サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

お・と・う・さ・ん

2016年04月30日 18時23分08秒 | サキさんの動画
3時過ぎにサキさんの特養へ。

今日もベッドの上で「ハア、ハア」と苦しそうにしていました。
「サキさん、お父さん来たよ」と声をかける。すると・・・
「お・と・う・さ・ん」
微かな声だったが、確かに聞こえた。しっかり聞こえた。
苦しそうにハアハアしていたのは、何かをつぶやいていたのかな。何かを伝えたくて一生懸命しゃべっていたのかな。

「今日はね、カレーを作ったよ。あ、しまった、ご飯がない。カレー汁になってまう」
これに反応して、噴き出して笑ってくれたサキさん。今日はほかにも笑顔を見せてくれた。カメラのタイミングとはうまく合わなかったが、声に出して笑ってくれた。ありがとね、サキさん。


チョコレート菓子を一緒に食べました。少し大きかったですが、がんばって「カリッカリッ」といい音を立てて食べてくれました。食後の歯磨きも嫌がらずに。

2016年4月30日今日のサキさん



本当はこどもが嫌いなわけじゃない

2016年04月29日 22時50分00秒 | サキさんとの記憶
昨日の記事で
「こども嫌いなサキさん」
というタイトルを付けたが、本当は違う。サキさんは決して子供自体が嫌いなわけではありません
公共の場で、子供を放し飼い(サキさんとこのように表現しあっていました)にし、好き放題走り回らせ、大声をあげさせ、好き放題やっている子供に何一つ注意しない親が嫌いなだけです。
「こら、静かにしなさい」
「ほれ、いい加減にしときゃ~よ」
と、ただ口先で言うだけで、目は手に持った携帯に注がれたまま。
こんな親が大っ嫌いでした。決して子供自身が嫌いなわけではありません。

サキさんは小学校の先生でしたし、集団登下校の幼稚園で、近所の子供とも一緒に手をつないで歩いていました。くどいようですが、決して子供が嫌いなわけではありませんでした。どちらかと言えば、微笑ましい、無邪気な子供の笑顔は大好きだったと思います。

娘は子供が嫌いみたいです。ギャーギャーうるさくで、わがままで。だから配属先を決める時も、小児科だけは絶対に行かん、と言ってました。無事、消化器系に配属されたそうです。でも、自分の子供でもできたら、子供が好きになるんでしょうか。さて、どうなることでしょう。

昔のサキさんの写真です。載せたことのある写真もあるかもしてません。やっぱり笑顔の写真がいいですね。

また、いっぱい笑顔の写真が撮れますように。

こども嫌いなサキさん

2016年04月28日 21時41分14秒 | サキさんとの記憶
明日、4月29日、岐阜メディアコスモスで「認知症の人と家族の会・岐阜県支部」の平成28年度総会が行われます。新年会と総会と年に2回、岐阜支部の皆さんが一堂に顔をそろえる時です。岐阜県は南北に広い(東西もそこそこあろます)ので、なかなか一堂に顔を合わせる機会がありません。貴重な場です。
そのせっかくの機会なのですが、明日は仕事の都合で行けなくなってしまいました。去年も総会には参加できませんでした。正月休み、ゴールデンウィーク、盆休み、これらの長期休暇の前は、毎年の事ながら仕事がつまって大変です。
休みの前にキリを付けておきたいので、無理をしてでも処理をしておくことになります。本来なら29日からの連休なのですが、そこは中小企業の悲しさ、今週中にしっかり区切りをつけることになりました。

サキさんが元気な時も、GWは、あまり出かけませんでした。サキさんも私もあまり人混みが好きではないので「なんでみんな無理して疲れ(るため)に行くんだろうね?」とサキさんと言い合っていました。旅行とかに行けない貧乏人のひがみではなく(多少はあったかも)ほんとうに混雑が苦手なんです。外食もあまりしたことがありませんでした。子供たちが小さいときは全く外食していません。子供たちがちゃんと分別が付き、人様に迷惑を掛けなくなってからやっと、たま~に回転寿司に行くぐらいでした。
お店などで子供がギャーギャー言って走り回っている店には絶対に行きません。入りかけても子供のわめく声が聞こえると店を変えてしまいます。そんな子供をほったらかして自分は携帯をいじっているお母さんもサキさんは大っ嫌いでした。ギョロっとにらみつけます。するとそんな馬鹿な母親に限って
「こ~ら、あんまり騒いどると、怖いおばさんに怒られるよ」こんな感じで子供に言います。情けない。

認知症になって、感情を抑えるのが難しくなってきたサキさん。子供に対しても容赦ありません。
うるさいネ、ほんとに
思ったことがそのままストレートに言葉になって出てきます。本当のことを言っているのだけど、こちらは冷や汗ものです。外食の時はいつも子供はいない店で、座席もほかのお客さんが視界になるでく入らない席を選ぶようになりました。
サキさんと最後の外食はいつだったかな。食べ方も、手づかみがあったり、かなりワイルドになってたような。

トマトをおいしそうに

2016年04月27日 20時55分07秒 | 今日のサキさん
今日も夕食介助に行ってきました。
連休前で仕事が溜まっていますが、みんなに無理を言って仕事を抜けサキさんのところに。大きな休みの前はいつも大忙しです。休みの前に仕事のめどをつけておきたいため普段よりはるかに忙しくなります。

さあ、今日のサキさんです。

車いすでエプロンを付け、食事を待っていました。おとなしくじ~~っと座っています。時折足を組んだり、でもどこか寂し気に一点をじ~っと(ぼ~っと)見つめています

今日の普通食はトマトサラダです。トマトと玉ねぎのサラダ。サキさんはトマト大好きなので良かったです(私は大っ嫌いなのですが)玉ねぎもシャキシャキっとそれは良い音をたてて食べてくれました。
今日も完食です。表情はいつものように変化なしですが。

食事中は淡々としていたサキさんですが、帰り際にニコッとしてくれました。
「今度は金曜日に来れるかな。休みやで、昔の天皇誕生日、今はみどりの日。あ、間違えた、昭和の日だった」これに反応してくれたサキさん。
サキさん、間違いには素早く反応するね。これは昔からずっとだね。

もう一度サキさんのことを

2016年04月26日 22時00分31秒 | 介護日記
「サキさんの介護日記」なのに最近はサキさんの話が少なくなってきた。思いつくままに書いているのと、つい先日の衝撃的な長男の突然死(孤独死)により、そちらの比重が高くなってしまいました。初心に戻り、サキさんのことについて、サキさんとの記憶を書いていこうと思います。

とは言うものの、施設にサキさんをお任せしてからは、日々の生活に占めるサキさんの割合は減っているわけで、サキさんのいない毎日を、寂しいとはおもいつつも、次第に慣れてきてしまった自分が確かにここに居ます。自分が仕事に追われ苦しくなったりすると「サキさん、頑張るで見とってね」などと都合のよい言葉を投げかける自分もいます。
去年の今頃は、老健からサキさんを家に迎え入れるための準備で大忙しでした。和室を洋室に変え、トイレとの壁を取り払い、介護用品(オムツ、パッド、使い捨て手袋、消臭剤などなど)を買いまくり、サキさんの帰りを待っていました。でも、1カ月でサキさんは再び入院です。デイサービスで大声を発することで、他の利用者さんから苦情がでてデイサービスを利用できなくなりました。とにかくつらそうに、苦しそうに、でも大声で「やめろ~、ばかやろ~」を繰り返すサキさんを病院に任せるしかありませんでした。

そこからまた始まった何とも言えぬ脱力感、無力感。それを振り払うため、そしてサキさんの介護から解き放たれた自由な時間を埋めるために、このブログが始まりました。
今一度、サキさんとの思い出を振り返り、初期のサキさんの状況、症状も振り返れたらと思います。

兄ちゃんの記憶-2

2016年04月25日 21時19分44秒 | 私の日記
先日、誰にも見守られず亡くなった兄ちゃんの記憶の続きです。

兄ちゃん(6人兄弟の長男)について、好き、嫌いの感情を抱いたことがないです。それを超えたところに居る「絶対権力者」のような感覚があるからです。もちろん「絶対権力者」と言っても、どこやらの国家元首とは違います。ただすべてを自分の判断で押し通す。自分で気づいて反省、訂正することはあるし、他人の意見に納得し、考えを変えることはあります。でもそれはごくごくまれで、兄の意見、考えに他の兄弟は合わせていきます。
四角いものでも、兄が丸いと言えばそれは丸いのであり、黒いものでも、兄が白いと言えば、それは白いのです。もちろんそんな極端なことばかりではありませんが、兄は多少間違っていても突き進んでいきます。みんな不満には思っても不服とは感じません。兄がそれだけのことを私たち兄弟に対してしているからです。それを知っているので不満には感じても、それをことさら問題にはしません。兄がこうする・・と決めれば、みんなそれに黙々と従います

それでも小学生の時は、まだよく分かりませんでした。金曜日の夜8時、プロレス中継の時間です。みんな楽しみにしていました。しかし、日本プロレスの分裂騒動があり、金曜8時のプロレスはNETテレビ(現テレビ朝日)系列へ移動しました。日本テレビ系列ではプロレスに変わって「太陽にほえろ」が始まってしまいました。
8時過ぎプロレスを見ていると兄ちゃんが帰宅。いきなりチャンネルをひねって「太陽にほえろ」に変えてしまいます。(このころはもちろんリモコンはありません)私と下の弟だけが文句を言って怒られ、他の兄弟は宿題やらでバラばらに。

横になって寝転んで、肘枕でテレビを見ているところに戻ってきた兄ちゃん。「ごろごろしてテレビ見とんじゃねえ」ってすごい勢いで怒られた。休みの日は自分(兄ちゃん)も、ゴロゴロして見とるくせに、と腹を立てたことを覚えている。母ちゃんに愚痴ると「兄ちゃんの事だで、しょうがないだ」の一言。このころは渋々従ってた感じです。

でも、兄はそれだけのことをしていました。それだけの責任を背負っていました。みんな、そのことを知っていたのでもめることはなかったのでしょう。まだよく理解できなかった下の二人(私と弟)を除いて。

たけのこご飯

2016年04月24日 17時07分46秒 | 若年認知症のつどい
今日は第4日曜日、アルトさんでの「アルトひまわり会」の日です。1カ月ぶりに顔を合わせ、このひと月の出来事、思いを伝えあいました。今日はまた、「たけのこご飯」の昼食です。事前に準備していただいた「たけのこご飯」と野菜を豚肉、ベーコンで巻いてみんなで焼きました。サラダもいろんな種類を用意していただきました。ありがとうございます。みんなでワイワイ言いながら食べる食事は、おいしいものです。これからも時々お願いします。(いつも見ているだけで、食べるだけですが、申し訳ありません。)
毎月、皆さんの協力で手作りの貯金箱に小銭を入れてもらっています。それと今日の会費(500円)でとても素敵な昼食会になりました。たけのこもとてもおいしかったです。事前準備をしてくださったアルトのK部長、家族の会のIさん、本当にありがとうございました。

ひと月の報告の中で、亡くなられた方もみえました。多臓器不全で老衰に近い感じだったそうです。これからも「アルトひまわり会」には参加してくださるそうです。介護の経験をこれからの人に伝えていってください。
もう一人、お母さんの介護をされている方も、介護の状況、家族間の問題等を話していただきました。この場で話すことで少しでも心の重荷を下ろすことができれば、ストレスを発散できればと思います。いっぱい話して、心を軽くして帰って行って下さい。

私も兄のことを話しました。看取りを終え、一人暮らしをされている方もみえます。兄の状況を伝え、日ごろの近所付き合いの大切さを伝え、自分にも言い聞かせました。

その後、サキさんのところに行くつもりでしたが、目が非常に疲れているので(なら、パソコンなんかやっとったらあかんでしょう! というサキさんの声が聞こえそうです)少しウトウトしてしまいました。今日はサキさん、ごめんなさい。面会はやめて、のんびりします。
サキさんの特養の責任者の方に昨日、このブログのことを伝えておきました。「サキさんの介護日記」で検索すればすぐに見つかると思います、と伝えたのでこのブログを見てくれると思います。家族の思いをこのブログを通しても伝わればと思います。もちろん、直接にも伝えますが。このブログを見ての感想も聞いてみたいです。

西尾の英雄:岩瀬仁紀(中日)

2016年04月24日 09時45分28秒 | 私の日記
今朝の新聞のスポーツ欄。地元新聞なので中日の話題がスポーツ欄のトップに来る。今日の見出しは
岩瀬、背信被弾

私はこの背信という表現が大っ嫌いだ。特に一生懸命やった結果に対する評価での背信という表現が。
確かに背信の意味は「信頼や約束を裏切ること」とある。起用した監督、チームメート、ファンの「抑えてくれる」という期待を裏切ったことは確かだ。でもそれは一生懸命やった結果であり、意図的なものではない。意図して期待を裏切ったわけではない。背信という表現、出来ればスポーツ欄では見たくない。
もう一つ「リベンジ」も。復讐するものじゃないだろう。やられた(負けた)らやり返す(次は勝つ)ということなのだろうが、別の表現を使って欲しい。

兄ちゃんの手続きで西尾市役所に行ったとき、玄関ロビーに岩瀬選手のコーナーがあった。

西尾市ふるさと大使として紹介されていた。まさしく岩瀬選手は
西尾の英雄なのだ

張り紙について話し合い

2016年04月23日 22時14分54秒 | 今日のサキさん
今日は朝11時から歯の治療。その前に買い物も済ませ、サキさんの面会は昼からに。

歯の治療を終え家に着いたのは午後1時。まだ麻酔で口の中がしびれているが気にせず食べる。(何を食べたか思い出せない。やっぱり、あぶない)少しウトウトし、気付いたら4時前。あわててサキさんのとこに向かう。

施設に着くと、丁度、施設の責任者の方がみえた。もしサキさんが肺炎等をおこした際の入院先となる病院のパンフレットを頂いた。特にどこでなければ嫌だという病院に対する希望はないので、ありがたく頂いた。
そして、張り紙の件を訪ね、20分ほど話をしました。結論としては、
 他の利用者やスタッフの特定できる写真は載せない。
 施設が特定できるような内容は載せない。
 施設のことを書くときは前もって相談を(これは要望)
施設としては評判等も気になるところで、おまけに最近の個人情報保護の問題もあり、施設としても大変らしい。勝手なことを書かれても困るということだろう。でも、日記でしかも思いつくままに書いているので、どんな内容になるのか実際に書き終わるまでわからない。だから、施設の内容にかかわることは極力書かないことにします。気になることは直接伝えることにします。でも良いところはどんどん伝えていきますね。感謝の気持ちも。

サキさんは今日も浮かない表情。

顔はすべすべでつやつやだけど、目が寂しそうに何かを見つめている。

今日の夕食も淡々と淡々と、黙々と黙々と、無表情で食べ続け完食。サキさんにはソフト食のほうが食べやすいのかな?大っ嫌いな豚肉も黙々と文句も言わず、嫌な顔もせず、食べきってくれた。


それにしても、サキさんは何を見つめているんだろう。何を思っているんだろう。





似すぎやろ!

2016年04月22日 21時54分26秒 | 私の日記
サキさんの食事介助に行くと、同じテーブルの利用者さんにいつも言われます。
よ~~、似とるね
結構似ているのかな。以前、コメントにも書いたが、娘の友人がサキさんを見た後
「お母さんによく似とるね」と言われ、その同じ友人が私を見た後
「お父さんにそっくりやね」と言われたらしい。

やっぱり、サキさんと私は似ているのかな。ついでに娘も。

兄ちゃんの葬儀で西尾に行ったとき、近所のおばさんたちに
「お兄さんによう似とるね」と言われました。
次の日、法事の日程を調整するため近所のお寺さんへ行ったときは、そこの奥さんに
「はっ」とびっくりされながら二度見をされました。
ドキッとするほど似ていたのでしょうか?自分ではそんなに感じませんが。

兄ちゃんの遺影(コンパクトサイズのもの)をもらってきて家に飾ってあります。
父ちゃん、母ちゃん、そしてサキさんのお父さん、お母さんの写真と一緒に。

夜、仕事を終えて帰ってきた娘、兄ちゃんの写真を見つけ
おうっ
と思わず声に出していました。
似すぎやろ!

兄ちゃんの記憶-1

2016年04月21日 22時07分07秒 | 私の日記
先日ひっそりと亡くなった兄ちゃん。最後に会ったのは去年の正月だ。
サキさんが老健に入所して、初めてサキさんのいない正月を経験した時だ。元旦、2日はサキさんの様子を見に老健へ行き、3日に実家へ向かった。
始めは実家でなく、隣の幸田町に住む次男のところへあいさつ。ここで初めてサキさんのことを告げた。そう、これはサキさんの様子を兄弟に告げるための帰省だった。それから姉ちゃんのとこに。ここでたまたま実家を訪れていた5男の弟に久々に会う。3男の葬式以来だ。弟に会うのは、いつも誰かの葬式の時だ。それから実家へ。兄ちゃんも家に居てくれた。突然思い立って行ったのだが、兄(姉)弟全員に会うことができた。もちろん数年前に54歳で亡くなった3男にはあっていないが。

このときの兄ちゃんは、元気ではあるものの少し「ろれつ」の回らない時があった。脳梗塞とかの前兆で「ろれつ」が回らなくなるというのを聞いたことがあり心配したことを覚えている。
「姉ちゃん、兄ちゃんの事、ちょっと心配やで頼むね」
そう言って帰ってきたが、まさかこんなに早く・・・。

6人兄弟がこれで残り4人になった。次は誰の番だろう、冗談めかしてそんな会話が自然と出てくる。兄弟が揃うのは誰かが亡くなったときだけだ。そしてその時はまた兄弟の数が減っているんだろう。
次は俺かな
次男と四男の私が口を揃える。姉ちゃんがポツリと言った。
最後は嫌だな

施設の張り紙

2016年04月20日 21時57分14秒 | 今日のサキさん

サキさんの特養のあちこちに、最近こんな張り紙が至る所に貼ってある。
もちろん、他の利用者さんやスタッフの皆さんが映りこんだ写真は極力載せない様に気は使っているつもりです。でも、あまりに強調して「慎んでください」と言われるとなぜかカチンとくる。サキさんのことまで載せるなと言っているんだろうか。そういう風にもとれるし、ブログを書いている身からすると、施設のことをブログに書くな・・と言っているようにも聞こえてしまう。コメントまでいちいち何で許可を取らなきゃいけないんだ。
「他の利用者さんのプライバシー保護の観点から他の利用者さんが特定できる写真等の掲載はやめてください」これだけでいいのではないでしょうか。今度じっくり施設の方に話してみます。なんか、自分のことを言われているような気もして、あまり気分は良くないです。

さて、水曜日。サキさんの夕食介助です。
6時前に到着。サキさんは目を閉じて車いすに。私が近寄ってもなかなか目を開けてくれません。ようやく目を開けてくれましたが、私を目で追うこともありません。ぼ~~っと一点を見ています。そのままの雰囲気で夕食がスタートしました。

今日の普通食は「もやし」でした。主菜は「さわらの梅みそ焼き」こちらが普通食のほうがサキさんには食べやすかったかも。もやしは少し長く、ちょっと食べずらそう。それでもシャキシャキっと良い音をたてて食べてくれました。

今日のスタッフさんは慣れた方で、心のこもった介助をされていました。入って間もないと思われる方も、優しい声掛けで介助されていました。食事は楽しいほうがいいですよね。危ない時や、緊急の時は大声や、きつい声になっても仕方ないですが、食事中は今日みたいに優しく接してほしいです。スタッフの皆さん、これからもよろしくお願いいたします。(こういうことを書くにもいちいち許可をとらないかんのかな?)

サキさん、赤色の男物のTシャツを着せてもらっていました。ゴメンねサキさん。こんな服しか見つけられんくて。

サキさん60歳

2016年04月19日 17時06分47秒 | サキさんの動画
朝、ブログを更新してから洗濯と布団を干し、サキさんの面会へ。
今日4月19日はサキさんの60回目の誕生日。還暦です。ケーキでも買っていこうと途中のコンビニでに寄るが、ケーキは無かったのでロールケーキとシュークリーム(これは私用)と缶コーヒーを買ってからサキさんの特養へ。

サキさんは少し機嫌が悪そうな感じ。
「サキさん、お誕生日おめでとう。今日で60歳だよ、還暦だよ。」
少しずつ表情はほぐれだしてきた。
サキさんに(私の)兄ちゃんが亡くなったことを伝えるが反応は無い(仕方ない)

お昼ご飯の前だったけど、買ってきたロールケーキを食べる。

2016年4月19日サキさん60歳


スポンジもクリームもおいしそうに食べてくれた。食べることは今のところ何も問題ないように思える。反応は今一だがそれでもテレサテンの歌で
「息を止めてそばにいて」を
「息を止めたら死んでまう
と歌詞を変えて歌ったら笑ってくれた。
額のシワを触りながら
「シワシワ、シワだらけになっちゃうよ」
このシワという言葉にも大きく反応して笑ってくれた。
そして昼食も完食。あれだけロールケーキ食べたのに。


また、昼食の前に、特養のスタッフの皆さん、利用者さんがサキさんの為に「ハッピーバースデー」を歌ってくれた。このときのサキさんは本当に素敵な笑顔で皆さんに応えていました。
うれしい気持ち、楽しい気持ちが表情に現れたのだと思います

スタッフの皆さん、ご一緒している利用者の皆さん、還暦を迎えたサキさんをこれからもよろしくお願いいたします

兄ちゃん、ありがとう

2016年04月19日 09時22分39秒 | 介護日記
私が西尾から岐阜に来たのは、今から40年前の昭和51年(1976年)

3月、大学入試のため、岐阜に向かおうと西尾から名鉄電車に乗った。しばらくして
受験票 忘れた
真っ青になった。普段から忘れ物の多かった私は、この受験票だけは忘れてはいけないと仏壇にしまっておいた。そして見事に忘れた。カバンの中にちゃんと入れておけばよかったのに・・。
西尾線から名古屋本線の乗り換え駅である新安城駅で、西尾の実家へ電話した。平日の早朝で、たぶん普段ならもう市場へ行っていただろう兄ちゃんが家に居てくれ電話に出てくれた。
「受験票忘れた。仏壇のとこにあるで」
何しとるだ。馬鹿か。今から持ってったるで、待っとれ」
駅員さんにお願いして、改札を出て外で待っていた。30分くらい(不確かな記憶)で兄ちゃん到着。3月なのに雪の舞う寒い日でした。
「ほれ」と渡された受験票をもって、また駅に戻りました。
岐阜に着くまで、何度も何度も受験票を確認しては、馬鹿な自分を嘆いていました。

兄ちゃんのおかげで試験に間に合い、無事合格することができました。それから40年間、岐阜に住み続けています。そして、サキさんにも巡り合うことができました。
あの時、兄ちゃんが家に居なかったら、市場に出かけた後だったら、今みたいに携帯はないので連絡はつきませんでした。そしたら、もちろん今の自分はありません。サキさんとの出会いもありません。その意味でも兄は私にとっての恩人です。
兄であり、父親であり、恩人であります

ちなみに、葬儀のあった17日は私とサキさんの結婚記念日。そして今日19日はサキさんの60回目の誕生日です。
会社に無理を言って、今日まで休みをもらっています。これからサキさんのところに行ってささやかに祝うつもりです。平日なので本当なら会いに行けない日なのですが、これも兄ちゃんの計らいかもしれません

兄ちゃん、ほんとにありがとう。
そして、ゆっくり休んでください。


孤独死

2016年04月18日 18時23分52秒 | 私の日記
4月16日の土曜日の朝電話があった。仕事中で出れなかったが、着信履歴で姉からの電話を確認すると嫌な予感がした。
「実家の兄の身に何か・・」
こちらから姉に電話をかけ直し、つながる。
兄ちゃんが死んどっただ
姉の声が少し震えていた

実家の兄は、6人兄弟の長男で、兄弟中唯一の独り身だった。24歳の時に父親が亡くなり、それまで勤めていた地元の銀行(西尾信用金庫)をやめ、家業の八百屋を継いでくれた。
長女はすでに結婚し家を離れ、次男も高校を卒業し働き始めていた。しかし下にまだ3人いる。高校3年の三男。6人兄弟の中で一番賢かったので大学受験が控えていた。そして中学2年の四男(私)と、中学1年の弟が控えていた。
父親が亡くなってからは、長男であり、そして文字通り父親代わりであった。三男、四男、五男を大学へやり、自分は母親とともに家を守り、いつしか自分の婚期は逃してしまった。兄弟のため、母親のために本当に苦労をしっぱなしの人生だった

長男(以下、兄ちゃんと書きます)については書かなくてはいけないことが山ほどあるのですが、それはまた今度にします。

土曜日の朝、兄ちゃんの町内の人から、姉ちゃんに電話が入った。
新聞がたまっとるけど、大丈夫かいっぺん見たってくれんか
もうこの電話でお姉さんは悟ったらしい。慌てて家に行くと、いつもの兄ちゃんの指定席(和室の)に座ったまま亡くなっていたらしい。すぐに救急車を呼んだが、救急隊員が来てすぐに帰ったらしい。
そして、病院(死因の解明)と警察へ。いろいろと大変だったらしい。死亡診断書によると
 死亡日時:4月13日ごろ
 死因  :不明
詳しく死因を解明するには、病理解剖をする必用があるらしく、それは断ったらしい。(当然だよな)

新聞は4月12日からたまっていたらしい。そしてゴミ箱には、4月12日午前4時が賞味期限の焼きそばのケースが。だから間違いなく11日までは生きていたはずだ。
12、13、14、15日 そして16日の朝まで、一人、部屋で発見されずにいたんだろう。近所の人がお姉ちゃんの電話番号を知っていたので連絡取れたが、勤め先にはいざという時の第3者の連絡先は伝えてなかったため、無断欠勤扱いのままだったらしい。連絡取ろうにも兄ちゃんの番号しか知らず、その時、すでに兄ちゃんは・・・。

日曜日、午前中の土砂降りの雨も上がり、無事葬儀も済みました。家族葬で済ますつもりが町内の方も別れに来ていただきました。ありがとうございました。

一人暮らしをされている皆さん。万一の時の第3者の連絡先を、勤め先、ご近所の方に必ず知らせておいて下さい。そして普段からのご近所付き合いが大切だなと改めて思い知りました。

兄ちゃん、さようなら。
いままで本当にありがとうございました