サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

アルトひまわり会と今日のサキさん

2015年06月28日 21時26分51秒 | 若年認知症のつどい
 今日は、第4日曜日。アルトひまわり会の日だ
サキさんが通っていたデイサービスの『アルト介護センター、長良脳活性化センター』が、場所を提供してくださり、デイの利用者を中心に作られた会です。もちろん、アルトさんを利用していない人も参加できます。若年性の人が多いですが、親御さんの介護をされている方もみえます。

 10時30分頃に、病院を出てアルトさんに向かいました。6月に入院してから、初の外出です。雨が心配でしたが、カラッと晴れてくれてほっとしました。しかし、サキさんは天気とは逆に、曇った表情のままです。結局、今日は一日中、サキさんの笑顔を見ることはありませんでした
 近況報告の中で、「正常圧水頭症」の話をすると、同じ若年性認知症の奥さんを介護している“Gさん”から「うちも、この前の診察で、急激に歩けなくなったのはおかしいので、MRIを取り検査したら、「正常圧水頭症」と診断された」という発言があった。サキさんだけでなく、“Gさん”も。サキさんの場合は、まだ疑いだが、“Gさん”は、診断済で、たぶん手術することになるだろうといわれていた。“Gさん”も今は車いすだが、手術で歩行障害と、排尿などは、だいぶ改善するだろうということだ。認知機能の回復はやはり難しいらしいが。

 症状の重くなってきた認知症患者も、定期的な検査(CT、MRI)が必要だとつくづく思った。重度になってから表れる様々な症状、変化は、すべて認知症によるものだ、認知症が進んだから歩けなくなったんだ、と思い込んでいた。もっと、つよく主治医に相談し、症状を報告し、もっと早く検査を受けていたら・・と少し悔やまれる。(ただ、その時のサキさんの状態では検査を受けることができたかどうか。じーっとしていることは、難しい状態だったにで)
サキさんも、もし本当に水頭症だったら、手術、治療で多少は歩行機能が改善されるかもしれない。ぜひ、しっかりと検査をしてもらい、少しでも良くなることを願おう。ただ、あまり期待しすぎるとよくないので、ほどほどに望みを託そう。ほどほどに。

 今日は、親子丼です。口が大きく開かないので少し時間がかかりました。
リサちゃん、いつも素敵な笑顔をありがとう。

いつもお世話になっているアルトの“K部長”と、お姉ちゃん。いつも、いつも、ありがとうございます。

今日の結論
重度になっても定期的に検査を
すぐに認知症のせいだからとあきらめず、冷静に、いつもとの違いを主治医にきちんと報告する。なにか別のことが、体の中で始まっているかもしれない。普通の人なら おかしい と思える状況は、認知症の人にとってもおかしいことなのだから。

スピリチュアルなもの(27年前の記憶)

2015年06月27日 22時10分39秒 | サキさんとの記憶
 サキさんは、スピリチュアルなものにとても興味がある。
昔、二人で毎週見ていた「オーラの泉」。江原さんがとても好きだった。古くは、宜保愛子さん、そして最近は(といっても4・5年前)木村藤子さん(木村の神様と呼ばれている)。霊的なものに、とても興味をもっていた。しかし、好きな人はみんな、どこか、穏やかで、決して人を傷つけたり、ましてや恐喝まがいの脅し文句を言う人はいない。お金儲けのためにやっている人、ものを売りつけたりする人も嫌いだった。

 宜保さんは、先祖を供養するには、その人を思い、好きだったものをお供えすればいい、と言っていたし、清めるにはお塩を盛ればよいというような、実用的でお金のかからない方法を教えてくれていた。高いツボを買いなさい、とか、高価なお墓を立てなさい、というようなことは決して言わない。

 江原さんが、以前オーラの泉の中で、本物の(霊的な)人と、偽物の見分け方でこんなことを言っていた。「おごり、傲慢さのある人は本物ではない」その通りだと思います。名前を出しては失礼だけど、そんな人もいました。

 さて、話は27年前。私との結婚で悩んでいた時(私は何も悩んでいなかったが)、霊的な能力のある人に、見てもらったことがあるそうだ。サキさんの母親と二人でその人のところへ行き、私との結婚について、診てもらったらしい。まず、その人は私を霊視。その日、私は昼からの仕事だったので、まだ布団の中にいたのだが、耳元で今まで聞いたことがないような、澄んだ鈴の音が聞こえた。

チリーン チリーン
とてつもなく心地よい響きだった。
後でサキさんに話を聞くと、私が鈴の音を聞いた午前11時ごろ、ちょうど私を霊視していたそうだ。そして、私の母親にも霊視し、いろいろと聞いたらしい。そして、数日後、母親から電話がかかってきた。
「おまえ、結婚するだか?」
サキさんと付き合っていることすら、何も伝えていなかったので、本当に驚いた。
この鈴の音と、母親の電話で、私もすっかり、スピリチュアルなものを信じるようになってしまった。

今思い出しても、本当にすがすがしい音でした。

認知症になってから、サキさんは、将来に不安を感じて、結婚のときに診てもらった人に、もう一度診てほしいと必死でその人を探しました。が、もう亡くなっていました。自分がどうなっていくのか、なんで、こうなってしまったのか、知りたかったのだと思います。

 ちなみに、27年前に診てもらった時に、私について言われたのは
「世間知らずの頼りない人だけど、あなた(サキさん)がしっかりリードしていけば大丈夫だから。」

頼りない私だけど、よく、これまで引っ張ってきてくれたね。今度は、私が引っ張っていくでネ。
BUMP OF CHICKEN の歌詞にあるように
「生きる力を借りたから、生きているうちに返さなきゃ」
本当にそう思います。

正常圧水頭症

2015年06月26日 21時48分29秒 | 介護日記
 病院のカンファレンスの数日後、先生から電話があり、「正常圧水頭症」の疑いもあるので、一度、大学病院で鑑別をしてもらったほうがいい。正常圧水頭症は、治療法もあり改善もきたいできるので」ということだった。

 認知症になってもう7年になろうとしているが、去年から歩行障害も見られ(精神薬の副作用と思い込んでいた)、関節の可動域もせまくなってきていた。そして、現在入院している病院で撮ったCT画像。中心に大きく白い部分が。(通常より大きいそうだ)今更、認知機能はよくならないだろうが、自分の足でまた歩くことができるのなら・・・。

大学病院への通院は、今の病院から車で30分から40分。サキさんには、かなりの負担だ。すぐに車いすからずり落ちでしまうので、大変だが、もし、本当に水頭症で治療の結果、再び歩けるようになれば、こんなにうれしいことはない。

介護は少し大変になるかもしれないが、自分の足で歩けるにこしたことはない。

サキさん、ちょっと大変だけど
やるだけやってみましょうか

若年認知症のつどい(あすなろ絆会)と今日のサキさん

2015年06月21日 21時45分48秒 | 若年認知症のつどい
今日は、第3日曜日なので、岐阜県各務原市のニッケさんで行われる、若年認知症のつどい『あすなろ絆会』の日である。朝、町内の用事を済ませ、岐阜市から隣の各務原市へ向かう。(隣だけど、それでも車で40分ほどかかる)

 4月、5月と少しばたついていて行けなかったので、3月以来、3か月ぶりの出席です。


今日もいろいろと感じることがありました。また、勉強もさせてもらいました。
口腔ケアは、食後より、食前が大事
今日のつどいの中で、初めて知りました。(まだまだ知らないこと、いっぱいあるな~~。)

また、老健に対するいろんな不満も聞いてもらえました。(途中、少し興奮して、怒りをぶちまけてしまいました。すみませんでした)老健のドクターに対する不満、制度に対する知識のなさ(事務方の)についても聞いてもらい、また、説明もしてもらい、少しだけ胸のつかえも取れました。でも、やはり、精神科のドクター以外の老健は、認知症の患者を安易に受け入れるべきではないとも、改めて思いました。

今日は、12月に富士宮からみえた若年認知症の「佐野夫妻」から、富士宮焼きそばの差し入れがあり、みんなでおいしくいただきました。
佐野さん、本当においしかったです。ありがとうございました。
今度は、何か岐阜のおいしいものをお返しできたら・・・と思います。


つどいが終わってから、病院のサキさんに面会に行きました。今日のサキさんは、寝起きだったのか機嫌が悪そうで、眉間にシワをつくっていました。

車いすでやってきたサキさんは、左に傾き、うつむいたまま。まっすぐに「お父さんのほうを見てよ」と言っても斜めのまま。CDをかけると、斜めのまま、今日も大粒の涙と、大量の鼻水で、ずーーっと泣いています。泣きながらも、持って行ったお茶を、紙コップに入れ、ストローを口に持っていくと、勢いよく吸い込んでいました。ストローはサキさんのペースで飲めるので、とっても助かっています。


町内の役員会があったので、すぐに帰ってしまいました。ゴメンね、サキさん。今度は、ゆっくり出来るように行くでネ。病院(施設)の面会は、帰る時が、本当につらい。今日も、逃げるように帰ってしまいました。

カンファレンスそして家族の会

2015年06月19日 18時55分16秒 | 介護日記
今日は、午前中にサキさんの病院で“カンファレンス”、昼からは、岐阜市での認知症の人と家族の会のつどいに出席しました。(会社に無理を言い、休みをもらって)

緑色のまるで、お相撲さんのマワシのようなのは、車いすからのずり落ちを防止するためのものです。今日もサキさんは、中島みゆきの歌を歌うと泣き出してしまいました。泣いて、笑って、そしてカンファレンスへ

カンファレンスでは、病院でのサキさんの様子が、看護師さんより説明がありました。
1.穏やかで、声をあげることもあまりない。声が出ても長時間続くことはない。
2.食事もとれている。
3.他の患者さんとも特に問題なく過ごせている。

先生からは、
1.エビリファイ(安定剤)を朝1回(6mg)飲んでもらっている。
2.下剤を飲んでもらい、毎日、排便はある。(入院の前は、なかなか出ず、BPSDの原因にもなっていた)
3.ALS の疑いもある
4.CT画像では、水頭症に似た特徴がみられる。典型的なアルツハイマーの画像ではない。しかし、水頭症の症状はでていない。

そして全体としては、施設(特養、老健、デイサービス)を利用できる状態である。ALS が気になるのなら、設備の整った神経内科を紹介する。将来的には、グループホームのような少人数の所のほうが良いかもしれないというアドバイスをもらう。後は、私の判断と、受け入れ先の問題だけだ。いつ退院してもよさそうな雰囲気でした。

横で、じーっと話を聞いていたサキさん。すごく悲しそうな表情で、でも一言もしゃべらず、声を出さず、ただただ本当にじーーーっと悲しげに、おとなしく話を聞いているサキさん
きっと全てを理解しているのだろう

家に戻るのが良いのだろうけど、そうするとサキさんをまた時間で縛ってしまう。時間にぼわれて(追われて)しまう。私が仕事をやめて付きっ切りで介護すれば、時間にぼわれることもなく、のんびりと自宅で過ごせるのだが。そんな訳にもいかず。 
う~~~ん。さて、どうしようか。

昼から、認知症の人と家族の会、岐阜県支部の「岐阜のつどい」に、初めて出席した。毎月、第3日曜日と、第4日曜日に若年性認知症の家族の会が開かれ、こちらには結構でているのだが、平日に行われているため、岐阜のつどいには初めての出席となりました。
しかし、家族の会の世話人の皆さんや、若年性のつどいでの知り合いもいて、初めてでしたが、温かく迎えていただきました。出席者も多く、あっという間に時間が過ぎていきました。皆さんの苦労や、本人へのいとおしさが伝わってきて、出席してよかったです。皆さんとても話がしたいんだな~と、改めて感じました。みんな、しゃべりたいんです。聞いてもらいたいんです。発散したいんです。もっと、もっと、いっぱい話せる場があればな~ と、思いました。

私も、もっといっぱいしゃべりたかった。
その分、このブログで、いっぱい、いっぱい、しゃべっていこう。

サキさんの名前

2015年06月16日 22時07分38秒 | サキさんとの記憶
去年から今年にかけて、サキさんにはいろいろなことがありました。つらい思いを、させました。

去年の5月、初めてショートステイを利用。(この頃、一番荒れてた)
8月に入院。(自分も心が折れそうだったので)
そして、11月から老健へ。
今年の連休前に退所し、家に戻る。
週6日ふるにデイサービスを利用。
そして、6月から、別の病院に入院しています。

新しい施設を利用するたびに、サキさんの名前について説明します。

サキコ は、戸籍上の名前ではありません。
結婚するときに、私の性になるときに、姓名判断の本を参考にして、二人でつけました。
「咲杏」とかいて「サキコ」と読みます。

サキさんのお父さんが、姓名判断に凝っていた(ちょっと表現が悪いですが、おじいさん、すみません)ことと、サキさんの経験した、とても悲しい出来事も相まって、私と結婚する際に、名前を付けました。(サキさんの経験した、とても悲しい過去については、サキさんと出会う前の話なので、秘密にしておきます。サキさんに話していいか、許可もとっていないので)ただ、その名前は、普段使いの名前で、戸籍までは変えていません。

なので、いろいろな書類を書く際には、戸籍上の名前を書きます。でも、私がいつも「サキさん・・・」と、声掛けをするので、皆さん不思議そうな顔をされます。なので、いつも新しく何かを利用する際には、毎回、名前について説明をしなくてはいけません。少し、めんどう。

認知症の人を介護する際に、その人の今までの人生を把握することは、とても大切なことだと思います。生い立ち、家族構成、学歴、職歴、サキさんに関する今までの重要なエピソードを、施設を新しく利用するたびに、伝えなければなりません。ちょっと、めんどくさいし、大事なことを伝え忘れることもあります。
「センター方式」を、めんどくさがらずに、しっかり記入し、それを新しく利用する施設で活用しなくてはいけないな、と強く感じています。

ちなみに、サキさんの名前は、2つではありません。私と出会ったときは、また、別の名前でした。
戸籍上の名前「ふみ子」(この時、おじいさんは姓名判断に無頓着)
出会った時の名前「久枝」(おじいさんが姓名判断でつける)
そして、私と結婚して「咲杏

サキさん。いろんな名前を持っているけど、私には、やはり「サキさん」が、一番しっくりくる。もう、26年その名前で呼んでいる。(一度も 咲杏 と、呼び捨てにしたこと無いな)
ずーっと、サキさん。これからも、「サキさん」
また、面会に行くで。待っといてネ、さきさん。


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泣きながら笑いながら

2015年06月14日 15時48分01秒 | 今日のサキさん
今日は、サキさんのお姉さんと、甥(お姉さんの長男)と私の3人で面会に行きました。

今日も調子が良いみたいで、
「困った、困った」と、誘いかけると、「ふ・ふ・ふ・・・」と、笑いかけた後に
「こまどり姉妹」と答え、笑ってくれました。

サキさんが、とても気にかけている甥が、姉と一緒にきてくれて、サキさんはじーっとおいのほうを見つめたままです。「明るかった甥が、最近とても暗くなった、さみしげな眼をしている。」と気にかけていたサキさん。

突然、大粒の涙があふれ出しました。
中島みゆきさんの“誕生”が持って行ったcdプレーヤーから流れていました。
この歌詞も、涙の引き金になったのかもしれません。
「リメンバー 産まれたとき誰でも言われたはず、耳を澄まして思い出して、最初に聞いたウェルカム」
この歌詞を聞くと、長男を思い出し、よく泣きます。今日は、それと甥が重なり、涙になったのでしょうか。

甥が小さい(たぶん2歳)ころ、サキさんとこんなやり取りがあったそうです。
 サキさん「Y君は、どこに行ってるの?」
  甥  「つーおー ほいくそ (本当は、中央保育所 と言いたいのだが)
 サキさん「つーおーほいくそ に行っとるの?」
  甥  「ちがうて、つーおーほいくそ だって」
 サキさん「つーおーほいくそなの?」
  甥  「違う、つーおーほいくそ って、言っとるでしょ。サキさん、頭悪いで、いかんわ

今日も、みんな、これを思い出し、サキさんに、
「Y君、小さいころ、つーおーほいくそ って言っとったね」というと、今まで大粒の涙を流していたサキさんも
つーおーほいくそ」と、見事な泣き笑いを見せてくれた。

順調に、穏やかになっていっているように思える最近のサキさん。時間にぼわれずに、ゆったりと過ごせていることも大きいのかな。

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ギュっと抱きしめて

2015年06月10日 22時54分39秒 | サキさんとの記憶
 今日は、娘の仕事が休みだったので、娘に面会に行ってもらった。
微熱(37.5度)が、あったせいか、おとなしく、穏やかだったようだ。
(最近、よく熱が出る。大丈夫だろうか?)


今回から、サキさんとの記憶をたどっていこうと思います。

 今から10年ほど前、まだ、物忘れ外来を受診する以前の話です。
 少し言葉(単語)は、出ずらくなり、「あの、それ、ほれ、えーっと」の繰り返しは多くなりました。これは、私も同じだったので、「歳のせいだね。」「年取ったね。まあ、しょーがないね。」と、笑い飛ばしていました。しかし、サキさんは、頭痛がよくあり、気分が落ち込むことも多くなってきました。

「更年期かもしれんね。男の人にも更年期あるみたいやで、お父さんも気をつけないかんよ。」と、逆に、心配されていました。そんなある日、突然、サキさんが、

「ギュっと抱きしめて。捕まえといて。どこかに、フワーっと飛んで行ってしまいそう。」と、真顔で突然言い出しました。その時は、まだサキさんが認知症(予備軍)であるなどということは、露にも思っていなかったので、

「何とろいこと言っとんの!」と、笑いながら、返してしまいました。

今、思い返すと、その時のサキさんは、認知症と戦いはじめていたんだろうな、と思えます。何とも言えない“もやもや、不安”と、頭の中が空っぽになってしまいそうな恐怖と、そして、少しも自分に向き合って、まじめに考えてくれない夫(私)に。

 そのころの私(私たち夫婦)は、仲の良い夫婦ではあったと思いますが、私は、いつでも自分のことしか考えず、サキさんや、子供たちと真剣に向き合っていたとは言えません。自分が旅行に行きたいので、サキさんと行く。自分が楽しみたいので、サキさんと映画を見に行く。自分の興味が向かないことには、まったく関心なく、サキさんのために何かをがんばったということはない。そんな気がする。

 だから、サキさんは余計に、私に、サキさんに目を向けてほしかったのだろう。そして、認知症のもやもやっとした気分で、壊れそうな心を、しっかりと抱きしめて、繋ぎ止めてほしかったのだろう。

私は、そのあとで、そっとサキさんを抱きしめました。

全然OKは、全然OKじゃない

2015年06月08日 20時38分35秒 | サキさんとの記憶
サキさんの嫌いなものも、もう一つ

「全然OK」
「全然大丈夫」

こんな風に、「全然」を“肯定”の意味で使う人たち(特に、TVに出て、偉そうにコメントする人たち)に、とても激しく怒っていました。

「全然を“肯定”に使うな」「全然は“否定”のときに使う言葉だ。そんなことも知らんのか!」
「若い子ならまだわからんでもないけど、エエ歳こいた、おっさんやおばさんが使うな。」

「全然楽しい」
「全然面白い」

いつも、そんな言葉をテレビで耳にするたびに、「バカか!」と怒りまくっていました。

「全然OKは、全然OKじゃないぞ。」

サキさんの好きなもの-その2

2015年06月06日 19時50分09秒 | サキさんとの記憶
今日、病院へ面会に行ってきました。

丸3日間会っていなかったので、初めは少しキョトンとしていたサキさん。
でも持って行った、ロールケーキを食べるころには、とても穏やかになっていた。

大声も、奇声も全くなく、私の手についた“生クリーム”をおいしそうに食べてくれた。
「お父さんの指まで食べたら、あかんよ。」と言うと、ケラケラ笑ってくれた。



こんな調子なら結構早く、退院できるかな。


サキさんの好きなものを、また書いていきます。

歌が好き  中島みゆき、ユーミン、ドリカム等
映画も好き ハリーポッター、三丁目の夕日、エイリアン等

特に、三丁目の夕日は大好きで、毎日、毎日、繰り返しDVDを見ていた。
(よく飽きないなー と思っていたが、それが認知症の良い面? でもありますネ)

三丁目の夕日のシリーズの中でも、2作目の「続・三丁目の夕日」は、私も大好きで、とく一緒に見ていました。その主題歌もとても良かったです。大好きです。

BUMP OF CHICKEN (バンプ オブ チキン)という千葉県佐倉市出身で、幼稚園からの幼馴染の4人組のグループが歌っています。ボーカルとギターの藤原基央君(通称:藤君)が、すべての作詞・作曲を行っています。
続・三丁目の夕日の主題歌は、『花の名』というタイトルで、映画の雰囲気にもぴったりと合う、とても素敵な曲です、もしよければ、皆さんも一度聞いてみてください。映画では、最後のエンディングロールで流れてきます。

 その中に、こんな歌詞があります。
「簡単なことなのに、どうして言えないんだろう。言えないことなのに、どうして伝わるんだろう。」
「一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことは忘れない。」
生きる力を借りたから、生きているうちに返さなきゃ。」
「涙や笑顔を、忘れたときだけ、思い出してください。」
「同じ苦しみに迷ったあなただけに歌える唄がある。僕だけに聴こえる唄がる。」

私たちの心境に、とてもぴったりで、心がほんわりと温かくなります。

 サキさんが、まだ要介護1だったころは、二人でよく歌ったね。


また、一緒に歌おうね。

サキさんの好きなもの・きらいなもの

2015年06月04日 20時47分39秒 | サキさんとの記憶
いつもいつも笑顔の絶えない、本当に太陽みたいだったサキさん。
そんなサキさんの好きだったもの、人(芸能人)
 
 1、お笑い 要介護5の今でも調子が良いと「しまった、しまった、島倉千代子」「困った、困った、こまどり姉妹」と、吉本新喜劇の島木譲二さんのギャグでみんなを笑わせてくれる。
 2、バカリズム 発想が面白いと、本当に大好きだった。交通事故にあって死んだのに、なかなか迎えのこない人に扮し、迎えのきっかけをつかもうと「成仏、成仏」とバカリズムさんが言う姿に、おなかを抱えて笑っていた。
 3、TOKIOの城島茂リーダー ほんわかしたあの雰囲気が大好きでした。
 4、コーヒー いつもコーヒーを飲むと「落ち着くねー」と、何とも言えないいい笑顔になる。

まだまだあるが、続いては嫌いなもの、人。

 人を小ばかにする人。お笑いでも、つっこみと称してすぐに殴る(どつく)人。いつも上から目線でいう人。

   ダウンタウンの浜田雅俊(さん)
          和田アキコ(さん)
   スマップの中居(さん)

 そんなサキさんの、一番嫌いな言葉は、「バカヤロー」だったのに。
 今は、サキさんの口から、その「ハカヤロー」が出てくる。大きな声で、延々と「バカヤロー」と叫び続けている。
 
 汚い言葉遣いにとても嫌な顔をしていたのに、あんなに嫌いな言葉だったのに。

 サキさん。いったい誰に、何に怒っているの。
 やっぱり、私に怒っているのかな。ごめんね。また、入院で、そばにいてあげられなくて。 

私のほうがあぶない

2015年06月02日 23時46分10秒 | 介護日記
本日よりブログをスタート。

以前は、新しいことでもすぐに理解してできていたのに・・・。
バナー、リンクの仕方
何度読んでもよくわからん。

家内がまだ調子のいいころ、「お父さんのほうが、私より“あぶない刑事(デカ)”やもんね」と
よく言われていた。本当にそうだ。
何をしようと思って席を立ったのか・・すぐにわからなくなる。(まだ一応すぐに思い出すが)
気づくと同じことをやっていることもある。(まだ、気づくからよいが)

歌を口ずさんでも、すぐに歌詞を忘れ、フンニャララ・・・とごまかす。「フンニャラ教の教祖か!」と
調子のよい時の家内に、つっこまれていた。

今日も、ブログの設定ぐらい・・・と、タカをくくっていたが。
やっぱり、つまずいた。説明を読んでもめんどくさくなって最後までしっかり読まないし。(これは昔から)

サキさん。もうすぐ私もサキさんの後を追いかけていきそうだよ。

妻が再入院

2015年06月02日 16時28分11秒 | 介護日記
平成20年に認知症と診断された我妻サキさん。
平成24年に初めて介護認定を受けるまでは、いろいろと問題はありましたが、旅行に行ったり、
映画を見たり、いつも二人で一緒に楽しく過ごしていました。
初めての看護認定は、要介護1.次の年に要介護3に。そして昨年、要介護5に。
それから、初めての入院。
退院後は、初めて老健に入所。
老健を今年の4月下旬に退所し、在宅に復帰。
何とか、家で介護をがんばりましたが、昼間お世話になっているデイサービスから
「奇声、大声をあげられるので他の利用者さんから苦情が出ている。間に入ってトラブルになるのを防いでいるが、これ以上は無理です。何より叫び続けられるサキ様がとても苦しく、辛そうです。入院して24時間の管理での薬の調整をしてあげてください」と言われ、入院することになりました。

去年の入院で“車いす”“おむつ”になってしまい(それまで車いすは、送迎時のみの利用、下着は布のパンツにパッドを使用)おとなしくはなったけれど、まるで生気を失ってしまったサキさん。もう入院だけは絶対にしたくないと思っていたのに。

今日、着替えを持っていき、帰りに、お世話になったデイサービスにあいさつに立ち寄りました。
所長さん、リサちゃん(主任さん)、本当にありがとうございました。

退院したら次は、おそらく施設のお世話になると思います。
これからも<つどい>にはいきますので、よろしくお願いします。