サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

家族の会のリフレッシュ旅行

2015年10月29日 21時33分19秒 | 介護日記
今度の週末、岐阜県認知症の人と家族の会の「リフレッシュ旅行」があります。私が参加するのはまだ2回目です。最初は2年前、もちろんサキさんと一緒に参加しました。

ブログのタイトルバックに使っている写真は、2年前のリフレッシュ旅行で、岐阜県の下呂温泉に行った時のものです。


もちろん、まだ一人で歩けましたし、笑顔もいっぱい。食事も少しワイルドに手づかみになったりはあっても、なんとか頑張って食べていました。時折、感情的になったり、バスのステップの上り下りも少しきつくはなっていましたが、それでも、お姉さんや、アルトのK部長や、そのほかの皆さんの力をお借りして、とても楽しいひと時を過ごせました。

あれから、まだ2年、たった2年です

この2年間をやり直せたら・・・、と つい考えてしまいます。

今度の土日は、サキさんに会いに行けないので、次に行くときは、ゆっくり時間をとって会ってきます。まだまだ、サキさんに対してしてあげられることがあるはずです。サキさん、ちょっと待っといてね。「バカ」でも何でもいいで、また声を聞かせてね。


終末期とは

2015年10月26日 22時17分46秒 | 介護日記
去年の12月から、今年の4月にかけて、介護職員初任者研修を受講し、無事に修了した。16回の講習と4回のレポート試験、そして最後に確認テストと修了テストがあります。

その4回目のレポート問題の中に、「終末期とは」という問題があった。終末期について、テキストの内容を要約し200字以上400字以内でまとめるというものでした。終末期についての講習はまだ受けていません。予習(自習)して理解を深めるためのものだったのでしょう。何もよくわからないまま、テキストを読んでいくと、終末期の定義が2つほど載っていました。その中の 日本老年医学会 による定義では
病状が不可逆的かつ進行性
・その時代に可能な限りの治療によっても病状の好転や進行の阻止が期待できず
近い将来の死が不可避となった状態
だという。

サキさんの場合はどうだろう

・病状は進んでいる。いつ誤嚥を起こすかわからない
・現在の医学では治すことはできない(認知症の治療薬はない
・近い将来の死・・これだけは、まだ少し先の話だと思いたいが、10年、20年先の話ではないことは確かだ。

アルトのつどいの Mさんの奥さんの死 が、私に終末期を意識させる。

胃ろう、延命処置等、特養に入所の際に説明を受けたが、正直、ぴんと来ていなかった。いろいろ考えなくてはいけないのだろう。少なくとも心の準備はしておかなくてはいけないのだろう。まずは医療的な面を、色々と勉強しなくては。正しい選択ができるように。悔いのない選択ができるように

 ちなみに、初任者研修の記述問題に私はこう書いている。

「日本老年医学会の定義によると私の妻はもはや終末期ということになる。すでに要介護5となり半分寝たきりの生活である。まだ死は近くないと思うが他の要素は当てはまっている。どんどん意思は通わなくなっている。つらいが何とか最後まで介護を行うつもりです。」

最後は文字数の関係で、尻切れトンボになってしまった。ちなみにこの記述は、10点満点中、5点でした。
気持ちはわかりますが、私的なことは書かないように・・とありました。でも、サキさんのことをレポートに書かずにはいられませんでした。勝手に手が動いていました。

訃報

2015年10月25日 21時49分09秒 | 若年認知症のつどい
若年性認知症家族会「アルトひまわり会」のリーダー Mさんの奥さんが亡くなられた。昨日が通夜で、今日11時より葬儀が営まれたそうだ。丁度その時間は10月の「アルトひまわり会」の開始時刻だ。Mさん夫妻が今日は出席できないこと、そしてその理由がアルトのK部長から伝えられました。
Mさん夫婦と、Gさん夫婦、そして私たち夫婦、よく似た状況だった。3組とも奥さんが、若年性認知症になったことゆえに当然、男性介護者であること。そして介護者自身が仕事を持っていること。働きながらの介護は、若年性認知症の介護で一番悩みの多いところです。
Mさんの奥さんの症状は、いつも私達より一歩先を行っていました。徘徊、失禁、誤嚥、胃ろう・・・。その都度、Mさんは献身的に奥さんの介護をしてこられた。私たちの手本でした。ハンディータイプのウォシュレットもMさんから教えてもらい、徘徊のGPS(セコムかなんかの)も。まさか、こんなに早く旅立たれるとは夢にも思っていなかった。

Mさんの奥さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

Mさん、これからも「アルトひまわり会」のリーダーとして、みんなをまとめてください。そして、これから認知症の介護の荒波に入っていく人たちを、一緒に支えていきましょう。

久しぶりにカレーを作ってみた

2015年10月24日 17時56分34秒 | 介護日記
水曜日あたりから、声がかれだした。咳はそんなでもないがのどが痛い。木曜日の羽島でのケアマネさんへの講演も、せっかくの美声(?)をお聞かせできなかった。昔から、「声(だけ)は、素敵ですね」とよく言われていた。うつるといけないので、今日はサキさんへの面会はなし。明日は少し落ち着いているだろうから、会いに行くでね。待っといてね

今日は久々にカレーを作った。(最近はレトルトのカレーばかりだった。)圧力鍋で玉ねぎがトロトロになるまで煮込んだ。わが家のカレーはもちろんサキさんが作っていた。大きめのじゃがいもに人参、そして玉ねぎと肉(いつの間にか牛さんから豚さんに代わってしまったが)が入った普通のカレー。じゃがいもを大きめに切ってあるのは、じゃがいもの嫌いな人が間違って食べないようにするため。(もちろん、嫌いなのは私です)サキさんの病気が進んできてからは、二人で作っていた。野菜を切るのは私。炒めるのはサキさん。そして圧力鍋で煮込む。じゃがいもは、いつからか別の鍋でゆでておくようになった。圧力鍋で煮込むとドロドロに溶けてしまうので。(私としては溶けて形が見えなくなった方が良いのだが)

今日のカレーは、久々に牛さんのカレーです。もちろんじゃがいもは無し。ただ、作る量が問題だ。娘はカレーが嫌いで食べないので私一人だけで食べきらなくてはいけない。これからしばらくカレーの日々が続きそうだ。カレーうどんや、カレースパゲッティーで変化も加え、食べきりましょう。

「うん」と返事が

2015年10月22日 19時52分18秒 | 今日のサキさん
今日は、朝からお姉さんと一緒にサキさんの面会へ行ってきました。今日もサキさんはベッドに横になっています。私たちを見かけると少し戸惑ったような感じでした。そして一言「バカ」今日も聞かせてもらいました。そしていつもの「おやつ攻撃」が始まります。持って行ったコーヒーのペットボトルを手に持ってもらいました。少し細めのボトルで握るにはちょうど手ごろなサイズです。

スウィートポテトを食べ、かっぱえびせんでは見事なカリっという音を立て、食べてくれました。充分に噛む力は残っているようです。食事にも1品でいいから固形物を混ぜてもらえないか相談してみるつもりです。
帰り際に、「今から羽島に行ってくるでね」と言うと、サキさんの口から「うん」と返事が返ってきました。たまたまだと思いますがとてもうれしかったです。もし私一人だったら泣いていたかも。

そして昼から、羽島市居宅介護支援専門員連絡協議会からの講演依頼で、家族の体験談とケアマネに伝えたいことと家族の会の活動紹介という内容でお話をしてきました。家族の会の活動内容は、お姉さんにおまかせで、私はケアマネさんに対する思いを中心にお話をさせてもらいました。ケアマネさんに対してお話をさせてもらうのは初めてで少し緊張しましたが、今の素直な気持ちをお話しできたと思います。ケアマネさんは、学校の(特に小学校の)先生に似ていると思います。介護という学校に始めて足を踏み入れ、そのすべてをお任せする担任の先生のようなものです。介護のことなどまるで知らない家族を、どうか良い方向に導いていってください。ケアマネさん、よろしくお願いいたします。
話し終えると、あれも話したかった、これも話せばよかったと、介護と同じで後悔ばかりがすぐに出てきます。今日の私たちの話がどのようにケアマネさんたちの心に届いたかはわかりませんが、少しでもお役に立てたのなら幸いです。

特別障害者手当って知っていますか。精神等に障害があって、常時特別な介護を必要な方を在宅で介護している場合に月に26620円が支給されるそうです。所得制限はあるようですが。去年の入院前の状況なら私たち夫婦にも十分資格があったような気がします。しかし知ったのは入院後です。もっと早く知っていればという思いはあります。金銭的に厳しい状況を理解されていたケアマネさんから、この情報を頂いていれば・・・。でも、過ぎたことは仕方ありません。これから在宅でがんばる人たちに十分な情報が、必要な時にしっかり提供されることを願っています。

「バカ」久々に聞いたサキさんの声

2015年10月18日 21時12分02秒 | 今日のサキさん
朝からお姉さんとサキさんの面会に行った。担当の看護師さんから「2日くらい前から急に声が出るようになりました。」との報告を受けている最中に、サキさんの口から
バカ、バカ
とはっきりと聞した声が。でも久々に聞いた言葉が、よりによって「バカ」とは。ひょっとすると、ワハハと同じで、いろんな思いを込めた言葉なのかもしれない。口をついて出てくる言葉は確かに「バカ」だけど、それは「ありがとう」なのかもしれない。今、サキさんの口から出せる音が、たまたま、声や言葉にしやすい「バカ」だけなのであって、そこには実に様々な意味があるような気がします


その後は、お姉さんの差し入れのチーズ入りのお菓子。大きな口を開けて食べてくれた。


サキさんの「バカ」は、最初に聞いただけで、帰るまで声は出なかった。が、帰り際に少し「ワッハッハ」と言ってくれたような、そんな声が漏れてきた。でもやっぱり顔は今にも泣きそうな感じだった。眉間にしわをよせて、悲しげな表情だった。

認知症予防???

2015年10月17日 22時11分32秒 | 介護日記
私はテレビのチャンネルをすぐに変えてしまう。大好きな野球をやっていてもコマーシャルになるとチャンネルをあちこち変えてしまう。今日も野球を見ながらふとチャンネルを変えると、認知症のことについてやっていた。
曰く、認知症予防に良いことは?・・脳と体を同時に動かすこと
曰く、認知症予防に良い食べ物は?・・チーズと赤ワインとブロッコリー

高齢者の方の、年齢と共に少しずつ衰えていく機能、認知症になる原因物質の蓄積を抑えるためには、確かに効果はあるのかもしれない。しかし、サキさんのような若年性認知症の場合はだいぶ違う。もちろん徐々にアミロイドβが溜まってきたのだろうが、その過程は全く別物の気がする。ましてや、生活習慣病のような感じで、その対策、予防を語られると時に腹が立つほどだ。
サキさんは、毎日規則正しく生活をし、野菜も、チーズも、私の大っ嫌いな納豆もしっかり食べていたし、きちんと運動もしていた。家の中にいても、じーーっとすることなく、いつも動き回っていた。掃除や布団を干したり、庭の草をむしったり。あきれるほどに動き回っていた。そんなサキさんが認知症になった。乳がん検診をきちんと受けていても乳がんになってしまった北斗晶さんと同じで、どうしようもない病気なのだ。なにかしていたら防ぐことができるようなものではなかったのだ。

同じ認知症でも、若年性のそれは、はっきりと別物であることを皆さんに理解してほしい。また、マスコミなどで認知症を特集される場合も、この予防法は若年性認知症には役立ちません、若年性認知症は誰にも起こりうる、防ぎようのない病気なのです・・と、はっきり伝えてほしい。

まだまだ反応はある

2015年10月16日 21時28分03秒 | 介護日記
最近、反応の薄くなってきたサキさん。昔、私がサキさんの話をうわの空で聞き流し、テレビばっかり見ていた時の、サキさんの気持ちが少しわかる気がした。一生懸命に話しても反応が返ってこないので、ぬかに釘のような感じで、手ごたえがない。その時の私は、今のサキさんのように病気で反応できなかったわけではないので、サキさんの怒りはどれほどだっただろう。あきれられて、捨てられなくてよかった。今度は、私がしっかりと話しかける番だ。しゃべり続けよう。話しかけ続けよう
 反応の薄くなってきたサキさんだが、食後に口の中を拭こうとすると、思いっきり力を込めて口を閉じて拒否する。テコでも開かない。
「なーーんだ。しっかり反応しているじゃないか」りっぱな意思表示だよね。食べ物を近づけると口を開いてくれる(前よりは小さい、おちょぼ口だけど)、これも意思表示だ。
まだまだ、よく観察すればいろいろなことに気づくかもしれない。注意深く観察しよう



在宅介護をギブアップ

2015年10月12日 22時16分01秒 | 私の日記
去年の8月の終わりにサキさんは愛知県一宮市の病院に入院した。そこから家にサキさんのいない生活が始まった。10月の終わりまで入院、それから老健さんへ入所。今年のゴールデンウィークの前までお世話になった。そして、5月ひと月間だけ家に戻って、一緒に生活したが、6月から岐阜市の病院に再入院。そして、9月26日から現在の特養さんのお世話になっている。サキさんが家にいない生活は、もう1年以上にもなる
先月のアルトさんのつどいで、同じ若年性認知症の奥さん(要介護5)を在宅で看ているGさんから「私は看れるまでは看ようと思っている。ギブアップした人もおるけど」と言われた。実際、その通りだ。私は早々と白旗を掲げ、在宅介護を「ギブアップ」してしまったのだ。そう言われたのがショックというよりは、なんか自分が情けない気持ちでいっぱいになった。
なんで、最初の病院の退院の時に「在宅介護」を考えなかったのか。もうその時点で在宅介護を「ギブアップ」していたんではないのか。あの時に、家をリフォームしていたら、サキさんは家に戻れたのではないか。いろんな思いが交錯する。

10月12日今日のサキさん

2015年10月12日 16時54分39秒 | 今日のサキさん
1週間ぶりにサキさんに会いに行った。
サキさんの部屋のドアを開けるとベッドに横になっていた。音楽も何もなく、ただじーーっとしている。目は見開いていた。


「サキさん、お父さん来たよ」と呼びかけるが、あまり反応はない。面会に行く前に床屋へ行き髪をバッサリと切ったからわからなかったのだろうか?そんなこともないか。最近はだいたい反応は薄い。さっそく音楽をかけてみたが、いつもの中島みゆきさんの「誕生」や「糸」にも反応なし。あれだけ涙をながしていたのに、今日はまったく無反応。でも表情は穏やかな気がする。やさしい表情だ


施設のスタッフの方とゆっくり話をしたいのだが、なかなか話す機会がない。皆さん忙しそうに動き回っている。
「サキさんは笑顔を見せますか?」
「お風呂のとき、サキさんの表情はどうですか?」
「食事は?普通食に戻すことはできますか?」
「サキさんが声を出すことはありますか?」
「夜、サキさんはよく眠れていますか?」


なかなか会いにも行けない。また行っても、ゆっくり居てあげられない。(時間はあるんだけど)居ずらいわけではないけれど、サキさんからの反応がどんどん少なくなってきているので、間がもたない。会話もできないし。手を握ってこちらから一方的に話しかけて、そして歌を歌って。何をすればいいんだろう。何ができるんだろう。やっぱり笑顔がみたいから、一方的でも仕方ないので、反応があるまで、がんばろう。

帰るときは、やっぱりつらい。心が晴れない。なら、もっと一緒にいてあげればいいのに、それもしない。やっぱり私は自分のことしか考えないダメな人間のようだ。サキさんのために・・・と言いながら、いつも自分の都合だけだ。

仕事しんどいって言ったら怒られるな

2015年10月11日 21時53分27秒 | 私の日記
今日も仕事だ
私の勤めている会社は、鉄骨の加工をしている。建物の骨組みにあたる部分だ。工場の人たちは、この1か月ほど、ほとんど休みなしでがんばっている。鉄骨に孔をあけ、切断し、必要な鉄板を溶接し、塗装をして建設現場に搬入する。私は、事務所で鉄骨の加工図面や、孔あけ加工のデータ作り等をしているが、今は忙しいので、工場の製品のチェックもしている。工場が動いているので誰かが製品のチェックをしないといけない。普段、事務所の人間が工場で立ちっぱなしでいると、かなりしんどい。溶接の光(紫外線)で、けっこう顔もひりひりする。

つらいな、しんどいな、と文句ばっかり言っていると、サキさんに怒られそうだ。
働けるだけで、幸せだがねって、言われそうだ。

明日は、休みをもらったので、会いに行きます。一週間ぶりだけど、ずっと会っていない気がする。昨夜、久々にサキさんが夢に登場した。夢の中のサキさんは要介護3くらいだった。けど、やっぱり笑顔はなかったな。何とかして笑かさんといかんね。明日、待っといてね

特養入所1週間 今日のサキさん

2015年10月04日 17時55分46秒 | 今日のサキさん
今日、1週間ぶりにサキさんのいる特養へ。今日のサキさんはベッドで横になりながらCDを聞いていた。スタッフの話では食欲が出てきたとのこと。様子を見ながら昼食の介助まですることにする。


昼食の前に、持って行ったロールケーキを食べた。以前のような感じで食べてくれた。お茶は紙コップに入れ、直接口に近づける。時折いやがって口を思い切り閉じる。

昼食は、ラーメンと餃子。ほかの入所者さんは、もちろん麺とスープと具の入った普通のラーメン。「ラーメン大好き」といって喜んで食べている人も。ほとんどの方は、介助なしで自分のペースでラーメンを召し上がっていた。サキさんも、もちろんラーメン?のようなゼリー食。スープはとろみで問題ないが、麺や具もゼリー。色が違うので何となくネギ?チャーシュー?麺?と感じる程度。餃子もゼリー。匂いはちゃんと餃子だ。形も餃子っぽく整えてあった。墓の皆さんと同じ場所だったので、写真は撮れなかったのが少し残念。しっかりと完食してくれた。

今日のスタッフの皆さんは、全員男性。少しぎこちない方もみえるが、一生懸命に関わろうとされている。これからもよろしくお願いいたします。でも、やはり女性スタッフの華やかさ、明るさ、にぎやかさがいいな。時折、シーンとしてしまうときもあるので。でも、徐々に、徐々に。ゆっくりいきましょう。

マイナンバー制度

2015年10月01日 22時10分56秒 | 私の日記
マイナンバー制度(正式名称は知らない)がいよいよ実施される。以前「国民総背番号制」という法律が、国民の総反対にあって廃案になった覚えがあるのだが。いつの間にか、同じようなものが知らぬ間に出来てしまっている。(多分、私が気にしていなかっただけなのだろうが)役所の都合だけで出来た気がする。本当に国民のためになるのか疑問もある。情報の漏えいも本当に心配だ。

 せっかく個人の情報を管理するのなら、介護、医療の分野でも生かしてほしい。日本にある助成制度は、そのほとんどが申告制である。申告をいちいちしなくても、障害年金、障害手帳など行政側から案内してもらえないかな。各種の申請、登録、事務手続きに、毎度平日の昼間に、会社を抜けて出かけなくてはいけない。それに、これだけ申請に行っているのだから、こちらの状況、様子も少しはわかるだろうに。同じ窓口に行っても、担当者が違うとまた一から説明しなくてはいけない。ましてや、違う部署ならなおさらだ。施設でもそうだ。場所が変わるたびに、また一から説明。そういったものを一つにまとめて、引き継いだり、共有したりできないかな。以前の病院で検査した内容も、別の病院で検査した内容も、同じサキさんのデータなのだから、サキさんのものとして一元化できないかな。そうすれば、もっともっとサキさんの治療に役立ったはずだ。水頭症の検査にワザワザ大学病院に行かなくても、今までの検査結果を十分に吟味すればわかったはずだ。実際、大学病院の先生は、以前のCT、PET等の検査資料をパッと見ただけで、水頭症ではない と即断した。

個人情報なので扱いは難しいと思いますが、いろいろな機関がサキさんの情報を共有し、サキさんにあった援助を、医療を、介護を考えていける状況になればよいと思います。

ただ、税金、年金等を徴収するためだけのものにならないように、国が国民の財産を管理するだけのものにならないように、介護、医療の分野に有効に生かしていけるように、活用してください