湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

鮎川信夫と「荒地」展

2016-07-17 22:19:26 | 
今日は、横浜の港の見える丘公園にある県立神奈川近代文学館に行ってきました。

明日で終わっちゃう~!隔週日曜日に今回の展示担当者が解説してくれるギャラリートークも最終回だ~ということで、没後30年 鮎川信夫と「荒地」展を見に行ったのです。下記の4部構成で展示されていました。
詩的青春の日々
荒地 戦後詩の出発
荒地以後
荒地を振り返る

第1章「詩的青春の日々」と第2章「荒地 戦後詩の出発」を太くつなげる「戦中手記」(1945年2~3月)が、展示の最大の見どころでした。
鮎川が傷痍軍人療養所で家族への手紙を書くふりをしながら短い期間にひたすら書いた濃い内容。館が所蔵する巻紙5巻の手記全巻を初展示です。巻紙ですよぉ、全部足すとすごく長いの。一刻の猶予なくこれまでとこれからを記録せねば!という執念を、みっちり書かれた文字が物語っていました。この一部が、同じく館の収蔵品である生前未発表の「『荒地』の蘇生」草稿(1945年10月)に使われました。この2年後に「荒地」の復刊が実現しました。鮎川27歳の時です。現代の感覚で考えるととても若いですよね。
しかし既に、先に出征した親友の若き詩人森川義信が戦病死し、その後自らも出征することになり、入営前に遺書として書いた詩「橋上の人」が掲載された雑誌が出征先のスマトラに送られてきて…という怒涛のようなできごとを味わってしまったのです。そして十代の一時期にエリオットに刺激されて創った詩誌「荒地」を、戦後に重い意味をもって蘇らせたのです。
戦争は絶対によくないと思いますが、ナイーブな年代の彼を「荒地」の蘇生に駆り立てたは先の戦争でした。あの時代の罪と功績です
溜め息が出てしまいました。

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