サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

健康診断の結果が

2016年03月31日 22時32分45秒 | 私の日記
先日の健康診断の結果が出た。

去年にき続き「労災二次健康診断対象者リスト」に唯一私の名前が。私だけが再検査に引っかかりました。

総合判定は「D2」前回、前々回はCだから1ランクアップ(喜んでる場合か!)

身体計測は、体格指数(BMI値)と腹囲が引っかかりC判定
聴力、尿検査、血液一般検査は異常なくA判定
血圧判定、糖尿病検査がB判定
そして
脂質検査、肝機能検査がD2判定

脂質検査では中性脂肪はC、LDLコレステロール(悪玉コレステロールだそうです)がD2判定
肝機能検査ではALT(GPT)がD2判定

この一年、やはりカップ麺をはじめとするインスタント物が非常に増えました。
サキさんが2度目の入院をした去年の6月。このブログも始まりましたが、私の食生活も少しずついい加減なものになっていきました。その前もそんなに気を付けていたわけではありませんが、さらに手抜きに

食習慣を変えなければいけないのだろうが、なかなか習慣というものは直りません。ついついカップ麺に手が伸びてしまいます。1週間のうち、そのほとんどが麺料理になってしまいます。
カップ麺、袋麺、スパゲッティ(いつからパスタと呼ぶようになったんだろう)冷凍うどん、冷凍ちゃんぽん麺(最近の冷凍食品はレベルが高い)みんな手軽でそこそこおいしい。なんか手を打たないと。

ちなみに訳の分からない横文字を看護師の娘に伝えると、すらすらと解説をしてくれる。基準値もさらっと。看護師なら常識なのだろうが、それでも、「こいつ、なかなかやるな」とつい思ってしまいました。

川の流れのように

2016年03月30日 22時25分24秒 | 若年認知症のつどい
先日の日曜日(第4日曜日)サキさんの面会の後、「アルトひまわり会」にお姉さんと出席しました。

第3日曜日と第4日曜日が「認知症のつどい」で、自分の自由な時間が無くなることに以前は少なからぬ不満も正直ありました。でも今は全くそんな感情がありません。楽しみで待ち遠しくて仕方ないくらいです。認知症にかかわれる時間が自分の心を満たしてくれている感じです。実際のサキさんの介護から離れ、余裕ができ、客観的に見ることができるようになったからかもしれません。

今回の「アルトひまわり会」は、午前中、Oさんの介護体験、今までの経過を話してもらい、それに付随して各自の感想、思い、現状を話しました。Oさんのお母さんへの感情の変化もよく伝わってきました。みんな様々な、壮絶な体験をしています。そして現在の穏やかな介護者にようやくたどり着いたみたいです。本当は介護真っ只中の時に、そんな感情になりたかったのですが・・。

昼食をはさんで昼からカラオケ大会でした。皆さんとても良い表情で歌ってみえました。Yさん夫妻は仲良く緑のペアルックでご主人も、とても気持ちよさそうにマイクで名司会者ぶりを発揮されました。Mさん、Oさん、Aさん、皆さんよく歌いこまれている様子。Tさん夫妻も二人並んで歌われました。

そして私も「川の流れのように」を歌わせてもらいました。実はこの日カラオケをやることが決まっていたので、みんなで歌えるような、会のテーマソングになるような歌はないかなと探していました。そして「川の流れのように」この歌ならみんなで歌えて、会の雰囲気にも合うかなと内心思っていたところでした。
実際は自分で選曲したわけではなく、たまたま入れたので「澤井さん、歌ってね」という感じで偶然歌うことになった歌でした。歌詞の中に

 地図さえ無い、それもまた人生

というのがあります。私たちの人生に地図はないのですが、でも行き先を示してくれる明かりは見えます。認知症介護という松明をもって道を切り開く先人がいます。真っ暗で、とても不安な道ですが、何も見えないわけではありません。皆さんの経験という道が、知恵、工夫という道が、後悔という涙の道があります。
暗くて孤独な家族の介護という道に入った人たちに、私たちの経験が少しでもこれからの道しるべになれればと思います。

少し話しがそれてしまいましたが
歌はやっぱりいいですね。またみんなで歌いましょう

鼻の奥に今も違和感が

2016年03月29日 21時43分10秒 | 私の日記
昨日の昼食、会社でのお弁当。その中に蕎麦がありました。
ご飯のおかずに蕎麦です。少し変ですが特に気にすることなく、割りばしに少し多めにそばをすくい、勢いよくすすりました。「ズルズルズル~、ズルズル~、うっ」多すぎたのか、変なところに入り思わずむせてしまいました。

鼻の奥に入り込んだような感じ。今も鼻の奥に違和感があります。
食道ではなく気管に入りそうになり、思わずむせ、せき込んで回避。しかし、そのそばが鼻へ逆流。そんな感じです。そのまま気管に入り、そこに菌がいれば、誤嚥性肺炎の引金になるのでしょう。

こんな危険は当然サキさんにもあるのでしょう。今のゼリー状の食事でも。普通食に戻せば、さらに危険は増すのかもしれません。
でも今なら、いや、今しか

食事は大事だし、サキさんにとって今でも食事が唯一の楽しみのような気がします。だって、ほかにすることないもんね。

おやつを上手に食べるサキさんの動画

2016年03月27日 18時08分56秒 | サキさんの動画
朝、お姉さんと一緒にサキさんの面会へ。
9時前に着いて、30分ほどサキさんの部屋で過ごしました。

お姉さんの差し入れのお菓子を、今日も上手に食べるサキさん。ココナッツオイル入りのコーヒーもとろみをつけることなく、これまた上手に飲んでいました

今の食事を1回でもいいので普通食にしたい。私たちの自己責任で面会、食事介助を行える日だけでも良いので普通食にしたい。1品でもいいので。

4月4日に、巡回で見える先生の診察があるそうです。平日ですが、何とか都合をつけて出かけドクターに直接、思いを伝えようと思います。そして、この動画も見てもらい、実際「かっぱえびせん」も先生の前でサキさんに食べてもらおうと思います。

2016年3月27日 おやつ


噛む、まとめる、飲み込む
一連の動作はしっかり出来ていると思うのですが。

ドクターの判断

2016年03月26日 22時29分26秒 | 今日のサキさん
昼食の介助をしに11時30分ごろサキさんの特養に到着。

ちょうど左手のリハビリが終わったところでした。先生ありがとうございました

昼食のため車いすへ移乗させようとしたスタッフのTさん、異臭に気付き、すぐにおむつの交換をしてくれました。サキさん、お尻が気持ち悪いままリハビリしてたのかな?今日はず~~っと機嫌悪そうだったけど、それも影響してたのかな。Tさんにおむつを交換してもらい昼食へ。


機嫌は悪いけど、それでも完食。一度もむせることもなく。途中、三色丼の具が無くなり最後にご飯だけが残った。
「サキさん、配分間違えた。ご飯だけ残ってまった。ゴメンね、ご飯だけ食べて」
ここでやっとサキさんが笑ってくれた(気がする)

食後、またサキさんを外へ連れ出す。今日も雲一つない。先週より風がない分温かく感じられる。
「しまった、サキさんの帽子、忘れた
案の定、眩しそうに眼を細めるサキさん。

施設のすぐ横の小川の堤防に並ぶ3本の木。この木は桜なのかな?にしては咲く気配もない。菜の花はきれいに咲いていた。

施設に戻ると主任のMさんから報告が。
「先日、先生の診察があり、食事の件を相談しましたが、結論はダメということになりました。CTの画像を見る限りとても無理です、危険です と言われました」とのこと。
ドクターが言うなら仕方ないが・・・出来たらドクターに直談判してみたい気もある。次回の診察日を教えてもらおう。そして立ち会わせてもらおう。家族の思いをドクターにも知ってもらおう。それでもダメと言われるなら・・。
仕方ないか。
でもな~、やっぱり食べさせたいな

太ったんじゃない

2016年03月25日 23時01分03秒 | 介護日記
先月のアルトさんのつどいの後で、Oさんに言われた。
太ったんじゃない。顔がま~~るくなったよね

しまった、気付かれていた

そして、この前 会社で健康診断があった。
血液検査や胸部X線はすぐに結果は出ないけど、すぐに結果の出る項目もある。

身長:171.8 cm 変わらず(縮んでなくて良かった)
体重:79.2 kg (去年より 8kg 増えている マズイ
腹囲:94.2 cm (去年はぎりぎりのメタボだったが、今年は余裕でクリア)

だらだらした生活の中でも、ある程度の状態はキープしていたのだが、今年に入って一気に増えた。

実は去年の今頃はダイエットの真っ最中。いい状態だったが、5月にサキさんを在宅で介護し、1カ月でサキさんを再び入院させることになってしまい、私の緊張の糸も切れてしまったようだ。(などと言い訳をしている)

さて、絶頂期に今の私と同じくらいになってしまったサキさんの体重。それが今は
44.8 kg
最初の入院のころ(平成26年8月)がピークで、入院、老健入所で徐々に体重は減っていたのだが、昨年の2度目の入院の際、一時期、口を開いてくれなくなり一気に落ちたようだ。

昨年9月の特養入所の際には 48 kg くらいだったそうだ。

あまり細くなりすぎるのも心配だ。
今のサキさんにとっての理想の体重はわからない。これがベストなのかもしれない。でも足はガリガリだ。筋肉はほとんど無くなってしまったみたいだ。でも最近また足をよくばたつかせている。歩かない(歩けない)サキさんにはいい運動だ。少しずつ筋肉もついてくるといいね。

あさって、今月のアルトさんのつどいがある。きっと言われるだろうな
さらに太ったんじゃない

さあ、私も少しだけダイエットしましょう。



苦手な電話

2016年03月24日 22時16分13秒 | サキさんとの記憶
元気なころは電話大好きだったサキさん
何時間でも話していた。よく手と耳が痛くならないな・・と感心しきりだった。

そんなサキさんも、認知症になってだんだん電話が苦手になってきた。
 電話の相手、内容が覚えていられない
始めはメモをとっていたサキさんも次第に文字が出ずらくなりメモできなくなった。すると電話の内容がわからなくなり、私から電話の内容を問われ、うまく答えられずに徐々にヒステリックになっていくサキさん。

そのうち電話に出なくなった。家の電話が鳴るたびにおびえるようになったサキさん
突然、けたたましく鳴るベルの音が、サキさんを追い詰めているようだった。

私が電話で誰かとしゃべっていることもサキさんには不安だったらしい。電話している間、サキさんはほったらかしにされ(言葉だけの介護になる)孤独感を味わっていたのだろう。だんだんと落ち着きがなくなり、うろうろしだすサキさん。

私もあまり電話は好きではない。
ことらの都合は関係なく、突然けたたましい音をあげる電話。
「電話やでちょっと待っといてね、サキさん。」
って言って、理解して少し待っていてくれるわけもない。

今はメールで要件を伝えられる。こちらの都合で見る時を選べられる。だから私も電話ではなくメールで済ますことが多い。電話はかけるのも苦手だ。どうしても相手の都合を考えてしまう。
 今電話して大丈夫だろうか
 こんな夜分に失礼ではないか
いろいろと気を遣う。やっぱり電話は苦手だ。

初めて車いすで散歩

2016年03月21日 16時37分07秒 | 今日のサキさん
今日は、朝から雲一つない快晴です。風は少し強く肌寒いですが、日向の風の止んだときはポカポカと気持ちいい。
そうだ今日はサキさんを外に連れ出そう
そう決めて、昼食の介助を兼ね昼前にサキさんの特養に到着。

今日はベッドの上で目を開けじ~っとしているサキさん。いつもの無表情なサキさんだった。が、サキさんと私のツーショットの写真を撮り、すぐにできばえを確認したら
お父さんの顔の大きさが、サキさんの3倍ある
と笑いながらサキさんに報告すると、サキさんも表情を崩してくれた。少し、声にも出して笑ってくれた。

以前、「ハッハッ」と苦しそうにしているサキさんのことをブログに載せたが、あれはどうも、何かを伝えたくて必死でしゃべろうとしているのではないか、と感じました。今日、笑った後で同じような感じの声を出していました。しばらくは、よく観察してみようと思います。

昼食には、おはぎが出ました。サキさんはお彼岸には、よくぼたもちを作っていました。ご先祖様へのお供え物、そしてサキさんと子供で食べるために。私は少し苦手なのでいつも食べませんでした。こんなのも、サキさんには嫌な思いをさせていたかもしれません。

さて、昼食も完食。相変わらず無表情です。声掛けにも反応はありません。ひたすら口を開け、モグモグし飲み込みます。おいしかったかな?

昼食後、まだ風は強かったのですが、思い切ってサキさんを外に連れ出しました。外と言っても特養の建物の周りを2周しただけです。それでも外の風に触れ、日差しを浴び、少し刺激的な時間を過ごせたのではないでしょうか。

日差しに眩しそうに右目を細くするサキさん


また、できれば連れ出そうと思います。
もう少し温かくなったら、また外に出かけようね


今一度、署名を

2016年03月20日 22時49分50秒 | 介護日記
朝、サキさんの面会に30分だけ行きました。
サキさんは寝ています。いつもだとすぐに目を開けるのですが今日は反応なし

各務原の「あすなろ絆会」に行くので長くはいられません。寝顔を見ながら、そのままそ~っと特養を後にしました。

今日の「あすなろ絆会」は、まず隣の犬山市にある成田山へ、だいぶ遅い初詣に出かけました。本当は正月に行きたいのですが、すごい人出なので時期をずらして行っています。それでも休日なので結構な人出がありました。

遠くに、木曽川、国宝犬山城も見えます。桜も咲いているものがあります。風は強く少し肌寒かったですが、確実に春はそこまで来ています

初詣、集合写真を撮り終えニッケ各務野苑に戻ります。昼食をとりながらいつもの集いが始まります。今日は連休の為か参加者は少なめ。それでもいつもの仲間に加え、新しい参加者も。パーキンソンからレビー小体型になったそうで、奥さんの手が小刻みに震えています。直接お話はできませんでしたが、他の出席者と熱心に話しこまれていました。

最後にご主人の介護をされているSさんが、こんなことを言って見えました。
35年も厚生年金を払い続けてきたのに、いろんな失敗の責任を取って(あからさまなパワハラにもあってみえた)会社を辞め、その数か月後、国民年金に切り替わってから「認知症」と診断されたため、障害厚生年金をもらえなかったの」と訴えられていました。
こんな身近にも障害厚生年金の受給資格で泣いている人がいたんだ、と改めて思い知らされました。35年も払ってきたのに、払い続けてきたのに・・。来月のつどいに越智さんのやってみえる署名用紙を持っていく約束をしました。

若年認知症で、会社を辞める前に受診して認知症と診断される人がどれだけいるんでしょうか。サキさんはたまたま介護の仕事をしていたので、周りのスタッフからも受診を勧められました。が、介護職以外の人が、物忘れ、ミスを重ねて会社に居続けることは難しいのです。責任感の強い人ならなおさらです。ましてや、50代で自身の認知症を疑う人などいないのではないでしょうか。多くの人が、この受給資格で泣いていることと思います。1日も早い法改正を強く強く願います。
左のリンクで署名用紙をダウンロードできます。越智さんのブログからも、もちろんダウンロードできます。今一度署名活動にご協力お願いいたします。
何とか早急に法律を改正しましょう

無表情で完食

2016年03月19日 18時05分15秒 | 今日のサキさん
朝9時に歯医者へ行き、右上の奥歯(7番)を抜いた
先月、顎関節症を診てもらうために訪れたのだが、痛みがないので顎は様子を見ることに。そして右上の歯と左上の虫歯の治療をすることになった。今日は右の奥歯、来月左の奥歯を治療する。
右上は以前、虫歯の治療をし、かぶせ物をしていたのだが、それが外れたため処置をしてあった。まだ途中のような感じだったが痛みもなく落ち着いていたのでそのままにしてあった。今回、診られた先生が、「虫歯もあるので抜きましょうか」ということで今日、抜くことになりました。
麻酔の注射?(目をつむっているので・・、チクチクと刺激的です)が緊張感を高めます。その後、器具を使って歯を抜かれたようです。以外にあっさりと終わりました。抜いた歯を見せてもらいましたが、根っこは赤く、今まで肉に刺さっていた感じがよく分かりました。先端は真っ黒になっていました。虫歯だったのでしょう。痛みはなかったのですが、やれやれです。今も口の中にガーゼを入れてあります。麻酔が抜けるにつれて痛みも出てきました。しばらく辛抱です。

その後サキさんの特養へ。着くとすぐにリハビリの先生がみえました。左手をゆっくり時間をかけてマッサージしてもらっています。時折、サキさんが頭を持ち上げます。治療が気になるのでしょうか。

今にも自分で起き上がりそうな勢いです。左手もかなり動くようになってきました。ありがとうございます。

昼食は今日も完食しました。今日は大好きな茶碗蒸しもあります。茶碗蒸しは中の具は別ですが、それ以外は本物の茶碗蒸しと同じです。サキさん、おいしかったかな?

サキさんは食事中にあまり表情を変えません。淡々と食べ続けています。おいしそうな表情や、うれしそうな表情もあまり出ません。本当に淡々という表現がぴったりです。食事の内容が変わると、表情も変わるかな?

食後の口腔ケア。私がやっていたときは頑として口を開いてくれなかったサキさんですが、Hさんの手際の良さにもびっくりですが、ちゃんと口を開き、歯の裏側までしっかりと磨いてもらえました。やっぱりプロですね。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします

大器晩成

2016年03月18日 22時47分22秒 | サキさんとの記憶
サキさんと結婚してすぐのころ、よく言われていた。
「お父さんは、どれ(どの占いを)見ても『大器晩成』って書いてあるね」

おじいさんの影響か、姓名判断などで私のことを占うと、『大器晩成』型だって出るそうです。そう言いながら私の耳たぶを引っ張って
大きくなれ、大きくなれ、福耳、福耳
結構耳たぶは大きいほうだったのですが、さらに福耳にしようと力技に出るサキさん

サキさん、元気なうちに福耳になれずに、大器になれずにゴメンね。

でも、『大器晩成』って本当は、本来は少し違った意味らしいよ、サキさん。

確か、中国の「荘子」に出てくる話で、『大きすぎる器は、完成させるのが難しい。完成しない』っていう意味らしいよ。このまま完成せずに終わっても許してね。

耳たぶは自分で引っ張り続けるでね。「福耳、福耳」って言いながら

リロケーションダメージ

2016年03月17日 22時18分52秒 | 私の日記
介護職員初任者研修で習った言葉です。
リロケーションダメージ

環境が変わることで混乱したり、分からなくなったりして受けるダメージのことだそうです。住み慣れた家を引っ越したり、入院したりで大きく生活環境が変わることが、認知症の人を混乱させます。今まで右側に置いてあったものが左側になっただけで混乱することもあります。サキさんにももちろんありました。
平成25年の1月から階段が危なくなってきたので1階で寝起きするようになりました。
同年の2月からベッドを利用(それまでは床に布団を敷いていました)
同年の5月、初めてショートステイを利用しました。これがサキさんにとっては最も大きなリロケーションダメージだったと思います。ここからサキさんは抗精神役を服用するようになりました。そして・・・・。

このリロケーションダメージは認知症の人の話だと思っていましたが、私たち(特に私)にとっても身近な問題です。

ガラケーからスマホに変わった。(未だに電話の出方、切り方がよく分からない。)
そして、ついこの間、先週の日曜日。私がブログを更新しようと悩みながら文章を書いていると、写真の貼り付けがうまくいかなくなり、そして突然、
再起動します。WINDOWS10へ勝手にアップデイトしようとしているではありませんか。たぶん出てきたメッセージをろくに見ずにOKボタンを押してしまったのでしょう。そして今 WINDOWS7 から WINDOWS10に変わってしまいました。自分の意志とは関係なく環境を変えられてしまいました。サキさんと同じです。自分の意志とは関係なくショートステイに入れられたサキさん。自分の意志と関係なくWINDOWS10になってしまった私。全然慣れません。違和感の塊です。

スマホもWINDOWS10も、より便利になったはずなんでしょうが。今までの慣れ親しんだものがいいです。古くても多少動きが悪くても、安心できるもの、ほっと出来るものはいっぱいあります。

進化、変化についていけない人もいっぱいいます(認知症でなくても)ただ、これで認知症の人の気持ちが少しだけわかったような気もします。

サキさんの食事

2016年03月16日 22時45分26秒 | 今日のサキさん
今日は平日ですが、サキさんの特養へお姉さんと行ってきました。
特養の責任者のKさんがどうしても直接お姉さんに伝えたいということだったので、休みのお姉さんに急だけど一緒に行ってもらいました。Kさんは電話中だったので、まずサキさんのもとへ。

夕食前だったのでサキさんはホールにいました。今日もサキさんは穏やかで、私やお姉さんのたわいのない会話に反応して笑ってくれます。元気だったころの家でのギャグに顔をくしゃくしゃにして応えてくれます。
「サキさん、かい~の?(かゆいの)かい~の?、あ~かい、あ~かい、赤いトラクター(小林旭風に)」
今日はいっぱいいっぱい笑ってくれました。笑いすぎて食べづらくなるほどに。ありがとうね。食事も完食。そしてサキさんと別れてKさんとの話し合いに向かいました。

しきりにリスクを説明するKさん。お姉さんも多少のリスクは覚悟の上だと、心づもりを話してくれます。結果、
*ドクターの診断を待って結論を出す
*もしOKが出たら、水曜日の夕食で普通食を試す。私が仕事帰りに特養によります。お姉さんがもし休みならお姉さんもさそって。私たちの手で介助し、様子を伝えていきます。

リスクは承知です。もしかしたら今のままがよいのかもしれませんし、サキさんは今の食事に満足なのかもしれません。サキさんの思いはわかりません。ひょっとすると私たちのおせっかいなのかもしれませんが、食べることのできるうちは、飲み込むことのできるうちは、何とか時間をかけて好きなものを、そのままのものを食べてほしいのです。

今の食事でも誤嚥のリスクがあります、普通食に変えてももちろんありますし、その確率は上がるかもしれません。先生がもしダメだと言われたらその時は従うしかありません。その時は面会のたびに何か差し入れしましょう。

お姉さんが「ハンバーグ」を差し入れて食べさせたことがあると伝えるとKさん、同席していたMさん、目を丸くしていました。「できれば面会に来た時に差し入れの食べ物をおしえてください。」とのことでした。

先ず隗より始めよ

2016年03月15日 22時27分32秒 | 私の日記
中国の故事です。
「先ず隗(かい)より始めよ」

春秋戦国時代の中国の、まだ秦の始皇帝が中国を統一する前の話。各地に小国が乱立し、世はまさに群雄割拠の時代です。その中の一つ、燕の国(今の北京のあたりにあった国)でのお話しです。
時は戦国時代、各国は富国強兵に努め、国力を高めようと必死です。燕の国の王様も同じ。先ず有能な人材を求めようとしますが中々人材が集まりません。そこで優秀な人材を集める方法を家臣の郭隗(かくかい)に相談します。すると郭隗は、
「優秀な人材を集めるには、待遇をよくして広く人材を集める必要があります。そこで、先ず隗(私)より始めよ」と王に告げます。
「私のような才能のない人間まで圧遇されれば、私よりはるかに有能な人間が、『郭隗でさえあのように優遇されているのだからもっと才能のある私ならなおのこと優遇されるはずだ』と必ず集まってくるでしょう
早速、燕の国王が郭隗を優遇すると各地より、優秀な人材がぞくぞく燕に集まったそうです。

先ず身近なところから、手の届くところから始めてみる。言い出した人から始める・・というような意味です。
町内の総会で時間をもらい「サキさんのこと、認知症のこと」を話させてもらいました。私としては「先ず、隗より始めよ」という思いで話をさせてもらいました。

私が今できることは何だろう、と考えたとき町内の総会で「認知症」について話をしたいと思いました。今すぐにできることです。そしてできました。
こうなったらいいな、とか、こんな風にならないかな、と思うことがいっぱいありますが、いつも思うだけで行動には移せませんでした。自分から動くことはありませんでした。でも身近なところでやれることはいろいろありそうです。

周りの動きを働きを期待する前に
先ず、自分のできることをやってみよう
そんな風に思っています

町内の総会で

2016年03月14日 23時05分26秒 | 私の日記
昨夜、町内の総会がありました。
班長をしている私、長かった1年がやっと終わります。

総会では、司会をつとめました。昔は結構ドキドキして声が震えたのが自分でもわかったのですが、最近あまり緊張せずにみなさんの前で話すことができます。これもいろんなところでお話をさせてもらう機会が増えたからでしょうか。度胸がついたのでしょうか。もともと目立ちたがり屋だったのかも(人見知りであり、1対1は今でも苦手ですが)

総会の中で10分ほど時間をもらい話をさせてもらいました。
1.認知症に家族がなっても一人で抱え込まずに、包括や家族の会などがあるので相談し、孤立しないように
2.サキさんのことをもっと早く、町内の皆さんにお伝えしておけばよかったという思い。そうすれば皆さんに温かく見守っていただけたのではないか。
3.認知症について理解を。むやみに怖がらずに

限られた時間なので(早く乾杯を・・というプレッシャーを受けながら)かいつまんでの話になりましたが、本当にもっと早くサキさんの状態を町内の方に知っていただいていたら、サキさんも住み慣れた町で、もっともっと楽しく暮らせたのではと思います。
できればもっと時間をもらってお話をしたかったですが、これがきっかけになって、町内の皆さんが認知症について関心を持ってもらえたらうれしいです。