サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

井上真央さんも好きだったサキさん

2015年07月31日 23時01分41秒 | サキさんとの記憶
テレビで映画「永遠のゼロ」をやっていた。見ていて思い出したことがある。サキさんは、井上真央さんが大好きだったこと。まだ、井上真央さんが小さいころCBCテレビの「キッズウォー」に出ていた時からのファンだ。小さな真央さんの切れの良い啖呵に、胸のすく思いだったのかもしれない。そして「花より男子(だんご)」も毎週欠かさずに見ていた。演技もうまかったし、やはり歯切れの良いセリフに、心がスカッとしていたのかも。
 サキさん、「のだめカンタービレ」も好きだったな。アニメのやつも。そして実写の上野樹里さんも好きだった。これもよく見ていたな。病気になってからは、「花より男子」と「のだめ」を、借りてきては、よく見ていたな。

 そして、「永遠のゼロ」。これは見に行けなかったが、サキさんも見たらきっと好きな部類に入る映画だと思う。監督も、サキさんの好きな「三丁目の夕日」シリーズの山崎貴監督だし。岡田准一演じる主人公の名前が「宮部九蔵」でした。なぜ「九」なのか? ふと思いました。これは憲法九条の「九」なんだと。戦争映画だけど、反戦の映画だと。平和について考える映画だと。

8月1日:追記
すみません。主人公の名前は「宮部久蔵」でした。九蔵では有りませんでした。でも私には、「久蔵」→「九蔵」→「九条」に聴こえてしまいました。今一度、こんな時代、時勢だから、憲法9条について考えてみたいです。

洗濯物が・・・

2015年07月30日 22時27分32秒 | 私の日記
 今日は、洗濯物を外に干してから仕事に出かけた。4月から娘が働き出したので、平日の昼間は家に誰もいないことが多い。洗濯物を外に干すには少し勇気がいる。サキさんが洗濯をしていた時も同じだ。夕方の6時40分ごろから各局の天気予報を順番に見ていた。名古屋テレビ(現メ~テレ)そして東海テレビ、すぐにCBCテレビ、最後50分過ぎからNHKへ。さらに、8時55分過ぎのNHK。9時40分すぎのNHKニュース9の天気予報。最後は、ニュースステーションからNHKの11時前のローカル天気予報まで。しっかりと明日の天気を確認する。
 今日もすべての予報は晴れ。「洗濯物はよく乾くでしょう」ということだったので。昼休みに取り込むつもりで外に干しました。仕事中に突然、バシャバシャ っと、すごい雨音が聞こえてきました。にわか雨(にしては激しすぎる雨)です。もう少しで昼休みなのに、11時50分過ぎでした。12時にあわてて家に帰りました(会社から車で15分くらいです)が、洗濯物はびしょびしょでした。カーテンレールにかけておきましたが、下にしたたり落ちています。
 サキさんにおんぶにだっこの頃は、家事のすべてはサキさんにまかせっきり。洗濯物の心配なんて、これっぽっちもしたことありませんでした。サキさんも働いていたころは、こんなドキドキで洗濯物を外に干していたのでしょう。天気予報も気になるはずですよね
 私は。もう、しばらく洗濯物は外に干しません。(休みの日だけにします)

 夜、仕事が終わって帰宅、生乾きの洗濯物を乾燥機へ。そして、エアコンをつけ、IHヒーターを2つつけ、さらにレンジで冷凍のお好み焼きを温めていたら・・・・ブレーカーが飛んでしまいました。電気をいっぺんに使いすぎなのでしょうか?オール電化なのだからこのぐらい使うと思うけど・・・。
何か、サイテーな一日でした
 

7月の「アルトひまわり会」と今日のサキさん

2015年07月26日 20時58分00秒 | 若年認知症のつどい
 今日は7月の「アルトひまわり会」の日。1か月ぶりに皆さんに会えるのが楽しみだ。10時過ぎ、岐阜病院にサキさんを迎えに行く。ベッドで休んでいたみたいで、途中で起こされ、機嫌が悪そうだ。私の顔を見ても反応はほとんどない。ずうーっと、哲学者みたいに固い表情だ。声を出すでもなく、うつむいたまま。
 11時少し前に、アルト介護センターに到着。ひまわり会は、始まって2年と少し。当初は、要介護度の低かった人たちも、当時からのメンバーはだいぶ、介護度が上がっている。サキさんは1から5に、ほかの方も2から5になっていたり。今日のサキさんは、アルトさんでも、表情は厳しいまま。

昼食(近くのお弁当屋さんの親子丼)も、4分の1くらいしか食べれない。口があまり開かなくなった。スプーンを口に持って行っても、ほんの少ししか口が開かず、スプーンにすくった半分も口に入らない。そのせいか、体も(特に足が)細くなった。少し不安だ。
 サキさんは、水頭症ではなかったが、Gさんは、水頭症もあるとのこと。8月に2泊3日で入院し、脊髄液を30cc抜いて症状の改善の状況を看るという。うまくいって、症状が少しでも改善することを願います。もう一人、ひまわり会のリーダー的なMさんは、家族会議を開き「胃ろう」の決断をされた。みんな、次第に次の段階に進んでいる。サキさんもこのまま食が細くなると心配だ。嚥下機能は今のところ大丈夫だが・・・。
 サキさんは、生きようとする意欲が薄れてきていないか?心配だ。今までは食欲は大いにあったのに。感情の変化もあったのに。今日のサキさんは・・・。1年位前、サキさんはよく言っていた。
いつまで生きとらないかんの!疲れた。」
その時はギュッとハグして、「疲れたからもう寝ようか」と言ってあげられたが、今は励ますこともできない。やはり早く退院して、しっかりと介護してくれる場所に移った方が良いのだろう。

昨日、長良川で花火大会があった。サキさんも音は聞こえたかな。(耳はとてもいいもんね)

停車中の車間距離

2015年07月24日 22時21分54秒 | 私の日記
 最近、特に車の運転中に感じること。
信号待ちなどで停車している時の、車の車間距離が、
異常に長すぎる。≫
その間に、もう1・2台入れるぞ!!


右折レーンに入りたいのだが、なかなか右折レーンに入れない。数台しか前にはいないはずなのだが。車間距離の異常さのおかげで、右折レーンまでたどりつけないのだ

そして、そんな停車中の車間距離の長い人たちに限って、走行中の車間距離は短かったりする。前の車を追い立てたりする。なぜだろう。いつからこんなに停車中の車間距離が長くなったのだろう。

走行中の車間距離は、ゆとりをもって
停車中の車間距離は、間隔を詰めて


車を運転される方。一度よく見てください。とても長い車間距離で止まっている車が、きっといるはずです。それが、あなたの車でないことを願います。


サキさんの運転(その3)あわや逆走

2015年07月22日 20時52分09秒 | サキさんとの記憶
 認知症になってからのサキさんの運転は、たぶんとても慎重になっていたと思います。職場から戻ってくると、「また今日もクラクションいっぱい鳴らされた。」と、すこし参った様子で話します。サキさんが認知症になってからの主な運転での出来事は
 ①あわや逆走しそうになったこと
 ②職場からの帰り道に迷い、帰ってこれなくなったこと
 ③買ったばかりの新車のドアミラーが、すぐに壊れたこと

いずれも、大事には至らずにすみました。しかし、一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれません。今回は、①あわや逆走しそうになったことを振り返ります。

 職場から健康診断を受けてこい、ということで、普段とは違うところに行かなければならなくなったサキさん。初めての場所に一人で運転していくことは難しくなっていたので、私を助手席に乗せて(久しぶり)健康診断の行われる場所に行きました。行きは、何とか順調に行けましたが、帰り道にちょっとしたトラブルが。

岐阜市の中心部に、うぐいす谷トンネルがあります。このトンネルはトンネル内は1車線で、すれ違うことができません。1車線のトンネルが2本、並んでいます。進行方向の左側のトンネルに入らなければなりません。しかし、南から北へ向かう道は、そのまままっすぐに進むと、右側のトンネルに入ってしまいます。大きく左に曲がって左のトンネルに入らなければなりません。が、サキさんはまっすぐに進もうとしていました。
サキさん、左
と、とっさに助手席から手を伸ばし、ハンドルを切りました。サキさんはパニックになりかけていましたが、
「そんなこと知らんがね」と、必死で<私のせいじゃないアピール>をしていました。
無事にトンネルを抜けてからは、「あっぶなかったねー」と顔をみあわせました。

 もし、サキさんが一人で乗っていたらと思うと、ゾッとします。サキさんも同じ思いだったでしょう。とても怖かったと思います。それでもサキさんは、健康診断には、ちゃんと一人で行けました。きっと、誰かが見守っていてくれたんだと思います。

 その後も、もうしばらく、サキさんの運転は続きます。

仕事に優劣があるのかな

2015年07月20日 21時19分56秒 | 今日のサキさん
 今日は、朝から特養を巡ろうと張り切っていたのだが、結局、2か所の訪問に終わった。朝に訪問した特養さんは、ユニット型で、個室も広く、また周りの環境もとても良いところでした。休日なので相談員の方は見えなかったけれど、それでも施設を案内していただきました。ありがとうございました。でも、欲を言えば、休日にも相談の対応をお願いできませんか?休日しか動けない人もいっぱいいます。特に私達のような「若年認知症」の場合は、介護者のほとんどが仕事を持っています。なんとかならないものでしょうか
 特養や、老健、ショートの場合は、土・日・祝日もやってみえるので、最低限の見学はさせてもらえます。でも、病院や、役所は、そうはいきません。また近いうちに病院のカンファレンスが開かれるはずですが、先生の都合が最優先で間違っても休日に行われることはありません。先生は、勤務の時間が決まっているからでしょうが、こっちだって
仕事中じゃ!!仕事抜けて行っとるんじゃ!
医者の方が、都合をつけることは絶対にないんだろうな。仕事で、時間外の勤務や、残業を強いられる職業はいっぱいあるのに、医者や、役所の窓口や、銀行はほとんどない。(岐阜県の地元の大垣共立銀行は365日対応の店舗が岐阜県庁の前にある)仕事に優劣はないって、子供に教えた記憶もあるが、本当にそうかな。こっちは、仕事を抜けて、給料を引かれて、カンファレンスへ。先生(医者)は、自分の都合の良い時間(もちろん勤務時間中)にカンファレンス。
本当に何とかならないかな。たまには、私の都合に合わせてくれないかな

 午前中にサキさんの面会にも行ってきた。

今日も、反応は薄かったが、中島みゆきの歌に、涙していた。認知症の人と家族の会の以前の標語に「忘れても心は生きてる認知症」というのがある。本当に心は生きている。これからも刺激を与えて、いっぱい泣いてもらおう。(本当は笑顔がみたい

 昼から訪問した特養さんは、ケアリーダーの男性が丁寧に対応してくれた。帰り際にこんな質問をしてみた。「男性の介護員が、女性の入浴介助をすることはありますか?」答えは「あります」だった。しかし、介護者の方も少し心を痛めているようで、以前60代の女性を、50代の男性スタッフが介助した際に、拒否反応があったらしい。実際の仕事上やむを得ない面もあると思います。心を痛めてくださっただけでも、うれしいです

7月の「あすなろ絆会」と今日のサキさん

2015年07月19日 21時27分56秒 | 若年認知症のつどい
 今日は、第3日曜日。岐阜県各務原市のニッケかかみの苑さんで、若年性認知症の本人と家族の会「あすなろ絆会」の行われる日です。お姉さんも久々に出席するということで、その前にまず、サキさんの面会の二人で行った来ました。

今日のサキさんは寝起きです。少し、機嫌が悪そうな、怒った顔をはじめはしていました。私のことは理解しているかどうか微妙です。あまり反応はありません。すこし目で追ってくれるだけです。お姉さんのことは理解できているのかな?どちらにしても、ぼつぼつ病院から出してあげたいです。早く、落ち着いて過ごせる≪終いのすみか≫を探してあげたいです。探してあげなくては・・・

 そこから、各務原のニッケさんへ。今日で「あすなろ絆会」は、ちょうど丸4年。今日が48回目。私がサキさんと初めて参加してからも、ちょうど丸3年になります。3年前の平成24年8月に初めて参加した時の写真が、プロフィールの写真です。唄も一緒に歌えたし、会話も、冗談も、もちろん食事も、トイレも介助なしで一人で問題なくできていました。あれから丸3年で、全介助、車いすの要介護5になってしまいました。(去年の夏からだから、丸2年でここまできてしまったことになる)一緒に歌った頃が、本当に懐かしい


 どんどん、新しい仲間も増えている。今日は、本当にたくさんの人が集まった。盛大になっていく。が、みんな症状が進んでいく。私たちのように初めは夫婦で参加していた人たちが、次第に、介護者だけになっていってる.施設に入所したり、入院したりで、本人はこれなくなっていく。中には、症状の落ち着いている人も見え、少し<うらやましい>。
 中心になって会を運営してくださっている、内藤さん。ニッケかかみの苑の坂田苑長さん。本当にご苦労様です。これからも、若年の人たちのために、がんばってください。私にも手伝えることがあれば遠慮なく言ってください。微力ですが、何かの役に立てれば、
喜んでお手伝いいたします

サキさんの運転(その2)

2015年07月17日 22時04分25秒 | サキさんとの記憶
 サキさんとの結婚の少し前に、やっと私は免許を取りました。それまでは、何も考えずにサキさんの運転する車の助手席に座り、地図を片手に、ナビに励む毎日でした。
 免許を取ってから、初めてサキさんの運転中に、ドキドキするようになりました。それまでは何も気にならず、任せ切っていたものが、免許を取ったせいか、自分が運転しているかのような緊張感が出てきました。
 前方が、気になって、気になって仕方ありません。「サキさん、左から車来るよ。前に歩行者がおるよ。前の車、ちょっと運転がおかしいで、気を付けてね。」やたらと、声をかけまくる私。サキさんも、さぞ、運転しずらかったことだろう。そして、ことあるごとに、私の足が出る。思わず、ブレーキを踏むような動きをしてしまう。これにはサキさんも少しイラついたようで、「また、ブレーキ踏んだやろ!」「ほら、また足が出た」

 「サキさんの運転が不安で足が出るんじゃなくて、自分が免許の取り立てで、自分が不安で足が出るんだよ。」と言うのだが、「私の運転、信用しとらんのやろ」「ほれ、またブレーキ踏んどる

 その後、まもなくして、二人のドライブの際の運転手が変わりました。

 次回は、認知症になってからのサキさんの運転を振り返ります。

サキさんの運転(その1)

2015年07月16日 22時40分19秒 | サキさんとの記憶
 認知症らしき高齢者の運転をみて、サキさんの運転をいろいろと思い出してみた。

 サキさんと出会ったとき、私は車の免許を持っていなかった。どこに行くにも自転車だった。遠出はもちろん電車とバス。電車は大好きなのでまったく苦にならなかった。

 そんな私なので、サキさんと出かけるときも、電車とバス。どうしても車で出かける際は、当然、サキさんが運転。私は助手席でナビゲート。今の車みたいにカーナビはないので、地図を見ながら、あれこれと行先の指示を出す。
 あらかじめわかっているときはよいが急に「そこ左に曲がって」と言うと、サキさんは、あわてて「左ってどっち?」意表をつかれた返事に少しびっくりしながらも「左は左やがね。お茶碗持つ方」「お茶碗やね。こっちやね」とハンドルから左手を離し、私の方に手を振るサキさん。そして、すこし落ち着くと、「馬鹿にしとるやろ!!」と少しふくれていた。

 あわてると、すぐパニックになる。でも、私以外の前では、とてもしっかり者に振舞っていた。私にだけ見せてくれた<甘え>だったのだろうか。
 そして右折のとき「サキさん、はし持つ方に曲がってね。」
するとサキさん「やっぱり馬鹿にしとるやろ!!」
こんな調子で楽しくドライブしていました。

高齢者の運転(ひょっとして認知症?)

2015年07月15日 19時59分28秒 | 私の日記
 今朝、通勤の途中に変な運転をする車がいた。
左折のウインカーを出しながら、突然、右折レーンへ入ってきた。それも2車線分使うように、かなり斜めに停車している。停車線より、かなり手前だ。

 私の通勤途中に、岐阜県運転免許試験場があり、道に不慣れな車も多い。免許の更新の際にしか、この道を通らない人もかなりいる。

 今日の車もそんな1台だろうと思っていたら、試験場の方へは行かず、直進した。「免許の更新じゃないんだ」と思いながらすぐ後ろをついていく。その先は1本道で、トンネルになっている。すると前の車がトンネルの手前でブレーキを踏み、今にも止まりそうな感じ。「こんなところで、なんでブレーキ?」と、思わずクラクションを2回鳴らした。朝の通勤中なので、私にも時間的余裕はそれほどない。前の車は、仕方なくトンネルへ。しかし、トンネルの途中で、またもやブレーキ。私も負けじとクラクション。トンネルの出口でも、またまた同様のありさまが。

 その道は、片側1車線の、かなり交通量もある通り。停車でもされたらどうにもなりません。Uターンも出来ません。やっぱり、その人は運転免許場に行きたかったのだろうか?

 高齢者の一人での運転。しかも、不慣れな道。誰かついて行ってあげることはできなかったのかな。でも、もし独居ならどうしようもないし。きっと、その人は運転の自信があったから出かけたのだろうし、免許も更新する気だったのだろう
 トンネルを出た後も、ブレーキの連続。やっと、交差点にさしかかり、左折のウインカー。「げ、俺と同じ方向だ」と舌打ちしたら、止まった。今度は右折の合図をだし、強引に道に戻ろうとしていた。私はその横をクラクションを鳴らしながら通過した。

 やさしくしたいけど、この状況は無理です。高齢者のドライバーの皆さん。しまったと思ったら、道なりに進んでください。強引な進路変更、ましてや、道の真ん中で止まられるとどうにもなりません。少し広い場所まで車をすすめて、安全な場所に車を止めて、誰かに相談してください。
 そして、もしできるなら、運転をやめてください。(それが生きがいっていう人もいるだろうな)でも、取り返しのつかない事故を起こしてからでは遅いのです。高速道路の逆走、アクセルとブレーキの踏み間違い。みんな認知症のにおいがプンプンします
高齢者の車の運転。何とかならないかな。(上手な人も確かにいますし、車を使わなければ現在の生活を維持できない人もいるでしょうけど)

今日からまた一つ年上姉さん女房

2015年07月13日 21時29分54秒 | サキさんとの記憶
 今日で、またサキさんとの歳が一つ縮まり、一つ年上の姉さん女房に戻った。

一つ年上は、「金のわらじを履いてでも探せ」というほど、良いものだということで、よくサキさんは「うちらは金ワラ組やもんね」と言って笑っていた。4月(サキさんの誕生月)から7月(私の誕生月)までは、歳の差が2つに開いてしまうので、ちょっと機嫌が悪くなる。

 7月13日は、私の誕生日でもあるが、私の父の命日でもある。中学2年生の14才の誕生日の夜中の2時過ぎに、父は息を引き取った。前日の夕食を初めて「まずい」と途中で切り上げ、店先(八百屋をしていた)で倒れた。父と少しもめたことのある姉だけが死に目に間に合わなかった、私より10才年上の長兄の号泣を初めて見た。近しい人の死(別れ)は初めてだったので、今もしっかり覚えている。ましてや1年365日の中で、わざわざ7月13日を選んで旅立った父。偶然だけど、何か気になる。大学で、家を離れた18歳の夏(正確には19歳になった7月13日の夜中)に夢をみた。夢の中で、死んだはずの父から電話。「話があるから今から行く」そこで、パッと目が覚めた。夜中の2時過ぎだった。怖くてなかなか寝付けなかったことを覚えている。よほど何か重要なことを伝えたかったのだろうか?それからもう40年近くたつ。来年の4月で、愛知県西尾市から岐阜市へやってきてちょうど40年になる。早いものだ。

 サキさんは、いつも先祖の命日に、お線香とお供え物をして拝んでくれた。いつも感謝の気持ちを忘れなかった(先祖、特に両親、私の両親にも)少し、めんどくさいので線香はしてないけど、心の中でちゃんとお参りしとるで安心してね、サキさん。

何にもやる気がしない

2015年07月12日 17時16分42秒 | 私の日記
 今日は、一日、何もやる気がしない。血液型がAB型だからだろうか? 私の中にはいつも二人の自分がいるような気がする。
やる気に満ち溢れた自分と、何もやる気のない自分。
使命感に燃える自分と、あきらめの自分。
さあ、がんばるぞ!と思ったすぐ後に、めんどくさいで、ま、いいか とあきらめる自分。
ほんとに嫌になるけど、本来、ただの怠け者なのだろう。すぐに気が緩み、ダラダラと時を過ごしてしまう。

 サキさんの面会にも行かなかった。時間はたっぷりあったのに

 文章を書いて、自分の考えをまとめる際も、・・・でも、・・・だけど と、自分の意見に反する逆の考えがすぐに出てくる。なかなか考えもまとまらない。自分の思いもわからなくなる時がある。でも、使命感はある。(気がする)

 漫画のワンピースの中に、悪魔の実の能力者が出てくる。悪魔の実を食べると、特殊能力が得られる。ゴムゴムの実を食べてゴム人間になった主人公ルフィーをはじめ、いろいろな能力者が出てくる。
 私もいつか、どこかで、「ダラダラの実」を食べた、ダラダラ人間になってしまったのだろうか。本当に意欲が続かない。よくサキさんにも「お父さんは3日坊主じゃなく、1日坊主やね」といわれた。通販で買った体を鍛えるグッズは埃をかぶったまま、今はどこにあるのやら。


これは、昨日の写真です。サキさんは上をむいてます(坂本九か)。私が、本当にサキさんのことを思い、動き出せる日が来るのだろうか。

アリスのままでの感想と今日のサキさん

2015年07月11日 22時15分56秒 | 介護日記
 映画「アリスのままで」を観てきました。アカデミー賞の主演女優賞を取った映画なのに、岐阜地区では公開されず、岐阜県内では隣の西濃地区の大垣市の映画館(大垣コロナワールド)1館のみでの上映です。認知症という重いテーマなので敬遠されたのでしょうか。

 13:45からの上映でした。館内はまばらで、客層は私より上の年齢の方がほとんどでした。主演女優の演技は素晴らしかったです。途中のスピーチの場面では思わず泣きそうになってしまいました。難を言えば、病気の進行が早すぎる(描き方が)ことです。どうしても2時間の映画の中で発症から進んでいく様子を詰め込もうとすると、こういう展開になるのかもしれませんが。発症から1年で記憶が失われることはありません。ありえません。若年性認知症を知らない人が見たときに、誤解を与えるかもしれません。恐怖を植え付け過ぎる恐れもあります。昨今の認知症キャンペーンでも認知症の怖さをやたらと強調しすぎている気がしてなりません。サキさんもつい2年ほど前までは、緩やかな進行で、二人でいろんなことを楽しみました。夫婦生活の中で最も充実した期間であったとも言えるほどです。初期の皆さん。あまり恐れずに、今、できることを、一瞬一瞬を楽しんで下さい。楽しんで。楽しんで

 サキさんの病院に着いたのは5時過ぎ。ほどなく夕食の時間です。初めての病院での食事介助です。

 今日のサキさんは、上を向いたまま。食事の介助もあまりうまくいかず。あまり上を向いていると飲み込みにくいだろうに。誤嚥の危険もあるし。
 口もあまり開けてくれない。ご飯はほとんど残してしまった。おかずは、何とか食べてもらえたが。

 今日も笑顔はなかった。でも、少しだけ歌を口ずさんでくれた。今日は、泣かずに一緒に歌おうとしてくれた。

正常圧水頭症ではなくアルツハイマーの進行

2015年07月10日 18時14分31秒 | 介護日記
 今日、岐阜大学病院へ行ってきた。娘もたまたま休みだったのでついて行ってもらった。入院している岐阜病院で撮ったCT画像で、水頭症の疑いもあるとのことだったので、鑑別をしてもらった。

 結論から言うと、正常圧水頭症の疑いは、ほとんどない。脳の中央部の白く映っている部分は、アルツハイマーの進行によって拡大したものである。過去のPETや、MRI等の資料より、そういう結論に至ったみたいだ。ならば、もっと早くその結論は出せたのではないか。過去のPETや、MRIのデータはサキさん個人のものなのだから、それを共有できれば、あらぬ期待(希望)を持たずに済んだのに


今日もサキさんは、左上を向いたまま。一言もしゃべってくれなかった。もちろん笑顔もない。手術で少しでもよくなるかなという期待は泡と消えた。このまま、見守るしかなさそうだ。良くなることはないけど、せめて穏やかに、そして笑顔が戻れば・・・。笑顔が戻る前に、叫び(うなり)声が戻ってしまった。大学病院でも、時折、大声を出していた。(車いすからズリ落ちるので、私が無理やり脇の下に手を入れて引っ張ったのが引き金になったようだ)サキさんの介護の役に立てばと「介護職員初任者研修」も修了したが、実践ではあまり役に立っていない。

 結論は出た。早く次の落ち着く場所を見つけてあげなくては。いつまでも入院しているわけにはいかない。
穏やかに過ごせる場所、安心して介護を任せられる場所を早く探し出そう


私の生きる意味

2015年07月09日 21時32分09秒 | 私の日記
最近強く思うこと。
何かを残したい。形に残したい

何でも構わない。サキさんと過ごしてきた日々を。サキさんとの思い出を、記憶を。何かの形に残したい
認知症と必死で戦っている人たちの姿を、これから認知症と向き合っていく人たちのために残したい。

 でも、仕事もあるし、なかなか自由な時間もとれない。でも、今何かをやらないと。この一瞬、一瞬にもサキさんとの記憶は、少しずつ薄れていく。さらに、私が認知症にならないという保証はどこにもない。認知症は、アルツハイマー病は、病気なのだから。認知症にならないとしても、衰えはやってくる。確実に記憶は薄れ、あいまいになっていく。

今やらないと後悔する。そんな気がする。まだ何とか私の頭ががんばれるうちに、やれることは何でもやってやろう。そして、サキさんとの日々を、記憶の世界から、記録の世界へ連れて行こう。サキさんの歩んできた道のりを、これまでの認知症の過程を、まずはきちんと書き残していこう。

 それが、これからの私の生きていく「意味」だと感じる

このブログを始めたのも、そんな思いがあったからだと思う。私のがんばれる範囲で、サキさんとの日々をしっかり形に残していこう。