6年前、平成26年8月に最初の入院をしたサキさん。
10月に退院したけど、そのまま老健さんに入所。
「最後まで面倒を看ますよ」ホームページには、そのようにうたっていたが翌年の4月に退所。(半ば強引に)
5月のひと月間だけ、在宅介助。もちろん毎日、デイサービスを利用。しかし、叫び続けるサキさんにデイのスタッフさんも悲鳴をあげ「他の利用者さんにも(悪)影響が出ますので。何しろサキさんがとても苦しそうなので入院をすすめます」と言われ、再度、入院することに。在宅での働きながらの介護は、デイサービスの援助なくしては成り立ちません。「二度と入院はさせない」と思っていたのですが、一人ではどうにもできず、サキさんに、再び入院してもらうことになりました。
サキさんの状態は、みるみるうちに生気が吸い取られていくような感じで、叫びこそなくなったものの、しょんぼりと空蝉のよう。
でも息子や甥の姿に、涙を流して感情を表すこともあった。
そして、9月に、現在お世話になっている特養さんに入所。もうすぐ丸5年になろうとしている。
おととしあたりから、サキさんの発語は全くなくなった。
最後に聞いた言葉は、「バカ」「たーけ」だった。それも何か悲しい。その時は笑っていられたが、まさか、それが最後の言葉になるとは・・・。
面会に行くことで、何とか 介護家族 としての立ち位置を確保していた。
でも、面会もままならなくなって・・・。
私は、もう 介護家族、現役の介護家族ではなくなってしまった。
元・介護家族。
想いを馳せるだけで、何一つできない。関われない。触れ合えない。
やっぱり、元・介護家族
何かしたいと思っても、何もできないし、サキさんのいない生活に、すっかり慣れてしまっている。
やっぱり、何もできなかった 元・介護家族だ。
10月に退院したけど、そのまま老健さんに入所。
「最後まで面倒を看ますよ」ホームページには、そのようにうたっていたが翌年の4月に退所。(半ば強引に)
5月のひと月間だけ、在宅介助。もちろん毎日、デイサービスを利用。しかし、叫び続けるサキさんにデイのスタッフさんも悲鳴をあげ「他の利用者さんにも(悪)影響が出ますので。何しろサキさんがとても苦しそうなので入院をすすめます」と言われ、再度、入院することに。在宅での働きながらの介護は、デイサービスの援助なくしては成り立ちません。「二度と入院はさせない」と思っていたのですが、一人ではどうにもできず、サキさんに、再び入院してもらうことになりました。
サキさんの状態は、みるみるうちに生気が吸い取られていくような感じで、叫びこそなくなったものの、しょんぼりと空蝉のよう。
でも息子や甥の姿に、涙を流して感情を表すこともあった。
そして、9月に、現在お世話になっている特養さんに入所。もうすぐ丸5年になろうとしている。
おととしあたりから、サキさんの発語は全くなくなった。
最後に聞いた言葉は、「バカ」「たーけ」だった。それも何か悲しい。その時は笑っていられたが、まさか、それが最後の言葉になるとは・・・。
面会に行くことで、何とか 介護家族 としての立ち位置を確保していた。
でも、面会もままならなくなって・・・。
私は、もう 介護家族、現役の介護家族ではなくなってしまった。
元・介護家族。
想いを馳せるだけで、何一つできない。関われない。触れ合えない。
やっぱり、元・介護家族
何かしたいと思っても、何もできないし、サキさんのいない生活に、すっかり慣れてしまっている。
やっぱり、何もできなかった 元・介護家族だ。