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湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

尾崎紅葉終焉の地

2017-03-20 18:39:43 | 旅行
佐々木活字店で活字鋳造見学をした後も、新宿区内をプチトリップ。
尾崎紅葉が明治36年(1903年)に亡くなるまで12年間暮らした場所を探して、神楽坂裏路地をウロウロ。
門扉みたいなものがある奥に小道が続いているけれど侵入していいの?というような更なる裏路地に、新宿区指定史跡尾崎紅葉旧居跡を発見しました。

案内板の奥にある鳥居さんの家(当時の家屋は戦災で焼失)を借りて住んでいたようです。ここで「金色夜叉」を書いたんですね。
2階の8畳と6畳を書斎と応接間にし、1階には泉鏡花ら弟子が起居したこともあったとか。なるほど鏡花はここにいた時に、後に妻となる神楽坂芸者のすずさんと出会ったんですね。
鳥居家には今も、紅葉が襖の下張りにした俳句の遺筆が保存されているそうです。

近くに島村抱月終焉の地の案内板もありました。

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活字作り見学&活字拾い

2017-03-19 19:24:58 | 旅行
紙に文字が印刷してある書物などを活字というのは隠喩的表現。それも好きだけど本物の活字も好物なA、去年の7月25日には「グーテンベルク」と題した詩を投稿、11月23日には築地に建つ活字発祥の地碑をご紹介しました。
本物の活字関連第3弾になる今回の投稿は、日本の出版文化史上貴重な技術を保持しているという理由で新宿区地域文化財に認定されている佐々木活字店(創業101年)を訪ねたの巻~ 
新宿区榎町75
活字鋳造見学会を実施して案内と説明をしてくれたのは現社長の息子さん佐々木さんです↓

佐々木さんが動かして見せてくれているのは昭和20年代から現役で働いている活字鋳造機。
真鍮に凹で彫られた母型の文字を何本もの凸の鉛合金ハンコにする機械です。母型を制作する所がなくなってしまったのが悩みだとか。
活字業界では最新型(昭和60年頃製造)のモノタイプという鋳造文選機も運転して見せてもらってから、文選体験!

自分の名前4文字を棚から選び出すのにすごい時間がかかり、子供の頃文選工に憧れていたけれどこれじゃ無理だったね…と再確認。熟練の文選さんは、1日で8000~9000本くらい拾えるそうです。
自分で拾った名前の活字をお土産に頂戴して、活版印刷マニア大興奮の見学会は終了しました。終わってしまったものごとを保存するのではなく、実際に稼業として回していくことで保持していく努力にも感服。貴重な現場を見せていただきありがとうございました。
 活字FOREVER
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ゼームス坂レモン哀歌碑

2017-01-26 12:08:25 | 旅行
品川に用事があって、昔住んでいたゼームス坂へ。

ゼームス坂は、大正末期に建てられた銅板葺きのファサードをもつ、いわゆる看板建築が空襲の被害をまぬがれ残っているエリアです。緑青の色がいい感じ~。
この坂道をちょっと入った所にレモンの木が植えられた高村智恵子終焉の地ゼームス坂病院跡があったはずだと思い行ってみました。するとレモンの木はなくて、モノリスみたいな石碑の前にレモンのお供えがしてありました。
 高村智恵子記念詩碑
下に埋め込まれた銘板によると、智恵子の身長と同じ高さの石碑を平成7年に建てたってことなのね。

昭和七年以来の彼女の経過追憶を細かに書くことはまだ私には痛々しすぎる。ただ此の病院生活の後半期は病状が割に平静を保持し、精神は分裂しながらも手は曾かつて油絵具で成し遂げ得なかったものを切紙によって楽しく成就したかの観がある。百を以て数える枚数の彼女の作った切紙絵は、まったく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。彼女は此所に実に健康に生きている。彼女はそれを訪問した私に見せるのが何よりもうれしそうであった。私がそれを見ている間、彼女は如何にも幸福そうに微笑したり、お辞儀したりしていた。最後の日其を一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、荒い呼吸の中でかすかに笑う表情をした。すっかり安心した顔であった。私の持参したレモンの香りで洗われた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去った。昭和十三年十月五日の夜であった。 (高村光太郎「智恵子の半生」より)
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日本印刷文化の源泉

2016-11-23 23:05:06 | 旅行
先日また逗子から小旅行して築地へ。前回土曜日に行ったらものすごく混んでいたので、平日に行ってみました。やっぱり休市日以外の平日がオススメですね。
場内の魚がし横丁にはこんなお土産を売る店も。マグネットの地名が両方併記になってます

魚がし横丁で朝ごはんを食べて、近くの活字発祥の碑を見てから帰ってきました。

日本の活版印刷は明治時代に築地で始まったんですね。
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高村光太郎最後の彫像

2016-11-10 12:08:51 | 旅行
青森に行きました。旅の最後に十和田湖畔に着いたら雨が降ってきてしまいました。

乙女の像の除幕式が行われた昭和28年10月21日も雨でした。式典に出た作者の高村光太郎は清めの雨だと言ったそうです。
雨に洗われて紅葉も一層きれいです 詩碑も雨で清められて読みやすくなっているような。

十和田湖畔の裸像に与ふ   高村光太郎

銅とスズとの合金が立ってゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひない。
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のように立ってゐる
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪えて
立つなら幾千年でも黙って立ってろ。


彫刻家として完成させた最後の彫像になったこの作品の制作に、光太郎は強く厳しい集中力をもって臨んだのですね。
奥入瀬源流水とアップルラガーを飲みながら新幹線で帰ってきました。

※投稿時「最後の彫刻」としたところ、お読み頂いた方からその後記念メダルを彫ったこと、未完の彫像があることをお知らせいただきました。ご丁寧にありがとうございました。乙女の像は高村光太郎が最後に完成させた彫像であるという内容に変更させていただきました。
コメント (1)
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半日築地旅

2016-10-10 10:10:35 | 旅行
先日夜明け前に始発で逗子を発って、今何かと話題の築地市場に行ってきました。早朝から活気あふれてます。

下の写真は、10:00以降一般見学者も入れる場内仲卸売場です。マグロおいしそう~。しかし魚がし横丁でいただいた朝食は寿司や刺身ではなく…
 
 「グ・ラ・メ! 総理の料理番」に出てきたメカジキバター醤油
ドラマには神田神保町の悠久堂書店が登場してましたね。
 同じく小田保のチャーシューエッグ丼
チャーシューめちゃウマのトロトロです。
腹ごなしに歩いて聖路加病院旧館へ
撮影禁止なので写真ありませんが内部も必見です。チャペルのステンドグラスとか、ノミやカのレリーフとかね。
ここは明治時代にアメリカ公使館があった場所。一帯は居留地となり乳牛の牧場もあったとか。その牧場・耕牧舎が芥川龍之介の生誕地なのだそうですが、お腹がいっぱいすぎて意識が回らず跡地の確認をしそびれました。龍之介は生後7カ月でそこから芥川家に引き取られたのだそうです。
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日本のムーミン谷

2016-07-09 18:36:27 | 旅行
この間の日曜日に電車で行ったムーミン谷。

いすみ鉄道の車窓から撮った写真です。池のほとりなので、ミイはフィッシング中。

お花畑の中で仲良く平和に暮らしているムーミンたちが、花の中を平和に走るいすみ鉄道のイメージにぴったり!
というだけでなく、昭和時代にテレビアニメの「ムーミン」を見て育った女性層を呼び込んで存続をめざす!
という切実な思惑もあって2009年に導入されたラッピング車両です。
当日私たちが乗ったのはムーミン列車ではなく昭和の国鉄車両レストラン・キハのスイーツ&ワイン列車。
は気動車(ディーゼルカー)のキ、はイロハのハで3等車という意味だそうです。

現役で頑張る貴重な車両のボックス席に取り付けられたテーブルで、大原駅13:52発~上総中野14:56着の間チーズとワインと景色を堪能しました。
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太宰の生家

2016-05-23 01:14:54 | 旅行
先日青森旅行に行ってきました。太宰治が生まれ育った金木町も訪ねましたよ。
 国の重要文化財 斜陽館
太宰は明治42年6月19日、この家で誕生しました。昭和23年人手に渡り改装されて旅館「斜陽館」になり、全国から太宰ファンが泊まりに来ました。
中でも人気の宿泊室は、襖の漢詩に斜陽の文字が見られる通称斜陽の間
 
先客がいると他の部屋に泊まって空くのを待った宿泊客もいたそうです。
平成10年に太宰治記念館斜陽館として復元オープン。お陰で、解説付きで各室を巡って見学できるようになったという訳です。

すぐ近くにある雲祥寺は、子守のたけに連れられて太宰がよく散歩に来た場所だそうです。
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弾丸広島旅

2015-09-10 10:27:48 | 旅行
夏休みに岡山に行ったついでに広島方面にも足を伸ばしました。
 大三島でウサギたちと戯れ…
 ごはん欲しさに立ちあがるのが、すごくかわいい~
その帰りに尾道に立ち寄りました。時間の関係で「文学のこみち」には行かず、おいしいラーメンを食べて岡山へ戻っちゃいましたけどね。
 林芙美子像がありました。
秋のこゝろ  林芙美子

秋の空や
樹や空気や水は
山の肌のやうに冷く清らかだ。

女のやうにうるんだ夜空は
たまらなくいゝな
朝の空も
夜の空も
秋はいゝな。

青い薬ビンの中に
朱いランタンの灯が
フラリフラリ
ステツキを振つて歩るく街の恋人達は
古いマツチのからに入れて
私は少女のやうにクルリクルリ
黄色い木綿糸を巻きませう。

夜明近くの森の色や鳥の声を見たり聞いたりすると
私のこゝろが真紅に破けそうだ
夜更けの田舎道を歩いて
虫の声を聞くと
切なかつた恋心が塩つぱい涙となつて
風に吹かれる

秋はいゝな
朝も夜も
私の命がレールのやうにのびて行きます。
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桃太郎の像

2015-07-25 00:00:45 | 旅行
岡山に行ってきました
岡山駅前のこの像は桃太郎の王道イメージですが、駅前から伸びる桃太郎大通りにはまったく違う雰囲気の桃太郎像が。
 蛭田二郎作ももたろう
この大通りにお供の動物像があるから、じゃあ主人公のあの方は?と探したら、この子が建っていたんです。桃から生まれてまもない状態でしょうか。
 掻いてる犬(作品タイトルではありません 以下同)
 考える猿
 ポーズ決まってる雉
それぞれ他のパターンも建っています。桃太郎大通りに行くことがあったら探してみてね!
桃太郎伝説の発生は室町時代に遡るといいます。現在よく知られているストーリーになる以前は、大人な筋書で語り伝えられていたようです。
川で拾った大きな桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返り、おばあさんから桃太郎が生まれたとか
川で拾った桃は若い娘で、おばあさんが連れて帰ったその娘が桃太郎を産んだとか。「桃太郎」というか「桃尻娘」譚?
でもって後に桃太郎が鬼が島から財宝を持って帰るというんだから、人間の色と欲を素直に反映してますよね~。さすが、昔の人!
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