湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

氷見敦子in鎌倉逗子

2014-12-13 00:51:09 | 
癌のため1985年に30歳という若さで亡くなった詩人、氷見敦子の
「東京駅から横須賀線に乗るとき」という長い詩の一部をご紹介します。
倉橋由美子の小説の一節が引用されています。
鎌倉・逗子に暮らしたことがあるんですね。
逗子ではハイランドに住んでいたようです。
 冬の鎌倉駅前
(小学六年生から中学一年生にかけて、
わたしは、北鎌倉に住んでいたことがある。

(夏の終わり、借家だった家の前の小さな山が神がかり、
山全体、深いひぐらしの鳴き声に洗われていく。

(宇宙の簾から吹き込む風。
銀河に棲む蝉が、風のなかで羽を震わせている。

(高校二年生から二十八歳になるまで、
わたしは逗子の街で暮らしていた。

(新しい家に引っ越した当初、まばらだった人家のすきまに、
海が巨大な円盤のように輝くのが見えた。

(明け方、波の音が銀河の入江から聞こえてくる。
小人のような神が、きっと巻き貝に棲んでいるのだ。

 記憶が、そこから、川のように流れ出ているのでした。
わたしは、一艘のカヌーを脳のなかに運び込み、川を昇る。
わたしは、川を昇る女だ。

 *

 鎌倉駅前の風景。
その風景のなかへ歩いていくわたしは、歩いていくとき、
わたしが、たちどころに複数のわたしとなって、それぞれの風景を、
歩いている。鎌倉駅前の風景が時を飽食する。飽食しながら、
限りなく肥大していくのを、感じる。

「光明寺行きのバスがでるまで、十五分以上も待たなけ
ればならない、急いでいるわけではないが、あなたはい
らいらしながらバス乗り場をはなれて駅前広場を横切
る。右側に西武百貨店、左側にあなたとかれがよくバヴ
ァロアやエクレアを食べたことのある風月堂、そして観
光都市らしく土産物を並べた店……あなたにとってはま
ったく見慣れた鎌倉の駅前だ。しかしいま鎌倉は二月の
埃っぽい寒気のなかであなたによそよそしい顔をみせて
いる」

 一九七二年、倉橋由美子の『暗い旅』に夢中になる。
十七歳のわたしが、鎌倉駅前を横切っていく。横切っていく、
わたしが、制服を着たまま、ジャズ喫茶の階段を上っていく。
あるいは、私服で「材木座に住むかれといっしょに、
駅の正面にある〈扉〉へ入ったことがあった」
「 」の部分が、『暗い旅』と同じである。

 西武百貨店は、ずいぶん前に取り壊され、そのあとに、
東急ストア―が建った。駅前周辺には、新しい喫茶店、新しい
レストランが次々とでき、風月堂は、急速に衰退していった。

 東京から横須賀線に乗り、改築された鎌倉駅を見る。
 そこから、
記憶の川を昇る。わたしは、川を昇る女だ。飛沫が、
魂の粒子となって、降りかかってくる。

 わたしが初めて、鎌倉駅のバスターミナルに立ったのは、
音楽教室に通い始めた、小学校六年生のときだった。

 *

 小学生のまま改札を抜けると、
 バスが闇の底にとまっている
 陽が落ちてからは時間が龍巻をつくり
 数百年が瞬くまに過ぎていくみたいだ
 うっそうと生い茂った樹間を
 ショッピングバッグを持って行き通う人たちまで
 獣の匂いを漂わせている
 銀行から走り出て来た女が
 腕のなかの赤ん坊を振り払うようにして消えてしまう
 わたしは今でも
 赤ん坊だった男の夢を忘れることができない
 車体の震えが伝わって来るころには
 からだごと男の影に挑みかかっていく
 海へ突き出た道の果てでバスを乗り捨てたあとは
 夢を剥ぐようにして
 小学生のまま女にもどっている
 星の光で貫かれた記憶にゆさぶられる
 遠い昔、銀河をわたっていった男の悲鳴を
 聞いたような気がする
コメント
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