキさんはどんな気持ちで留守番してたのかな?

それまで、ず~~っと家の事、子供たちのことはサキさんにまかせっきりだったので、中学までの懇談はサキさんが出席していました。

今まで当然のようにサキさんの仕事だったのに、それができなくなり、私が仕事を抜け出して(あるいは休んで)出席することにサキさんは悔しかったんじゃないかなと思います。
母親として、娘の進路決定の大事な時期に、相談にのってあげられない自分が、悔しかったと思います。

ましてや、元学校の先生だったサキさん。子供の教育については最後まで見届けたかったんではないでしょうか。

私は本当に身勝手で、サキさんの気持ちを推し測る事なんて全然してなかった。
自分のことで精一杯で、自分のことしか考えず、高校の懇談に行くことを逆に楽しんでいたり(サキさんの気持ちも考えないで)

これから少しずつですが、サキさんの発症時からの様子を振り返っていきます。、

とんでもハップン

2017年09月08日 21時47分37秒 | サキさんとの記憶
今、テレビで物まね番組をやっている。

サキさん、大好きだった。
テレビで見ているのに、録画までしていた。

何も考えずに、みんなで声を出して笑いあえるところに、ちょっとした幸せを感じていたのかな。

物まね番組に、お笑い番組、そして吉本新喜劇。

明るい笑い声に包まれた幸せなひと時だった。

何か言われて、「そんなことないよ、とんでもない」
という時に、決まってサキさん
「とんでもハップン(飛んでも8分)、歩いて10分」

これがサキさんの決まり文句でした。

「何で飛ぶのと、歩くのと2分しか違わんのじゃ」
これが私の決まりのツッコミでした。

太極拳

2017年09月05日 20時38分27秒 | サキさんとの記憶
サキさんが専業主婦だったころの話しです。

子供たちが大きくなり、少し手がはなれて、自由な時間が持てるようになり、サキさんは太極拳を始めました。

週に1回か月に1回か忘れましたが(このあたりが私のいい加減なところ)近くの生協の2階で行われていた講座に申し込みました。
サキさんの性格に会っていたのか、先生との相性が良かったのか、毎回、楽しみに参加していました。太極拳のビデオを借りて、家でも練習をしていたサキさんです。

身体を動かすことが好き(激しいスポーツは苦手かも)で、身体も柔らかいサキさん。太極拳と出会えて、本当に楽しそうでした。

しかし、先生が体調をこわされて講座はお休みになってしまいました。とても残念がっていたのを覚えています。



時期的には。この頃かな。先生の体調が良くて、もっともっと大好きな太極拳が続けられていたら、サキさんの人生も、もう少し変わっていたかもしれません。

介護保険を利用するようになり、デイサービスに行っても
「私、太極拳を習ってたの」
と言って、切れのある動きをするサキさんでした。

もう少し、太極拳を出来たらよかったね。