サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

永井龍雲・素面酒

2016年05月31日 21時48分12秒 | 私の日記
今から40年ほど前、大学のころよく聞いていたのが永井龍雲さんです。
とても素敵な高音で、少し暗い歌が多かったですが、若かった私の心に入り込んできました。

初めて聞いたのは、グリコアーモンドチョコレートのCMで流れていた「道標(しるべ)ない旅」。龍雲さんにしては明るい曲調の歌でした。そこからしばらく、永井龍雲さんにどっぷりとはまっていきました。
星月夜、僕のとなりに、桜桃忌などなどいい歌がいっぱい。

永井龍雲・素面酒.avi


この歌を私が歌うとサキさんはとても悲しくなるみたいで
お願いやで、その歌はやめて」っていつも言いました。
サキさんは、この歌を聞くと、独身時代の私を想像して涙が出るそうです。
サキさん、いったい私のことをどう思っていたんだろう。どんな風に思っていたんだろう。
ちょっと気になります。しっかり聞いておけばよかった

右の指が伸びている

2016年05月29日 16時25分28秒 | 今日のサキさん
朝11時前に、お姉さんと一緒にサキさんの特養へ。

サキさんに聞いてもらうつもりの愚痴を、車の中でお姉さんに聞いてもらう。
お姉さんもお姉さんで何かと大変そうだ。体の事(無理が利かなくなって来たり)もあり、思うようには行かないみたいだ。それでも、こうやってサキさんの面会に付き合ってくれる。感謝しております。

さて、サキさん。今日もベッドの上で厳しい顔(眉間にしわをいっぱい集めて)で、音楽に合わせ(たぶん)ブツブツ言っている。(歌っている)おそらくは、歌っているのだろう。流れている曲のリズムに合わせてブツブツ言っているので。何でそんなに厳しい顔、怖い顔で歌っているの?サキさん。どうせ歌うんなら、楽しい顔で歌おうよ。

右手は、相変わらず動かさない(動かない)が、指が伸びていた。こちらが伸ばしたわけではなく、布団をめくって右手の様子を確認すると指が伸びていた。いつもグーなのに、今日は野球のボールを握るような感じで、人差し指と中指が伸びていた。リハビリのおかげだろうか。右手も左手みたいに動けるようにならないかな。

さて昼食です。ベッドから車いすにはまた私一人で「お姫様抱っこ」で移乗してもらいました。以前のことを考えると本当に軽くなってしまったサキさん。五十肩がまだ完全に治りきっていないけど、楽々と抱っこできてしまいました。

今日は日曜日なので、いつものソフト食です。味付けと色と形の変わったプリンを毎日食べている感覚なのかな。無表情、無反応に食べ続けるサキさん。
「何か、反応でもあればいいのに」とお姉さんと二人で話していると、そばにみえたスタッフさんが
おいしい、って言ってくれる時もありますよ」と、教えて下さいました。

普段の様子や、エピソードなどをいろいろと聞きたいものです。どんなことでもいいので、機会があればいっぱい教えてください。これからもよろしくお願いいたします。


無表情ながらも時折、目線は私やお姉さんを探して動いていきます。全くの無反応というわけではありません。いつものように食後の歯磨きには、目いっぱい口を閉じて抵抗します。

反応が全くないわけではない。
表情が全く変わらないわけではない
何も感じていないわけではない


こんどの水曜日も、お姉さんと夕食介助に行きますね。待っててね、サキさん。

唐揚げを娘のために

2016年05月28日 21時48分37秒 | 私の日記
昨日も仕事は最悪で、落ち込むばかり。

今日も、朝、買い物には出かけたがほかには何もする気になれなかった。が、
今日は娘の誕生日。社会人2年目だから、24歳か。早いものだな。

そんな娘は、馬鹿みたいに鶏肉が大好き

なので、何もやる気のおきないなか、がんばって唐揚げを作ってみた。


唐揚げの素は何でもいい。特に好みが、こだわりがあるわけではなさそうなので、一番目立った「中華街の唐揚げ粉」を買ってきた。水100ccと素を混ぜ合わせ、切った鶏肉を入れて練りこむだけ。下準備はそれだけ。
フライパンに油を入れ170度くらいに熱する。フライパンの周りには油跳ねに備えて、新聞広告を敷き詰めておく。

久々の揚げ物だったが、出来はどうだったのだろうか。あげ終ったフライパンに凝固剤を入れ固めて捨てた。


ほどなくして、仕事から娘が帰ってきた。
唐揚げ作ったけど、食べるか?
今から友達とご飯食べてくるで。明日食べるわ
おうっ、わかった

これから食べに行くというのに、何回かつまみ食いをしてから出かけて行った娘。味の感想は一切言わないけれど、何度かつまみに来るということは、そこそこの出来栄えだったのだろうか。
私の分は、とんかつ。本当に久々だ。朝の買い物で、小麦粉、パン粉も買ってきておいた。まだ台所にあるのは知っているが、どう考えても賞味期限が切れている。いくつかあった粉物は、すべて期限切れでした。一番古かったのは2011年の表示でした。まだ、サキさんが頑張って作っていてくれた時期かな?

娘も24歳、申年です。サキさんと同じ年女。自分でしっかり考えて、判断していくんだよ。お母さんに相談はできないし、お父さんは適当でいい加減だし、お兄ちゃんは・・・。


サキさん、愚痴を聞いてね

2016年05月26日 21時52分53秒 | 私の日記
最近、職場でミスも目立つようになってきたが、それなりに頑張っているつもりでした。

でも、やっぱりうまくいかない時がある。
心がしっくりこない時もある。
全くやる気の出ない時もある。
職場の上司?(自分より若い子)にいら立つことも。

でも、一番つらいのは、気遣われること。いらぬ気を使わせてしまうこと。そして、ミスを慰められること

馬鹿で、能力も落ちてきているのに、変なプライドだけは一向に衰える気配がない
そのくせ、周りの目ばかり気にしている。周りの評価ばかり気にしている。

サキさんが元気だったら、いろんな相談ができたのに。
サキさんに慰めてもらうのは、全く気にならなかったのにな。
いろんな意味で、姉さん女房のサキさんに甘えていたんだろうな。

もう1回だけ、サキさんに甘えたいな、愚痴を聞いてもらいたいな。(サキさんの愚痴は全然聞かんかったくせに)

今度の面会の時は、サキさんいっぱい愚痴を聞いてね

久々のお肉だよ

2016年05月25日 22時02分40秒 | 今日のサキさん
今日は水曜日。サキさんの夕食介助の日です。

今日は私一人でサキさんの特養へ。そして
しまった、カメラ忘れた
ということで、今日はサキさんの画像はありません。動画も無しです。

今日は回鍋肉です。
サキさんにとっては久々の本物のお肉になります。うまく食べられるかな?と少し気がかりでしたが、お肉ということをしっかり認識し(頭と口が)普段より多めに噛んでいました。自分の口の中の感覚で、自在に噛む回数を調整している。これって、結構すごいことのような気がしますが

今日も淡々と食事をすすめるサキさん。最後に粉薬で少しむせたのか「くしゃみ」をしたサキさん。この時だけ少し表情が崩れました。

今日は、サキさんから向かって右側から食事介助を行いました。何となくサキさんは右側の視界(視野)が狭くなっているように感じるのは気のせいでしょうか。食後、サキさんの正面から声掛けをすると、笑顔とまではいきませんでしたが、穏やかな表情が返ってきました。次回はサキさんの左側から食事介助をしてみます

家に帰ってから、いつも使っているリュックを触って、びっくり
カメラ、持っとった!
完全な思い込みだ。
本当に「しまったしまった、島倉千代子」だ。あ~~あ。

サキさん衣替え?

2016年05月24日 21時25分56秒 | 今日のサキさん
先週、歯科に行ってから1週間、様子をみるために予約を入れてあったので、再び、仕事を途中で抜け歯科に行きました。火・水・木と3日間続いた激痛も、金曜日からピタッとなりをひそめた。理由はわからない、神経痛かも知れないという。歯の状態が落ち着いているときは無理に治療をしないほうが良いということで、またしばらく様子をみることに。次回の予約は2週間後、また抜けて出かけます。会社の皆さん、ご迷惑をおかけいたします。

その後、少し時間ができたのでサキさんの特養へ。サキさんはベッドの上で半そで姿で横になっていました。

しきりに左手を動かしているサキさん。顔拭きシートで顔を拭いてあげる。首筋にうっすら汗をかいていた。それで気になって左手が動いていたのかな。

2016年5月24日サキさん衣替え


もうすく、夕食という時間になったが、夕食介助はせずに帰ってしまいました。目の病気のせいか、夜間の運転が結構厳しくなってきました。対向車のライトが非常に眩しくて、センターラインもよく見えなくなってきました。夜間で雨で知らない道となると、ほとんどカンで運転しています。そんなこともあり、今日は早め(明るいうちに)帰宅。
ゴメンね、サキさん。

帰り際、とってもいい笑顔を見せてくれたサキさん。
明日も夕食介助に行くでね、待っといてね。サキさん。

指先の毛細血管をチェック

2016年05月23日 21時49分45秒 | 若年認知症のつどい
昨日の「アルトひまわり会」に岐阜県に本社を構える株式会社ノーベルさんがみえた。乳酸菌の栄養補助食品を扱ってみえる会社だそうだ。
指先の毛細血管の血流が見える装置と、自社の乳酸菌飲料をもって来られた。昼食後、さっそく血流を診てもらう。モニターに指先の毛細血管の様子が映し出される。そのモニターの隣には、健康な毛細血管の画像と、問題のある血流の悪い場合の画像が用意されていた。


モニターに映し出された私の指先の画像は、まさに悪いほうの画像のパターンと同じだった。さらに横に筋が入っている。心臓に問題のある人に現れやすいと言われた。

父ちゃんは54歳で「脳卒中」で亡くなり、4つ上の兄も「脳出血」で突然亡くなった。そして、つい最近、一番上の兄ちゃんが67歳で突然亡くなった。死因は不明だが、おそらく、脳出血か、心筋梗塞ではなかっただろうか。
たぶん、きっと、そんな家系なのだろうから私も気を付けなくては。サキさんとの約束のように、サキさんより一日でも長く生きなければならない。約束がなかったとしても、今のサキさんを残しては逝けない。

今日、早速、ノーベルさんに電話し、血液サラサラになるやつを頼みました。自宅に牛乳屋さんが配達してくれるそうなので、これから欠かさずに飲ませていただきます。

乳酸菌は食後に採るのが良いそうです。胃液で乳酸菌が死んでしまうので、胃に食べ物の入った状態で採るのが良いのだそうです。

特養さんでバランスのいい食事を食べているサキさんに負けない様に、私も食事のバランスに気を付けて頑張るぞ。

少しの行き違いで

2016年05月22日 22時41分34秒 | 若年認知症のつどい
今日は第4日曜日で「アルトひまわり会」の日です。

いつもは2時頃に終わるので、その後、買い物に行って、それからサキさんのところへと思っていたのですが、買い物を終えて家に着いたのは6時過ぎ。あわてて布団と、洗濯物を取り込みました。サキさんの面会はまた今度にします。水曜日、夕食介助なので、その時まで待っててね、サキさん

つどいには途中で、先日ご主人を亡くされたKさんが、わざわざあいさつに来てくださいました。私達にまでそんなに気を使われなくてもいいのに。また落ち着いたら、会に参加してください。ゆっくり話しましょう。

最後にご相談に見えたご夫妻と、K部長、Aさん、Mさん、そして私とで、ご夫妻の話をお聞きしていました。気付いた時には3時を過ぎ、また時計に目をやると4時、さらに気付くと5時をはるかに超えていました。
お互いのことをちゃんと思いやっているのに、ほんの少しの行き違い、思いのずれで・・・。最初は、介護に全く関心なく、身勝手で、介護の一切を奥さんに押し付けているご主人なのかな・・などと勝手に思っていたのですが、私なんかよりはるかにまじめに、真剣で、一生懸命でした。しっかりと考え、奥さんのことも気にかけてみえます。奥さんもしかりです。お互いのことを気にかけ、思いやっているのに、・・・なかなかうまくいかないものですね。
最終的には、おばあさんのあまり細かなことに目くじらを立てずに、少しでも笑顔でいられる時間を増やしていきましょう、という方向になりました。

いろんな夫婦の形が、関係があるんだなと改めて思いました。そしてその関係は、昨日今日作られたものではなく二十数年の積み重ねの上にあるものだから一朝一夕には変えられないでしょう。でも根本にお互いを思いやる心を持ってみえるので大丈夫じゃないかなと思います。
奥さん、何か吐き出したいときには、いつでも「つどい」に来て、思いのたけをぶちまけてください。そして、一人で抱え込まないで、遠慮なく周りに助けを求めてください。私も何もできませんが、話を聞くぐらいならいつでもお話を聞かせていただきます。

ミスが続く

2016年05月21日 20時05分17秒 | 私の日記
サキさんも病気の進行とするにつれて「頭が痛い」とよく訴えていた。

私の最近の頭の痛みも、頭の中でなんか変化が起こっているのだろうか、と、思わず思ってしまうくらい、ミスが続く。
思い込み、勘違い

ミスを防ごうとチェックをしても、思い込んでいるので、同じように勘違いしたままチェックをしている。

情けなくなってくる。一生懸命にはやっているのですが、やってもやっても、どこかでミスしている。以前ならパッと見ればすぐに気づくようなことも、そのまま見過ごしてしまっている。
そしてなかなか判断ができない。決断ができない。さらに集中力も続かない。

笑って見過ごせるようなミスならまだいいのだけれど。
でもそんなミスでも毎日続くとさすがにへこむし、嫌になる。

来週はミスなくいけるように頑張ります。

一言伝えておけば

2016年05月20日 20時55分22秒 | 私の日記
私の職場でこんなことがあった。

事務所の人間は知っていた。
工場にはちゃんと指示を出した(つもり)。
工場に切断の指示を出す。いつもならそれでOKなのだが。
今回の工事では切断後、もうひと手間必要だった。

事務所の人間は知っていた。でも工場は
また、いつものように加工すればいいんだろう
きちんと伝わっていなかった。一言伝えていれば済むことだった

気付いた時は、組み立て終わっていた。しかも大量に。

事務所は伝えたつもり、もしくは後でしっかり伝えればいいと。
工場は、何も気にせず加工してしまった。

一言で済んだのに、きちんと伝達すれば・・・

きちんと伝えること、きちんと引き継ぐこと。

私のミスと比較にはならないだろうが、介護の現場でも一言伝えておけば、しっかり状況を引き継いでおけば・・・という事はよくあるのではないだろうか。
特に自分の気持ち、思いをうまく伝えられない認知症の人の場合は。


おふくろの味

2016年05月19日 22時05分46秒 | サキさんとの記憶
昨日の夕食介助の後の車の中で、お姉さんとおふくろの味が話題になった。

お姉さんの家のおふくろの味は
豚汁、煮込みハンバーグ、肉巻き、などなどいろいろなものが、子供さんたちにとって特別なもの、お母さんの味として記憶され、帰省の際にはリクエストされるらしい。

サキさんの場合は、うちの場合はどうだろう。
一度、子供たちに聞いてみようと思う。
子供たちの記憶に残っているサキさんの料理は何だろう?
唐揚げ、鉄板焼き(お好み焼きや焼きそば)、手巻きずし、などなど。かな?

私がもっとサキさんと食べ物の好みがあっていれば、私がもっと野菜が好きだったら。
サキさんはもっともっと腕を振るって、いろんなものを作っただろうな。
けんちん汁(私が、吸い物系の汁物が嫌いだったので、汁はやっぱり八丁味噌の味噌汁が一番と私は思っている)
炊き込みご飯(私は、白いご飯が好き、炊き込みのあの香りがダメ。チャーハンは大好きだが)
クリームシチュー(野菜がいっぱいで苦手、白いのもダメ。ビーフシチューはOK)

などなど、私がことごとくサキさんの料理の邪魔をしていたのかも。私が好きなものは、カレーやスパゲッティーやラーメン、ギョウザなどの子供が好きなものばっかり。(お子様ランチか

味付けにも文句の多い私に、「味付けはお父さんがやってね」となっていった。甘辛い味付けが大好きな私と苦手なサキさん。だいぶ無理していたんだろうな。ゴメンね。

今は特養で、バランスのいい食事を食べているサキさん。今が一番健康的な食事かもね。

今度、子供たちにちゃんと聞いてみるでね、サキさんの思いでの味を。

口から食べれるうちに

2016年05月18日 22時11分50秒 | 今日のサキさん
5時で仕事を終え、急いで家に戻り洗濯物を取り込む。
それからお姉さんのところにより、お姉さんと一緒にサキさんの特養へ、夕食介助に。

今日は、特養さんに到着したのが6時少し前で、フロアで皆さん夕食を待ってみえた。
サキさんも車いすに座り(また左に傾いていたのでクッションを左側に置く)待っていた。テーブルは、男性の方が一人増え4人になっていた。(この男性は、以前は別の席で少し居心地が悪そうだったので、比較的穏やかなメンバーのこのテーブルにうつってみえたのだろう)
今日の夕食はハンバーグ(チーズ入り)がメイン。

今日もお姉さんが介助をしてくれました。先週のブログに「お姉さんのスプーン1杯は量が多い」と書いたのをお姉さんはしっかりと覚えていて「今日はちょっとずつやでね」と少しずつサキさんの口に運んでくれました。
お姉さん、気を使わせてしまってすみません。

私は、カメラに撮ったり、話したり。最近食事中のBGMが昔の邦楽になっています。以前はクラシックでしたが(今も昼食時はクラシックかな)今日は、テレサテンやジュディーオングや金井克子まで。
「会う時にはいつでも他人の二人、なんて知らんわ、若いで。金井克子なんて知らんわ、若いで。」
このフリにもサキさんは無表情。逆に年代の近いスタッフさんが反応してくれました。
今日のサキさんは終始、むっつりとした感じ。少しうつむき加減で、無表情で。唯一表情を変えてくれたのは、BGMで「大阪ラプソディー」が流れてきたとき。
「海原千里万理さんやね。今の上沼恵美子さん。あの人、昔はつんくさんに似とったけど、今はだんだん獅子舞に似てきとるね(上沼さんすみません、大好きです)」と、お姉さんにしゃべった時、サキさんの表情が一気に崩れ噴き出してくれました。ちゃんと私とお姉さんの話しに耳を傾けているんだね。むくち(六口)なサキさんだから、本当は一緒になってしゃべりたいんだろうな。じれったいんだろうな。でもしゃべれないから本当に無口になっちゃったね。

今日は、一回だけだったけど、もっともっとサキさんのいい表情を見たいで、頑張っていっぱい話すでね。


先日亡くなったKさんをみて、あらためて思う。ここまで症状がすすんだら、いつ、何が起きても不思議ではないんだな・・・と。だからなおさら、今食べられるうちに、自分の口で食べられるうちに、自分の歯があるうちに、無理なく呑み込みができるうちに、普通食に戻りたい、戻したい。

また仕事を抜けて

2016年05月17日 19時58分04秒 | 私の日記
歯がしみる。痛い。連動するように左のこめかみが激痛に襲われる

頭痛薬が手放せない。歯科でもらったロキソニンはあっという間になくなっている。市販の頭痛薬がみるみる減っていく。しかし、効くのは数時間ですぐに痛みがやってくる。

噛むのは大丈夫だが、汁物(ジュースやコーヒーも)は、左上の奥歯に触れた瞬間に痛みとなって襲ってくる。口の中にたまってくる唾液(つば)でも、しみてしまう。

今月2回目の電話を歯科に入れる。会社に無理を言って、仕事を抜け、治療してもらうが・・、痛みの原因がよく分からないそうだ。この前、神経は取ってもらったのだが・・。歯ぎしりや、顎関節症で痛みが出ることもあるそうだ。頬っぺたと首筋に電気を当て20分ほど治療してもらった。1週間後また様子を見てみるそうだ。痛みの原因と考えられそうな要因を一つずつ、つぶしていくそうだ。私は、痛みをとってほしいだけなのだが。

薬は、痛み止めのロキソニンとアロフト錠(筋肉のこわばりを改善する薬だそうです)ロキソニンは5錠だけ。いつまでもつことやら。あっという間になくなりそうな気もするが。娘(看護師)の話しでは、ロキソニンはきついので胃薬もセットで出すはずだけどな~、と言っていたが胃薬は無し。ま、胃は丈夫なほうだからいいか。

サキさんも痛い思いしてるんだろうな。
毎日寝てばっかりで、それこそ体の節々が痛いはずだ。
サキさんは、まだ思いっきり顔をしかめて「痛い」って表現出来るけど。

笑顔のままで

2016年05月16日 22時42分16秒 | 介護日記
Kさん、今朝、葬儀が営まれたそうです。

金曜日に発熱して、デイにご主人を引き取りに行き、そして病院へ
金曜日の夜に高熱に、そして夜中に40度を超え
土曜日の朝、病院へ緊急搬送も・・そのまま帰らぬ人に。

金曜日の朝には、いつものようにデイに送り出したご主人が、翌朝には・・。
あまりに早く、ものすごいスピードで悪化していったんだろう。
自分で症状を伝えられない認知症の本人。周りの人も良くある微熱か、という思いで軽く見てしまったんだろうか。
そして、最初の病院で診察された先生も。どのようなやり取りがあったのかはわからないが、ここでしっかりした診察・診断がされ、治療がされればこんなに急激に話は進まなかったのでは・・などと勝手に勘ぐってしまう。

問診できない、自分での意思表示ができないからこそなおさら周りのサポート、周りからの観察が重要になることだけは間違いない。それにしても、あまりに急すぎて・・・。

いつもいつも、とっても素敵な笑顔の奥さん。奥さんの笑顔で私たちまで癒されていた。

ご主人が認知症になった時、奥さんはペーパードライバーだったそうです。ご主人が
「これからは、運転ができなくなるから、お前が運転しなくては」
ここから、ご主人が助手席に座っての、奥さんの運転訓練が始まったそうです。
この話を聞いたとき、その情景が目に浮かび、思わず涙が出そうになりました。
自分がどんどん悪くなっていくことを見越して、奥さんに運転を指導するご主人の思いは。
ご主人の為に、久々にハンドルを握った奥さんの決意は。
私のつたない文章ではとても表現できない複雑な思いがぶつかり合っていたことだろうと思います。

奥さん、辛いと思いますが、今までのように笑顔の素敵な奥さんでいてください。
ご主人もきっと奥さんのその笑顔が大好きだったと思いますから。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。

突然の・・・

2016年05月15日 23時02分41秒 | 介護日記
昨夜、メールが届いていたらしいけど、気付いたのは今朝。
あまりに突然すぎて、すぐにピンと来なかった。

各務原の「あすなろ絆会」のNさんからのメールで、件名は、訃報でした。

絆会の初期からの会員のKさんが昨日の朝、亡くなられた、とありました。
金曜日、デイサービスで熱が出て、途中で帰宅。そして病院に行き、診察してもらい帰宅。
そして、夜中から熱は40度を超え、明け方、緊急搬送するも間に合わなかったらしい。
最終的な死因は(誤嚥性)肺炎らしい。

夜、通夜に行ってきました。奥さんは気丈に振る舞ってみえました。
ご主人は安らかな顔でした。最近の顔の印象より、2・3年前の元気に卓球をされているときのような雰囲気でした。
つい先月は、アルトさんでのつどいで「たけのこご飯」をおいしそうに、お代わりまでしていたのに。つい3週間前の事です。

あすなろ絆会で出会い、サキさんの少し先をゆく先輩の感じでしたが、いつの間にかサキさんの症状が追い越し、サキさんが先に入院。しばらくしてKさんも後を追うように同じ病院に入院。あんなに元気だったご主人が病院ではとっても縮こまって、おとなしくしょぼんと肩を落としている姿が目に焼き付いています。
それを見るに見かねて退院。再び自宅で奥さんが介護することになりました。退院してからの1カ月が、1年くらいに感じるとしみじみ言っていた奥さん。それからも体の大きなご主人を、小さな奥さんが一生懸命な介護を続けてこられました。
本当にご苦労様でした。お疲れ様でした。明日が葬儀でまだしばらくは気の張りつめた状態が続くでしょうが、ひと段落したころに、言い知れぬ悲しみ、不安、後悔の念が襲ってくるかもしれません。その時はつどいで、思いのすべてを吐き出してください。心に残っている感情のありのままをぶつけてください。みんなで受け止めて、思いを共有していきます。

今回のKさんのように、熱が出て診察を受ける際は、出来るだけ認知症に理解のある先生に診てもらいましょう。本人の問診ができないので家族が状況をしっかり伝えましょう。そして血液検査をしてもらいましょう。赤血球の数が異変を教えてくれる場合もあるそうです。

Kさん、お辛いと思いますが、ひょっとするとご主人が
「よく頑張ってくれた、もういいよ、ゆっくり休んで」
と言っているのかも。

Kさん、心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌