湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

逗子の図書館ヘビーユーザー第1号

2014-12-18 17:31:42 | 文学
文芸評論家の本多秋五が逗子で親交を深めた堀田義衛について、こんなふうに書いています。
 私がはじめて彼を知ったころ、彼は毎日たいてい逗子の図書館へ行って本を読んでいる、とのことであった。(略)堀田義衛はおそらく、あれらの本の逗子第一の利用者であったはずである。 (「物語戦後文学史・完結編」より)
堀田義衛が逗子に住み始めたのは昭和23年ですから、現在の逗子市立図書館とは場所も内容も全く違っていたようです。
1949年(昭和24年)に市立図書館の前身である、逗子アメリカ図書館が開館しました。
GHQの呼びかけにより着工したもので、場所はJR逗子駅前の東寄りに位置していました。建物は進駐軍のカマボコ型の兵舎を利用したことから、通称“カマボコ図書館”と呼ばれました。正式な名称は確認されていないようです。開館の際の蔵書数は6百冊で、米軍寄贈の横文字の資料ばかりでした。図書館というよりも、集会場として親しまれていました。
1956年(昭和31年)に資料が増えて手狭になったこともあり、逗子小学校の校庭で使われていなかった給食場を改築して、移転することになりました。校庭を柵で区切って図書館敷地とし、「逗子市立圖書館」の表札を下げ、図書館正門としました。 
(逗子市立図書館報マーメイド通信第40号より)
 現在の逗子駅前
カマボコ図書館があったのは上の写真でいうと奥の方だったのかな
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小説で建築萌え~

2014-12-17 02:22:30 | 文学
文章の世界は批評の場ではない。物事の奥に隠れた人の心の深部に大切なものをみつける、目の作業なのだ。 (村田喜代子「名文を書かない文章講座」より)
1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞した彼女の小説は、どれも振りかぶった名文調にならないように飄々と書いているのに凡庸でないところが秀逸。今「屋根屋」を読んでいるのですが、建物の話がいろいろ出てきて興味深いんです。建築好きなもので。
 
アーデンヒルのはずれに建つデザイナーズ住宅
 この本に紹介されています

「アミアン大聖堂も、尖塔の屋根にずらっと付いたガーゴイルの化け物を見たかです。向うには日本の雨樋に代わるもんがありまっせんので、雨水ば吐き出す仕掛けですたい。それがみんな怪物の恰好ばして、大口を開けて屋根にへばり付いとります」
 ノートルダム寺院の高い屋根や壁にもそれがあった。一本角の鬼、鳥、獣、龍、天使、それがみんな化け物めいた姿になって、嘔吐の恰好でずらっと並んでいたものだ。
「あれら怪物たちが雨の日に、一斉にげぼげぼと雨水ば吐き出す様を見たかです」
 (村田喜代子「屋根屋」より)
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未来をテーマに パート4

2014-12-16 00:30:45 | オリジナル
「未来」というお題、結構いろんな詩ができますね。Aが書いた2本目です。


永遠に来ないミライ

ミライは
今じゃない所だよね
新しいことなんだよね
今と別の新しいこと見つけたいな
でもわたしが住む穴倉の住民は
やめたほうがいいって言う
そんなことを考えるのは生意気だ
だいたい君はミライの実態を知らないだろう
ミライに行ってもいいことなんかない
ずーっとここに埋まっているべきだって言う

ああ
光を感じたいよ
色の付いた景色が見たいよ
流れる空気を嗅ぎたいよ
いろんな物を触りたいよ
鳥が鳴くのを聞きたいよ
新鮮な食べ物を味わいたいよ
遠くまで行きたいよ
何かに挑みたいよ
冒険がしたいんだよ
ただうずくまって泣いているのはいやだ
見晴らしのいい所に行きたい
怪我してもいいから
騙されてもいいから

でも
危険なミライで誰も支えてくれなかったら
きっとわたしは野たれ死んでしまう
穴倉の住民は行くなと警告することで
わたしを護ってくれている
彼らの言うことを聞いて我慢すべきなんだ
ここでこのまま狂ってしまったとしても
ミライを探しに行くべきじゃない
このまま哀しみと不安だけを抱えている方が安心だ
湿って澱んで埋もれている方が安全なんだ
これがミライに関する真実
わたしにミライはない
だって何も知らないんだから
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未来をテーマに パート3

2014-12-15 00:00:53 | オリジナル
毎回テーマに沿って現代詩を書き合評するメンバーを募集中です。
今日はテーマ「未来」で書いたTの詩2本目。版画もTの作品です。

       磁力
 私という輪郭の中にある宇宙
 そのなかに深い 深い湖があり
 湖は外世界とつながっている
 私を形作るために必要な情報は
 そこから入り込んでくる
 湖の表面に浮かび上がる様々な泡を
 掬い取り集めて できたのが私だ
 やがて未来もそこから忍び込み
 私に適した宇宙へ連れ去っていく
 それは私の意志など必要としない必然なのだ
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冬型の気圧配置

2014-12-14 00:00:35 | オリジナル
 昨日のマジックアワー
夕方ちょっと外に出たら吹き飛ばされそうになりました。
今日も寒くなりそうなのでお気を付けください。
ずっと吹いている風の音を聞いていたら自分の最期を夢想し始め、
こんな詩ができました。

   強風に洗われる

自然が人間に叩きつける悪意――風が
目的を最大限に果たそうと意気込んでいるように
休みなく不吉な調べを奏で
埃と落葉を集中して私に吹きかける
海岸の死せる屍や生ける屍を覆っていた砂を
一粒残らずさらっていく
誤魔化し好きの人間たちに向けられた的確な意思で
輝く恐怖が剥き出しになる
世界はついに戦意を失い
錐揉みで落下する

長い長い助走の後の
強風吹き荒れる完璧な日だ
早過ぎず遅過ぎず手に入れた 
高過ぎず低過ぎない精確な空
遥か下方に去った
人類が舐め尽くそうとしている飴玉
雲ひとつない視線で
その球形の蒼を見下ろせば
心身が急激に鎮まっていく
体温はとうに消えた
内臓はきっとミント色に凍っている

ずっと
取るに足らぬ意見や感想や情緒や目的を
生臭い日常の上に意味ありげに重ねてきた
善や悪や虚を雑に包み隠して
偶々出会う風と無意味に交換してきた
最期に訪れた 
思想も理想も吹き飛んだ完璧な一日
長い長い間待っていた
改めて人らしくなく生き始める日だ


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氷見敦子in鎌倉逗子

2014-12-13 00:51:09 | 
癌のため1985年に30歳という若さで亡くなった詩人、氷見敦子の
「東京駅から横須賀線に乗るとき」という長い詩の一部をご紹介します。
倉橋由美子の小説の一節が引用されています。
鎌倉・逗子に暮らしたことがあるんですね。
逗子ではハイランドに住んでいたようです。
 冬の鎌倉駅前
(小学六年生から中学一年生にかけて、
わたしは、北鎌倉に住んでいたことがある。

(夏の終わり、借家だった家の前の小さな山が神がかり、
山全体、深いひぐらしの鳴き声に洗われていく。

(宇宙の簾から吹き込む風。
銀河に棲む蝉が、風のなかで羽を震わせている。

(高校二年生から二十八歳になるまで、
わたしは逗子の街で暮らしていた。

(新しい家に引っ越した当初、まばらだった人家のすきまに、
海が巨大な円盤のように輝くのが見えた。

(明け方、波の音が銀河の入江から聞こえてくる。
小人のような神が、きっと巻き貝に棲んでいるのだ。

 記憶が、そこから、川のように流れ出ているのでした。
わたしは、一艘のカヌーを脳のなかに運び込み、川を昇る。
わたしは、川を昇る女だ。

 *

 鎌倉駅前の風景。
その風景のなかへ歩いていくわたしは、歩いていくとき、
わたしが、たちどころに複数のわたしとなって、それぞれの風景を、
歩いている。鎌倉駅前の風景が時を飽食する。飽食しながら、
限りなく肥大していくのを、感じる。

「光明寺行きのバスがでるまで、十五分以上も待たなけ
ればならない、急いでいるわけではないが、あなたはい
らいらしながらバス乗り場をはなれて駅前広場を横切
る。右側に西武百貨店、左側にあなたとかれがよくバヴ
ァロアやエクレアを食べたことのある風月堂、そして観
光都市らしく土産物を並べた店……あなたにとってはま
ったく見慣れた鎌倉の駅前だ。しかしいま鎌倉は二月の
埃っぽい寒気のなかであなたによそよそしい顔をみせて
いる」

 一九七二年、倉橋由美子の『暗い旅』に夢中になる。
十七歳のわたしが、鎌倉駅前を横切っていく。横切っていく、
わたしが、制服を着たまま、ジャズ喫茶の階段を上っていく。
あるいは、私服で「材木座に住むかれといっしょに、
駅の正面にある〈扉〉へ入ったことがあった」
「 」の部分が、『暗い旅』と同じである。

 西武百貨店は、ずいぶん前に取り壊され、そのあとに、
東急ストア―が建った。駅前周辺には、新しい喫茶店、新しい
レストランが次々とでき、風月堂は、急速に衰退していった。

 東京から横須賀線に乗り、改築された鎌倉駅を見る。
 そこから、
記憶の川を昇る。わたしは、川を昇る女だ。飛沫が、
魂の粒子となって、降りかかってくる。

 わたしが初めて、鎌倉駅のバスターミナルに立ったのは、
音楽教室に通い始めた、小学校六年生のときだった。

 *

 小学生のまま改札を抜けると、
 バスが闇の底にとまっている
 陽が落ちてからは時間が龍巻をつくり
 数百年が瞬くまに過ぎていくみたいだ
 うっそうと生い茂った樹間を
 ショッピングバッグを持って行き通う人たちまで
 獣の匂いを漂わせている
 銀行から走り出て来た女が
 腕のなかの赤ん坊を振り払うようにして消えてしまう
 わたしは今でも
 赤ん坊だった男の夢を忘れることができない
 車体の震えが伝わって来るころには
 からだごと男の影に挑みかかっていく
 海へ突き出た道の果てでバスを乗り捨てたあとは
 夢を剥ぐようにして
 小学生のまま女にもどっている
 星の光で貫かれた記憶にゆさぶられる
 遠い昔、銀河をわたっていった男の悲鳴を
 聞いたような気がする
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未来をテーマに パート2

2014-12-12 14:43:46 | オリジナル
毎回テーマに沿って現代詩を書き合評するメンバーを募集中です。
今日は、今回のテーマ「未来」で書かれたTの作品。


  過ぎ行く時
 
 風に舞ってきた花びらのようなめぐり逢いに
 思いがけない庭に入り込んだり
 強風に倒れた巨木の前で
 消失してしまった膨大な時間に立ち竦んだり
 経験や想いを透かして振り返ると
 過去は違った色合いに見える
 それと同じように
 濃密に過ごす「時」の連なりが
 確実な未来になる

 赤ん坊は
 獣のように泣き 乳を貪り
 五感を開いて世界を掴もうとする
 むきだしの必死さが
 百年先の未来をも手繰り寄せるのだ
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今月のお題その3 未来

2014-12-11 00:10:10 | オリジナル
共通テーマで書く詩が、それぞれ全然違っていて興味深いんです。
という訳で「流れ」「無限」に続いて「未来」をテーマにも詩を書いてみます。
まずはAの作品。またもテーマの裏をかいてシニカル味濃い目で。


EXIT

愚かな視点からは
変色を繰り返しているだけに見える海
無のような蒼白の空に融け込んだり
緑からグレーへの階調を揺らしたり
ねっとりと黒く光って呟いていたりする
海岸線は長い時間の後に輪郭を変え
気付かぬ間に変化している
時間が運動を必要とするから
海も陸も一瞬たりとも同じではない
時は空間を揺らす生命 

時は身体の残酷な生命
肉体に閉じ込められた未熟な精神を
時空間に放たれた誕生の一瞬は
死に至る第一歩だった
その時は気付いていなかったけれど
悪夢に向かって運動する躰に
時間が積み重ねられていく
思う存分汚い業を積んだ
少しは善い行いもした
未来にさす影が少しずつ濃さを増す後半生の只中
見え隠れしていた醜い真実が明確に見えている

積み重ねた時間の苦々しい頂点に尖端を積み増していく
なぜか肉体と共存しなければならない精神が死ぬまで
剣を手から離すな 
切先を研ぎ正しく未来に向けろ
下を見るのは危険だ
過去を反芻するのは無意味だ
想像力のない人間が思い出ばかりを貯め込む

 到着された方はさっさと出口へお進みください
 そりゃあ長い距離を飛んで来たのでしょうよ
 だからといってここに留まられては困ります
 「辛かった」とか「退屈だった」とか
 さんざめいている暇はありません
 この到着ゲートは即出口です
 ほらほら
 死にたくなるほど大きくて青い海が見えますよ
 「わあ楽しみ」
 空しい未来に向かって
 とっととご退出ください
ツーリスト案内係も明日で引退だ


   *テーマに沿って現代詩を書く仲間を募集中です。自作の詩1篇を下記にお送りください。
    1987mtree@gmail.com
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穂村本2冊

2014-12-10 11:59:53 | 文学
年末だから不要な本を処分、処分。

買い取ってもらう時の単価の安さに、テンション下がりますね~。
気をとりなおして読書、読書

対談相手は高橋源一郎・長島有(ブルボンヌ小林)・中島たいこ・一青窈・竹西寛子・山崎ナオコーラ・川上弘美です。
詩人は登場しないけれど、川上弘美さんが詩について言及しています。
詩では、一つの単語一つの言葉と向き合って、愛しんで、手の中で転がしてあっちから眺めたりこっちから眺めたりして、言葉自体の手触りを思いながら作るけれど、小説ではもっとスピードというか立ち止まらない勢いのようなものが必要…
また中島たいこさんとの対談の中で、穂村さんは詩の言葉についてこんなふうに言っています。
小説に比べて詩のほうが、言語との摩擦係数が高い。

そんな詩の言葉と違って偶然生まれた天使的なフレーズを集め、考察したのがこちら。この本に繰り返し出てくる美容室で洗髪してもらっている時の美容師さんの謎の台詞について、ツッコんでいるうちにこんな方向に行ってしまうのが穂村流。
「お湯加減はいかがですか」
「おかゆいところはございませんか」
「気持ち悪いところはございませんか」
「耳は気持ち悪くございませんか」
(中略)
 先日、久しぶりに髪を切りに行ったら、また仲間が増えていた。
「流し足りないところはございませんか」
 混乱する。ええと、流し足りないところがあるかないか、いちばんよくわかるのは現に流しているあなたですよね。こっちは仰向けで、顔にガーゼみたいなものをかけられて、何もみえないんだからわかりませんよ。髪の毛には触覚がないんだから。
(中略)
 対象を頭部周辺に限定したまま、サービスを手厚くしよう、という根本方針に無理があるんじゃないか。そんなにサービスしたければ、もっと範囲を広げたらどうか。髪を洗いながら、例えばこんな風に問いかけるのだ。
「小腹が減っていませんか」
「エロい御気分じゃありませんか」
「アメリカン・パーティー・ジョークはいかがですか」
「死んだお母さんに会いたくありませんか」

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鎌倉五山第三位寿福寺

2014-12-09 01:00:38 | 湘南
扇ヶ谷にある寿福寺は、鎌倉五山のひとつ。ってことは臨済宗のお寺なんですね。
 総門
 参道
この先の境内は非公開。境内にはかつて詩人の中原中也、俳人の草間時光・籾山梓月、小説家で編集者の佐佐木茂索・小説家のささきふさ夫妻が住んでいたそうです。裏の墓地には高浜虚子、虚子の次女で俳人の星野立子、大仏次郎が眠っています。源実朝の墓と伝えられるやぐらもあります。
花生けの水を取り替えるのに、水を運ぶ手桶がなかった。さがして歩いていると、手桶のあるどこかの墓所があり、大きな籠の盛り花を上げ、きれいにしてあった。その手桶を借りるつもりで行って見ると、正面の小さい墓石に「虚子」と二字をきざんであった。
 なんだ、高浜さんか、それなら断わりなしに手桶を拝借できる、と私は明るい心持であった。四十年前から私は同じ鎌倉に住み虚子さんの一家とは、つかず離れずの親しい関係であった。高浜家の墓所は、前には下の平地にあったのを寿福寺に特有の、岩の崖にあけた岩窟の中に移ったのであった。右大臣実朝や政子の墓も、岩屋の中に安置せられ、岩穴の俗称を「やぐら」と言っている。虚子さんも「やぐら」の一つにはいったのであった。

(大仏次郎「彼岸入り」より)

 やぐら
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