サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

年金事務所へ行ってきました

2021年02月26日 16時08分26秒 | 私の日記
きのうの25日、年金事務所に行ってきました。サキさんが4月で65歳になるので、老齢年金の請求手続きの相談と、現在もらっている障害年金との兼ね合いについて聞いてきました。

 事前に用意した物
1.サキさんの障がい者手帳(委任状の代わりになるそうなので)
2.サキさんの住民票と戸籍抄本(岐阜市役所の北部事務所でもらってきましたが、年金申請用だと手数料が無料ということでした)
3.サキさん名義の預金通帳(事前にコピーして持っていきました)
後は、私の免許証(確認のため)

 相談の結果
1.サキさんの年金は、老齢年金よりも今もらっている障害年金の方がはるかに多いので、老齢年金の請求手続きは行わず、障害年金を引き続き受給する。
2.しかし、以前学校の先生をしていたので、職域加算(年間8000円程度)がもらえるらしく、この手続きが必要とのこと。(この辺の仕組みはよくわからないのいのですが、辞退は出来ないみたいで、手続きをしないといけないとのこと)

ここまで問題は無かったのですが、私が去年の12月で仕事を辞めてしまったので、さらに私の年金受給のための手続きが必要になるとのことでした。まだ63歳なのでいいやとほっておいたのですが、63歳からもらえる特別支給の厚生老齢年金の受給手続きをしないと、サキさんの障害年金についている加給年金分がもらいすぎになってしまうとのこと。「今のままではダメですか」と聞いてみたのですが、ダメみたいです。
私が仕事を続けていれば問題なかったそうなのですが・・・。この辺の仕組みが何回聞いてもきちんと理解できませんでした。

結局、3月1日の月曜日に予約を入れてもらい、もう一度年金事務所に行くことになりました。サキさんの職域加算の手続きと、私の特別支給の老齢厚生年金の手続きのために。


仕事を辞めて2ヶ月。家でボ~~っとしていることも増えてきた最近、私の頭の中もどんどんと退化の一途をとげているようです。年金の仕組みも聞いても聞いても理解できません。よくわかりません。でも、あまりごねても仕方ないので手続きに行ってきます、理解できてないまま。

昼寝の夢

2021年02月24日 22時43分09秒 | 私の日記
1時半過ぎ、まぶたが重くなり少しだるかったので、ベッドで横になりました。気付いたら6時少し前。

あ、4時間も昼寝してしまった。

特に何も予定はないので良かったのだけれど、あたりは暗くなりかけていました。3時くらいだかなと思っていたので少し焦ってしまいました。

昼寝の中で、夢を見ました。久しぶりに家族4人が揃った夢でした。結構長い夢だった気がするのですが、最期の部分だけはっきりと覚えています。

サキさんが、みんなのためにラーメンを作ってくれていました。鍋の中にはインスタントラーメンが袋のまま入っていました。鍋の中のラーメンの袋をつつきながら泣き出したサキさん。「サキさん、いいよ、大丈夫やよ」と、ギュッとサキさんを抱きしめたところで目が覚めました。

何か、不思議な感じの夢でした。実際にはサキさんは、そんなことをしたことはありません。何でそんな夢見たのかな。勝手なイメージなのかな。夢って本当に不思議だな。私の頭の中で勝手に作られている意識、イメージなのに自分の思い通りには展開されていかない。

夢の中のサキさん、悔しかったのかな? 情けなかったのかな? どんな思いだったのかな? 

夢の中の私は、サキさんをギュッと抱きしめたけど、現実の私ならきっと、ギュッと抱きしめる前に大声で「サキさん、何やっとるの。袋のままやよ。はよ、火止めて」って、怒鳴ったんだろうな。

何で、もっともっと優しく、大きな心で接してあげられなかったのかな。やっぱり余裕が無かったんだろうな。

余裕(心・身体・時間・お金)大切だな

反応いいサキさん

2021年02月20日 16時27分00秒 | 今日のサキさん
2週間ぶりのサキさんの面会にお姉さんと行ってきました。


面会用の部屋には、もうひな人形が飾られていました。サキさんも娘が中学くらいまでは毎年欠かさず飾っていました。飾られた人形を見て、サキさん何を思うのかな。娘のことを心配しているかな。「サキさん、香里はお嫁に行って一人じゃないから、もう大丈夫やでね」

今日のサキさんは、とってもよく反応してくれました。右目も、はっきりわかるくらい開き、右目もうっすらと。そして、声掛けのたびに「ううっ」と声をあげてくれます。お姉さんが「お婆さんみたいになっちゃったね」と言った瞬間、思いっきり眉間にシワをよせていやそ~な顔をしました。Aクイック並みのすばやい反応でした。決してお婆さんが嫌いなわけではなく、認知症になって、優しかったお婆さんが変わっていくのがイヤだったサキさん。自身が認知症と診断された時「私もお婆さんみたいになっちゃうのかな?」って、すごく気にしていたサキさん。お婆さんが、優しく自分のことより他人のことを優先するとてもいい人だっただけに、だんだんとわがままになり変わっていくお婆さんが許せなかったのかも知れません。病気のなせる業だと知ってはいても・・・。


衝立越しの面会ですが、面会できることに感謝です。

それでもやっぱり、直接サキさんに触れたいです。

不合格

2021年02月19日 16時17分14秒 | 私の日記
日曜日に受けた面接試験。
結果が早くも郵送されてきました。

結果は、不合格

まあ、1名だけの採用だし畑違いの職種だったので、ある程度の予想は出来ていたのですが、やはり実際に結果を見るとちょっぴりショックを受けてしまいます。

まあ、次がんばりましょう。

少し開き直って、せっかくのんびりできる機会なので、以前サキさんと旅行した場所を廻ってみようかなとも思っています。コロナ禍ですが、一人っきりの旅なら誰ともしゃべらないし、問題は無いだろうと思いますので。
もろに、不要不急の外出になりますが、まあいいですよね、しゃべらないし。


サキさんと行った姫路城。
新幹線を使わずに、岐阜から姫路まで行きました。新快速はさすがの速さでしたけど3時間以上の長旅で、サキさんにはちょっとしんどそうでした。
それでも姫路城は、圧倒的なスケールと美しさで私とサキさんを迎えてくれました。サキさんとの記憶をたどりながら、きれいになった白鷺城を今一度この目に焼き付けてみようと思います。

3月1日から、青春18きっぷが利用できるので、気ままに一人旅を楽しんでみたいです。

サキさんが元気なら今ごろ二人で、コロナも無視して、あちこち出かけていたことだと思います。いや、サキさん真面目で几帳面で、とても周りの目を気にするので、じっと我慢してるだろうな、やっぱり。

サキさん、二人でもっといっぱいいろんなとこに行きたかったね。




面接試験

2021年02月14日 21時04分04秒 | 私の日記
 今日、就職のための面接試験を受けてきました。

 面接官は男性一人と女性二人。マスク越しなのではっきりとは分かりませんが、落ち着いた穏やかそうな方々でした。応募先は伏せておきますが、今までのような期限や〆切に追われる職種ではなさそうです。聞かれていない余計な事までつい話してしまいました。試験なのですが、久しぶりにたくさんしゃべり、それなりに楽しい時間を過ごすことが出来ました。
たった1名の枠なので、採用されるのは少し難しいと思いますが、今日は星占いも1位だったので・・、ちょっぴり期待をしています。

 面接は無事に終わったのですが、実は着る服に困っていました。今年に入ってから何でもかんでも捨てまくっていたのでスーツ、背広の類が無くなっていました。一着だけ何とか捨てずに残しておいた(捨て忘れていた)背広があったのでクリーニングに出し準備していました。しかし、実際にそでを通してみると今度はそれに合わせる服がありません。一着残っていたズボンとも色が少し合いません。結局、ズボンは色の不釣り合いのまま、服は白のカッターシャツにセーターっぽい服で何とか間に合わせました。
 ここ20年近くスーツや背広なんか着たことがないので、昨日は準備で一人、大騒ぎをしていました。サキさんが元気なころは、着るものに関しては全てサキさんに任せていました。サキさんがすべて(ハンカチやら靴下まで)準備してくれていたので、私はただ着るだけ。とっても楽をさせてもらっていました。
 改めて、サキさんに感謝です。

 サキさん、がんばって早めに次の仕事見つけるでね。少し待っとってね。

昨日のサキさんの面会

2021年02月08日 22時10分08秒 | 今日のサキさん
昨日の日曜日、お姉さんとサキさんの面会に行ってきました。


スタッフの方がいつもより近くにサキさんの車いすをセットしてくださいました。「ちょっとでも近いほうがいいですもんね」と、やさしい配慮をして頂きました。

でも、やっぱり前には透明の仕切りがあり、直接触れることは出来ません。手を伸ばせば届く距離ですが、そんなことをするわけにもいきません。直接の面会をさせて頂いているだけで、感謝です。

サキさんは、4月で65歳になります。65歳以上の高齢者から優先的に接種をするというコロナワクチン。まだ高齢者と呼ぶには若いサキさんですが、今回は甘んじて高齢者の称号を受け入れ優先的に接種してもらおうと思います。多少の不安はありますが、何よりも施設で働いてみえるスタッフさんの為に受けてもらおうと思っています。感染のリスクが少しでも下がり、スタッフの皆さんの負担、苦労、不安も少なくなることを願って。

早く、高齢者、医療・介護従事者の皆さんの接種が始まり、少しでも安心して働いていただくことが出来ますように。

私の方は、相変わらずダラダラした生活を毎日繰り返しています。

鬼滅とワンピースが、今の私の心の栄養剤になっています。

仕事を辞めてひと月ちょっと。心と身体をしっかり休め充電するはずが、何かどんどん放電(あるいは漏電)しているみたいな感じです。身体は脂肪だけがしっかり蓄えられていきますが、心の中のやる気・気力は一気に低下していきます。

いろいろ動き回ってみよう、いろんなところに旅に行っていろんなものを見てみよう、と思っていたのですが、コロナでどこにも行けず何もできず。その間にいろんな思いもしぼんでいき・・・。

とりあえず明日から、今一度、自分をちゃんと見つめ直してみよう。

節分の思い出

2021年02月02日 18時28分17秒 | サキさんとの記憶
今日は節分らしい。でもピンとこない。

我が家の節分は、いつもサキさん中心で廻っていたから。

サキさんと出会うまでの30年間、ほぼ節分とは無縁でした。西尾(愛知県)の実家では節分だからと言って特に何もありませんでした。豆まきも恵方巻も。そもそも恵方巻自体の風習を聞いたことがありませんでした。

それがサキさんと一緒になってから初めて節分に付き合わされました。

まず、イワシ
何で節分にイワシを食べなければいけないのか、いまだによくわかりませんが、そういうものだとサキさんに言われイヤイヤ食べました。ただ小骨がイヤな私の為にサキさんが身をほぐし、骨を取ってくれました。(子供か!)

次に恵方巻。これはいつからだったんだろう。途中から始まったような気がします。(あまりよく覚えていません)サキさん手作りの恵方巻をみんなで同じ方向を向いて無言で一気に食べきります。でも、いつも途中で私が笑ったり何かしゃべってしまうのでサキさんによくしかられました。

続いて豆まき。サキさんが先頭になって豆をまきます。「鬼は外、福は内」そして私が「ごもっとも、ごもっとも」と言って後に続きます。「ごもっとも」なんて初めてだったので、サキさんにしつこく「そんなの聞いたことない」と文句を言うと、「いいの、こっちはそうなの」と、とりつく島を与えてくれません。

最後に歳の数だけ豆を食べました。40歳までは何とか強引に食べましたが、それ以降は少し数をごまかしながらイヤイヤ食べました。

我が家で節分の行事をしなくなって10年近くになります。サキさんが診断されてからも数年はやってたと思いますが介護保険利用の少し前から行わなくなったと思います。

イワシと豆を食べなくて済むのでやれやれですが、サキさんの威勢の良い豆まきの掛け声と笑い声が、今も耳に残っています。