サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

障害手帳の更新

2022年12月07日 22時14分02秒 | 介護日記
 サキさんの施設から電話がありました。

「障害手帳の更新の通知が来ました。書類を渡し説明しますので着て頂けませんか?」とのことだった。
 前回(2年前)の更新の時は、写真以外は施設側ですべての手続きをやってくれたのにな、と思いつつ施設へ行き書類をもらい説明を受ける。そして施設に預けている障害手帳を受け取った。目を閉じたサキさんの写真が使われていた。この頃サキさんはほとんど目を開けてくれていなかったのだろう。でも、写真ぐらい施設側で撮ってくれても良かったのにな。

 家に帰り、さっそく書類に記入する。そして手帳に貼るサキさんの写真を探す。11月に撮ったものは今一ついいもの(印刷した時に3x4cmに納まりそうなもの)がなく、また面会に行けなかった期間もあり、結局7月に撮ったこの写真を印刷した。

 これを3x4cmに切り取り持っていくことにした。マスクをしているのが気になるが、ここ3年ばかりのサキさんの写真は全てマスクをしたままの写真ばかりだ。写真の注意書きには「無帽」とは書いてあったがマスクについては一言も触れられていない。少しの不安を抱きつつ保健所へ向かう。

 保健所の窓口で手帳の更新の手続きを行う。自分で手続きに来たのは久しぶりだ。手続きを進めるとやはり写真のマスクの取り扱いに困ってみえた。
 「県に問い合わせてみます」と電話をされた。結果、やはりマスクをしたままの顔写真ではダメだ、受理できないと言う事であった。
 「ここ3年、コロナでマスク付けた写真しか取れないじゃないですか」
と、しつこく窓口の担当者に迫ったが、ダメでした。でも、写真無しでも手帳は作れます、、、と言う事で、今回はサキさんの顔写真の無い障害手帳になることになりました。

 手帳が出来上がってからでも、写真付きの手帳に変更できることを聞いたので、サキさんの面会が復活したら(いつのことやら)事情を説明して、マスクなしのサキさんの写真を撮ってこようと思います。

 何か、やっぱり役所仕事なのかな?融通がきかないな。マスクしろしろってうるさく言う割に、マスク付きの写真はダメって、何かな~~。
 ついでに、面会できずに困っていることも伝えてみた。どこにこの気持ちを訴えればいいのか、窓口の担当者さんも少し困惑した感じでしたが、気持ちは分かってくれたみたいです。

 もう12月、今年もあと残り僅か。きっと年内にサキさんに会うことは出来ないでしょうね。コロナの次のピークが1月なら、サキさんに会えるのは早くても2月かな?長いな。

 サッカーでうかれ、はしゃいでいる人たち。空港で選手を出迎える人たちは大声で叫び、思いっきり密になっている。それを良いことのように報じるマスコミ。サッカーだけは特別なの?選手たち、マスクもしていないし。

 特別なら特別でもいい。だったら他でも特別を認めて欲しい。少なくとも介護施設の職員と同じ条件(PCR検査やワクチン接種、陰性証明)をクリアしていれば面会可能ですよとか、何らかの方策を検討して欲しい。陰性証明があり、使い捨てゴム手袋、マスクを着用すれば面会可能ですよ、とか。

 何とか、コロナ禍の最中でも面会できる手立てを検討して欲しい。検討してください。お願いです。



覚悟

2021年05月25日 21時04分18秒 | 介護日記
 仕事を辞めて5ヶ月、まだまだ次の仕事は見つからない。というか、働く気持ちも少しずつ失われかけている。このままダラダラと過ごしていくのだろうか。

 サキさんの面会も出来ないままだ。いつ再開されるかもわからない。コロナの終息は見込めないので、ワクチンに期待するしかない。しかし、65歳以下の人の一般接種はだいぶ先の話しになりそうだ。

 仕事もしてない、面会も出来ない。
 どうせ家でブラブラしているだけなら、仕事もせずにダラダラ過ごしているだけなら、いっそのことサキさんを特養さんから引き取ろうか?

 今日、この前の特養さんの家族会で知り合った方の計らいで、その方の信頼されているケアマネージャーさんに話を聞いてもらう機会がありました。そこで特養さんへの不満とか愚痴とか、いろいろ聞いてもらいました。

 特養さんへの不満はあるものの、特養さんを変わったり、在宅に戻す気持ちは全くありませんでした。というか、端から在宅という選択肢が私の頭にありませんでした。もう6年も私一人きりの気ままな生活が続いています。そんな私が、あのころのような生活、サキさんにかかりきりの生活に耐えられるわけがないと思っていました。仕事を辞めた後でも、私の頭の中に「在宅」という思いは全く浮かんできませんでした。

 しかし、私よりはるかに年長なのに、在宅で介護されている方々はたくさんみえます。皆さん、様々な介護サービスを駆使して頑張ってみえます。生活の全てを介護に注ぎながらも、それを負担に思わず生きがいにさえ感じてみえる方々がいます。
 その方々に出来て、何故、私には出来ないのか? 何故、私はしないのか?

覚悟
覚悟がないからです。それだけです。
サキさんを家でみる覚悟もない。
もう一度、働く覚悟もない。
何かに一生懸命打ち込む覚悟もない。


 7年前のサキさん。この1ヶ月後、サキさんは初めて入院。それからサキさんが家に居ない生活が始まりました。途中、1か月間だけ家に戻ってきましたが、その時は、一日中叫び続ける日々でしたけど。

幸い時間はいっぱいあるので、これからの事ゆっくり考えてみます。
自分には何ができるのか。自分はどうしたいのか。
サキさんにとって、何が一番いいのか。
サキさんは、どうしてほしいのか。

「そんなことも分からんの」
サキさんに怒られそうだ。


 

難しい利用者さん

2019年01月25日 21時28分47秒 | 介護日記
サキさんの特養さんに新しく入られた利用者さん。

やっぱり、苦手だ。避けようとしている自分がいる。

その方の口から出てくるのは、人と敵対するかのような言葉ばかり。
「腹黒い人たちばっかりやね」
「何笑ってごまかそうとしとるの」
「嘘ついたってね、みんな承知やで」
「警察に言ったるで」
そのくせ
「警察は何もしてくれんけど」

何か、とっても切なくなってくる。

私は、週に2回、サキさんの食事介助に行くだけなので、この方と、どのように接していいのか、悩んでいる。何か言うと、かえって火に油を注ぎかねない。関わらないように、目が合わないように・・・、何か卑怯な感じもするが、私は、責任をもってこの方と関われるわけでもないし、また、そんな自信もない。

関わらないようにしても、もこうから向かってくる。

Aさん「おじさん、おじさんはこのおばさんの何なの?」
まず、このおじさん、おばさんにむかつく。病気と解っていてもすごくむかつく。
私「夫です、私たち夫婦なんです」

Aさん「これから私が言うことに、このおばさんが何か言っても信じたらあかんよ」
私「いや、うちの奥さんは病気で、もうしゃべれなくなっちゃいました」

Aさん「悪い事ばっかするで、そういうバチが当たったんやわ」

このへんのやりとりの最中に、施設のスタッフさんがやってきて、この利用者さんを私とサキさんから離してくれました。

すぐに悪いように悪いようにとり、他人にケンカを売るような言い方をされる。

病気だとは分かっていても・・・。せっかくの食事介助も楽しくなくなってくる。その利用者さんの言動ばかり気にしながらサキさんの介助をしている。

本当にイヤになる。そんな自分も、逃げ回っているような自分もイヤになる。
家族の会の一員として、認知症の方のために何とか力になりたいと、口では言っていても、実際にはうっとうしがっている、無視しようとしている。

サキさんの食事介助に行くのも、だんだん、気が重くなってきてしまう。

あの人は、明日は、おとなしくしてくれてるだろうか?

10年

2018年12月04日 21時39分34秒 | 介護日記
今年も、もう12月。残りわずかになってきました。

平成30年12月。
サキさんが「アルツハイマー型認知症」と診断されたのが、平成20年12月。
10年過ぎました。


平成21年1月のサキさん。診断されて数カ月。一緒に平等院へ行った時。
この頃は、まだ仕事も続けていました。時々、迷って帰ってこれなくなる時もありましたが。


平成23年4月のサキさん。
実家の西尾市へ帰った後に、名古屋の鉄道博物館に行った時の一枚。
この時には、通勤が出来なくなり、仕事は前の年の9月ごろにやめていました。


いきなり飛んで、平成26年7月のサキさん。
介護保険を利用し始めて2年。
平成24年6月に申請。要介護1。
平成25年3月、介護認定を申請し、要介護3に。(デイの利用回数を増やすため、認定の申請をしました)
平成26年5月、要介護5になりました。
この写真の頃は、一番荒れていた頃です(私も)。この間の写真はあまりありません。私自身に(写真を撮る)余裕が全くなかったことが分かります。


平成26年10月。医療保護入院を経て、初めて老健に入所。とても寂しそうな目をしています。


老健を6カ月で退所。1ヶ月の在宅介護、3カ月にわたる2度目の入院。そして平成27年9月。現在の特養さんに入所。入所当初は穏やかな表情の日も多くありました。



そして、平成30年11月のサキさん。

介護保険を利用する前後、そして施設を利用するようになって一気に進行した気がします。

インフルエンザと私のきつい対応。さらにサキさんの仕事を奪い続けたことが、サキさんの進行を早めました。(たぶん、これは間違ってないと思います)今さら悔やんでも仕方ありませんが、悔やみ続けることで、その後悔の気持ちを言い続けることで、少しでもこれからの人の参考になれば、そんな気持ちでいます。

これから、あと何年、この生活が続くか分かりませんが、仕事とサキさんの食事介助と、家族の会の活動と、出来る範囲でいろんなものに関わっていこうと思っています。

サキさんの為に生きるのだから

2018年10月30日 21時25分34秒 | 介護日記
「死にたい、死にたい」
いつまで生きなあかんの。もう疲れた。」
「はよ死にたい。死んでまいたい。」


ウツや、更年期の症状も重なっていた頃、まだ、介護保険を利用する前の話しです。

いつもは、力なくか細い声で訴えていましたが、その日は、大きな声で気も狂わんばかりに、喚き散らしていました。私は、おろおろするばかりでしたが、意を決して、サキさんを抱きしめて言いました。

「サキさん、もういい。もうがんばらんでもいいで。これからはお父さんが頑張るで。今までのサキさんは、もう今日で死んだんや。サキさんのはオレがもらうで。これからは、私や子供たちのために生きて、生き続けて」

しばらく、サキさんを抱きしめ続けました。

その後、サキさんは「死にたい」と、ぐずることはありませんでした。しっかりと受け止めてくれたんだと思います。


そんなサキさんの命をもらったのだから、私の命もサキさんの為に使わないと。残りの人生、サキさんの為に生きていかないと。さきさんに活かしてもらった私の人生だから、サキさんにしっかり返さないと。

もし今、倒れでもしたらサキさんに合わせる顔がない。

残りの人生をサキさんの為に生きるためにも、まず自分の健康に気をつけないと。


土曜日のサキさんです。

サキさんの笑顔を見るためにも、私がまず明るく健康でないと始まりませんね。色々つらいこともありますが、まず私が明るく笑顔で生きていかないといけませんね。


素敵なスタッフさん

2018年10月26日 21時51分50秒 | 介護日記
サキさんのお世話になっている特養さんには、いろんなスタッフさんがみえます。

この前の記事で書いたような「イライラする」スタッフさんは、ほんの一握り。ほとんどのスタッフさんは、利用者さんに誠実に向き合ってみえます。

いつも明るく元気に声をかけまくっているスタッフさん。楽しい雰囲気作りをいつも心がけてみえます。

験豊富なベテランのスタッフさん。いろいろ工夫をされながら利用者さんのために飛び回ってみえます。

いつも真面目に誠実にきちんと処理をされるスタッフさん。でも事務的ではなく笑顔で包み込んでくださいます。

そして本当に素敵なスタッフさんもみえます。
いつも笑顔で、利用者さんの応対でも「否定せず」まず、受け入れ、うなづき同意をしてくださいます。そして、本当に自然な優しい口調の声掛けで、利用者さんをいやしていきます。利用者さんやご家族さんからの信頼も厚いスタッフさんです。そして、いつも笑顔で接してくださる、それだけで最高です。

いつも笑顔で接したいと思いながら、毎日のせわしさから、いつも間にか「鬼の様」な形相で在宅介護をしていた私。そんな私だから、笑顔でいつも接してくださるスタッフさんに出会うと、私まで幸せな気持ちになります。

こんなに素敵なスタッフさんが身近にいるのだから、どうか、良い所を盗んでください。よい所を真似してください。

よいお手本が身近にいるのに、見えないのかな?
何が利用者さんにとって、良い事なのか、考えようとしていないのかな?

経験を積んでも、ただ処理の仕方がうまくなっても、「心が無い」介護では、何にもなりません。横柄な言葉遣い、上からの命令口調、誰を見習ったらそんな風になるのかな。

先輩のいい所を、早く吸収してください。
あなたの周りには、いっぱい良いお手本になる人がいるのですから。

認知症実践者研修

2018年08月13日 20時54分00秒 | 介護日記
11日のブログの最後に

「明日も行くでね、待っとってね。」

と、書いたのですが、結局、行きませんでした。
そして、今日も。

昨日、12日は朝「認知症介護実践者研修」で、介護家族の思いを家族の会のYさんと一緒に話してきました。

実践者研修は、専門職の皆さんがより認知症についての理解を深めるための講習で、その中で、家族の思いを知る講義があり、家族の会のメンバーがお話をさせて頂いています。

以前は、90分間だったのが、80分になり、今年度からは60分になってしまいました。他の講義・演習の時間がふえているための処置なのでしょうが、少し寂しいです。

2人で60分、一人30分の話しは、あっという間に時間が過ぎました。

まず、最初に私が、続いてYさん。

Yさんのお話は、とても臨場感があり、心を動かされます。

ご主人を入院させるときに、とても悩んでいたYさん、そのとき専門職の方から
「これからは、専門職の方々にお任せして、あなたは笑顔をご主人に届けなさい」と言われ、とても心が楽になったとお話しされました。施設にお預けしている家族は、スタッフさんに任せるしかありません。そして、笑顔を届ける(本人だけでなく、スタッフの皆さんにも)ことが、心からの笑顔を届けることが、大切な仕事なのかもしれません。

終了後、二人でコーヒーを飲みながら雑談。

宝くじでもあてて、でっかい土地に、認知症に優しい街を、街ごと作ってしまう。どれだけ大声で叫ぼうが、誰にも迷惑をかけない広い土地。自由にやりたいことをできる環境。
野菜作り、陶芸、ギターを弾いて歌いまくったり・・・。

中に保育所も作り、子育て中の方も働けるように。(Yさん、保育士さんなので)などなど。

夢は広がりますが、あまりに非現実的で。
でも、こんな話は楽しいですね。


夕方からサキさんのところに行こうと思っていたのですが、甲子園ですごい試合をやっていて、感動してたら、すごい雷鳴と豪雨。サキさんのところに行きそびれてしまいました。そして、今日も、何となくダラダラと過ごし・・・(トイレ掃除は念入りにやったのですが)

明日は、本当に行くでね。
待っとってね。

施設のケアマネさん

2018年07月29日 21時50分06秒 | 介護日記
今日は「アルトひまわり会」が行われました。

いつもは第4日曜日なのですが、先週が、家族の会の「東海ブロック会議」と重なったので、1週間遅れで今日、開催することになりました。

今日のひまわり会は、ケアマネさんも何名かみえたので、いろいろとお話をさせていただきました。

いつも思っていることで、制度上決まっていることなのでケアマネさんに訴えても仕方のない事なのですが、グチってしまいました。

老健さんや、特養さん、さらに小規模多機能さんにお世話になると、自動的にその施設の方がケアマネさんになってしまう。言い方は悪いのですが、施設側の(立場に立った)方が、ケアマネさんとして勝手に決まってしまう。これって何か変な感じがするんです。

家を建てる時、設計する会社と、実際に家を建てる工務店さんと、その工事を管理する会社と、別々のところにお願いするケースも最近は一般的になっていると思います。(私とサキさんの家は、ひとつの工務店さんに全てを任せてしまいましたが)

設計は設計会社さんにしてもらい、その設計図に沿って工務店さんに建ててもらう。実際にその設計図通りに建てているかを第3者機関にチェックしてもらう、というのが不正を防ぐうえでも、一般的になっている気がしますし、実際、そうあるべきだと思います。

ところが、介護の世界のケアマネさんは、デイサービスやショートステイを利用されている在宅介護の方は、自由に自分で選べれる(もし相性が悪ければ変わってもらうことも出来る)けど、施設に入ってしまうと、今までお世話になって、私たちのこともよく知ってみえるケアマネさんとは別れて、自動的にお世話になる施設のケアマネさんが担当になってしまう。

そして、また一からサキさんの状況を説明しなくてはいけないし、ケアプラン等にしても、あくまでも介護施設の側に立ったもののような気がします。

サキさんの普通食の件しかり
異性のスタッフによるおむつの交換しかり、入浴介助しかり。

いくらお願いしても、施設の都合で出来ませんの一点張り。

こんな時、もし中立の立場のケアマネさんがいてくれたら、利用者の立場でケアプランを作成し、施設側と交渉をしてもらえるのではないのかな・・と思うのですが。

少なくともケアマネさんは、利用者の立場に立ってもらいたいと思います。施設のケアマネさんだろうと、まず利用者さん、介護家族の声を一番にケアプランを立ててほしいと思います。


あるスタッフさんとあるご家族さん

2018年06月01日 21時53分09秒 | 介護日記
とても上手に声掛けをされるスタッフさんがいます。
目線はいつも、利用者さんの目線に合わせ、声も早口にならない様にゆっくりと、そして、何より利用者さんの話を上手に聞き出している。利用者さんの話しに素直にうなずき同意してあげている。そのうえでこちら(スタッフさん側)のお願いを利用者さんにしている。一方的に用件だけを伝えるスタッフさんが多い中で、とてもさわやかな印象を受けます。

また、スタッフさんではないけれど、よく通われて食事介助をされているご家族さんがみえます。この方も、いつも優しい笑顔でお父様に接してみえます。そして、なじみになった他の利用者さんにも気さくに声をかけられ、とっさの時にはスタッフさんよりも早く動き回られます。週に2回は通ってみえるので、他の利用者さんとも顔なじみになってみえます。

お二人とも、共通しているのは、「押し付けない」こと。しっかりと利用者さんのお話を聞いてみえます。そして、ゆったりしている事。バタバタとせっかちに動き回ることはありません。

利用者さんも安心できるんだと思います。

スタッフさん、介護家族という仕切りはありますが、私も出来る範囲で、この方の様に他の利用者さん達ともかかわっていきたいと思っています。

お知らせ

2018年03月20日 22時28分54秒 | 介護日記
3月31日(土)に
若年性認知症座談会が行われます。


家族の会・岐阜県支部代表の小森さん
あすなろ絆会の内藤さん
(チラシでは勤務先が表記されていますが、私の認識では、内藤さんはもちろん若年性認知症サロン「あすなろ絆会」の代表として参加してくれると思います。)

それに、役所の方や岐阜県認知症支援コーディネーターの坂池さんもパネリストとして参加されます。

その末席に、介護家族として、私も参加させていただくことになりました。

できれば、単なるイベントで終わらずに、新たな出発点、岐阜の若年性認知症の転換点になるような形に持っていけたら最高なのですが・・・。

大垣市情報工房 スインクホールで行われます。
お近くの方は、ぜひご参加ください。



『生きてりゃいいさ』

2017年12月01日 23時02分11秒 | 介護日記
生きていてくれている。
ただ、それだけで、いい。

明日、また行くから 待っとってね。


『生きてりゃいいさ』河島英五・河島亜奈睦 スペシャルコンサート2016〜生きてりゃいいさ〜 at 大阪国際交流センター

ドクター・センタード・ケア

2017年11月08日 23時12分40秒 | 介護日記
パーソン・センタード・ケア という考え方があるらしい。

認知症をもつ
として認知症の人を看るのではなく

認知症をもつ
として、その人そのものを看る、認知症のを中心に据えて看るということらしい。

どんなに重度になった方でも、たとえ受け答えのできない人でも、その人に声を掛け、説明をし、同意を得ようとされているらしい。・・・そんなことが本に書いてあった気がする。

とてもいいことだと思う。
とても素晴らしいことだと思う。


でも

実際には、いろんなドクターがいる。

こちらは薬が欲しいだけだから、やたら待ち時間が長いくせに
「寒くなってきましたね、お変わりないですか?変わったことはないですか?じゃ、いつもと同じ薬を出しておきますね」
たった数分(数十秒?)で診察が終わってしまう先生がいる。

患者の目を見ずに、同席している介護家族にも全く目を向けずに、ただ一方的に話されるドクターもいる。

カルテとパソコンばかり見ているドクターもいる。

質問しても「こんなに重度になって、そんなことをまだ聞くのか」と、一喝されたことがある。もう何も聞けなくなった。聞く気にもならなくなった、そんな先生もいた。

次回は〇日(もちろん平日)の〇時からでいいですね。と、一方的に告げられた。こちらは仕事もある。当然、仕事を休まなければ行くことは出来ない。でも、そんなことは気にもされていないようだった。

「どうすればいいんですか? 入院させればいいんですね」めんどくさそうに言われた。


パーソン・センタード・ケア? 
とてもそんな風に思えなかった。

ドクター・センタード・ケア 
そのものだった。

自治体負担で徘徊事故に備える

2017年10月09日 01時01分22秒 | 介護日記
今日、いや、もう昨日か、昼間に家族の会の岐阜県支部の会報「れんげ」の編集会議を行った。

会議と言っても、編集委員4人で、リラックスした雰囲気の中、編集会議・半分、それに関連した「おしゃべり」半分といった調子で進めています。つどいの少人数版のようで、みんな和気あいあいのムードの中、自由に話がいろんな方向に飛んで行ったりします。

その会議の中で、編集委員の一人から、こんな話を聞きました。

ある自治体が、保険に加入し(保険料は自治体負担)、認知症の人の徘徊による事故の保証を行う。」というものでした。おそらく、全国で初の試みみたいです。

全国の自治体が、後に続いてくれることを願います。

それにしても、全然知らなかった。ニュースでも取り上げてもらってなかったと思う。変な選挙のニュースばっかりで・・・。こんな、ニュースこそ、しっかり伝えてほしい。


こちらから、その内容のページに行けます。
認知症徘徊、公費で保険料 電車事故で賠償 神奈川・大和市  :日本経済新聞

渡辺真知子さん

2017年10月06日 21時18分22秒 | 介護日記
年を取ったのだろうか。

最近、やけに昔の曲を懐かしく聞いている。

年のせいだろうか?もう60だもんな。

懐かしい良い歌は、いっぱいある。

今日も、久しぶりに、渡辺真知子さんを聴いた、というか見た。
そう言えば、サキさん、渡辺真知子さんに似ていると言われていたそうだ。確かによく張ったエラ(あごの骨)の感じが似てる。調子の良い時のサキさんのエネルギッシュな雰囲気も、明るく元気な渡辺さんのイメージとよく似ている。


迷い道

夜のヒットスタジオの渡辺さんかな。若いな。やっぱり、雰囲気が若いころのサキさんとよく似てるな。

大学の頃かな、よくラジオでこの歌のCMが流れていたな。
「現在、過去、未来・・・」

これまでも、そして、これからも
ずっとずっと一緒やでね、サキさん。

プロ

2017年08月22日 20時43分53秒 | 介護日記
サキさんを在宅でみることは、今は出来ない。

仕事もあるし(辞めたら生活できない)、食事の用意や、おむつの交換、等々、仕事の後の疲れた身体と頭では、ちゃんとした介護は出来ません。

訪問介護や、看護を使うにしても、サキさんだけの自宅に、知らない人を入れるのには非常に抵抗がある。(訪問事業者の皆さん、申し訳ありません)でも、どうしようもない本音です。


だから、施設にお願いしています

介護のプロである施設にお願いしています。

素人では出来ない介護をお願いするために、高いお金(ユニット式なので月に13万円以上)を払って、サキさんの世話をお願いしています。

素人に出来ないことを、代償を払って代わりにしてもらっているわけです。

だったら、利用者の要望に出来るだけ答えることは、当然の事ではないのでしょうか?


この先、サキさんがいつまで普通食を食べられるか分かりません。だからこそ、よけいに、食べられる今を大切にしていきたいのです。

本人にまだ残っている力・機能を維持する事がとても大切であることは、介護の世界にいる人なら、だれでも知っている、とても基本的なことだと思います。

もっと、もっと、利用者さんに寄り添った介護をお願いしたいと思います。

スタッフの皆さんは
介護のプロなのだから。