サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

12月30日今日のサキさん

2015年12月30日 18時25分26秒 | 今日のサキさん
今日は朝から神社の正月準備(煤払い神事)に参加した。サキさんが病気になるまでは、町内のことも全てサキさんにまかせっきりだった。私が参加していたのは、町内会の総会だけ。しかも班長をやらなければならない年の総会だけ。それ以外の年は総会もサキさんに出てもらっていた。生まれ育った町ではないので知り合いもなく、昼間は仕事でいないし町内のことはまるで分らなかった。
「町内のことはしたくない。総会に出たくない」と駄々をこねたことがある。その時サキさんは「ずっとこの町で暮らしていくつもりなら(私と夫婦でいたいのなら)がんばって出て」と言っていたのに。3年前に私が町内会長を3年続けてやらなければならなくなったときは、『なんでお父さんがやらないかんの?○○がやればいいのに』と怒っていた。あれだけ町内、近所づきあいに熱心だった人が、全然違う態度だ。

病気になってから、いろいろ変わった。
不満や愚痴はほとんど言わない人だったのに。
いつもいつも周りのことを優先して考えていたのに。
汚い言葉使いが大っ嫌いだったのに。
これが本当のサキさんなのか?いや、そんなことはないと思う。ただ、だいぶ自分の気持ちは抑えていたのかな。

さて、今日12月30日のサキさん。歯医者さんに診てもらったそうだ。左右に1か所ずつ虫歯があるそうで、新年に再度治療を行う。そして指のリハビリが新年4日から始まるそうだ。特養のスタッフの皆さん、ありがとうございました。新年もよろしくお願いします。

今日も思いっきり泣いていたサキさん。言葉は今日もあまりなかった。食事は完食。


スタッフの皆さんも声掛けをしっかりしてくださり、ありがとうございます。来年はサキさんも還暦です。どんな年になるのでしょう。のんびりと穏やかに、すごすことが出来ますように。

冬の天気はよく変わる

2015年12月26日 15時22分14秒 | 今日のサキさん
岐阜市の冬場の天気はよく変わります。
晴れていたかと思うと急に時雨れてくる。天気予報でよく「太平洋側では良く晴れるでしょう。山沿い側では曇りや雨のぱらつくところもあるでしょう」と言われるとますますわからなくなる。今日もそうだ。南の空は真っ青。きれいな青空が広がっている。日差しもある。しかし北の空を見ると、一面、どんよりとした冬の雲。今にも雪が舞ってきそうな感じ。洗濯物を外に干そうか、やめとこうか非常に迷うところだ。窓からは真っ青な南の空しか見えない。でも物干しは少し濡れている。迷ってが外に干すことにした。それからサキさんの面会へ。

サキさんの特養に行く途中も空が気になって仕方ない。空は晴れたり曇ったりを繰り返している。洗濯物ははたして大丈夫だろうか。そうこうしながら特養に到着。

今日のサキさんは「バカ」で迎えてくれた。でも最初だけでした。途中からは穏やかな顔になったり、大粒の涙を流したり。いつもの『かっぱえびせん』もいい音をたてて食べてくれました。お茶はやっぱり飲みにくそうでした。とろみをつけるものをこれから買ってこようと思います。


今年もあと残りわずか。今年は(も)いろんなことがありました。
サキさんも、老健・自宅・病院・特養と移っていきました。冬場の岐阜の天気のようです。来年は今の特養さんで落ち着いて、ゆったりすごせることを願っています

今日も完食

2015年12月23日 17時13分46秒 | 今日のサキさん
サキさんの昼食の介助をしてきました。

着いたのは11時15分くらい。まずはホームセンターで買ってきたハンガーを組み立てました。

早速サキさんのジャンバーもかけておきました。再び着ることがあるかどうかわかりませんが、家に置いておいても仕方ないので寒い時には羽織ってもらいましょう。

そして昼食です。今日のメニューは、豚肉の生姜焼き、隠元の胡麻和え等。

味噌汁は赤みそをゼリーにしてあるので、まるでこんにゃくのような見た目です。
他のものは途中からすべて「わらびもち」に見えてきた。豚肉なんか完全に「黄な粉をまぶしたわらびもち」にしか見えない。味は違うのだろうが。
普通の豚肉だと多分サキさんは食べなかっただろう。病気になる前は「共食いになるから豚肉は食べないの」とよく冗談を言ってみんなを笑わせていたサキさん。病気になってからは、けっこう嫌いなものも食べれるようになったね
そして今日も完食。

ご飯の直前に『かっぱえびせん』を食べたけど、それでも完食できました。ゼリーではなかった「ローリー」は少し飲みにくそうだった。ちょっと心配だ。

理沙ちゃん 結婚おめでとう

2015年12月22日 22時00分10秒 | 若年認知症のつどい
岐阜県には2つの若年性認知症の人と家族のつどいがある。

毎月、第3日曜日に、各務原市のニッケさんで開かれる
あすなろ絆会
そして第4日曜日に、岐阜市長良雄総のアルトさんで
アルトひまわり会
この2つのつどいが行われる。希に、この2つのつどいの開催日が重なることがある。基本的には重なっても、その日が第3日曜日ならニッケさんへ、第4日曜日ならアルトさんへ行っていた。どちらのつどいも私にとっては大切な場所なので、どちらかを優先はせず機械的に行き分けていた。

今月は年末ということもあり、アルトさんが第3日曜日に開催日変更となった。普段なら第3なのでニッケさんへ行くのだが、今回はアルトさんへ行くことにしました。
理由は1つ。アルトの理沙ちゃんが結婚すると聞いたからだ。先日、奥様を看取られたばかりのMさんから聞き、ぜひサプライズでお祝いをしようということになりました。サキさんも本当にお世話になった理沙ちゃん。ベッドからの起き上がらせ方を指導してくれたり、いつも的確なアドバイスをくれた。サキさんが座り込んで、どうにも動けなくなりデイに行けなくなったとき、わざわざ家まで来てくれて、二人がかりでサキさんを玄関まで動かし、玄関の段差でやっとこさ立ち上がれたサキさん。あの時は本当に助かりました。

理沙ちゃん、本当に本当におめでとう。こんないい子が、息子のお嫁さんになってくれたらな~~と、本気で思っていました。今も思っています。理沙ちゃんのような人に、息子がめぐりあえますように

そして、Mさん。ご自身がまだ完全には傷が癒えていないのに、理沙ちゃんを心から祝福し、花束やクラッカーも用意して下さった。本当に細やかな心配りのできる素敵な人だ

理沙ちゃんの入籍はクリスマスに、式は来年行うそうだ。笑顔のあふれる素敵な家庭をきっと作っていけるだろう。
理沙ちゃん、本当におめでとう。そして、これからもよろしくお願いします




いろんな言葉を返してくれたサキさん

2015年12月20日 22時32分52秒 | 今日のサキさん
先週の土曜日以来の久々の面会に行ってきました。
今日のサキさんは、非常に反応が良く、新しい言葉も出てきました

介護の責任者の方が、サキさんの奥歯に虫歯があるようだと報告され、サキさんの口を開けて私に見せようとするのだが、頑として拒否するサキさん。私が、そんなサキさんに「虫歯なんやと、口あけて見せて」というと
『知っとる』
そして無理に口を開けようとする責任者に
『たわけか』
そして、3時のおやつのクッキー(といってもゼリーだが)を食べているとき、「おいしい?」という私の問いかけに
『おいしい』
はっきりとした言葉で返してくれました。おうむ返しかもしれませんが、それでもうれしかったです。そして「お姉ちゃんは、今日は各務原のニッケさん(のつどい:あすなろ絆会)に行っとるでね」と言うと、
『ニッケ』

いずれも、はっきりと聞き取れるものだった。しゃべる力は十分に残っている。後は、言葉を思い出させてあげれば、もっともっとたくさんの言葉を返してくれそうだ

でもサキさん、できるだけ汚い言葉はやめてね。『たわけ』は、あかんでね



おじいさんの命日

2015年12月17日 22時14分53秒 | 介護日記
昨日、12月16日はサキさんのお父さん(以下おじいさん)の命日だ。何年になるのか、記憶がはっきりしない。おばあさんの3回忌におじいさんも一緒にしたので、たぶん、その時が13回忌。おばあさんと10年違うとすると、今年で15年ということになる。早いものだ。よく家に来ては、いつもにこやかにコーヒーを飲むのが日課だった。

おじいさんが亡くなる年の秋、台風が接近。家の外の塩ビの波板が風にあおられ、今にも飛んでいきそうな状態。おじいさんに連絡すると、すぐにやってきて修理してくれた。亡くなる少し前なので、かなり体もしんどかったはずなのに。文句や愚痴の一つも言わず、黙々と修理してくれた。
私の家は、おじいさんのアパートだった。1階をすべて借りていた。(格安の料金で)だから、おじいさんが大家さんでもある。おじいさんが亡くなってしばらくして、アパートを取り壊し、新築した。アパートが壊れていくとき、サキさんも子供たちも、少し涙ぐんでいた。サキさんにとっては、おじいさんとの思い出の品が壊されていく感じだったのだろうか。子供たちは、生まれ育った家が無くなってしまう悲しさを味わったのだろう。

サキさんにとって、そして私にとってもとても大きな存在だったおじいさん。もちろんおばあさんにとってはなおさらだ。一気に身体は不調を訴え、うつ状態にもなり、やがて認知症になった。新築するとき玄関近くに和室を作った。おばあさんを引き取ることがあるかもしれないと思ったからだ。おじいさんは亡くなる前「俺が死んだら、サキのところに行け」と言っていたらしい。長男夫婦から離れろという思いだったらしい。実際、おばあさんが≪うつ≫になったのは長男夫妻のせいだと思う。結局おばあさんは、お姉さんが引き取った。これからお姉さんの苦労が始まるのだが。

おじいさん、あなたの二人の娘さんは、しっかりおばあさんを守り続けましたよ。まっすぐにまじめに生きていますよ。
安心してください。これからもサキさんは私がしっかり守りますよ。あなたの大切な娘さんですから

本気で若年性認知症の人の気持ちを考えるのなら

2015年12月15日 20時36分01秒 | 介護日記
いつも思うことがある。
サキさんが認知症になるまでは、思いもしなかったことだけど。

介護老人保健施設

介護老人福祉施設
(特別養護老人ホーム)


そして、岐阜県や岐阜市の行政の組織の名前も
高齢福祉課

何とかならないのかな。
国のオレンジプランで、認知症についての7つの柱の中に
『若年性認知症』が入っている。

本気で『若年性認知症』について考えてくれるのなら

まず、名前から考えてくれませんか

『若年性認知症』の人の気持ちを本気で考え、支えるつもりなら

まず、名前から変えてくれませんか

脱健着患

2015年12月12日 22時31分38秒 | 今日のサキさん
最近、左の肩がとても痛い。何もしていなくても痛む時がある。左手を後ろに動かそうとするととてつもなく痛い。肩が抜けるような感じだ。(実際に抜けたことはないが)今の私の場合、左側が患側ということになる。(介護職員初任者研修で習ったぞ)そして右側が健側だ。
初任者研修で『脱健着患』という言葉を習った。服を着るときは患側から、脱ぐ時は健側から。でも実際これが難しくて意識していないとごっちゃになる。今、まさに書いている最中も、途中まで逆のことを書いていた。

私は、つどいやサキさんの面会などに出かけるときにリュックを背負っていくが、いつも右側から背負ってしまうので左手が大変なことになる。左手だけ取り残されたようになる。仕方なく、右肩のみで背負っている。勉強したはずのことがちっとも生かされていない。左肩の痛みを感じるたびに、呪文のように「脱健着患」と唱えている。

今日も、左肩の痛みに耐えながら、北東部オレンジサロンに行った後、サキさんの面会に。オレンジサロンは、地区の自治会の連合会長さんも出席され、次第に地域に根付いたものになりつつある気がします。自分の介護の経験、そばで見ていたサキさんの思いも代弁できればと思います。今日は特にお金の管理に関する悩みが出されました。実印や通帳の管理・・私は経験しなかったですが切実な問題です。

その後サキさんの特養へ。今日のサキさんは一言も言葉は発しませんでした。でも、いっぱい返事、相槌を返してくれました。「愛しとるでね、がんばってね」といった時には、口をもごもごと動かして、サキさんも「愛しとる」と言ってくれた気がします。はっきりは聞き取れませんでしたけど。


今日のサキさんは、終始、悲しげな表情でした。特に、帰り際に悲しい表情をされると、やはりつらいです。

ボケとツッコミ

2015年12月10日 23時31分22秒 | 今日のサキさん
先日、テレビで(若手)漫才の日本一を決めるM1をやっていた。5年ぶりの復活なので、今回はデビュー15年以内のコンビが出場できたようだ。優勝は敗者復活から勝ち上がってきた「トレンディーエンジェル」髪の毛の薄いことをネタにした内容の漫才で見事優勝。特に右側の「斉藤さん」のボケが面白い。テンポもいいし、好きなコンビである。

サキさんもお笑いは大好きだ。(ど突き漫才以外)バカリズムさんやウッチャンも大好き。ほのぼの、ほんわかしたやさしい笑いが好きだった。漫才も好きでよく見ていた。漫才のボケとツッコミ。漫才の場合は、「ボケ」と笑って言えるけど、毎日の生活の中で「ボケ」続けられると・・・。少しつらいし、気安く「ボケたんか」とはとても言えない。でも本当は少々の「ボケ」を、サキさんと一緒になって、笑い飛ばすことが出来れば、もう少しだけ楽しく過ごせたかもしれない。もう少しだけ進行を遅らせることが出来たかもしれない。

サキさんと一緒になって、「ボケてまったんか」と、笑い飛ばせばよかった。きっと私たち夫婦のコンビは、ボケは一流(いや天然)だったけど、それをうまく笑いに変える「ツッコミ」が力量不足で、重く、暗く深刻に対応しすぎたのだろう。もっと軽快な、ほんわかするようなツッコミを返していれば、認知症は進行していっただろうが、もっと違った展開になっていたような気がする。

少々の「ボケ」は、一緒になって笑い飛ばしましょう

こんなことを、去年の6月頃、一番サキさんが荒れていた時の、介護に疲れた自分に言ってあげたかった。

おばあさんの記憶

2015年12月09日 23時09分05秒 | サキさんとの記憶
サキさんのお母さんは、グループホームに入っていました。おじいさんが亡くなってから、体調をこわし、入院・手術を数度繰り返したのち、お姉さんと同居することになりました。(立派な長男夫妻がいるのだが、権利の主張ばかりで何もしない)その時には、もう認知症の症状が出始めていました。

おばあさんのことで、はっきり覚えているのは、ある正月の出来事。お姉さんから電話があり「今からおばあさんとそちらに行きます」という。正月のあいさつのためではなく、おばあさんをなだめるため、落ち着かせるためだという。
興奮して、かなり苛立っているおばあさん。「今から、京都に行きます。京都の妹のところに行く。」「もうこんなとこにはおれんで、京都に行きます。この子(お姉さんのこと)が、鋭利な刃物で襲ってくるの」鋭利な刃物とはメジャーのことだと後で知らされる。とにかく落ち着かせようと「どうやって京都に行くの?」と尋ねると「線路を歩いていくの。線路に沿って歩けば京都まで行けるで」かなり興奮している。本気で行こうとしているのか、それとも、お姉さんを困らせようとしているだけなのか。後者のように感じながらも、おばあさんの手を取り、必死でなだめた記憶がある。

もちろん、おばあさんは歩いて京都に行くことはしなかった。が、おばあさんの認知症はどんどん進み、やがてグループホームに入居することになります。この間のお姉さんの苦労は並大抵のものではありませんでした。
この頃、お姉さんは「認知症の人と家族の会」に入会。沢山の出会いと、介護の思いを共有し、励まし合ってきたことだと思います。
この頃のサキさんは、子育て真っ最中。そして、免許のないお姉さんの足となって、様々な施設を回っていました。グループホームに入所してからも、よく面会に出かけていました。お姉さんを後ろから支えていた感じです。

おばあさんが亡くなって5年。月日の経つのは本当に早いですが、それに伴って、記憶もどんどんぼやけていきます。細かな部分はなかなか思い出せなくなってきます。出来事は覚えていても、順番がわからなくなったり、いつのことだったかわからなくなったりと。
覚えているうちに、記憶のしっかりしているうちに、記録しておかなければ、記憶はどんどん薄れるばかりだから


5年前は一人でバスに乗って

2015年12月08日 22時58分45秒 | サキさんとの記憶
先日の日曜日、サキさんの面会を終え、お姉さんとお昼を食べた。そこでの話の中で、「おばあさんが亡くなってもう5年になるね」という話題が出てきた。そのあたりのサキさんの様子を思いだしてみた。

グループホームに入っていたおばあさん。体調を崩し入院。(この辺の細かい記憶がなかなか出てこない。何の病気だったのか、何が悪くなったのか。おそらく聞いてはいたのだろうが右から左に流れていたのかも)
サキさんはおばあさんの面会(付き添い)によく出かけていた。この時サキさんはすでにもの忘れ外来を受診してから2年が経過している。自分の病気もそこそこ進行していたのだが、一人で面会に行っていた。
車の運転はもうしていない。免許はそのままだが、自分から怖くなって運転はやめた。そして自転車も。よく自転車でバランスを崩し倒れたらしい。車の運転をしなくなってから、ほどなく自転車もやめた。

おばあさんの病院までは、バスで行くことになる。家からバス停までは歩いて1・2分。病院の目の前にもバス停があるので助かる。問題は降りる時だ。サキさんの話では、降りるバス停を間違えて乗り過ごしたり、料金の支払いにまごついてほかの乗客から文句も言われたらしい。バス料金は160円くらいだったと思う。市内均一料金は200円だったが、近距離のため端数の料金だったと思う。この小銭の支払いに時間がかかったのだと思われる
だけど、よく頑張って一人でおばあさんのために面会に行ってくれたものだ。バスに乗る不安もあっただろうに。きっと、おばあさんへの思いの方が強かったんだろうね。

おばあさんが亡くなって、葬儀の時、途中でサキさんがトイレに行ったきり戻ってこなくなった。娘に女子トイレに探しに行ってもらったが見つからない。息子にも頼んで男子トイレも探してもらったら、男子トイレの個室にいたらしい。
サキさん自身も病気は進行していたのに、特に空間、位置がとりわけわからなくなっていたのに、本当に病院への行き返り大変だったね。よく頑張ってくれたね。


この前のサキさんがうとうとしていた時の写真。拡大すると左目のあたりが腫れているように感じる。左手は自分の力で動くようになり、目のあたりをしきりに掻いているからだろうか。

NHK「SONGS」にバンプ出演

2015年12月07日 22時37分23秒 | BUMP OF CHICKEN
土曜日の夜、NHKの「SONGS」に、ついにバンプが出演しました。昨日は、サキさんの様子を書きたかったので、少し書くのが遅れましたが。

やっぱり、バンプはいいです。久々に聞いた「ガラスのブルース」若いエネルギー、情熱にあふれた歌詞で、これからの意欲にあふれた歌です。これから歌の世界で思いっきりやってやるぞ! という決意表明の歌です。聞いているほうも自然に前向きになれます

そして、「花の名」私は、この歌を認知症のイメージソングにしたいと、一時期、本気で考えていました。ことあるごとにサキさんとこの歌を歌い、CDをかけてもらって、みんなに聞いてもらっていました。
あなたが花なら、たくさんのそれらと変わりないのかもしれない。そこから一つを選んだ私だけに歌える歌がある あなただけに聴こえる歌がある』その歌詞のようにたくさんの人の中から、選び選ばれて夫婦になった私たち。選んだ私だからできること、やれることがあるはずです。
みんな会いたい人がいる。みんな待っている人がいる。会いたい人がいるのなら それを待っている人がいる
涙や笑顔を忘れたときだけ思い出してください 同じ苦しみに迷ったあなただけに歌える歌がある

本当に、素直に心に入り込んでくる歌詞です。そうだ、その通り、と思わず言ってしまいそうな歌詞です。
藤君(藤原基央君)、これからも素敵な詩を、素敵な歌を、私たちに届けてください

言葉が続いて出てきたぞ

2015年12月06日 22時03分23秒 | 今日のサキさん
もう気が付けば12月。日に日に寒くなってくる。もうすぐ岐阜にも雪が降る
4月にサキさんの車いすでの送迎に備えて、普通車から介護用の車(車いすのまま乗れる軽自動車)に買い替えたので、冬用のタイヤ(スタッドレス)を先週の日曜日にオートバックスで買っておいた。雪のちらつく前には交換したかったので、今朝さっそく交換した。
5年前までは、サキさんの車のタイヤ交換も私の仕事だった。今は自分の車だけ。ちょっとさみしいが、仕方ない。

10時30分過ぎに、サキさんのお姉さんと一緒に面会に向かう。今日もサキさんはベッドの中。私たちの顔を見ると急激に表情が曇っていく。今日は感情が豊かだ。というか、背中、腰のあたりがかなり痛そうだ。また、足を自分で動かしては「痛い」を連発している。ここまでは、いつもと同じ。でも今日は、
痛い、バカ」(少し岐阜弁も)
痛いて、もう。やめて!」

今までの単発の単語ではなく、単語が言葉になっている。単語が続けて2つ出てくる。ベテランの保育士でもあるサキさんのお姉さんが「2語やね。この調子で言葉が増えんかね」と幼児の言葉の発達と重ね合わせた感想。
明らかに、自分の思いを的確に表した言葉を、しかも連続して話してくれる。本当にこのまま、この調子で言葉が増えていかないかな。後ろ向きの言葉だけでなく、良い言葉も。
「ありがとう」「大丈夫」
最後にその二つの言葉をしつこく繰り返してきました。
「痛い」や「バカ」が、こんなにしっかりと、はっきりと聞き取れる言葉でしゃべれている。しゃべる機能は全く衰えていないということだ。もっと、もっと話せるようになるはずだ

サキさんから「ありがとう」の言葉が聞こえるように。面会の時にしつこく言うでね、サキさん。
ありがとう


ブログを初めて、はや半年

2015年12月05日 23時22分08秒 | 介護日記
サキさんが、今年の6月に入院し、家にいなくなって半年以上がたちました。ということは、このブログを書きはじめてからも半年が経過したことになります。何をやっても長続きしない私にしてはよく続いているほうです。

よく通販で売っている健康(運動)器具。見るとつい欲しくなってしまう。物欲しそうな感じで見ていると、横からサキさんが、「どうせ続かへんのやで、やめといて。ゴミになるだけやから」と一言。
実際、買ったものはすべてゴミになった。お腹をギューッと押さえつけるやつや、コロコロとスライドして腕と腹筋を鍛えるやつ。そして、ブルブル振り回すやつ。みんな中途半端に使っているので、しっかりした名前も覚えていない。でも、いまだにBSなんかの通販番組を見ると、すぐに欲しくなってしまう。「お腹が引っ込むかもしれん。痩せるかもしれん」と思ってしまう。
買うだけでは効果は上がりませんよ!」と、どこからか冷ややかな声が漏れてきそうだ。

本当にそんな私にしては、このブログはよく続いている。思いついたことを、その時の雰囲気で書いているだけなので気楽なのかもしれない。でも、せっかく書くのだから、サキさんのことをもっともっと書き残しておきたい。私たちの今までの歩みを残しておきたい。こんな気持ちになるのはサキさんの病気のおかげだ。おかげというのも変だけど、サキさんが病気にならなかったら、二人の記録を残そうなんて全く思わなかっただろう

これからも出来る限り書き続けます。サキさんの病気のこと、介護での悔いや反省を。二人の出会いから今までの思いでを。そして、面会時のサキさんの様子を。家族の会や、つどいでの活動も。その時々の気分のままに書き綴っていくつもりです。

BUMP OF CHICKEN『友達の唄』

2015年12月04日 21時19分30秒 | BUMP OF CHICKEN
いよいよ明日、NHKの『SONGS』にバンプが出演します
多くの人に見てほしいです。

私もサキさんも大好きなバンプ。
うちは、みんなバンプ(が好き)やもんね」サキさんがよく言っていた。
この頃はもうすでに認知症の症状ももちろん出始めていた時期なのに。バンプのことも、バンプの新しい歌も覚え、一緒に口ずさんでいました。

サキさんも好きだった『友達の唄』
ゆったりしたメロディーに心温まる歌詞。皆さんにも聞いてほしいので、YOUTUBEの動画を貼り付けてみました。

BUMP OF CHICKEN『友達の唄』