サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

ドライブ、その後

2021年04月23日 17時07分57秒 | 私の日記
昨日、今日と、午前中ドライブしてきました。
本当は電車に乗って、いろんなところに行きたいのですが、そんな訳にも行かずドライブとなりました。

昨日は谷汲山、今日は根尾谷断層。
谷汲は何度か行ったことがあります。サキさんとも行きました。病気になってからも何度かお参りに行きました。

でも、本堂までのこの長い石段がサキさんにはきつく(一番太っていた頃に行ってしまったので)、文句言いまくりでした。その時は本堂まで行けず、途中で引き返しました。

そして今日の根尾谷断層。ここは初めてです。明治時代にあった濃尾地震の震源地で、その地震で出来た断層を、展示館で間近に見ることが出来ました。


中央の土手のように見えるところ。地震の際に出来た段差だそうです。


すぐそばを樽見鉄道の可愛らしい列車が通っていきました。

 そして今日のお昼過ぎ、おなかをすかして家に戻り、玄関のカギを開けようとしていた時、よろよろと歩きながら私の方にやってくるお婆さんが、私に声をかけてきました。
「ここは、どのあたりなんだろうか? 私はまだ引っ越してきたばかりなので、よくわからんくなって」
お婆さんは、そう言いながら首にかけたカードを私に見せてくれました。

 そのカードには、名前と住所と、自宅の電話番号、連絡先として娘さんの電話番号、お孫さんの電話番号、そして岐阜北署の電話番号が書かれてありました。
「病院に行っとって、娘が薬もらっとる間にじっとしとけばよかったんだけど、歩いちゃってね。娘は、まだ私がボケとらんと思っとるで、待っとってって言わんかったんや」

 すぐに事情はのみこめました。お婆さん、場所を教えてもらったら歩いて帰ると言われましたが、もうやっとの思いでここまでたどり着いた感じだったので、家まで送っていくことにしました。
 首からぶら下げてあるカードの住所をナビに入力し、車で自宅まで送りました。

 自宅の真ん前まで送ったのですが、そこで別れてしまいました。家に入られるのを確認せず、そこを離れてしまいました。連絡先が書いてあったのだから娘さんに電話しなきゃいけなかったと、今になって反省しています。

 「娘は私がまだボケてないと思っとる」と言われてましたが、十分にお婆さんのことを分かっているから、首から連絡カードを掛けてあげていたんでしょう。そのおかげで家まで案内することが出来ました。嫌がる方もみえるかも知れませんが、本当に必要ですね。お婆さん自身も、すぐに私にそのカードを見せてくれたので、こちらも十分理解されたうえで身に付けられていたんだな、と思いました。

 でも、やっぱり最後、見届けなければいかんかった。

64歳、最後のサキさん

2021年04月18日 21時38分24秒 | 今日のサキさん
今日、2週間ぶりのサキさんの面会に行ってきました。

施設の受付で、前回の「家族会」での私の問いに対する答えがありました。やっぱり、マスクを二重にしようが、使い捨ての手袋を使おうが、直接触れることは認められません・・・と言う事でした。まあ、直接会えるだけでも良しとしなければならないのでしょうが、何故ダメなのかという明確な(納得いくような)回答はありませんでした。こういう状況だから、第4波で厳しくなってきたからダメの繰り返し。本当に何とかならんかな。


さて、今日のサキさんです。珍しく両目ともパッチリ開いています。でも初めだけで、すぐに目を閉じてしまいました。昨日がサキさんと私の結婚記念日だったので、結婚写真をサキさんに見てもらったのですが、反応はほとんどありません。でもちょっと毛布の下で腕(指)がもぞもぞッと動きました。何か感じてくれたのかな。

 そして、明日の19日、サキさんはいよいよ高齢者の仲間入りです。65歳になります。本当なら今ごろ二人でいろんなところを旅行しまくるつもりだったのですが、人生予定通りにはいきません。楽しい老後を二人で過ごすはずが・・、でもこれも仕方のない事ですね。自分に出来る精一杯のことをしたいと思います。

 サキさん、コロナが何とかなったら、毎日でも会いに行くでね。早くワクチン打ってもらえるといいね。そしたら、きっともっと頻繁に会えるよね、サキさん。


守るべき人がいるから

2021年04月13日 14時00分55秒 | 私の日記
 この前の墓参り、6人姉弟のうちの3人(3組)が集まった。6人のうち2人は既に逝ってしまい、神戸の弟は「まん延防止・・で来られず。少し寂しい集まりになった。

 お寺の駐車場。車から降りてこちらに近寄ってくる姉(以下、姉ちゃん)の姿が痛々しかった。杖をついている。
「えらい年寄臭くなったね。」
『足の指が2本無いだ。言ってなかったか』
 そんな事、何となく連絡を受けた気もするが・・。昔の元気はつらつな姉ちゃんの姿とあまりに違う姿に、時の流れを感じずにいられなかった。

 お墓参りの後、みんなで食事をした。(もちろん、マスク会食を心掛けた)
 初めは静かに食べすすめていたが、久しぶりの再開なので次第に口も緩んでくる。
「姉ちゃんの指は、糖尿病のせい?」
 『そうや』
「豊兄ちゃんは、持病あるの」
 『高血圧と糖尿。薬、飲んどるだ』
「母ちゃんも糖尿持っとったっけ?」
 『母ちゃんは糖尿、父ちゃんは血管。お前も気い付けなあかんぞ』

 父ちゃんは、脳卒中で54歳で亡くなった。夕食後に倒れ、翌日の未明に逝った。私のすぐ上の兄も、前日までは普通だったのに、朝、亡くなっていたそうだ。死因は不明。おそらく心筋梗塞か。兄も54歳だった。長兄もおそらく心筋梗塞。死後数日たっていたので、はっきりした死因は分かっていない。

 みんな、それなりの年齢になってしまった。気をつけんといかんな。糖尿病と高血圧には特に気をつけよう。私は今一人暮らしだから、もし倒れたらそれっきりだ。兄ちゃんと一緒になってしまう。手に携帯を握りしめたままの姿で発見された兄ちゃんと同じに。

 私は、一人(暮らし)だけど、一人じゃない。守るべき人がいる。恩を返さなきゃいけない大切な人がいる。もう自分の想いや意思を伝えられないから、私が代わりに彼女の意思をくみ取らなければいけない。

 私には、守るべき大切な人がいる。
 大切な人より先に逝く訳にはいかない。

 最後まで、最期の日まで、見守らなければいけない。


次兄夫妻と一緒に行った岡崎城。糖尿病と高血圧の薬を飲んではいても、夫婦二人でいろんなところに揃って出かけられる二人が、少し「うらやましかった」

施設の家族会

2021年04月11日 18時20分01秒 | 私の日記
昨日の土曜日、サキさんの特養さんの家族会が開かれました。コロナ禍と言う事で、各家族1名に参加を制限されての開催でした。

 家族会と言っても、家族間の話し合い・交流の場ではなく、施設側から家族側への一方的な説明会です。最後に参加家族に意見を求められたので、勇気を出して発言しました。
「面会が2週間に1回、15分に制限されて家族は寂しい思いをしている。しかもアクリル板越しの面会なので、一切触れあうことは出来ません。会話の成り立つ方はまだいいのですが、私の家内のようにしゃべれないところにとっては意思の疎通が十分に出来ません。何とか触れ合うことは出来ないでしょうか。使い捨ての手袋を使用するとか、マスクを二重にするとか、何とか直接触れ合える工夫をしてもらえないでしょうか」と訴えました。
 それに対する施設側の回答は、「今ここで結論は出せませんが、持ち帰って検討してみます」というものでした。

 施設側のコロナに対する危機感はよくわかります。施設内には絶対にコロナを持ち込ませないという決意は分かります。でも、そこに少しだけ家族の思いも汲んだ方法を検討してほしいと思いました。切実な家族の思いを少しだけでもかなえて欲しいと思いました。

 すべてダメで切り捨てるのではなく、可能な方法を検討していただきたい。
何故、家族が直接触れるのはダメなのか? ウィルスを持ち込む危険性があると言う事なら、どうすれば持ち込まずに触れ合うことが出来るようになるのか。少しだけでいいので、家族側に寄り添った形での検討をお願いしてきました。


家族会の行われた部屋の外の葉桜です。サキさんや他の利用者さんは、満開の桜を見られたかな?

 そして、今日はお墓参りで、岡崎に行ってきました。わざわざ密を避けようと思って、名鉄のミューチケット(360円の特別車座席券)を買ったのに、名古屋から乗ってきた方ふたりが、すぐ後ろの席に。車内はガラガラなのに、よりによって何ですぐ隣の席を売るのかな・・・名鉄は。しかもペチャクチャしゃべりっぱなし。イラっとしたので咳ばらいをしたら、少し静かになりました。(嫌なやつだと思われたかな)

 墓参りの後、みんなで昼食。その後、次兄夫婦と一緒に岡崎城へ。

青空のもと、とても楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

ちょっと歯がゆい

2021年04月03日 16時48分29秒 | 今日のサキさん
前回の面会から2週間。サキさんの面会に行ってきました。


今日もお姉さんと一緒に声掛けをします。
最初、おとなしかったサキさんですが、すぐに「うう~~」とうなり始めました。うなっているのか、しゃべっているのか、訴えているのか、よくわかりませんがひっきりなしに声をあげています。

眉間にシワをよせたり、眉を上にあげたりと、表情はなかなか豊かです。私やお姉さんの声かけに表情で間髪入れずに反応してくれます。本当に会話をしているような間合いでした。

 ただ、身体は全く動かないサキさん。毛布で覆われていたから見逃していたのかもしれませんが、毛布もピクリとも動きません。前回とかは結構、動いていた気がするのですが・・・。身体自体はどんどん右に傾いていきます。もう少しで車いすから落ちてしまいそうな感じですが、手を出すことは出来ません。スタッフさんが来るまで、何とか持ちましたが、何もできずに見守っているだけというのは、結構歯がゆいです。


しゃべれない、会話のできないサキさんだけど、シワをよせたり、眉を上下させたり、うなったりと、サキさんなりに一生懸命コミュニケーションを取ろうと頑張っています。

後は、どれだけ私たちがサキさんの思いを汲み取るか・・ですが、2週間に一度の面会では、やっぱり歯がゆいです。直接の面会ができるだけで「ありがたい」と思わなければいけないのでしょうが。

イライラを吹きとばせ

2021年04月01日 17時29分26秒 | 私の日記
 年金事務所に行ってきました。

 予約はしてありました。受付時間は8時45分でしたが、35分には事務所に到着。受付で予約表を渡しました。普通のところなら予約表を渡して受付終了だと思うのですが、またまたいろいろ書かされました。サキさんの名前や住所、私が代理で来た理由等々、そんな事、前回からの引継ぎで、すぐわかるやろ。などとブツブツ心の中で思いながら受付完了。番号札を受け取り、待つ。

 呼ばれたのは、8時55分を過ぎてから。ちょっとイライラしながら相談窓口へ。今日はサキさんの書類を渡して終わり・・・と思っていたのだが、一から説明。
「共済の手続きがまだのようですが・・・」
『その手続きにきたんですが・・・』と私。
担当の方は、一生懸命なのだろうが、今日くることは分かっていたはずだし、前回の担当者が引継ぎをしっかりやってくれていたら、書類を渡し、確認し、受理して即終了・・・だと思うのだけれど。

 あげく、マイナンバーを記入してください・・と言われ、『今日は持ってきていません』と言うと「じゃ、こちらで確認します」・・しばらくして「個人番号が紐づけされていないので確認できません」とのこと。それで「個人番号の申請をして下さい」とのこと。この用紙に記入してまた持ってきてください・・・と言われた。少し切れた。
『マイナンバーの分かるものを持ってこいとは言われていない』
『個人番号は、別の手続きの際にその書類に書いた』
『そもそも紐づけは、そちらの仕事じゃないのか』
あんまり言っても仕方ないので、提出用の封筒をもらって出すことにした。でも提出の書類を見てみると、個人番号と個人情報が確認できるもの(カードや住民票)を添付しろと書いてあった。が、思いっきり無視して、その書類だけを封筒に入れ投函した。

 あ~~、何か腹立つ。イライラする。4月にならないと手続できないからと言われ、わざわざ今日行ったのに。前もって準備、せめて最低限の引継ぎはしとけよ。あ~~イライラする。年のせいかな。

 年金事務所の後、サキさんの特養さんにサキさんの障がい者手帳を返却。それから気持ちを落ち着かせるためと、あまりの天気のよさから少しドライブ。

 いつもは右に曲がる道を左に曲がって気分を変える。今日から4月だけど、窓を開け気持ちの良い風を受けながら走っていると、まるで5月の爽やかな気分に。
 岐阜には海はないけど、山と川と緑がある。そしてこの時期緑のキャンパスに桜の花が鮮やかに彩りを添える。小さな川の堤防や、地域の公園、山のふもと、いたるところに桜が咲き乱れている。

 車を運転しながら、どうせなら桜の名所に行ってみよう・・と思い、関市(多分)の【寺尾の千本桜】へ。どんどん山道をくねくねしながら登っていきます。『本当にこの道で会ってたかな?』と久しぶりの道に戸惑っていると視界が開け、見事な桜並木が飛び込んできました。



 年金事務所での少しイラついた気持ちも、すっかり癒されました。やっぱり人間、イライラしたらあかん。落ち着いて穏やかに、笑顔で過ごしていきたいものです。