湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

小説の書き出し

2014-12-03 10:29:21 | 文学
最近、カレーばっかり食べてます。なんかあったまるし。
 スパイスツリーで。
 池田通り交差点の所。入口は交差点に面していない路地側です。
 オーケーストア逗子旧店でお買い得だったのでストック!
さて、久々に筒井康隆のエッセイを読みました。
そう、これはあくまでエッセイ。小説作法・文章読本・創作虎の巻的な書物のパロディなのです。なんせ筒井康隆ですから。
これはいわゆる教科書でもなければ何なに読本の類いでもない。ふざけたタイトルからもわかるように、単なるエッセイだ。老人が囲炉裏端で昔話を交えて語る繰り言と思って気楽に読んでいただきたい。(序言より)
でも教科書的な箇所もあって、思わず勉強しちゃいました
「濫觴(らんしょう)」という項目があり、初めて見る言葉だったので語源を調べると、
 物事の始まり。起源。大河もその源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの小さな流れであるという「孔子家語」の言葉から…だそうです。
その項にはこんなことが書いてあり、筆者の意図に反して深く学習してしまったのでした。
小説の書き出しについては、過去の小説作法にさまざまなことが書かれている。最初の一行で物語の中に読者を引き込まなければいけないだの、あまり気負って書き出すとあとが続かなくなって腰砕けになるから、肩ひじ張らぬあっさりした書き出しの方がいいだの、中味をあらわす象徴的な書き出しにすべきだの、いきなり主人公の名前を出して登場させるのは非文学的だの…こうした作法は、あらゆる小説形式やジャンルが混在する現代にあっては当然無視されてよい。…考慮すべきはあくまで、「その小説の出だしはどう書けばよいか」…さてそこで結論としては、作品の冒頭は個個の作品に最も相応しいものであるべきであり、それがいい書き出しかどうかは作品全体の出来次第で決定される、ということになる。逆に、名作とされる作品の冒頭部分を読めば、その作品はそう書き出すしかなかったのだと思わせてしまうからなのだ。
コメント
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