サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

元・介護家族

2020年08月26日 21時15分55秒 | 私の日記
6年前、平成26年8月に最初の入院をしたサキさん。

10月に退院したけど、そのまま老健さんに入所。
「最後まで面倒を看ますよ」ホームページには、そのようにうたっていたが翌年の4月に退所。(半ば強引に)

5月のひと月間だけ、在宅介助。もちろん毎日、デイサービスを利用。しかし、叫び続けるサキさんにデイのスタッフさんも悲鳴をあげ「他の利用者さんにも(悪)影響が出ますので。何しろサキさんがとても苦しそうなので入院をすすめます」と言われ、再度、入院することに。在宅での働きながらの介護は、デイサービスの援助なくしては成り立ちません。「二度と入院はさせない」と思っていたのですが、一人ではどうにもできず、サキさんに、再び入院してもらうことになりました。

サキさんの状態は、みるみるうちに生気が吸い取られていくような感じで、叫びこそなくなったものの、しょんぼりと空蝉のよう。

でも息子や甥の姿に、涙を流して感情を表すこともあった。

そして、9月に、現在お世話になっている特養さんに入所。もうすぐ丸5年になろうとしている。

おととしあたりから、サキさんの発語は全くなくなった。
最後に聞いた言葉は、「バカ」「たーけ」だった。それも何か悲しい。その時は笑っていられたが、まさか、それが最後の言葉になるとは・・・。

面会に行くことで、何とか 介護家族 としての立ち位置を確保していた。
でも、面会もままならなくなって・・・。

私は、もう 介護家族、現役の介護家族ではなくなってしまった。
・介護家族

想いを馳せるだけで、何一つできない。関われない。触れ合えない。

やっぱり、元・介護家族

何かしたいと思っても、何もできないし、サキさんのいない生活に、すっかり慣れてしまっている。
やっぱり、何もできなかった 元・介護家族だ。

雲のような優しさでそっとぎゅっと・・・出来なかった

2020年08月19日 21時01分36秒 | 私の日記
お盆休みの最後に、アマゾンでポチっとしてしまった。


自宅にいる時間が増える中、あいみょんに救われた。

娘に「今、あいみょんにはまっている」というと「今? 遅」と言われた。「年を取ると流行りが時間差でやってくるんや」と返す私。

メロディーもいいけど、やっぱり歌詞がいい。

♬「もう離れないで」と 
泣きそうな目で見つめる君を・・・

初めての入院の時の、別れ際、車椅子から振り返ったサキさんの表情と重なる。忘れられない。 切なそうな、やりきれなさそうな、情けなさそうな、不安そうな「一人ぼっちにしないで」と、訴えているような・・・。

♬雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 抱きしめて 離さない

出来なかった。私には出来なかった。入院の時だけでなく、ときおりサキさんが「どこかに(私が)行ってしまいそうだから ぎゅっ てして」と言われたときも、出来なかった。なだめはしたけど・・。

雲のような優しさで、そっとギュッと力強く、抱きしめてあげればよかった・・・な。
でも、出来なかった。

サキさんに会えない夏

2020年08月15日 09時08分39秒 | 私の日記
特別な夏、特別なお盆。

私にとっては、まあ、いつもと変わらない夏。
ただ、サキさんに会えないという事だけが決定的に違っている。

会話は一方通行でも、表情のちょっとした変化で、それなりの思いを伝えあってきた。
目・眉毛のちょっとした動き。眉間にみるみるうちに増えていくシワ。言葉にならない「うめき声」。

サキさんにとっても、もちろん私にとっても大きな刺激だった。日常の様々な感情・傷を和らげてくれていた。リフレッシュさせてもらっていた。

30分でもいい、10分でも。
顔を見て、肌に触れて、同じ空気を吸って。
たったそれだけのことで、少なくとも私の心は癒されてきた。

いつまで続くのでしょうか。きっと、ワクチンが開発されるまで状況は変わらないんでしょうね。



娘のおいていった健康?器具。
時間が余っているので、せっせと利用することにします。

そして、鬼滅の刃と「あいみょん」
私の引きこもり生活の味方です。