サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

食事中に寝ちゃったサキさん

2017年04月30日 17時12分52秒 | 今日のサキさん
今日のサキさん、穏やかにベッドで横になっていました。

近くのコンビニで買った、ケーキとコーラを持参しました。



サキさん、大きく目を開けて食べてくれます。口も「大きいで、大きく開けてね」との私の声掛けに、いつもより大きめに口を開けてくれました。

今日は左手も良く動き、頭に届いていました。(かゆかったのかな)そして、今日は右手の親指も少しですが動いていました。(初めてのような気がします)

サキさんの頭をかいてあげました。するとサキさん、次第に目がトロ~~ンとしてきて、目を閉じてしまいました。まるで子供みたいです。うちの子供たちも寝かしつける時、サキさん、いつも頭を優しくかきながら寝かしつけていました。サキさんも一緒です。頭をかいてあげると、気持ちよさそうにトロ~~ンです。

少し寝てから、昼食の時間になりました。ベッドへの移乗の時に目を開けてくれました。(というか、起こされた感じです)でも、不機嫌になることもなく、大きく目を開けたまま、昼食開始です。

でも、途中で、いつもより口の開け方が小さくなってきました。あわてて、薬だけ先に飲んでもらい食事を続けましたが、再び、目がトロ~~ン。
「サキさん、まだご飯の途中だよ。デザート食べてないよ。お父さんが食べちゃうよ」ダメです。完全に別の世界に行っちゃったみたいです。


私が食事介助し始めてから、初めて残してしまいました。スタッフさんの話しでは、ときどき寝て食べれない時があるみたいです。今日は、ケーキでお腹が膨れちゃったのかな。

完全に寝ちゃったサキさんをスタッフさんにお任せし、サキさんのもとを後にしました。


特養さんの玄関の庇に巣が出来かかっていました。ツバメかな。しばらくするとヒナの鳴き声も聞こえるようになるのかな。楽しみです。

京都に行ってきました

2017年04月29日 23時34分47秒 | 私の日記
京都に行ってきました。

第32回国際アルツハイマー病協会国際会議

国立京都国際会館で26日から今日まで開かれていました。そのうち、昨日と今日の二日間参加してきました。


たったの2日間の参加でしたが、様々な方とお話をさせていただきました。

到着した途端のロビーでばったり出会ったり
ポスター展示のところで話し込んだり
たまたま隣に座った方に話しかけられたり
ブログの先輩の「スリブリさん」とも出会えました。

もちろん、26日から参加している岐阜県の皆さんとも。
(でも、すぐに単独行動をしてしまってすみません)


岐阜県の展示ポスターです。

岐阜に帰る電車の中でも、国際会議に参加された方と相席となり話しました。

はじめて、つどいに参加した時には
「サキさんだけじゃないんだ、こんなに近くにもいっぱいいたんだ」
そして、岐阜県の新年交流会に初めて参加した時も
「岐阜県にもこんなにたくさんの仲間がいたんだ」
始めていった家族の会の「全研修会(青森県)」でも、
「日本全国にこんなにたくさんの方がこの病気と闘って頑張っているんだ」
と実感しました。

初めは「私だけ、私達だけ・・」と思っていたものが、日本中に同じ苦しみと闘っている人が人達がいることを知る事が出来ました。そして、国際会議で、「日本だけじゃない、世界中で同じ思いの人たちがいるんだ」と、改めて気付かせていただきました。


今回の感想は、また後ほど詳しく書いてみたいと思います。


要望書

2017年04月26日 22時04分17秒 | 今日のサキさん
今日のサキさんです

お姉さんに食事の介助をまかせっきりで、サキさんの表情を追っていましたが、ずっとこんな感じでした。右目は本当に薄~~く開き、様子はうかがっています。

何か、楽しみがあるといいんですけどね。

今日、施設に要望書(そんな大袈裟なものではなく)を渡しました。

1.家族の介護なしでもサキさんの全ての食事を普通食にしてほしいこと。
2.せかすような食事の介助が気になるスタッフさんがみえること

この2つを書いて、渡してきました。

一度、じっくり時間を取って、話しをしてみたいと思います。

サポーター養成講座

2017年04月25日 22時23分23秒 | 若年認知症のつどい
この前の日曜日、サキさんの面会の後で「アルトひまわり会」に参加しました。

午前中は、出席者が順番に、特にテーマは絞らずに自由に話しました。

最近の様子や、今までの介護で感じたことなど。

その中で、特養さんのお世話になってから、あまりしゃべらなくなってしまったお父さんのお話をされる方がみえました。環境がガラッと変わったからなのでしょうか。

そんな中で、ふと思ったことがあります。

施設でお酒は出ないのかな?

家では、毎晩のように晩酌をされていた方。
私のように、ときどき無性に炭酸(コーラ)を飲みたくなる人。
あま~~いホイップクリームが大好きな人

それまでの暮らしの中で、毎日欠かさずやっていたことや、たまの楽しみの嗜好品。

施設に入ったら・・どうなのかな。

ビールなど、持ち込めば飲ませてもらえるところもあるにはあるようですが・・。

サキさんの特養さんでは、お正月のおとそもなかったような気がします。
お餅や、クリスマスのケーキなどはあったと記憶していますが、アルコールは無かったような。持ち込めばOKしてくれるのかな。サキさんも、たまには炭酸飲みたいかな。濃いお茶か、熱~いコーヒーがいいかな。


そして、午後からは、「認知症サポーター養成講座」を開催してくださいました。
テキストに沿って、説明していただきました。
内容は、すでに十分理解しているつもりでしたが、改めて気付くこともありました。

認知症の人への対応の基本姿勢
1.驚かせない
2.急がせない
3.自尊心を傷つけない


当たり前のことだけど、あれ、サキさんの特養さんでは・・・・

急に大声で「〇〇さん、立ったら危ないがね」
食事の際に「よそ見しないで、ごっくんしてごっくんして」

今度、何かの機会に、施設の方にきちんと話をしようと思います。

最後にオレンジリングをもらいました。
休みの日とかには、きちんと手首に付けて外出しようと思います。(あまりつけている人を見たことがないので、まず自分から身に付けるようにします。いつものリュックには既についていますが)

3回笑い声を

2017年04月23日 18時02分56秒 | 今日のサキさん
朝、9時頃にサキさんの特養さんに面会に行きました。

男性スタッフさんにより、車いすからベッドへの移乗の真っ最中でした。その際、一人のスタッフさんが「濡れている」と気づき、すぐにオムツを交換してもらいました。

部屋の外で待っていると、部屋から「ギャーッ、ギャー」というサキさんの大声が2回聞こえてきました。おむつ交換のための体位変換の際に、痛くて思わず叫んだんだと思います。

数分後、交換が終わりスタッフさんと入れ替わりでサキさんの部屋に入りました。



いつものように目を閉じて、眉間にシワを寄せるサキさんです。

でも、途中、突然サキさんの笑い声が・・・
「ワッハッハ」
確かに笑い声なのですが、笑顔はありません。でも、以前のように「ワッハッハ」と言いながら泣いているわけではなさそうです。きっと笑顔の作り方を忘れてしまったのかな。続けて3回笑い声をあげてくれました。

笑っているところをビデオに撮ろうと構えましたが、そんな時は笑ってくれません。うまいことタイミングが合いませんでしたが、とりあえず今日のサキさんです

2017年4月23日のサキさん


目も開いたので、これまた久しぶりに「かっぱえびせん」を食べてもらいました。いい音をたてて食べてくれましたが、以前ほどの勢いはなさそうでした。(久しぶりだったことや、少し眠かったせいもあるのかな)


あんまり、ゆっくりおれなくってゴメンね。5月の連休はゆっくりと一緒におれると思うでね。
また、外に出てみようね、

そういえば、特養さんの玄関の庇に、ツバメが巣をつくりかけていました。そのうちヒナの声も聞こえるかもしれませんね。楽しみですね。

総会、そして食事介助

2017年04月22日 22時28分40秒 | 今日のサキさん
今日は、認知症の人と家族の会・岐阜県支部の総会が行われました。

朝8時にお姉さんと一緒に家を出て、8時半過ぎ、会場である大垣のソフトピアジャパンに到着しました。10時開始なのですが、お姉さんは会計として受付の仕事とかあるので早めに行きたいということで、早めに出たのですが早く着きすぎてしまいました。

エントランスホールでなんだかんだと話をしているうちに、同じく早めにつきすぎた方たちがつぎつぎ集まってきます。9時になったところでみんなでエレベーターで開場の会議室のある10階に上がりました。(家族の会の皆さんの良いところの一つは、この集まりの良さかも知れません)

10時から予定通り総会が始まり、活動報告、会計報告、そして新年度の役員も決まりました。新しいスタートです。代表も変わり、役員に新しい顔も加わりました。この一年、皆さん頑張って会を盛り上げていってください。よろしくお願いいたします。(あ、私もその新しく加わった役員の一人でした。皆さんの邪魔にならない様に頑張らせていただきます)

そして、昼食をはさんで、午後のテーマ別のつどいです。あった言う間に楽しいおしゃべりの時間は過ぎてしまいました。

そして、3時過ぎに無事、総会は終了。その後、初めての役員会に出席させてもらいました。いろんな議題について皆さんと話し合い、終わった時は5時でした。あわてて、サキさんの特養さんへ向かいました。

今日もサキさんは、目を閉じたままです。普通食の時ぐらい、目を開けてくれないかな?と思うのですが・・、なかなか手ごわいサキさんです。

今日も2回ほど大声がありました。大声を張り上げる、その一瞬だけサキさん目を開きます。今日のサキさんの大声の原因は、たぶん私の歌です。食事中のサキさんの耳元で、いつもの中島みゆきの「誕生」を歌っていたときでした。
突然、ギャッ、ギャー と大声を出しました。
一緒に歌いたかったのか、それとも「その歌は悲しくなるから、やめて・・」だったのか、おそらく後者の方のような気がします。ゴメンね、サキさん。

それでも、今日も完食してくれたサキさん。デザートのバナナもおいしそうに食べてくれました。

食後のサキさんです。写真では、思いのほか穏やかそうに写っていますが・・・。

でも、やっぱり、
ちゃんと目を開けて欲しいな


想像してみた-2

2017年04月21日 22時07分54秒 | 介護日記
昨日のブログで、サキさんの思いを勝手に想像してみました。でもそのサキさんは、病気になってからの性格が少しだけきつく変わってきたサキさんでした。
知り合ってから病気になってしばらく経つまでのサキさんは、決してそんなことを言う人ではありませんでした。

だから、今日はサキさんの元気だったころを思い出しながら、勝手に想像してみました。



「サキさん、お父さんやよ、来たよ」
「ありがとうね。お仕事お疲れさまでした。私なら大丈夫やで、無理して来んでもいいよ」

「サキさん、せっかく来たんやでさ、目を開けてよ。目開けてご飯食べんと、味気ないよ」
「ゴメンね、でもミキサー食やで何か味気ないね。目を開けてちゃんと見たら、逆に悲しくなりそうだから目を閉じて匂いをより感じて食べたいわ」

「サキさん、せっかく(お父さん)来たんやで笑ってよ」
「何にもすることないし、身体は言うこと聞かへんし、やっぱり、悲しくなっちゃうよ。周りのおばあさんたちも知らない人たちばかりだし・・。やっぱり家がいいね」

「サキさん、それじゃまた来るでね、今度は土曜日やで、待っとってね」
「来てくれてありがとうね。お仕事忙しかったら無理して来んでもいいよ。お父さんは私の心配より、家の事を頼むよ。ちゃんと野菜も食べなあかんよ。」

「いつでも施設に入れていいよって言ったのは私やから、気にしんでもいいでね。あんまり楽しくはないけど、ここで頑張っていくでね」

「サキさん、お誕生日おめでとう。61才やね。また、2歳違いになっちゃったね」
「ありがとうね、でも、また一つ年寄になっちゃったね。あ~あ、やだやだ

最後のこの部分は昨日と同じだと思います。

サキさんは、いつも自分は後回しで、私や子供たち優先の人でした。周りの人が幸せな気持ちになれたら、それで私も幸せを感じられるっていう人でした。優しい人でした。いや、優しい人です。

これからも時々、昔(といっても、つい数年前まで)のイメージのサキさんと、勝手に会話を楽しみたいと思っています。そして、面会の時には、想像力をフル稼働させて、サキさんの思いに近付こうと思っています。

想像してみた

2017年04月20日 21時42分19秒 | 介護日記
サキさんは何か言いたそうに、しきりにブツブツとギシギシ(歯ぎしり)を繰り返すことが最近多い。

何を言いたいのか、伝えたいのかわからない。だけど、しきりにブツブツ言っている。

そんなサキさんの思いを、勝手に想像してみた。

「サキさん、お父さんやよ、来たよ」
「遅い、もうどこに行っとったの?心配しとったがね」

「サキさん、せっかく来たんやでさ、目を開けてよ。目開けてご飯食べんと、味気ないよ」
「どうせミキサー食なんやで味気ないわ。すりつぶしてあるから、目を開けてみたって何なのかわっからへんし。目を閉じて匂いだけに集中した方がましやわ」

「サキさん、せっかく(お父さん)来たんやで笑ってよ」
「勝手にこんなところに入れといて、よう言うわ。変なわめくおばあさんばっかりで、いややわ。早よ、家に帰りたい

「サキさん、それじゃまた来るでね、今度は土曜日やで、待っとってね」
「何で、もう帰っちゃうの。さっき来たばっかやがね。また、一人ぼっちになってまうがね」

「私は、いつまでここにおらないかんの? いつになったら楽になれるの? いつになったら、いつになったら」

「サキさん、お誕生日おめでとう。61才やね。また、2歳違いになっちゃったね」
「ありがとうね、でも、また一つ年寄になっちゃったね。あ~あ、やだやだ

愚痴でも、ボヤキでも、同じことの繰り返しでも何でもいい。もう一度、サキさんと話がしたい。たわいのない会話をしたい。
「お父さん、お仕事ご苦労様、これからも頑張ってね」
って、励ましてもらいたい。
もう一度だけでいいから






ケーキでお祝い

2017年04月19日 22時00分13秒 | 今日のサキさん
今日はサキさんの61才の誕生日
お姉さんと一緒に食事介助に行ってきました。お姉さんの差し入れのショートケーキも一緒です。夕食前でしたが、ケーキでお祝いです

2017年4月19日ケーキでお祝い


今日のサキさんはケーキのせいか、大きく目を見開いてくれました。部屋での食事(ケーキが他の利用者さんを刺激するといけないので部屋での食事にしてもらいました)の為か、割と機嫌よくしてくれました。

イチゴを食べた時、2回ほど笑ってくれました。笑顔ではありませんでしたが、確かに笑い声をあげてくれました。



声も良く出してくれたサキさんです。CDに合わせて一緒に歌っているのか、それとも私たちにいろいろ言いたいことでもあるのか、しきりにブツブツ、ギシギシ(歯ぎしり)も繰り返します。

デザートにヤクルトが出ましたが、いつもみたいにトロミは無く、容器のままです。うまく飲めるか不安だったので、ストローを試してみました。すると、上手にストローをで吸ってくれます。お茶や味噌汁も。また、一つサキさんの力が復活した感じです。

サキさん、お誕生日おめでとう
これからもよろしくね

金わら

2017年04月18日 21時49分40秒 | サキさんとの記憶
明日、4月19日はサキさんの61才の誕生日です。

明日は水曜日で、夕食介助の日です。近くのコンビニで何か買っていこうと思います。

サキさんと知り合ってから、結婚してからも、誕生日に何かプレゼントしたという記憶がありません。お互いに。また、そのことをどうこう言うこともありません。

ショートケーキを買って、二人で食べて、そして
「お誕生日、おめでとう。これからもよろしく」
それでおしまい。いたってあっさり。

でも、本当はやっぱり何か欲しかったのかな?どうだったのかな?

サキさんの誕生日が4月。私の誕生日は7月。
この3か月間だけ、歳の差が2歳になってしまいます。
せっかくの金ワラ組(1歳年上の姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ・・と言われるくらい良い組み合わせ・・だとか)なので、この3カ月は早く過ぎてほしかいみたいでした。

「また、2歳違いになっちゃったね」というと
「年寄でゴメンね、年・寄子(とし・よりこ)です」と言い返すサキさんでした。



久しぶりに外へ

2017年04月16日 17時26分56秒 | 今日のサキさん
今日は朝からサキさんの特養に面会に行きました。

明日、4月17日はサキさんと私の結婚記念日。
近くのコンビニで買った、カップ入りのショートケーキとシュークリームでお祝いです。


今日のサキさんは、しっかり目を開けてくれました。時間帯によって違うんですね。夕食介助だけでなく、休みの日は違う時間帯を選んで出かけるようにします。

2017年4月16日のサキさん


ケーキを食べ終わった後、サキさんを外に連れ出しました。満開という訳にはいきませんが、桜の花びらの舞うあたたかな日差しのもと、サキさん気分転換になってくれたでしょうか。


おだやかに目もパッチリ開いていたサキさんです。昼食も完食です。

しかし、突然、大きな声が出ました。合計3回。周りの利用者さんもびっくりするくらいの、それはそれは大きく長~~い叫び声でした。3回とも突然始まりました。それまで穏やかな表情だったのに・・・。



久しぶりの外出がサキさんに良い刺激となってくれたらよいのですが。

これからどんどん暖かくなってきます。サキさんに刺激になるように、出来るだけ外に連れ出そうと思っています。今度は、帽子をかぶって行こうね。

本当は耳をふさぎたい?

2017年04月15日 22時24分07秒 | 今日のサキさん
今日のサキさんもいつもと同じでした。

右目は閉じてはいますが、薄目をあけているようにも見えます。
左目は、力いっぱいギュッと閉じています。まるで、くっついてしまっているようです。

今日もお姉さんとの食事介助です。
食事介助はお姉さんに任せ、私は「にぎやかし」に徹します。

サキさんは、とても耳がいいです。きっと、今も非常によく聞こえていると思います。そんなサキさんにとって、施設で聞く「音」は、きっと私たちの想像以上に騒がしく聞こえていることでしょう。

せわしく声掛けをするスタッフさん。
自分の想いを必死で訴える利用者さん。

以前は食事の際に、クラシック音楽が流れていたのですが・・、最近は音楽はありません。

本当は耳をふさぎたいけど、手は言うことを聞いてくれません。耳をふさぐことのできないサキさんは、耳ではなく目を閉じてしまったのでしょうか?


今日の夕食後のサキさんです。目は閉じっぱなしです。

いつもと変わらず

2017年04月12日 23時07分32秒 | 今日のサキさん
サキさんの特養さんの裏の桜も、雨に耐えて、まだまだいっぱいの花をつけています。


去年は、休みの日に何度かサキさんを車いすで外に連れ出し、桜も見たのですが、今年はタイミングが合わず、(というか休みの日になかなかゆっくりサキさんの面会に行けなかったので)サキさんを外に連れ出せていません。もし今日が休みなら、ゆっくりサキさんと桜を見ることも出来たのですが・・。

今日もお姉さんが一緒に行ってくれました。

最近のサキさんは、いつも全く同じです。
ブツブツと歯ぎしりを繰り返し、目は、右目は薄く開き(気配をうかがうように)左目はギュッと固く閉ざしています。
お姉さんは、ときどきサキさんの口の前でスプーンを止めてしまいます。目をあけないサキさんに、「ちゃんと見て食べないからスプーンの位置がわからないんだよ」と、声を掛け、何とか目を開かせようとしますが・・。

サキさん、何度かほんの一瞬だけ目を開きます。ほんの一瞬。
ほんとは目を開けて、見たくて見たくて仕方ないのに、照れや意地(何の意地かはわかりません)のせいで見るのを我慢しているのでしょうか。とにかく気にはなっているようです。

もっと素直に目を開けてくれればいいのに。

サキさん、今度はちゃんと目を開けて待っててね。

雑草

2017年04月11日 19時20分44秒 | 私の日記
一日中、強めの雨が降り続いています。

満開の桜の花びらに、容赦なく降り注ぎます。

桜の階下に合わせて、庭の雑草も一気に生えてきました。

ついこの間まで寒々としていた庭に、緑が鮮やかに映えています。


最近の雨で、目を見張るほどの勢いで成長しています。

雑草魂

よく言われます。本当に毎年毎年、抜いても抜いても、生えてきます。
除草剤をまいてもまいても、しばらくの間だけ勢いは弱りますが・・すぐに復活。

同じ鮮やかな緑でも、毛嫌いされる「雑草」
緑の芝生や、きれいな草花と変わらない。同じ植物なのに・・。

踏まれても、抜かれても、すぐに復活。

打たれ弱い私とは大違いです


今日は一日休みをもらい、朝は郵便局や銀行に、昼からは家族の会の世話人会に出席。
新年度から、家族の会の活動に、今までよりも少しだけ積極的に関わっていこうと思います。
岐阜地区の世話人の皆さん、これからもよろしくお願い致します。

雑草のように力強く、しっかりと根を張って焦らずに地道に頑張っていこうと思います。
(雑草みたいに嫌われない様にしないと)

思いをつなぐ

2017年04月10日 22時24分18秒 | 私の日記
子供のころから、ちっちゃなころから、ず~~っと気になっていた。

死んだら、どうなっちゃうんだろう

小学校の低学年の頃、母方の祖母が亡くなった。
初めての身近な人の死だった。

でも、おばあさんは、いつも寝たっきりで、布団で寝ているイメージしかなかった。
だから、あまりショックはなかった。
年に数回しか会わないおばあさんだったからなのか、子供だったからか、あまり悲しくもなかった。
親戚のみんなが集まったことがうれしかったのを覚えている。

中学2年の時、父親が亡くなった。
これは、本当にショックだった。ずっと信じられないままだった。

死んだらどうなるんだろう? どこに行っちゃうんだろう?

ず~っと感じていたものを、さらに考えるようになった。死をとても怖く感じるようになった。

父がなくなり、母も、サキさんのお父さんもお母さんも。
そして弘兄ちゃん、兄ちゃん(長兄のこと)

死んだら、身体は火葬され、骨だけになってしまいます。けど、思いは、魂はどうなるんでしょう?
もちろん、きれいになくなってしまうのでしょうが・・。

時間は、ときどきスローモーションのようにゆっくりと流れることがあります。
亡くなった人たちは、そんな時間のゆがみの中で、とどまっているのではないんでしょうか。

最後の最後の時間がゆっくり進み、そして死の瞬間、そこで止まって、そこにとどまり続けている。
そんな気がします。(うまく表現できなくてすみません)

今を生きている私たちは、前を向いて生きていかなくてはなりません。
亡くなった人たちの思いは、私たちの思いの中に残り、私たちが引き継いでいかなくてはなりません。

思いをつなぐこと、意思を継ぐこと、そして継続していくこと。

兄ちゃんの思いは何だったんだろう?
6人兄弟の長男に生まれ、24才で父の後を継いで、町の八百屋さんになる。
やりたい事、いろいろあったのだろうが、一人だけ生涯独身でもあった。
幼い弟たち、老いていく母親を、一人で背負ってくれた。

1周忌が終わり、今度は3回忌がやってくる。
そして、法要も、お墓も、そこまでにする(おそらく)
独身だった兄には、後を継ぐ者がいない。お墓も何十年と管理し続けることは出来ない。

父と母とそして長兄の眠る墓だけど・・仕方ない。

お墓ではなく、それぞれの心の中で眠ってもらいことにします。