サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

本人の思いを素直に聞けない

2016年12月01日 22時28分40秒 | 介護の後悔
最近は、認知症本人の方がご自身の思いを伝える機会が増えてきた
講演会などで、思いを伝えられる方もいる。

でも、私はそういう話を聞きたいと思ったことがない。
聞いて「良かったよ」という感想を聞いても、私も聞きたいとは思わない。思えない

ご自身で語られる人は、若年性の認知症の方がほとんどだ。だから余計に
聞きたいとは思わない。

どうしても、サキさんと比べてしまう
認知症の当事者は、遠くにではなく、すぐ隣にいる

すぐ隣にいる人の思いさえ、きちんと聞いてやれなかった人間が、他人の話を・・・。

元気(?)に自分の思いを語られる方を、サキさんとつい比べて、うらやましく思ってしまう。
時には、妬みに近い感情も芽生えてしまう。

サキさんはあっという間に車いす、ベッドの生活になってしまったのに、彼(彼女)らは、いつまでも自分の思いを語っていられるのか。文章を書くことが出来るのか?

きっと、周りの温かい、手厚いサポートがあるからだろうか。
それに引き換え、サキさんは。

鬼のような形相の夫に世話され、あっという間に介護度がすすんでしまった。
そして、自分のふがいなさを今さらながら責めている。

介護職の皆さん、専門職の皆さんは、ぜひ当事者、ご本人の発言をよく聞いて、本人の思いを分かってください、感じてください。

でも、介護家族、特に若年性認知症の介護家族にとっては、自分を悔やむ場にしかならない。

だから、私は、認知症本人の講演会があるとしても、きっと行かないだろう。そんな時間があるなら、サキさんの施設に面会に行って、サキさんの思いに寄り添いたいと思います。
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後悔、仕事を奪ったこと

2016年08月19日 17時43分34秒 | 介護の後悔
認知症になっても、生き生きと今まで通りの生活をされている人は、いっぱいいます。

高齢者の認知症の方も、畑仕事や、裁縫など、長年やってきたものは、結構、体が覚えている。少しくらい間違えても、周りがとやかく言わずに、さらっと流してしまえば、本人にダメージは残りません。

進行が速いと言われる若年の人でも、早くから公表し、周りの適切なサポートを受けている方は、進行が緩やかな気がします。そして何より、その方の「仕事」がきちんとあること、これが大きいと思います。何でもいいんです。これが私の仕事だ、と思えるものがあり、それを続けることが、本人の大きな自信になります。

でも、サキさんの場合は・・・。

家の中でのサキさんの仕事を、私は奪ってしまった、取り上げてしまいました。
台所の仕事、主婦としてのサキさんの職場である台所の仕事。
野菜の皮むき器(ピーラー)を使うたびに指を切っていたサキさん。包丁もだんだん使えなくなってきました。炊飯器の水加減も分からなくなり、研ぐのはサキさん、水の量は私の係になりました。しばらくして、研ぐのも私の仕事のなりました。
洗い物くらいなら出来るよ
サキさんが言ってくれるのですが、断ってしまいました。サキさんが洗うと、どうしても泡のついたまま乾燥機に入れてしまうので・・・。気持ちはわかるのですが、
ありがとうね、でもいいよ、座っとって
私の言い方も、毎日毎日同じ繰り返しの中で、段々ときつい言い方になっていました。
いいから座っといてって、言っとるでしょう、お願いやでじっとしとって
まるで、邪魔者扱いです。サキさんの想いはどうだったでしょう。でも、この時は自分のことで手一杯でした。

洗濯物も、うまいこと干せなくなり、取り込んだ後も、どこに片づけたかわからなくなり、一緒にやるようになり、しばらくして私だけの仕事になりました。

サキさん一人ではできないことが多くなってきました。日々の時間に追われる生活の中では、ゆっくりのんびりやればいいよ、とはならずに、サキさんから仕事を奪う結果になってしまいました。
そのほうが、私一人でやったほうが、早くて楽 だからです。

サキさん一人で出来なくなった時、まだ介護保険は利用していませんでした。この時に、包括さんや、ケアマネさんに相談し、サキさんの仕事へのサポートを頼んでいたら、違った展開になっていたと思います。
買い物のサポート
料理のサポート
洗濯のサポート
そうサポートです。やってもらうのではなく、あくまでもサキさんが行う仕事のサポートです。主体はサキさんです。

でも、今の介護保険制度で出来るのかな。そのころのサキさんは介護認定を受けていたとしたら、おそらく要支援。要介護だとしても、家族のための料理までは認められていない気がします。要介護者本人のための食事提供や、洗濯物の取り込みなどはできても、家族の物はできないはずです。

介護保険がダメなら、それこそお手伝いさん。もしくは若年性認知症の初期の人をサポートして生活を支えるボランティアの皆さん(そんな人いるのかな)に、援助をしてもらえれば、サキさんはまだまだ働けたはずです。自分の仕事だと言えるものを持ち続けられたはずです。

若年性認知症の初期の人の生活を支えるための援助制度。サポート体制。とても重要で大切だと思います

サキさんの仕事を奪ってしまったこと。
サキさんを家の中で、お客さん扱いにしてしまったこと。
サキさんに生きがいを感じさせてあげれなかったこと。

全てを後悔しています
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最初の入院(その2)

2016年08月05日 22時05分50秒 | 介護の後悔
2年前のサキさんの入院はいわゆる
医療保護入院
でした。サキさん本人が入院を求めたわけでもなく、サキさんが入院に同意したわけでもなく、サキさんの扶養者である私の求めによって入院ということになったわけです。

サキさんは今まで通り、家で暮らしたかったはずです。
でも、私がもう耐えられないところまで来ていました。
寝不足、睡眠不足が一番つらいことでした。
数時間おきにトイレを訴えます。一人では行けなくなっていたので、ついていかなくてはいけません。7月ごろからはトイレに連れていくこと自体も大変な労力になっていました。車いす代わりに、ローラーの付いた椅子を使ったこともありました。(これは結構使えました)
そして、昼夜が逆転していたのかどうか、夜中に私に叫んできます。
「何で寝とるの?いつまで寝とるの。はよ起きて仕事に行かな!何でそんな人になっちゃったの。なんでそんなクズになっちゃったの」
布団を頭からかぶって聞こえないふりをしますが、そんなものでサキさんのしゃべりは止まりません。サキさんも昼間はデイサービスに言っているので夜は眠いはずなのに、一向にサキさんの勢いは衰えません。一時間ほどのサキさんの口撃が続き、一時間ほど静かになり、また、トイレの訴えから再び口撃が再開されます。

医師に睡眠薬も処方してもらいましたが、あまり聞かなかったみたいです。効きすぎるのも怖いので(また体の自由が奪われるので)弱めのものにしてもらっていたので、余計に効きが悪かったのかも知れません。

私の睡眠不足と、デイサービスでのサキさんの興奮状態と、家でのサキさんの荒れた様子で、サキさんの入院を知り合いに相談しました。サキさんの体、状態を案じて・・・というよりは、私の介護の限界、介護の一時避難的な要素の強い医療保護入院となりました。

完全に私の都合による入院です。
私が入院させない、という強い意志があればサキさんは入院しなくても済んだわけです。

そうしていれば、おむつや、常時車いすをすぐに使用することもなかったと思います。入院するまでは普通のパンツにパッドを入れただけでした。しかも20ccの一番少なめのやつ。それで十分だったのに。
病院では、介護まで手が回らないのかも知れませんが、紙おむつが常態化されました。病院側は、そのほうが楽ですもんね。ほっとけばいいんですもんね。50歳代で紙おむつにさせられたサキさん。悲しかっただろうね。入院の時、先生に言われた。
「それで、あなたは何を望んでるの。おとなしくなればいいんでしょう
本当に何を望んで入院させたんでしょう。ただ、一度サキさんと離れてゆっくりしたかったのかもしれません。
つまり、私の保護のためのサキさんの入院だったのでしょう。

もっとほかの道はなかったのかな。ほかの方法はなかったのかな。やっぱり悔いが残ります。

入院するサキさんを残して病院を後にするときの変な罪悪感は、一生忘れないでしょう。
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介護の後悔3-最初の入院

2016年08月04日 21時27分05秒 | 介護の後悔
介護で後悔したことをいくつか書いてきた。
悔やんでも仕方のないことかも知れないけれど、その時は、そうする他に道はなかったのかもしれないけれど、でもやっぱり、後悔の念は残る。しっかりと私の後悔の思いを書き残したい。
いくら後悔しても、サキさんは3年前、4年前の姿に戻ることはない。でも自分の経験してきたことが、何かしらの道しるべになればいいなと思います。何気なく見てくれた、覗いてくれた誰かの心に残ってくれたら・・・。

今、一番思うのは、2年前の入院。果たして入院させたことは良かったのか?入院しなければ、サキさんはどうなっていたのだろうか?私はどうなっているだろうか?

ひょっとすると、一番悲しい結末が待っていたかもしれない。
無理心中?
多分、気の弱い私には、そんなことはとてもできないし、入院するまで、そんな思いが浮かんだことも一瞬もない。でも追い詰められていたことは確かだ。精神的に私も不安定になっていたのは確かだ。

ひょっとすると、仕事をやめていたかもしれない。おそらく仕事を続けながらの介護では、もたなかったはずだ。仕事をされながら在宅で介護されている皆さん、本当にお疲れ様です。尊敬します。サキさんもショートをうまく利用できれば、仕事を続けながらの在宅介護も可能だったかもしれませんが。サキさんは環境の変化に敏感で、ショートにうまく溶け込めませんでした。

仕事をやめたら、時間にも心にも余裕をもってサキさんの介護はできたはずです。でも生活は成り立たなくなります。サキさんの障害年金だけではやっていけません。まだ、住宅ローンも残っていましたし。でも、思い切ってやめていたら笑顔でサキさんに接して・・・いられたかな?

入院ではっきりしていることがある。
オムツになってしまったこと。(トイレ介助が・・)
車いすになってしまったこと。(歩けなくなった)

さらには、入院先の先生に言われた言葉もショックだった。
これだけ重度になって、いまさらアルツハイマーもレビーも関係ないでしょう

介護家族の思いを全く分かっていない、と思わざるを得ませんでした。確かにそうかもしれませんが、少しでも詳しく知りたいじゃないですか。

この時、もう入院だけはしないでおこう、入院だけは嫌だと思っていたのに・・・、一年後にまた。

出来ることなら入院せずに済ませたかった。
病院は、医療施設で介護施設ではありません
先生にはっきり言われました。これもその通りです。だから一刻も早く退院させたかったのです。

その後、ケアマネさんが老健さんを紹介してくださり、退院しました。
最初の入院の3ケ月は、出来るのであれば、何としてでも取り戻したいです。やり直したいです。
やっぱり悔やみます
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介護の後悔2-手を挙げてしまった

2016年08月01日 21時20分13秒 | 介護の後悔
とっても優しい旦那だと自分でも思っていた。

頼りなくて、気が弱くて、自信無さげで、そんな私を別の言い方で、何とかほめようとするとやっとこさ出てくる言葉が
優しい人
になる。私から優しさを取ったら、ただの覇気のないおっさんになってしまう。

そんな優しさだけが取り柄だと思っていた男が、愛する妻に、大好きな妻に手を挙げてしまった
後悔しても仕切れない、情けない気持ちでいっぱいだ

今から2年前の平成26年。この年サキさんは、要介護3から要介護5になった。5月の事だ。そのころ本当に荒れていたサキさん。もちろん、本人に荒れている意識はない。自分の思うようにならないことが多くなり、多少はイライラもしていたとは思うが。
トイレの処理を一人でできなくなってきたサキさん。一緒にトイレについていき、おしりを拭いたり、水を流したりとトイレの介助をするようになっていた。普段はうまくいくのですが、トイレの前に失敗したりすると、サキさんも自分でバツが悪いのか、隠そうとする。そしてトイレの介助(おしりを拭くの)を抵抗します。
サキさんのおしりを何とかきれいに拭こうとする私に、必死で抵抗するサキさん。じっと坐っていてくれません。私を払いのけようと手も出てきます。その時、思わず、

ピシャン

私の右手が、サキさんの頬を叩いていました。いつまでも右の手のひらがジンジンしびれていたのを覚えています。それでもおとなしくしてくれないサキさん。どうにかこうにかトイレの後始末は終わりましたが、悲しい気持ちと右手の痛みはいつまでも消えませんでした

今なら、もっとうまくできる自信があります。
ビニール手袋や、おしりふきや、電動ウォシュレットなど、いろいろ揃えました。
今なら、サキさんの頬を痛めることはなかったはずです。今なら・・・。

心の準備と、いざという時のための備えがしっかりあれば、もう少し落ち着いて対処できたはずです。心と物の事前の準備をしっかりしておく大切さを改めて感じました


今日の仕事帰り、きれいな虹がかかっていました。
出荷の時には土砂降りで大変でしたが、終わって帰るときには、きれいな虹が、労をねぎらってくれたみたいです。
2年前の介護も大変だったけど、今、サキさんの心にも、こんなきれいな虹がかかっていたらいいですね

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介護の後悔1-薬

2016年07月28日 22時54分50秒 | 介護の後悔
サキさんが家にいない生活が、もう少しで2年になろうとしている。

まだ終わったわけではないが、今までを振り返ると悔やむことばかりだ。その中でも一番悔やむのは薬の事

まず、アリセプト、本当に必要だったんだろうか?
飲み続ければ、緩やかに下った行くが、途中でやめると一気に症状がすすんでいきますよ!と製薬会社のパンフレットに書いてあった。今思うと一種の脅しのような気もします。もし、飲まなかったら、始めから飲まなかったらどうだったんだろう。副作用もよく分からない。頭痛はしきりに訴えていたけど、副作用なのかどうかは分からない。ましてやアリセプトが利いているのかどうかも実感はない。ただ辞めたら急激に悪化するという強迫観念で飲み続けていただけだ。その薬も2年前の入院時から飲んではいない。もう必要なくなったんでしょうか?進むところまで、悪化するところまで行きついたということなのでしょうか?

次に抗精神病薬と睡眠薬。どちらも私の都合で飲ませてしまった。そしてサキさんの運動機能までも奪ってしまった。インフルエンザをきっかけに症状がすすみ、荒れだしたサキさん。(もちろん、介護者もとまどい荒れていたのだが)そしてショートステイ利用中に環境になじめず荒れたサキさん。すぐにショートへ迎えに行き、その足で急きょ受診しました。そして精神薬を処方してもらい、荒れは治まりましたが、ついでにサキさんの運動機能も抑え込まれ、うつろな目で壁の上のほうをぼ~っと眺めるサキさん。その姿にいたたまれなくなり薬をなくすと、再び荒れだすサキさん。それを抑えるために、また精神薬に頼る私。夜もなかなか寝てくれずに延々としゃべり続けるサキさんを。これまた睡眠薬で眠らせる私。どうしても仕事を続けなければならないので、寝てくれないのが一番つらかった。抗精神病薬と睡眠薬でどんどん自由の利かなくなるサキさん。思い通りにならないことも余計に荒れる原因になったのだろう。そしてそれをまた薬で無理やり抑え込む。

この薬漬けが無ければ、どうなっていたんだろう。今は、てんかんの薬を飲んでいるだけだ。認知症の薬や精神薬、睡眠薬の類は一切飲んでいない。このまま完全に薬が抜けたら、また以前みたいに動けるようにならないかな。

どうしても薬に頼らざるを得ない状況もあるでしょうが、出来ることなら使わずに済ませたかったですもっともっと愛情をこめて介護できていれば、もっともっと家での仕事をサキさんにやってもらっていれば・・・。もっともっと。

これからも、ときどき後悔していること、あの時何で、と思うようなことを書いてみたいと思います。
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