サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

最初の入院(その2)

2016年08月05日 22時05分50秒 | 介護の後悔
2年前のサキさんの入院はいわゆる
医療保護入院
でした。サキさん本人が入院を求めたわけでもなく、サキさんが入院に同意したわけでもなく、サキさんの扶養者である私の求めによって入院ということになったわけです。

サキさんは今まで通り、家で暮らしたかったはずです。
でも、私がもう耐えられないところまで来ていました。
寝不足、睡眠不足が一番つらいことでした。
数時間おきにトイレを訴えます。一人では行けなくなっていたので、ついていかなくてはいけません。7月ごろからはトイレに連れていくこと自体も大変な労力になっていました。車いす代わりに、ローラーの付いた椅子を使ったこともありました。(これは結構使えました)
そして、昼夜が逆転していたのかどうか、夜中に私に叫んできます。
「何で寝とるの?いつまで寝とるの。はよ起きて仕事に行かな!何でそんな人になっちゃったの。なんでそんなクズになっちゃったの」
布団を頭からかぶって聞こえないふりをしますが、そんなものでサキさんのしゃべりは止まりません。サキさんも昼間はデイサービスに言っているので夜は眠いはずなのに、一向にサキさんの勢いは衰えません。一時間ほどのサキさんの口撃が続き、一時間ほど静かになり、また、トイレの訴えから再び口撃が再開されます。

医師に睡眠薬も処方してもらいましたが、あまり聞かなかったみたいです。効きすぎるのも怖いので(また体の自由が奪われるので)弱めのものにしてもらっていたので、余計に効きが悪かったのかも知れません。

私の睡眠不足と、デイサービスでのサキさんの興奮状態と、家でのサキさんの荒れた様子で、サキさんの入院を知り合いに相談しました。サキさんの体、状態を案じて・・・というよりは、私の介護の限界、介護の一時避難的な要素の強い医療保護入院となりました。

完全に私の都合による入院です。
私が入院させない、という強い意志があればサキさんは入院しなくても済んだわけです。

そうしていれば、おむつや、常時車いすをすぐに使用することもなかったと思います。入院するまでは普通のパンツにパッドを入れただけでした。しかも20ccの一番少なめのやつ。それで十分だったのに。
病院では、介護まで手が回らないのかも知れませんが、紙おむつが常態化されました。病院側は、そのほうが楽ですもんね。ほっとけばいいんですもんね。50歳代で紙おむつにさせられたサキさん。悲しかっただろうね。入院の時、先生に言われた。
「それで、あなたは何を望んでるの。おとなしくなればいいんでしょう
本当に何を望んで入院させたんでしょう。ただ、一度サキさんと離れてゆっくりしたかったのかもしれません。
つまり、私の保護のためのサキさんの入院だったのでしょう。

もっとほかの道はなかったのかな。ほかの方法はなかったのかな。やっぱり悔いが残ります。

入院するサキさんを残して病院を後にするときの変な罪悪感は、一生忘れないでしょう。

暑い、疲れた、コーラがうまい

2016年08月05日 21時09分16秒 | 私の日記
今日も暑かった。おまけに今日は雲もない。さえぎることのない日差しが直に攻めてくる。
たった2時間の外での仕事だったが、思いっきり疲れた。日差しを浴びるだけで、疲労感が蓄積されていく。
明日も引き続き出荷がある。また、外での仕事が待っている。ちょっと辛いな。眼も焼ける。そのせいか非常に眼がひりひりしている。ま、明日も頑張りましょう。まだまだ、働けることに感謝しながら。

こんなに暑い日には、私の家ではコーラの2リットルサイズを、家族4人で飲むのが常でした。たまにキリンレモンやCCレモン、などのほかの種類の炭酸になることもあります。(スーパーの安売りの結果次第です)
お風呂上りにみんなで飲む炭酸は、それこそ一家団らんのひと時でした。2階で必死でゲームをやっている息子も
ジュース飲むかね?
って声を掛けると、階段を勢いよく駆け下ってくる。そして、2・3杯一気に飲み干すとさっさとゲームに戻っていく。でもその数分で、いろんな話もできる。顔も合わせられる。
サキさんだけ、時々ビールということもあった。私が全く飲まないので、ちょっと寂しそうだ。でもおいしそうにビールを飲み干すサキさん。
みんなで揃って飲むジュース(炭酸)が、我が家の夏のささやかな楽しみだったね

今は、一人で炭酸を飲んでいます。時々娘が私のコーラを勝手に飲んでしまいますが・・・。

オリンピックがいよいよ始まります。
今回もコーラを飲みながら、テレビとにらめっこしそうです