勝目梓の自伝的小説「小説家」を読みました。

主人公である「彼」の人生が大きく三つに分けて描かれています。その第三章にあたる、前の東京オリンピックあたりからの話がとても興味深かったです。特に同人誌「文藝首都」(昭和8~44年)のことが詳述されている箇所に引き込まれました。一部を引用します。
『文藝首都』は他の同人誌と違って、門戸を一般に広く開放していたので、所定の会費を納入すれば誰でも会員になれた。会員は作品を投稿することができる。集まった投稿作品は、同人の中から選ばれた編集委員が手分けして読み、二名の読み手の推挙があれば誌上に掲載される、というシステムになっていた。掲載に至らなかった投稿作品には、それを読んだ編集委員の評が付けられて返送された。
雑誌は毎月の刊行が守られ、彼が後に編集委員を務めていたころは、月々の投稿作品の数が百篇を優に超えていたから、いわば月ごとに会員の間でコンクールが行われているようなものといえた。そのようにして一定水準の実力を示した会員は、編集委員会の議決によって同人に加えられ、さらには編集委員に選ばれる者も出てくる。
編集委員は常時十数名をかぞえていたし、それぞれの年代も文学観もまちまちだったから、掲載作品の選定になんらかの偏向が生じるということは起きなかった。新人の育成を謳った同人誌としては、これはまことに理に適った運営方式だった。
その他にも、毎月の掲載全作品についての合評会が、全国の支部ごとに開かれていたし、作家や評論家を招いて話を聴く集まりなども行われていたので、書きたい欲求を抱えて孤立している作家のタマゴや文学愛好者たちにとっては、『文藝首都』は恰好の交流の場になっていたのだった。
この後に合評会や二次会の様子も描かれています。
彼と同時期に在籍した有力な同人たちのエピソードの中に、今年逗子で亡くなられた林京子さんに関する記述もありました。

林京子は常におっとりとした物静かな雰囲気を漂わせていた。しかし、たおやかな外観とは対照的な、飾り気のない硬質な文体からは、気質の芯の強さ、精神の骨太さが窺えた。当時すでに林京子は、そうした推進力の強い文体で、自身の原爆体験を作品化しはじめていた。
そして「彼」は「文藝首都」で頭角を現し芥川賞や直木賞の候補にあげられたりしながらも、19歳で同人に加わった中上健次の本気度・才能・文学的スケールに圧倒されて迷走し始めます。「文藝首都」廃刊後に加わった同人誌の合評会で出会った森敦の深淵さにも圧倒され、純文学から娯楽小説に転換していったのでした。

主人公である「彼」の人生が大きく三つに分けて描かれています。その第三章にあたる、前の東京オリンピックあたりからの話がとても興味深かったです。特に同人誌「文藝首都」(昭和8~44年)のことが詳述されている箇所に引き込まれました。一部を引用します。
『文藝首都』は他の同人誌と違って、門戸を一般に広く開放していたので、所定の会費を納入すれば誰でも会員になれた。会員は作品を投稿することができる。集まった投稿作品は、同人の中から選ばれた編集委員が手分けして読み、二名の読み手の推挙があれば誌上に掲載される、というシステムになっていた。掲載に至らなかった投稿作品には、それを読んだ編集委員の評が付けられて返送された。
雑誌は毎月の刊行が守られ、彼が後に編集委員を務めていたころは、月々の投稿作品の数が百篇を優に超えていたから、いわば月ごとに会員の間でコンクールが行われているようなものといえた。そのようにして一定水準の実力を示した会員は、編集委員会の議決によって同人に加えられ、さらには編集委員に選ばれる者も出てくる。
編集委員は常時十数名をかぞえていたし、それぞれの年代も文学観もまちまちだったから、掲載作品の選定になんらかの偏向が生じるということは起きなかった。新人の育成を謳った同人誌としては、これはまことに理に適った運営方式だった。
その他にも、毎月の掲載全作品についての合評会が、全国の支部ごとに開かれていたし、作家や評論家を招いて話を聴く集まりなども行われていたので、書きたい欲求を抱えて孤立している作家のタマゴや文学愛好者たちにとっては、『文藝首都』は恰好の交流の場になっていたのだった。
この後に合評会や二次会の様子も描かれています。
彼と同時期に在籍した有力な同人たちのエピソードの中に、今年逗子で亡くなられた林京子さんに関する記述もありました。

林京子は常におっとりとした物静かな雰囲気を漂わせていた。しかし、たおやかな外観とは対照的な、飾り気のない硬質な文体からは、気質の芯の強さ、精神の骨太さが窺えた。当時すでに林京子は、そうした推進力の強い文体で、自身の原爆体験を作品化しはじめていた。
そして「彼」は「文藝首都」で頭角を現し芥川賞や直木賞の候補にあげられたりしながらも、19歳で同人に加わった中上健次の本気度・才能・文学的スケールに圧倒されて迷走し始めます。「文藝首都」廃刊後に加わった同人誌の合評会で出会った森敦の深淵さにも圧倒され、純文学から娯楽小説に転換していったのでした。
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